お遍路さん日記 ~第三部 伊予~

32日目 雪降る難所

2005年3月14日

朝の7時。今日はちょっと早めの出発。

宿の外に出てみると、案の定、雪が舞っていた。

おかしいなあ、6時頃起きたときには降ってなかったのに。僕らが外に出たとたん降り出してきやがった。麓で雪が舞っているということは、標高700mにある札所はおそらく大雪なんだろう。

60番札所へ行く道は二つ。

一つは、台風で通行不能という噂の通常の登山道。

もう一つは、札所近くまで通っている車道。

距離的には、前者の方が4キロほど短い。しかし、雪の中の登山道を行くというのは…。

「どうしようね」

『うむ』

宿をでて左に行けば登山道。右にけば車道である。いざ決断の時…。

30分後、宿を出て右へと行く道を選択した僕らは早くも後悔していた。

いよいよ札所へ通じる車道に入ろうかというあたりで、あれほどしつこく降っていた雪がぱったり止んでしまったのだ。それだけではない。空を埋め尽くしていたどす黒い雲の隙間から、なんと青空が見え始めてきたではないか。

『なんだよ!晴れるなら登山道行けばよかったじゃん!』

僕らはとことんツキに見放されていた。通常の登山道からはすでに3キロ以上遠ざかっていたので、いまさら戻ることもできない。というか、例え戻ったとして、また雪が降り出すにきまっている。

僕らはぶつぶつ文句を言いながら、車道を登っていった。

黒瀬湖というダム湖を過ぎると、車道はいよいよ山の中に入っていった。歩いてみてわかったけれど、車道とは言っても実際にはただの林道で、林業のシーズンではないのだろう、車とすれ違うことは全くなかった。

途中、なぜだかわからないけれど料金所があり、そこのおじさんに荷物を預かってもらうことに。足摺岬へ向かう時にも思ったけれど、やはり荷物があるとないとでは歩くスピードが全然違う。特に、今回は登りということもありその効果は絶大で、すいすいと車道を上がっていく。

1時間ほど行くと、林道が終わり、通常の舗装道路にでた。どうやらこちらの道が60番札所へと行く本来の道であり、僕らの通ってきた道は、林業関係者のみの、参拝客の車は通れない道だったようだ。歩きとはいえ、林業とはなんの関係のない僕らを通してくれた上に、さらに荷物まで預かってくれた料金所のおじさんには感謝しっぱなしだ。

通常の舗装道路は、いわゆるつづら折りの道で、うねうねとしたカーブを繰り返しながらどんどん高度を上げていく。

『おぉ、すげえな…』

「…」

眼下には言葉では言い表せないくらいの絶景が広がっていた。
高度が上がるにつれ、道路の至る所に雪が積もっているのを見ることができた。やはり、昨日は山頂付近で結構な降雪があったみたい。こりゃ、登山堂行かなくて正解だったかも。

しかし、この車道に積もった雪が、後に僕らを恐怖のどん底に突き落とすことになろうとは、この時はまだ知る由もなかった。

60番札所横峰寺には、10時半ごろ無事に到着。境内は雪で真っ白だった。

『そ、それでは三百えっヘックシュンっになりましゅっ』

納経所の若いお坊さんは、花粉症なのか、くしゃみ連発で鼻も真っ赤だった。そりゃ、こんなに周りを杉の気に囲まれたところにいたらねえ。いやあ修行ってのは辛いんですねえ。

札所から少し上がったところに『星の森』という何ともロマンティックな名前の場所があり、晴れていれば、そこからは四国最高峰の石鎚山の姿が見られるということだったが、頂上付近は雲に覆われているだろうという話を聞いて断念。そのまま下山することにした。

空を見上げると、朝よりも青空が広がっており、気温も上がってきていた。

しかし、この晴天と気温の上昇、そして車道の雪がタッグを組んで、僕たちに牙をむく。

「うおっ!」

『どうした!?』

「やばいって!めちゃくちゃ滑る!」

車道に積もっていた雪、それが太陽の日差しと気温の上昇によって解けてきていた。解けかけの雪というのがこんなにも滑るものだったなんて…。

そして、先ほど述べたとおり、この道路は言葉では表せないくらいの絶景を拝めるほど高い所に位置しているのだが、道路には何とも頼りなさそうなガードレールがポツンと佇んでいるのみ。そのガードレールの先は恐ろしく高い崖…。

