お遍路さん日記 ~第四部 讃岐~

40日目 終わらない旅

2005年4月10日

朝8時、極楽橋駅発のケーブルカーに揺られ、僕は高野山へと向かっていた。四国遍路の旅を終えたのち、高野山へとお礼参りに出かけるのが昔からの習わしらしい。

先日、一通の手紙が届いた。

差出人は、四国を共に駆け抜けた相方林だった。結願から2週間、クラブや単位の心配やらで、ようやく忘れつつあった四国遍路の思い出が、彼からの手紙で一気に蘇り、いても立ってもいられずに高野山へと向かう列車に飛び乗ってしまったのだ。

高野山は、山の上に広がる人口5,000人ほどの小さな町で、町中にお寺が散らばる不思議な街だった。何せ人口の大部分がお坊さんだって言うんだから。街唯一のコンビニで若い坊さんがポテトチップスを買っているのを見た時にはちょっと笑いそうになってしまった。

高野山の街外れに、本日の目的地、『高野山奥の院』はあった。杉並木の参道には、苔むしたお墓が立ち並び、久し振りにお遍路さんの旅のことを思い出した。

しばらく進むと小さな橋が姿を現した。ここから先は写真撮影や飲食が禁止らしい。

というのも、この先にはあの弘○大師おじさんが眠っておられるそうなのだ。

橋の向こうにはお堂があり、その裏手に彼は眠っていた。

というか、案内板によると、弘○大師おじさんはいまだにここで生き続けているらしい。

どおりで旅の最中に文句を言うと、雨やら雪やら降らされるわけだ。彼は、紀伊半島の山奥からずっと僕たちのことを覗いていたのだ。

目を瞑り最後のお参りをする。周りにいた観光客も姿を消し、凛とした雰囲気の中お経を唱える。すると、不思議なことに、旅の最中のいろいろな出来事が頭に浮かんできた。

徳島を歩きだした時のあの不安な気持ち

金本兄貴、河手おじさんとの出会いと別れ

山の中で聞いた鐘の音

失恋

室戸岬での負傷とその後の挫折

恐怖体験

瀬戸内の島々の美しい風景

怠けもの病の発症と見知らぬ人からの説教

そして、そこからの復活と相方林とのコンビ結成

夕暮れの中駆け抜けた讃岐路の風景…

次から次へと、色々なことが頭の中を過った。

全ての札所を回りきったというのに、大阪に戻ってからも、僕は旅を終えたという気が全くしなかった。

なんとも不思議な感覚だったが、先日届いた林からの手紙を読んで納得できた。

『俺は、これからの人生、どんな困難な道でも、勇気を持って突っ走って行こうと思う。四国を突っ走ったように。』

奴にしてはなかなかかっこいい事を言いやがるけれど、その通りなのだろう。これからも、四国を旅した時のように突っ走って行く。そう、まだ旅は終わっていないのだ。

お遍路という過酷な旅を通して人間的に成長し、現実世界に戻って行く。これからも、困難なこと、苦しいこと、たくさんあるだろう。しかし、お遍路の旅で様々な困難を乗り越えられたのだから、これからも勇気をもって突っ走っていく。

林からの手紙を読み、僕は思った。

お遍路の旅はまだ終わってはいない。

これからもずっと続いて行くのだと…。

お参りからの帰り道、頭の中にある曲の歌詞が浮かんだ。

『たどり着いたらそこがスタート。ゴールを決める余裕なんて今はまだない』

最後の宿に置いてあった思い出ノートに書き綴った、某深夜番組の曲を口ずさみながら、僕は参道を歩いていった。

おしまい

あるお遍路さんの姿

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39日目 結願

2005年3月21日

「そろそろいくか。暗くなってきたし」

女体山山頂で絶景を満喫した僕らは、88番札所大窪寺目指して山を下りはじめた。時計の針はもう18時を指しており、あたりはもう薄暗かった。

女体山は、88番札所のちょうど裏山にあたる。このまま下山していけば自然に境内に到着できるようだ。

待ちに待った最後の瞬間が訪れようとしている。

午前中は「旅を終えたくない」なんて言っていたけれど、ここまで来たら早く最後の札所に着きたい。というか、早くしないと真っ暗になっちゃう。

『結願の瞬間、俺らどうなるんかなあ』

昨晩の相方の言葉が頭をよぎる。あと数分後、僕らは泣き崩れているに違いない…。

最後にふさわしく、下り坂はなかなか急で、膝がガクガクと震えはじめた。

今まで下ってきたどの下り坂よりも厳しく感じ、思わず転びそうになった。

その時、不意に、前方の竹やぶとの間に瓦屋根が見えた。

「おっ!きたぞきたぞ!」

待ち焦がれていた瞬間。

2年越しの旅が終わる瞬間。

その時がついにやってきた。

さあ、思いきり泣きなs

「ハハハハハ!」

境内に響き渡ったのは、泣き声ではなく笑い声だった。

不審がる参拝者たち。そりゃそうだ。夕暮れの境内に突然笑い声が響いたんだもの。

「いやあついに到着したねえ、アハハ!」

きっと弘○大師おじさんも思っていることでしょう。『いや、泣けよ!』って。なぜかわからないけれど、僕らは笑ってしまったのです。

18時を回っていたため、当然納経は明日にお預け。お腹もすいたことだし、僕たちは昨晩予約した門前の宿へと向かった。

『はいはい、いらっしゃいませ。1泊朝食付ですね。こちらへどうぞ』

宿のおばさんに言われて思い出したんだけれど、そうだ、夕食キャンセルしていたんだっけ。

というのも、88番札所門前にはうどん屋さんがあり、ここのうどんで結願の祝杯をあげるのが遍路のお約束なんだとか。ちなみにこれ、例の『もやしっ子ホー○ージュン』情報。それを夕食に食べようと思っていたのだ。

しかし、夕食を求めて宿の外に出てみると、うどん屋はおろか、他の土産物屋さんも軒並み店を閉めていた。そして、店の看板にはこう書かれていた。

『営業時間 17時まで』

参拝時間後に営業していても客来るわけないから閉めてしまおう。こう言うわけらしいのだが、そう言われてもこっちは困ってしまう。

『やっちまったな…』

僕たちは『結願の記念すべき日に夕食抜き』という伝説を作ってしまった。例の『もやしっ子ホー○ージュン』を信じたばかりに…。

しかし、何も食わないわけにはいかない。昼にラーメンと餃子を食べてからすでに7時間経過している。腹が減って死にそうなのだ。

カバンの中を探ると、食いかけのロールケーキと、ベビースターラーメン3袋が出てきた。前者は今日の朝食の残り。後者は、僕がこの旅で好んで食べていた某カップ焼きそばのオマケとして付いていたもの。緊急時に役に立つかも…、と思って食べずに取っておいたのだが、まさかこんなところで役に立つとは、人生というのは上手くできている。

しかし、結願したその日の夕食が、この旅で一番質素な食事になろうとは…。最後までオチをつけようとする姿勢が実に僕ららしい。

その少ない食料を2人でわけあい、僕らはさっさと眠りについた。

翌朝5時。空腹で目を覚ました僕は、朝食の時間まで部屋に置かれていたノートを読んで時間をつぶした。結願したお遍路さんが思い思いの気持を書き綴ったそのノート。それを読んでいると、長かった旅のことが次々と思いだされた。僕はその思い出とともに、ふと頭に浮かんだ曲の歌詞を書き綴った。

朝8時、朝食でご飯5杯とたらふく食べ、飢えから脱出した僕らは、この旅を終わらせるために、88番札所大窪寺へと向かった。

朝早いというのに、境内には団体遍路のおじさま、おばさまで埋め尽くされていた。すると、一人のおばさんが僕たちに声をかけてきた。

『若いのにえらいわねえ。結願?よくがんばったわあ』

そういうとおばさんは僕たちに1,000円札をくれた。もう旅も終わりだというのに申し訳ないが、最後のお接待として有り難く受け取らせていただいた。

最後のお参りも、そして最後の納経も、いつもと変わらず淡々と終わった。いつもと全く変わらない朝の風景。しかし、もう歩く必要はない。そう考えるとちょっとだけ寂しくなった。

『本当にもう終わりなんだよな』

「そうだよな」

『なんか信じられないな…』

「うん…」

午前10時。日に3本、門前から出る志度駅行きのバスに僕らは乗り込んだ。いよいよ四国ともお別れである。志度からは列車に乗り換え、高松へと向かう。

昨日、讃岐平野を眺めながら絶叫した女体山がどんどん遠くなっていく…。

高松からは快速列車で岡山へ。そこからは新幹線に乗り換える。

1か月以上旅してきた四国を去るのがいまだに信じられない気分だった。

確かに結願はしたんだけれども、今だに旅が終わった気がしない。

相方の林は、ずっと無言のまま車窓を眺めていた。

きっと彼も、僕と同じ気持なのだろう。僕も、車窓の風景をただボーっと眺め続けた。

1月ぶりの大阪の街は、相変わらず人であふれ、一気に現実に引き戻された気がした。この1ヶ月のゆっくりとした生活がまるで夢だったかのようだ。明日からはまた、今まで通りの学生生活が始まるのだ。

『それじゃ、またな』

「またな。学校頑張れよ」

『お前もな。また連絡するわ』

そう言うと、僕たちは握手を交わし、それぞれの現実へと戻っていった。

本日の行程

88番→志度駅→高松→岡山→大阪

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38日目 決戦

2005年3月20日

定刻通り、6時に宿を出発し、84番札所屋島寺へ向かう。

いつもだったら出発10分ほど前に起床し慌てて支度をする僕も、この日ばかりは5時前には目を覚ましてしまった。やはり、結願を前にドキドキしているのかしら…。まあ「結願だ!結願だ!」と騒ぎたてても、今日中に到着できるか分からないんだけど。

予想外に急な坂道をとぼとぼ登り、一番に納経をすませる。いよいよラスト4つ。納経帳の残りページを見てちょっと寂しくなる。

と、境内を出たところで一人の車遍路のおじさんに声をかけられた。

『いやあ、私も昨年歩いたんだよ。いよいよ結願やな!』

そう言うと、おじさんは僕たちにペットボトルのお茶をお接待してくれた。

『歩いたことがあると、やはり歩き遍路の気持ちがよくわかってねえ。見かけるとお接待しなくちゃって気になるもんよ』

明日には、僕たちもそんな気持ちになっているのだろうか。

次の85番札所八栗寺へは、標高300mの屋島山頂から一気に街まで下る。この急坂がとんでもなかった。もう坂というよりか、道なき斜面を滑り落ちる感じ。屋島といえば『平家物語』の屋島の合戦を思い浮かべるけれど、この坂はまるで、一の谷の合戦で源○経が馬で駆け下りた、あの鵯越えのよう。だって直角だもん、坂が。

街中をしばらく歩くと、再び急な登り坂が姿を現す。地図を見ると、85番札所まではケーブルカーも用意されているらしい。要するにそれくらい急な坂を登らなくてはならないのである。

『ああ!もう、最後の最後まで!』

「ホント、バカじゃないのか…」

最終日にもなっても愚痴満載。悟ってねえなあ…。

「そういえば、ホー○ージュン、『すいすい登れる!』とかいってたな」

再び登場、『四国遍路バックパッキング』の著者、アウトドアの達人ホー○ージュン。しかし、先ほどの屋島への登り坂と言い、八栗寺への登り坂と言い、ここまで急な坂をすいすい登れるとは、さすがアウトドアの達j

『そう言えば、屋島もここも、ケーブルカーあるよな』

「う、うん」

『あれ使えば楽に登れるよな…』

「あ…」

彼、乗ったんだな…。

さすが、66番雲辺寺への大したことのない坂道で泣きべそをかいた、『アウトドアの達人()』

そんな『もやしっ子ホー○ー』にはもう関わらないことにして、85番札所で納経を済ませた僕らは先を急ぐ。

途中で買った草もちをパクつきながら歩いていると、明日からも、1日中ただのんびりと歩き続けるこの生活が、当然のように続いていく気がするから困る。今までは、ただただ結願することだけを夢見て黙々と歩いてきたのに、ここにきて明らかに結願したくなくなってきていた。昨日まではそうでもなかったんだけどなあ。

まだまだ旅を続けていたい、そんな気持ちでいっぱいだった。

しかし、現実とは非情なもので、1時間もすると86番札所志度寺に到着してしまう。85番札所からは5キロの道のり。徳島を歩いていたころは、5キロほどの道のりでもヒイヒイいって言って歩いていたのに逞しくなったもんだ。

広大な敷地を持つ85番札所を打ち、ついにラスト2。87番札所長尾寺まで、およそ8キロの道のりを歩いて行く。

『なに!?もうあと2キロ?』

「なんか今日、距離短く感じるんだけど…」

ふと気づくと、もう87番札所は目前。明らかに時の流れがいつもより早い気がする。

『旅を終わらせたくない』

そう強く思えば思うほど、旅の終わりはどんどん僕たちに近づいてくる。

結局、午前中のうちに行程の半分以上を踏破。87札所近くのラーメン屋で昼食をとったのち、13時ちょっと過ぎ、ゴール目指して最後の道のりを歩き始めた。

86番札所 志度寺

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38日目 つづき

88番札所の手前には、標高700m以上の女体山という最後の難関がそびえたっているらしい。

そういえば、昨日の五台山が最後の難関って言っていた気もするけれど、そこには深く突っ込まないようにして、登山道目指して歩いて行く。

いままでの旅のことを思い出しているのだろう、2人とも全く口を聞こうとせず、ただ黙々と歩いて行く。いつもだったら真っ先に立ち寄るコンビニも今日は見向きもしない。

途中、一台のバスが前方より走ってきた。車内には一人のお遍路さんが乗っており、僕たちに笑顔で手を振ってきた。きっとつい先ほど、結願を果たしたのだろう。ものすごく爽やかな顔をしていた。