「落ちるって!」

そして、どういうわけか、雪に足を取られると必ずガードレールの方へと滑っていってしまう。その先はもちろん崖…。自然と飛び降り自殺である。

ああ何と怖ろしいお遍路さんの旅。

セルフ飛び降り自殺マシンの罠を振り切り、命からがら下山した頃には、もうすっかりお昼をまわってしまっていた。

危うく命を取られかけたとはいえ、順調に伊予の国最大の難所である横峰寺を打ち終えることができた僕らは、そのままの勢いで64番札所前神寺を打ち、意気揚々と、本日の宿のある西条市へと向かっていった。

天気もすっかり良くなり、田舎の雰囲気の残る遍路道を歩いているととても気持ちがよかった。

その途中、川沿いの道でジョギング中のおばさんとすれ違った。

「こんにちは」

『はい、こんにちは』

すれ違った人と挨拶をかわすいうのは、歩き遍路にとって大事なことである。

しばらくしてから、僕はふと後ろを振り返った。すると、先ほどのおばさんが、僕たちの方を向いて手を合わせていた。

こんな信仰心のかけらもない遍路に、弘法大師の姿をみたとでもいうのだろうか。

なんとも恥ずかしくなった僕は、前をゆく林を小走りで追いかけた。

本日の行程

宿→60番→64番→西条市内泊    合計30キロくらい

雪の60番札所

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31日目  弘法○師のおじさん

2005年3月13日

愛媛の人はなんて優しいのだろう。

昨日、57番札所栄福寺のおばさんと他愛もないことを話し、午後4時過ぎに58番札所仙遊寺の宿坊に到着。ここの方々が本当にいい人たちだった。

今後の予定について相談に乗ってくれた若くて楽しい尼僧さん。昔、吹田に住んでいたということでえらく話が盛り上がった食堂のおばちゃん。恒例のあさのお勤めでは、先日この寺に弟子入りしたばかりという中学生くらいの少年がお経を唱え、その後の説法で登場した住職さんは、僕が伊豆の出身だとわかると『伊豆の踊子』にえらく憧れていたという話をしてくれた。

昨日の一件と言い、ここ数日、愛媛の人たちの優しさに触れまくっている。いままで通ってきた土地でもたくさんの優しさを受けてきたけれど、ここ数日は特にそんな気がする。

原因はよくわからないけれど、今思うと、旅に対して余裕が出てきたからなのかもしれない。昨年歩いた徳島は別として、高知を出発してから松山に入るまで、僕はかなり異常な状態で旅を続けてきたように思える。とにかく距離を稼ぐために脇目も振らず歩き続けた前半戦。怪我をしたことで結果的に甘えが出てしまい、やる気の全く出なかった後半戦。そして、44番札所から松山まで歩き切ったことをきっかけにして、その異常ともいえる状態から脱却し、林という相方を得たことで心に余裕が出てきた。そのおかげで、周りの人たちの優しさを素直に感じることができるようになってきたのかもしれない。

いやあ、旅の後半になって、ようやく僕も成長してきた気がするねえ。

しかし、もっと早く余裕を持てていれば、さらに有意義な旅ができたんじゃないのかい?全く、いつも気づくのが遅いんですよ、こいつはさ…。

そんな優しかった宿坊の方々ともお別れし、僕らは旅を続ける。

今日は59番札所から63番札所まで歩く予定でいた。といっても、60番札所は翌日に回し、先に61番~63番札所を打とうという変則日程。

というのも、60番札所横峰寺は標高780mに位置する難所。しかも、そこまでの登山道が昨年の台風で通行不能となっている模様。歩けないこともないらしいが、どういうわけか昨日より小雪が舞うほどの寒さが瀬戸内地方を襲っている。荒れ果てた危険な登山道を雪の舞う中歩くというのは正直危険な香りがする。と、以上が宿坊の尼僧さんや他のお遍路さんからの情報であり、これに基づき、僕らは上記のような変則日程を組んだのだった。60番札所へは通行不能とされる登山道以外に車道も通っているらしく、明日朝の天候次第で、どの道を行くか決定しよう、という見事なまでの作戦である。

午前10時過ぎに59番札所国分寺を打ってからは、61番札所までの20キロ弱を、国道196号線沿いに歩き続けていく。交通量も多く全く面白みのない道ではあるが、二人で歩いているとそんな道でも楽しくなってくるから不思議だ。