僕たちも、あと数時間後には、あんな爽やかな感じになっているのかしら。

登山道へさしかかる少し手前に、『お遍路交流サロン』という名の施設があり、休憩がてら立ち寄ってみることに。

館内には、江戸時代の納経帳をはじめとしたお遍路関係の貴重な資料が展示してあり、ものすごく興味深かった。しばらく見学していると、館長さんらしきおじさんに声をかけられた

『ここに名前書いてくれる?証明書出すけん』

証明書?なんのことやらさっぱりわからないけれど、断る理由もないので、とりあえず自分の住所と名前を記入する。

5分ほどすると、先ほどの館長がなにやら賞状のようなものを手にしてやってきた。

『四国遍路を歩き切った証明書です。よう頑張りました!』

賞状には、『四国遍路を歩き切ったことを証明する』、『これからは、四国遍路大使として、四国遍路の維持や保存に関わってくれ』というようなことが書かれていた。

『四国遍路大使』がなんなのか分からないうちに任命されてしまったのはちょっと気にかかるが、この証明書は本当にうれしかった。

納経帳を見れば、僕がお遍路をしたことは分かるけれど、これじゃあ歩いたのか車で周ったのかわからない。この証明書のおかげで、僕が歩き遍路をしたことが後世に伝えられるわけだ。

ついつい居心地がよく長居してしまったが、立派な証明書をもらったからにはいつまでもグズグズしていられない。残りはあと10キロ。さあ出発!

と、その時、地元のおじいちゃんおばあちゃんが僕らを見つけ話しかけてきたので、しばらく談笑することに。まあ時間はまだあるのでもう少しここにいても問題はないだろう。

初めは、僕らのここまでの旅のことを中心に会話が進んでいたのだが、不思議なことに途中から思わぬ方向に話が展開し始めた。

『君ら学生さんか?私はこの前まで早○田大学で教授をしていたんよ。専攻はお遍路のことでな』

これに驚いたのは相方林。卒論のテーマをお遍路にしようとしていたものの、ここまでテーマが決まらず苦しんでいた模様。しかし、ここにきて偶然出会ったおじいちゃんが、まさかお遍路の研究者だとは…。

いろいろと興味深いことを話してくれて、相方は大満足。

すると、おじいちゃんは、今度は僕たち2人にむけてこんな話をしてくれた。

『これからの人生で、一度「この道で行くぞ!」って決めたら、勇気を持ってそれに突き進みなさいよ。それがたとえ困難な道でも、人とは全く違う道でも、とにかく勇気を持って突き進みなさい』

四国遍路というのは本当に不思議だと思う。

ここまででも幾度となく言ってきたが、この旅が終われば、将来の進路を考えなくてはいけない大事な時期に入って行く。そろそろ、真剣に進路を考えなくてはいけないな。周りの友人たちをみてちょっとした不安を抱えながらこの旅に出た。するとどうだろう。こちらから悩みを打ち明けたわけでもないのに、出会う人たちがみんな、将来のことを考えるヒントや助言を与えてくれた。

『仕事はたのしまなくちゃ駄目だ!』

その言葉を聞いたのは1ヶ月前、高知の海岸でのことだった。

『若いころにはどんどんチャレンジせないかん!若者には期待してるよ!』

今治では、ホリエモンおじさんにそんな言葉をかけてもらった。

『将来のこと考えてるかい?』

僕と同じような悩みを持った友人とコンビを結成したのはたしか松山だった。

そして今日、旅の最後の最後にきてこれだもの。

ちょっと出来すぎてやいないかい?なんか裏に脚本家でもいるみたいだもん。まあおそらく『あの人』だとは思うけれど。

『俺、やっぱり公務員の勉強頑張るわ。卒論もあって大変やけど。突き進んでみるわ』

相方林は、先ほどの言葉で迷いが消えたのだろう。歩き始めてすぐ、すっきりとした笑顔でそう言った。

僕は、相方のように『これだ!』というものはまだ決められないけれど、やはり先ほどのあの言葉で、ある程度決心がついた。やりたいことはたくさんあるけれど、とにかくどの道を選んだとしても、勇気を持って突っ走ってやろうと…。

交流サロンからしばらく行くと、いよいよ山道が始まった。昨年の台風の影響からか、土砂崩れの起きている場所もあり慎重に進んでいく。

緩やかな山道が終わり、いよいよ本格的な登山道が始まる。とにかくキツイ。30キロ以上歩いてからの登山は本当にハードだ。息を切らしながら、じわじわ登って行く。

「おっ、頂上じゃないか!?」

急に視界が開ける。

しかし、前方にはいま登ってきた山の倍はあろうかという山がそびえ立っていた。

『おいおい、あれ登れってか?』

最後の難関、女体山がついに姿を現す。というか、ここまで登ってきた山は女体山じゃなかったんですね。

一旦下ったのち、再び登山を開始する。

時計を見るとすでに17時を回っており、あたりも暗くなり始めていた。最後の最後に遭難なんて事態はなんとしても避けたい。とにかく前のみを見つめ、進んでいく。

「おいおい、岩場かい?」

『おぉ…、バカじゃないの…』

なんと岩場まで姿を現した。おかしいよ、岩場って。僕ら登山家じゃないんだから、岩場の登り方なんか知らないもの。

そんな愚痴が浮かぶものの、口にしたところで改善されない、それどころか雨を降らされることを僕らは知っているので、とにかく慎重に鎖につかまり、必死に登って行く。

もう少し、あと少しなんだから…。

そして…

『よっしゃ!ついに頂上だろ!』

先に岩場を登りきった相方が叫んだ。

「マジか!」

僕も急いで岩場を登り切る。そこはちょっとした広場のようになっていた。

『よおしっ!ついに四国遍路完全せいh』

「ちょ、ちょっとまてよ…」

『なんだよ?』

「気のせいかなぁ、向こうにまだ岩場が見えるんだけど…」

『ああ!?』

…。

ああ、あるね岩場が。奥の方に。

せっかく最後ぐらい格好よく終わろうと思ってここまでふざけずに来たのにさ。糠喜びだもん。まあ、なんとも僕ららしいというかなんというか…。

とにかく、気を取り直して、今度こそ格好よく終われるよう、岩場を必死に登って行く。

もう少し、あと少しなんだから…。

そして…

『よし、もっもう岩場ないよな?』

「よっ、よく探そうぜ」

完全に疑心暗鬼な2人。しかし、これ以上の岩場はそこにはなかった。

あるのは、空中に突き出た大きな岩と、その向こうに見える讃岐平野の絶景だけだった。

『よおっし、今度こそ四国遍路完全制覇!』

「いよおっし!」

夕暮れの讃岐平野を見下ろしながら、僕らはいつまでも叫び続けた。

本日の行程

84番→85番→86番→87番→女体山→88番門前の宿 合計40キロくらい

女体山より

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37日目 決戦前夜

2005年3月19日

午前7時、うっすらもやのかかる中、早朝の讃岐平野を眼下に眺めながら最後の難関といわれる五色台を登って行く。

お遍路用語に『遍路ころがし』というものがある。急坂をどうにか登り切り安心しきっていると、急な下り坂で膝がガクガクになり、終いには転んでしまう。そんな、お遍路さんをコロコロ転がしてしまう急な山道を通称『遍路ころがし』と呼ぶのだ。

最初にして最大の難関と謳われる12番焼山寺。焼山寺に負けるとも劣らない阿波の難所、20番鶴林寺、21番太龍寺。伊予の国最大の難所、60番横峰寺。そして、1000m級の山の頂上に位置する、66番雲辺寺。このあたりの、いわゆる難所と言われている所が、『遍路ころがし』に指定されている。

で、いま登っているこの五台山も実は遍路ころがしと呼ばれているらしい。それを聞いて相変わらずビビりの僕らは緊張してしまい、そんなわけで早朝からの登山となったわけなのだが、何のことはない、ほとんど休憩を取ることもなくすんなりと登りきってしまった。

『いやあ、俺らは確実に成長しているな』

相方林が調子に乗るのも御もっとも。明日、結願を迎える(予定)僕らにとって遍路ころがしなど恐れるに足らず!僕らは完全に調子に乗りまくっていた。

急坂を登り切ると、81番札所白峰寺までは気持ちの良い遊歩道が続いていた。

「本当に明日で結願しちゃうんだよなあ」

『なんか信じられんな。明後日からはもう歩く必要ないんだぜ』

この1ヶ月間、毎日朝から晩まで歩いてきた。一ヶ月も同じことを続けていると、生活のリズムが完全にお遍路モードになってしまい、大阪に戻ってまた怠け者生活に戻れるか不安で仕方がない。だって夜は9時に寝て、朝5時には目が覚めるんだもん。じいさんじゃねえんだから。

「そういえば、去年徳島を歩いた時、大阪戻ってからしばらくある病気に感染しちゃってさ」

『なんだよそれ?』

昨年、徳島を10日間歩いたのち大阪に戻った僕は、外を出歩く際、電柱やガードレールを凝視する謎の奇病に侵されてしまった。

というのも、以前も述べたことがあるけど、四国にはお遍路さんのための案内板がいたるところに設置されている。主に標識の側やガードレールの側面に設置されているその案内板を、僕らは、毎日毎日キョロキョロ探しながら歩いていたのだ。その癖が、現実の世界に戻ってからもしばらく抜けなかった。

前述の「夜9時就寝、朝5時起床」とあわせて、僕は「四国病」と勝手に呼んでいた。

前回、わずか10日の旅で、その後長い間「四国病」に侵されてしまったのだから、1ヶ月歩いた今回はいったいどうなってしまうのだろう…。

「あと、「突然、無性に四国を歩きたくなる病気」にも感染したな」

『それは何となくわかる気がするわ。体力的にはきついけど、こんな楽しい旅、なかなかないぜ』

全くその通り。こんな有意義な旅、そう簡単にお目にかかれるもんじゃない。

81番札所を打ち終え、82番札所根香寺へと向かう。自然豊かな五台山の遍路道を歩いていると気分がよくなり、ついつい雑談に耽ってしまう。

「さっきの札所あったじゃん、あそこって某天皇が祭られていて、しっかりお参りしないと呪われるらしいぞ。心霊スポットだと」

『マジか。というか、俺高知を歩いている時にお坊さんに除霊してもらったわ』

「!!」

林曰く、高知の海沿いでお坊さんに出会い、話しているうちに突然お坊さんがお経を唱えはじめたらしい。

四国遍路は霊的な行為だから、そういう話があってもおかしくはないけど…。そういえば、僕も高知の例のトンネルでは怖い思いをしたっけ。

明日で旅が終わることが分かってからというもの、こういった思い出話にばかり花を咲かせていた。

でも、旅に集中しないそんな不真面目な態度を取っていると、『例のおじさん』必ずどこかでその様子を窺っており、非情な仕打ちを僕らに与えるのはもはやお約束。わかってるんだ。

82番札所を打ち終えたら五台山はおしまい。いよいよ、香川県最大の街、大都会高松に潜入である。五台山の麓にあるうどん屋さんでお昼休憩したのち、高松の街中にある83番札所一宮寺に向けて歩きだした。

しかし、さすがは大都会、交通量が今までの街とは比べ物にならないくらい多く、僕らはどんどん体力を消耗していった。

というか、本来街中の道というのは、歩道もしっかり整備されていて歩きやすいはずである。なのに、どういうわけか僕らは、都会の道を歩くときほど体力を消耗していた。この旅の間中ずっとそう。田舎出身で都会に慣れていないのが最大の原因なんだろうが、とにかく、僕らは都会の道が大の苦手だった。

そんな僕らの弱点を突いてくるあたり、弘法○師のおじさんはさすがである。

『思い出話にばかり浸りやがって!そう簡単に結願させるか!』

彼は、苦しんでいる僕らを見てこう思っているに違いない。

83番札所にどうにかたどり着いた僕らであったが、次の目的地、84番札所屋島寺までは、まだ13キロもある。これはキツイ…。

とにかく今日中に84番札所を打って行けるところまで行かないと、明日の結願はなしになってしまうのだ。

「明日結願を迎える」なんて言っちゃったけれど、実は日程的にはギリギリで、もし今日84番札所を打ちそこなった場合、明日は84番から88番まで、距離にして40キロも歩かなくてはならない。しかもその間に札所が84、85、86、87と4つもあるんだからたまったもんじゃない。

「40キロ以上歩く。しかも合計で4つもの札所を打たなくてはならない」

こんな強行日程、この旅で初めて。普通なら2日かけて歩く距離を1日で行こうっていうんだから。

そのためにも、今日中に84番札所屋島寺を打って、行けるところまで進んでおきたいのだ。

とにかく先を急ぐ。しかし、大都会高松は容赦なく僕らの体力と集中力を奪っていく。こうなってくると、イライラが頂点に達し、些細なことでも頭にきてしまう。おまけにどこでどう間違ったのか、完全に道に迷ってしまった。