「さっき遊々○書読んでたろ?」

『久しぶりに読むとめちゃくちゃ面白いんだよなあ』

これは漫画の話し。

お昼に立ち寄った小さな喫茶店に偶々漫画が置いてあり、活字に(というか漫画に)餓えていた僕らは、食事が終わってからもしばらく読み耽ってしまった。

『明日からは、漫画の置いてある食堂を探そう!』

どうですか!この本筋とは全く関係のない決意!これが大学生遍路の現状なのです。

で、そんな不真面目な態度でいると、どこかで見ている弘法○師のおじさんが、必ず僕らに天罰をくらわすのです。わかってるんだ。今度はなんですか?また雨ですか?それとも雪ですか?

しかし、弘法○師のおじさんはやはり一枚上手だった。

しばらく歩いて行くと、前方に真っ黒の電線が姿を現した。

「なんだいあれ?」

『なんだろうねえ?』

「おい、カラスじゃねえか!?」

『!!』

近づくと、気持ちが悪くなりそうなくらい大量のカラスが、電線にとまっていた。とくれば、当然その下は奴らの糞だらけなわけで…。

「うお!キツいぞこれ!」

『よし、おれカッパ着る!』

「ま、まて!あんなロボットみたいな格好で国道歩くってか?この不審者やろう!」

『ああ!?』

喧嘩だもの。

ここまで相方林についてはいいことばかり書いてきたけれど、実は二人とも、ここまでで結構喧嘩してきているのです。やれ歩くのが早いだ、昼はうどんが喰いたかっただ。ただ、二人とも忘れるのが早く、すぐにまた馬鹿話を始めてしまうので、なんとかコンビ解消には至っていないのです。本当に毎日退屈しなくいいですよ。

カラスの大群をなんとか突破する我々。

すると今度は、突風と雪の攻撃が始まる。もう3月も中旬だというのに、この寒さは以上でしょ…。

そしてこの雪、どういうわけか僕らが札所につくと止んで、歩き始めると降ってくる。まるで僕らの行動をよんでいるかのように…。

少しでも寒さを防ぐため、軍手をはめ、頭に手拭いを巻くが、全く意味をなさない。

『ああ!もう寒みーなあ!』

「も、もう少しで宿だ。いいか、死ぬなよ!」

別に北極を探検しているわけではないんですよ、この二人は。しかし、雪に慣れていない僕らは、明らかに、四国の平地で遭難しかけていた。

それでも、気合いで61番札所香園寺、62番札所宝寿寺、63番札所吉祥寺と続けざまに打つ。

宿に着くと、案の定、雪は止んでしまった。やはり誰か(というか弘法○師のおじさん)が僕らの行動を監視している…。しかし、このまま止んでいてくれれば、明日は通常の登山道を歩けるかもしれない。

明日は雪を降らせないでください。

と、弘法○師のおじさんにしっかりとお願いをし、僕らは眠りについた。

本日の日程

58番→59番→61番→62番→63番→宿   合計30キロくらい

58番札所から望む瀬戸内海

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30日目  将来のこと

2005年3月12日

昨晩の宿、『コスタブランカ』は久しぶりに大満足の宿だった。

1泊2食付きで5,000円という破格のお値段。昼間は喫茶店を営業しているようで、3時頃到着した僕らを、まずはTea Timeでおもてなし。部屋はベッドルームと和室の選択制。ソースのような香り漂う便所。大注目の夕食にはすき焼きが登場。そして、従業員のおばさま3名、まるでスナックのママのよう。

正直な話、1泊2食付きで5,000円と聞いて対して期待はしていなかったのだけれど、予想外に豪華な食事に僕らは大満足。部屋の壁が薄く、同宿のおやじ遍路の電話の声が聞こえてきたり、トイレがソース臭かったりしても、僕らには全く関係ないのです。

出発の際、スナックのママたちからお菓子のお接待をいただき、僕らの気分は最高潮!35キロ先の58番札所仙遊寺を最終目的地に定め、今治市内全5札所を完全制覇するべく、コスタブランカを出発した。

「牛乳のお接待でーす」

しばらく歩くと、道沿いにある牛乳屋のおじさんがお接待してくれた。朝から本当にありがたい。

牛乳から力をもらい、54番札所延命寺までの20キロを午前中のうちに歩き切る。実にいいペース。朝からお菓子や牛乳のお接待を受けたおかげで、僕らはのりにのっていた。

しかしながら、このお接待という風習は実に不思議だと思う。この21世紀に、この文明社会に、300年前の風習がいまだに残っているというのが不思議で仕方がない。例えば、関西地方に残る西国三十三箇所巡礼にもお接待の風習は存在していたらしいが、現在では廃れてしまい残っていないらしい。

なぜ四国では残り、西国では廃れてしまったのか?