「ああ!もうIどこだよここ!」

『わかんねえよ!いちいち騒ぐな!』

「ああ!?」

喧嘩だもの。午前中は仲良く思い出話に浸っていたというのに。

本当に、お遍路さんの旅というのは、最後の最後まで楽をさせてはくれない。

迷いに迷った挙句、屋島に到着したのは17時過ぎ。残念ながら今日中に84番札所を打つことはできなかった。これで、明日の日程がとんでもなく厳しくなってしまった。

そればかりか、屋島というのは標高300m近い小高い山で、84番札所はその山頂にあるという事実を、到着して初めて知った。

さらに、続く85番札所もちょっとした山の上にあり、88番札所の直前には700m級の山がそびえているらしい。

「300m級の山×2、700m級の山×1、札所総数5、合計歩行距離40キロ」

最後の最後まで、壮絶な合宿計画。無謀である。

「こりゃ厳しくなったな…」

『うむ…。でも、行くしかないやろ。1度決めたんやから』

「そうだね」

最後まで突っ走る。

そう覚悟を決めたからには、この程度の合宿計画、クリアしなくてはならない。

「おし、じゃあ明日結願するんだな?」

『もちろん。明日は5時半起床、6時出発!』

「おし!じゃあ寝る!」

最後の決戦に備え、21時、僕らは寝ることにした。

『結願の瞬間、俺らどうなるんかなあ』

部屋を出る際、相方がぽつりとつぶやいた。

お遍路体験記などを読むと、どの方も、結願の瞬間には涙したらしい。中には涙でお経が読めなかったり、山門の前で泣き崩れた方もいらっしゃったりするそうだが。

「泣く…、かなあ…」

『とてもそうには思えんな…』

そりゃそうだろ。あんな無理な計画立てちゃって、着けるかどうかもわからないんだもの。泣くどころじゃねえって。まあとにかく、結果は明日わかるのだ。

結願の瞬間をあれこれ想像しながら、僕たちは眠りについた。

本日の行程

宿→81番→82番→83番→屋島   合計38キロくらい

お遍路さんを導く看板

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36日目  迷い

2005年3月18日

「明々後日に88番着くぞ、こりゃ…」

『マジか!』

75番札所善通寺の宿坊に泊まったその夜、僕らは重大な事実に気づいてしまった。

ここ数日の異常なまでのハイペース、それを今後も続けた場合、なんと3日後の3月20日には88番札所に到着することができそうなのだ。

『な、なんかちょっと信じられんな…』

松山を過ぎたあたりから、旅が終わりに近づいていることを薄々感じてはいたものの、こうもハッキリと終わりが見えてくると、なんとも拍子抜けした気分になる。

「まあ、あくまでこのペースで行ったらだからな。金毘羅さんやうどん屋さんに寄り道して、最後はゆったりゴールすることも可能だわな」

『でも、O川は21日には大阪戻るんやろ?』

そう、すっかり忘れていたかれど、僕は私用で21日の夜までに大阪に戻らなくてはいけないのだ。

「まあ、そうなんだけど…」

『だったらこのままこのペースで結願しようや』

「金毘羅さんとかよれなくなるぜ」

『そんなんどうでもいいわ。ここまできたら一緒に結願しようや』

まったく、頼もしい相方である。

と、いうわけで話は決まった。僕たちは最後の最後まで突っ走るのだ。

翌朝、昨晩の気合いがどこかへ行ってしまわないうちに早いとこ出発!

と、いきたいところだけれど、ここは宿坊。しっかりと朝のお勤めに参加しなくてはならないのです。

さすが、弘○大師のおじさん生誕の地だけあって、善通寺のお勤めは、他の札所のものとはけた違いに規模の大きなものだった。

重要文化財か何かに指定されているんじゃないか、と思わせるくらい巨大な本堂で待たされる宿泊客。

しばらくすると、6人くらいのお坊さんがぞろぞろと列をなして入ってくる。

ここまで僕が経験したお勤めは、住職さんが一人でお経を唱えるものだったので、この時点で驚きである。

そしていよいよお経が始まるのだが、やはり6人のお坊さんが声を張り上げてお経を唱えると迫力が違う。巨大な本堂いっぱいに響く声なんとも荘厳な雰囲気で圧倒されてしまう。。ふと外を見ると、地元のおばあさんが、まだ薄暗い境内で同じようにお経を唱えていた。その光景は、NHK『ゆく年くる年』のワンシーンのよう。

さらに、どういうわけだか、この日はテレビカメラが入っており、僕たちのちょうど後ろでお勤めの風景を撮影しているもんだから、こっちまで緊迫してしまった。

あとで、門前のせんべいやさんで聞いたところによると、あれはテレビ○日の旅行番組のロケだったらしい。正坐に耐えられなくなり、結局胡坐をかいてお経を聞いていた僕たちの醜態が全国に晒されることになるとは…。

お勤めも終り、さあ出発。昨日打ちそびれた74番札所甲山寺、そして善通寺を続けて打ち、76番札所金倉寺へ向かう。

途中、道沿いにうどん屋を発見。うどん王国讃岐に入って3日目だというのに、思い返してみると、まだドライブインにあるうどん屋にしか入っていない。これでは讃岐に来た意味がないってもんですよ。

店内は、噂で聞いたことがあるセルフシステムで、僕はうどんに醤油をかけて食べる、その名も『しょうゆうどん』の大盛りにかき揚げ、それに生卵を注文。これで300円ちょっとというんだから、貧乏遍路にはたまらない。

味も、「うどんってこんない美味しいものだったの!?」と腰を抜かすくらい美味しかった。別にこのお店、ガイドブックに載っているような有名店ではないのだが、それでもこの美味さである。まさにうどん王国の底力。讃岐国恐るべし…。

うどんに力をもらい出発!せっかく昨晩気合いを入れたというのに、まだ善通寺から2キロも歩いていない。時間はすでに10時半。急がねば。

すると、席を立った僕たちに、厨房から出てきたうどん屋のご主人がこう言った。

『若いのに頑張るのお!よし、これお接待じゃき!』

ご主人は僕たちの手に、一枚づつ500円硬貨を置いた。

躊躇する僕たちに。そりゃそうだ。お金のお接待なんて初めてだもの。

困惑気味の僕らに、ご主人は笑顔で『頑張りや!』と言い、再び厨房の奥に入っていった。

『四国ってすごいよなあ』

「本当だよ。なんか俺泣きそうだもん」

正直言って、四国の人たちの優しいお接待がなければ、僕たちはここまで旅を続けてこれなかっただろう。

お接待というと、「お菓子や飲み物を恵んでいただく行為」という印象が強いし、僕も旅に出る前はそうだと思っていた。しかし、何かを恵んでいただく行為以外でも、例えば、僕たちの挨拶に答えてくれたり、宿や納経所で僕たちの旅の話(というか愚痴)を聞いてくれたり。実際歩いている者にとっては、それだってありがたいお接待だと思うし、実際本当に助けられた。こんなに沢山の親切をもらったからには、とにかくあと少し頑張るしかない。