『四国は歩きの風習が残っているけれど、西国ではそれがないから』

という説もあるらしい。たしかに、西国は近畿各地に札所が散らばっている上に、京阪神という大都市圏のおかげで、現代ではとても歩ける状況にない。歩きでの巡礼の衰退に伴いお接待の風習が廃れた、ということらしいけれど、実際にお接待を体験した側からすると、そんなややこしい問題ではない気がする。

何というか、四国の人たちのDNAにお接待が刻み込まれている、そんな気がする。だって、僕らが四国に遊びにきてお遍路さんを見つけたとしても、気軽にお接待なんかできないと思う。

『お遍路さんを見つけたらお接待をする』

そんな行動パターンが四国の人たちの中に組み込まれているのでは?

そんなことを思ってしまう。

と、お接待に関する考察なんて柄にもないことをしてしまったけれど、原因は相方の林にあるのだ。

彼はいま大学で歴史関係を専攻しているのだが、卒業論文のテーマをお遍路に設定しようと本気で考えているようで、現在、研究対象になりそうなことを色々と探している。そんなわけで、歩いている最中の話題も、柄にもない学術的なものになりがちなのだ。

僕自身も、専攻している法学より民俗学系に興味があることもあり、一緒になって研究対象を探していた。

さすが、日本の将来を担う大学生。歩いている最中も学術的な会話をやめようとしないもの。インテリ遍路集団とでも言っておこう。

54番札所を過ぎると、今治の市街地に入る。

さすが松山に次ぐ大都会。おいしそうなお店がいっぱい。

『なあ、カレー食べたくないか?』

「いいねえ、ぜひ食べてみたいねえ」

『だろ?こんだけ都会だったら絶対あると思うんだよ』

「コ○壱がかい?」

『ああ。探すか?』

(無言でうなずく)

哀れインテリ遍路集団。カレーのことで頭がいっぱいの彼らには『お接待に関する考察』なんかはっきり言ってどうでもいい。

煩悩遍路集団と化した二人は、コ○壱を目指し今治市街へと繰り出していった。

望みどおりカレーを満喫した僕らは、午後の1時過ぎ、55番札所南光坊に到着した。街の中心部にあるわりに広々とした印象をうけるお寺で、いつもどおりお参りを済ませ納経所へと向かう。

すると、参拝客も少なくヒマなのだろう、納経してくれたおじさんが僕らに話しかけてきた。

『君ら大学生?』

「はい、一応は」

『そうか。ところで、ホリエモンについてどう思う?』

「は?」

詳しく話を聞くと、納経所のおじさんは若い人たちに大きな期待をしているらしい。

ライブドアの社長であるホリエモンが、フジテレビ系列でるニッポン放送の株を買い占め、フジテレビに喧嘩を売った出来事(この文章は2005年当時のお話ですよ)に、おじさんはえらく感動したそうだ。

『やっぱりよ、いつまでも古い体質じゃダメなんだよ!