76番金倉寺、77番道隆寺を打ち、丸亀城の壮大な石垣を見ながら先へと進む。

丸亀、宇多津、坂出と続くこのあたりは、瀬戸大橋の影響もあるのか、街も発展し、人も交通量も多かった。

途中、お昼休憩も兼ねて国道沿いのファミレス「ジョ○フル」に入ったのだが、中はどういうわけか高校生だらけで、頭にタオルを巻いてリュックを背負う僕たち不審者遍路集団は浮きまくり。このあたりの学校は今日が修了式らしく、爽やかな青春の雰囲気に勝ち目がないと判断した僕らは、ランチを速攻で平らげ、その場から退散した。

瀬戸大橋を望む高台に建つ78番札所郷照寺、某テレビ番組で心霊現象が起きたという79番天皇寺高照院、2つのこじんまりとした札所を打ち終えたところで、時計の針は16時少し前。

ここらで宿を探してもいいが、欲を言えば、次の80番札所国分寺も打っておきたい。81番、82番両札所は、最後の難関とも言われる山上の札所か(らしい)。明日、朝イチで登り始めるためには、今日中に80番打ちたい。距離はおよそ6キロ。昨日の比じゃないくらい厳しい。

「走るだろ?」

『もちろん』

しかし、突っ走ると決めた僕らに迷いはなかった。

重たいリュックを背負い、僕たちは6キロ先のゴール目指して駆けていった。

80番札所まで無事に打ち終えたその晩、僕らは宿から少し歩いたところでファミレス「ガ○ト」を発見し、店員が引くぐらい食べまくった。何せ、ハンバーグにライス大盛り、スープにサラダにミックスピザ、デザートはアイスである。しかもピザは一人1枚という大食漢ぶり。ここまで、体に良い和食や、その対極に位置するカップめんばかり食べていた反動なのか、ファミレスの洋風料理が妙に食べたくなる。ここにきて煩悩全開。旅も終わろうとしているのに、悟りも何もあったもんじゃない。

宿への帰り道で、久し振りに進路の話になった。

『俺は公務員の勉強でも始めるかな』

相方は、ここ数日突っ走っている間にも、将来のことをしっかり考えていたようだ。

「公務員か。俺はまだ決められんなあ」

僕自身も、前から公務員に興味があった。しかし、それと同時に教師にも興味があった。さらに、この旅をきっかけにして、お遍路に関係する仕事にも興味が湧いてきていた。

『まあ、俺もまだハッキリとはわからないけどな。卒論もあるし』

旅の方は、最後まで突っ走ると言う決意が出来たのだが、その後のことについては2人ともまだ決断出来ずにいた。

本日の行程

74番→75番→76番→77番→78番→79番→80番          合計33キロくらい

丸亀城

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35日目  疾走

2005年3月17日

昨日とはうって変わって朝から激しい雨。

そんな中を、ポンチョのおかげで久々にロボットに変身した林と、カッパをきているくせになぜか傘までさしているアンバランスな格好な僕の不審者コンビは歩いて行く。

昨晩泊まった民宿は、なかなか快適なお宿だった。部屋はきれいだし、ご飯はおいしいし、本当にありがたかった。あまりの快適さに、朝から二人してご飯を5杯も食べてしまったもの。

ふとこの旅を思い返すと、僕が個人的に気に入った宿というのは、あまりお遍路さんが利用しない場所に位置していることが多かった。

12番札所を攻略した時に泊まった神山温泉の民宿。ここは12番札所から10キロ以上離れた場所にあり、さらに最近、5キロほど手前に民宿が新設されたこともあり、利用するお遍路さんは少なかった。

昨晩の宿も、66番札所への登山道近くの宿に泊まり、翌日山を越えるという一般的なルートを通れば、間違いなくスルーされてしまう場所に位置している。

しかし、そういうところにこそ、良いお宿はあるということに、僕は気付いたのですよ。まあ、僕が気に入った宿というのは、『基本的においしいご飯をたくさん食べることができたところ』なのであまり当てにはならないかもしれんけど、もし、またお遍路の旅に出ることがあったら、そういった穴場的な宿を中心に利用してみようかなあなんて思ってしまう。

『おい、ボケーっと歩いてると危ないで』

観音寺市内に入り交通量が増えてきたこともあり、相方に注意を受ける。次回のお遍路の旅のことを考えるより、今はこの旅に集中しなくては…。

68番札所神恵院、69番札所観音寺は同じ境内に位置している珍しい札所で、管理者も一緒らしく、朱印も一度に二つもらえてちょっと得した気分。まあ、料金はしっかり二つ分とられるんだけど。

『納経所の人かわいかったなあ』

歩きだした途端、林がつぶやいた。

普通、納経所の中の人は住職の奥さんとか、弟子の人、近所のおばちゃんなどお年を召された方が多いのだが、ここの札所は若くてきれいなお姉さんだった。

「うん。確かにかわいかった。でも張り紙貼ってあったのみたか?」

『貼り紙?』

そう。納経所には以下のような張り紙が貼ってあったのだ。

          『中の人に話しかけないでください』

きっと僕らのような煩悩全開遍路がナンパを企てるのだろう。

『でもちょっと自意○過剰すぎじゃn 』

「しっ!余計なことを言うと例のおじさんが雨強くするぞ!」

文句や悪口を言うと、必ず『あの人』が雨や雪を降らすことを僕たちは知っているのだ。しかも、今日は彼の生誕の地、75番札所善通寺をゴールに定めてある。なるべく失言は避けなくてはいけない。

僕たちの期待もむなしく、『例の人』はしっかり聞き耳を立てていたようで、70番札所本山寺を出発する頃になると、雨脚はさらに強まってきた。

75番札所まではおよそ17キロ。現在正午を少しまわったところなので、普通ならば余裕で到着できる距離である。しかし、75番札所までの間には4つの札所がある。それぞれの札所で30分ほど参拝時間が必要となると、日程は一気に厳しくなる。

とにかく、71番札所への道を急ぐ二人。雨はいっこうに止む気配がない。

「71番札所のあたりで今日は泊まらない?」

歩きながら僕は言った。これだけ雨脚が強いと歩くスピードも落ちてくる。このペースだと75番札所まですべて打つのは不可能だ。

『…。』

しかし、相方は返事をせず、ただ黙々と歩いて行く。

相方のペースに乗せられ、15時少し前には71番札所弥谷寺に到着した。

雨は相変わらず降り続いており、境内までの階段を滑らぬよう注意して登って行く。弥谷寺は山の斜面に建っているのだ。

お参りを済ませ、急いで納経所へと向かう。

時間は15時20分。次の72番札所曼荼羅寺までは地図によると4キロほど。

15時30分に出発すれば、1時間後には72番札所へ、そして17時の閉門時間までには、73番札所出釈迦寺につくことができるだろう。

というのも、72番札所と73番札所はわずかに200mほどしか離れていないのだ。

今日は最低でもここまでは打っておきたい。

74番札所甲山寺と、今晩泊まろうと思っている75番札所善通寺は1キロほどの距離。例え今日間に合わなくても、明日の朝に75番札所から少し戻ればいい。

しかし、75番と73番は4キロ近く離れている。今日、打つことに失敗をすれば、明日往復で8キロも歩かなくてはならない。

しかし、納経所に着いた僕たちは愕然とした。そこには、バスで巡る団体遍路たちの納経帳が山積みにされていたのだ。

僕たち歩き遍路と違い、バスの団体遍路はとにかく至れり尽くせりで、納経を自分で貰いに行くことはなく、バスガイドさんが全員分の納経帳をまとめて受け付けに持って行き、まとめて書いてもらう。バスの規模にもよるが、大型バス2台ぐらいで来られた日には、100冊近くの納経帳が受け付けに積まれることになる。

当然、一冊一冊に判を押し、手で梵字を書いて行くのだから、信じられないくらい時間がかかる。

その間、先を越されてしまった歩き個人遍路は、ただただそれを眺めて待っているしかないのだ。まあ中には、団体のものを後回しにして、歩き遍路のものから書いてくれる優しい方もいるんだけど、いつもいつもそうとはいかない。

お参りした証を自分で貰わなくて意味があるのかな、なんて僕は思ってしまうけど、とにかく、一分一秒を争う歩き遍路にとって、団体遍路の納経攻撃ほど勘弁していただきたいものはなかった。そのやっかいなものに、この切羽詰まった時に出会ってしまったのだ。

時間は刻々と過ぎていく。

『すみませんねえ』

ガイドさんが申し訳なさそうにそう言いながら、さらに多くの納経帳を抱えてやってきた。

(おいおい、勘弁してくれよ…)

結局、僕たちが納経を済ませたのは、時計の針が4時を指す直前だった。

あと1時間で4キロ先にある72番、73番札所の2つを打たなくてはならない…。

はっきり言って絶望的だった。雨はまだ降り続いている。

やはり、今日はここら辺りで宿を探すのが得策ではないだろうか。

ここ数日、あり得ないくらいのペースで突っ走ってきたため、日程的には比較的余裕がある。ここで投宿しても問題はないはずだ。なあそうだろ?なにもそんなに無理することはないよ。

僕が相方に言いかけたその時である。

『走ろう!』

「あぁ!?」

僕の返事を待たずに、相方林は72番札所目指して走り出した。

本気で73番札所まで打とうというのかい、彼は…。

とにかく僕は相方を追いかけ走り出した。

わき目も振らず疾走していく若者遍路、いや、ポンチョを着たロボットのような男とカッパに傘の不自然な格好をした男という不審人物たちが夕暮れの讃岐路を疾走していく。この光景を見ても、誰も指名手配犯だと思って警察に通報しようとしないんだから、香川県の人たちはさすがに訓練されている。

初めは、何で走るのよ…、なんて思っていた僕だったが、不思議なことに、しばらく走るとこの状況が段々と楽しくなってきた。

時間に余裕をもって、ゆっくり札所を回るのがお遍路の基本なのだろうし、怪我をして以降、僕自信そう言った考えで旅を続けていた。

しかし、ここ数日のあり得ないくらいのペース、そして、時間に追われ、走ってまで次の札所を目指す慌ただしい旅も、若者遍路らしくてそれはそれで悪くない…。

『山門見えた!』

「4時40分!間に合うぞ!」

僕たちは勢いよく山門に駆け込んでいった。

17時20分。72番札所を出発し、僕たちは本日の宿目指して歩き始めた。

あの疾走のおかげで、そして道路に面した72番札所からではなく、ちょっと奥まった所にある73番札所から先に打つという作戦も成功し、さらに72番札所の方が受付時間を延長してくれたこともあり、僕たちは両札所を打つことに成功した。

『いやぁ、ギリギリやったな!』

「ホントだよ…。でもちょっと楽しかったな」

新たな旅のスタイルを知った僕は上機嫌だった。

いや、実は本来のスタイルに戻っただけなのかもしれないな。1か月前、室戸岬目指して駆けていったあの時のように。

『おい!後ろ見てみろ!』

「おぉ、すげえ…」

雨もすっかり止み、西の空は夕焼けで真っ赤だった。

僕たちは夕暮れの讃岐路を、さっきとはうって変わって、ゆっくりと歩いていった。

本日の行程

宿→68、69番→70番→71番→73番→72番→75番宿坊  合計35キロくらい

ある歩き遍路の姿

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34日目  ホーボージュン

2005年3月16日

讃岐の国最初の札所は標高1,000m近い山のてっぺんにある。その名も雲辺寺。「雲の辺りの寺」とはよく言ったもので、全札所の中で最も高い場所に位置している。

それ故、前日に登山道近くの民宿に一泊し、朝早くに登山を開始する、というのが、この札所を攻略するための最も一般的な方法なのだそうだが、道後でコンビを結成して以来飛ばしに飛ばしてきた僕らは、ここでもとんでもない合宿計画を実行しようとしていた。

朝5時半、伊予三島の宿を出発した僕らは、まだ暗闇の残る街を65番札所三角寺目指して歩いていった。

直前まで全く知らなかったのだが、この札所も実は標高500mに位置しており、早朝からえっちらおっちらと坂を登って行く。

『勝手に飛ばすな。あとでバテるいうたやろ』

ついついテンションがあがり先走ってしまった僕を林が叱る。彼曰く、最初に飛ばしすぎると必ず後半ペースが狂うらしい。

朝7時。65番札所で一番に朱印を押してもらい、今日の本丸である66番札所へと向かう。

登山道入り口までおよそ13キロ。13キロも歩いたのちに1,000m近い高さまで登るというのだから、なんともバカバカしい行為である。別に時間はたっぷりあるんだから、門前に泊まって明日登ればいいのに。

5キロほど山の中の細い車道を歩くと、椿堂という小さいお寺に到着した。ここは番外二十番霊場の一つ。昨年出会った金本兄貴は番外霊場制覇を目指していたが、果たして達成できたのだろうか。そして、途中出会ったお遍路仲間たち、は無事に結願することができたのだろうか。あれから一年。もう少しで、僕も彼らに追い付くことができる。

思い出に浸っていると、前方にトンネルが姿を現した。ここを越えれば、いよいよ最後の県、讃岐の国こと香川県へと入るわけである。

愛媛でも本当にいろいろなことがあった。

鬱になり、もう歩くのが嫌になり、顔も知らない宿のおばさんに叱責され何とか自分を取り戻し、松山まで40キロを根性で歩き切り、そこで出会った若者遍路とコンビを結成し、雪にも蜃気楼にも負けず突っ走った。

徳島、高知とはまた違った苦しみ、楽しみを経験し、一回りも二回りも成長できたのではないだろうか。

トンネルの出口が近づく。

さようなら伊予の国、愛媛県…。

そして僕たちは、ついに最後の県、香川へとはいr

『おい、あの看板見ろって!徳島県って書いてあるぞ!』

「なに!!」

…。

愛媛に入る時にはじわ~っと微妙な雰囲気になっちゃったから、香川ではビシッと感動的に入ろうと思ったのにさ…。また微妙な入りになっちゃったもん…。

実は、66番札所は香川と徳島のちょうど県境にあり、その登山道は徳島県側にある。つまり徳島県を一度経由しないことには、香川県に入れないのである。

さすが、昨日まで香川に入ることを知らなかった二人。ちゃんと調べておこうよ。おかげでここでもすっかり大恥だよ。

兎にも角にも、午前中のうちに登山道入り口にたどり着いた僕たち。しかし、本日の合宿、本番はここから。

現在地からてっぺんの札所まで、距離にして3キロほど。しかし、その3キロで1,000mの高さまで登り切らなくてはならない。ちなみに、現在地の標高が300mくらいなので、頂上とは700m近い高低差がある。

700mの高低差をわずか3キロの距離で歩く。これは、相当急な坂が続くことを意味している。

『四国遍路バックパッキング』という本がある。前にもちょっと紹介した四国遍路をアウトドアの面から見た斬新な本なのだが、そこには、66番札所への登山道のことがこう書かれていた。

『あまりの急坂に涙が流れちゃう!』

僕ら二人は、この文を読んですっかりビビってしまっていた。何せこの本の著者はアウトドアの達人なのだ。その達人が泣くぐらいの急坂である。アウトドアのアの字も知らない僕らがそんな急坂を登り切れるわけがない。

そして、今日の合宿計画の本当につらいところは、「66番札所がゴールではない」ということなのだ。

どういうわけか、66番札所には宿坊がない。当然ながら民宿もない。一番近い民宿は、札所から10キロの場所にしかない。つまり、1,000m級の山を登ったのち、さらに10キロ歩こうというわけなのだ。

伊予三島から早朝500mの山に登り、その後アップダウンの激しい交通量の多い国道を13キロウォーキング!

その後、1,000m級の山でハイキング!

登り切ったら、宿までの10キロを再びウォーキング!

これが今日の合宿計画の全貌である。もう何がしたいのかわからない。

『よ、よおし。いくか…』

「うん…」

自分たちで立てた合宿計画に今になって気後れする二人。おそるおそる登山道へと入っていく。

「うわあ、こりゃきついぞ…」

のっけから急坂は僕たちに牙をむいた。今まで登り始めからこんなに急だったことあったかしら?もうほぼ直角じゃないか…。なんとかしがみついて登って行くけど、これがあと3キロ続くかと思うと…。

『生きてるか!』

「いかん…。先行ってくれ」

登り始めて15分ほどで僕はダウンした。というか急にお腹が痛くなってきたため、急いでビバークポイントを探す。実は緊急ビバークはこの旅三回目。あんまり詳しい描写は食事中の方もいらっしゃるかもしれないので避けるけど、どういうわけか山を登り始めると腹が痛くなるんだよなあ。

無事に危機を乗り越え再び登り始める。相方の林はだいぶ先まで行ってしまったようで姿が見えない。久しぶりの単独登山開始。

と、思いきや、ビバークポイントから5分も登ると突然視界が開け、目の前に一面のキャベツ畑が姿を現した。

『なんか北海道みたいだな』

休憩を取っていた林が僕のそばに来てつぶやいた。

キャベツ畑のバックには大きな青空が広がっていた。その風景は確かに北海道のようだった。

しかし、急坂が続くはずなのになぜにこんな気持ちのいい風景が姿を現したのかしら?

『いや、本番はここからなんだろ』

林がつぶやく。

『だってアウトドアの達人、「ホーボージュン」が泣いたんだぜ』

「ホーボージュン」とは、例の『四国遍路バックパッキング』の著者で、66番札所への道で泣きべそをかいた張本人である。

「そうだな、ここからさらに厳しい急坂が姿を現すんだな…」

そうだ、さらに険しい道が待っているに決まっている。だってここまでの登り坂、確かに急だったけれど、合計で30分も登っていない。あのアウトドアの達人「ホーボージュン」があの程度の坂道で泣きべそをかくはずがない…。

僕たちは再び気合いを入れなおし先へと進んでいった。

しかし、おかしなことに、いつまでたっても緩やかな登り車道が続くばかり。

「なかなか急な登りにならんな…」

『いや、あの曲がり角を曲がったらきっと驚くような登り坂が待っているはずさ』

「そ、そうだよな…」

しかし、曲がり角を曲がっても登り坂は姿を現してくれなかった。というか、曲がり角の先には66番札所雲辺寺の山門がたっていた。

「おい、ついちゃったな…」

『…。』

いったいアウトドアの達人「ホーボージュン」はどこで泣きべそをかいたのだろうか。なんとも釈然としない気持ちのまま、僕らは山門をくぐって境内へと入っていった。

さすがに1,000m級の山の頂上だけあって、30分もいると寒くなってきた。時刻は14時ちょっとすぎ。どんなにゆっくり歩いても、10キロ先の宿には日没までにつけそうである。

『よおし、いよいよ香川県上陸!』

散々ビビらされた割に大したことがなかったその反動だろうか、僕たちは妙に高いテンションで山を下っていった。

山を下りきったところで、農作業中のおばちゃんからみかんのお接待。今日はなんとも良い日だ。

本日の宿は、67番札所大興寺のすぐ隣にある。このペースなら67番札所も今日中に打ててしまいそうだ。

最後の県、香川には23の札所があるが、徳島同様、札所間の距離が短く、平均して1週間から10日ほどで88番に到着できてしまう。

あと1週間で旅も終わる…

はずなんだけど、空腹のあまり今日の夕食の話題ばかり話している2人はそんなことにも気付かず、お接待のみかんを食べながら宿目指して歩いて行くのでした。

本日の行程

伊予三島→65番→66番→香川へ→67番→宿  合計35キロくらい

ある歩き遍路の姿

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