もっとこう、若い人たちが頑張って、古い体質をどんどん壊していかなくちゃ!兄ちゃんたちも頑張らないかんぞ!』

おじさんは僕たちに熱く語ってくれた。

4月から大学3年生、そろそろ将来のことを考えなくてはいけない僕らにとって、それはあまりにもタイムリーな言葉だった。

55番札所を後にした僕らは、お互い先ほどの言葉を思い出し、何やら考え事をしながら56番札所泰山寺へと向かった。

それがいけなかったのだろう。

先ほどのおじさんの言葉について真剣に考えるあまり、他のことに気が回らなくなっていた相方の林が、見事に納経帳を55番札所に忘れてきてしまったのだ。

『ちょっと走って取ってくるわ!』

そういってお寺を飛び出そうとする林を56番札所のおばさんが止める。

「私の車で行ってやるけえ、のって!」

おばさんの車に乗って山門を出ていく林。

すると、それからわずか数分後、今度は一台の車が入ってきた

『忘れもんや!納経帳!』

なんとびっくり、車から降りてきたのは先ほどのホリエモンおじさん。林の納経帳に気づき、わざわざ届けてくれたのだ。見事に行き違いである。

『いやあ、3年あの寺にいるけど、納経忘れていった子は君らがはじめてや!』

そうでしょうそうでしょう。命より大事な納経帳を忘れるやつなんてそうはいないでしょう。

『それじゃな兄ちゃん!頑張りや!』

おじさんは、改めて僕らにエールを送り去っていった。

行き違いになった林が戻るのを待って、56番札所を後にする。

「さっきのおじちゃん、また頑張れっていってたよ」

『期待されてるんだな、俺ら』

「うん」

『そんなこと言われてもなあ』

「将来のことねえ…」

『少しは考えるけど、いまいち現実味がないな』

「まあね」

この旅が終われば、いよいよ大学生活も後半戦に突入する。

単位のこと、卒論のこと、そして将来のことを真面目に考えなくてはならない時は刻々と近づいてきている。

この旅が終わるなんて、ここまで全く意識してこなかったけれど、もうカウントダウンは始まっているのだ。

本日の行程

宿→54番→55番→56番→57番→58番泊   合計32キロくらい

56番札所のいぬ

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29日目  同行二人

2005311

道後温泉から52番札所太山寺まではおよそ11キロ。朝の松山市内を林と二人で歩いて行く。

しかし、松山は本当にいいところだった。

大きな街でありながら自然も多く、どこか落ち着いた雰囲気で、そして人がとても優しかった。

愛媛は、気候が温暖で、とても穏やかな人が多いと聞いていたが、まさにその通りであった。観光案内所のおばちゃんをはじめ、というかここまで出会った愛媛の人たちはみんなやさしかった気がする。

いやあ、本当にいいところだ、伊予の国というのは…。

そんなことを思いながら、52番札所を参拝し、納経所へむかうと、林が渋い表情でこちらをみていた。

「どうしたよ?」

『納経所のおばさん、感じわりぃ…』

話を聞くと、どうやら納経所のおばさんがなかなかの曲者のようである。林は、普通の納経帳のほかに掛け軸を持っていて、そちらにも納経をお願いしたらしいのだが、どうもものすごく嫌々した感じで書かれたらしい。

ここまで、50以上の札所を通過してきたわけだが、確かにいろいろな人がいた。旅の様子を聞いてくれた人、淡々と無表情で書いていく人、団体遍路の分は後回しにして個人のものを優先的に書いてくれた人、他の札所の悪口をこっそり話してくれた人。いい人も悪い人もいろいろだった。

そして、ここの札所の人は、確かにあまり感じが良くなかった。そりゃ一日中書き続けていたら嫌にもなるだろうけどさ、こっちに当たられても困るわけですよ。

『俺あたまきちゃってさ、300円なのに一万円札出してやった』

…。

林というのはなかなかやる男である。

53番札所円明寺へ向かう途中、ぽつぽつと雨が降り始めた。むむ、もしかして納経所の悪口を言ったから、例の弘○大師おじさんが怒ってまた雨を降らせやがったか?

納経を終える頃には雨は本降りになり、久し振りの雨合羽の出番。

雨合羽着こむほどの雨なんて本当に久しぶりかも。足摺岬からの帰り道に以来だから、およそ一週間ぶり。その時は傘で対応したから、合羽を着こむのは高知三日目、あの列車に乗ってしまった日以来かも。

『さあいこうぜ』

準備万端整い、さあ出発!

と、林の方を見ると…、

「!!」

『な、なんだよ』

「お前、ものすごいな…」

そう、彼はなんとも異様な格好をしていた。文章で表わすにはなんとも難しいのだが、彼は、黄土色っぽいポンチョ(頭からすっぽりとかぶる雨具。裾が長くて頭がすっぽり隠れるフードがついたワンピースみたいな感じ)をリュックの上からかぶっているもんで、その姿は異様。後ろから見るとまるでロボットのようだ。

「それ、絶対捕まるだろ…」

それぐらい異様な格好の彼と、僕はこれから旅をしていくことになる。

北条市のはずれにあるうどん屋さんでお昼を食べた以外はほとんど休憩も取らずひたすら先を目指し歩いて行く。

左手に見える海の向こうには九州がある。四国を時計回りに歩くと必ず左側に海が見えるので、自分としてはどこを歩いているのかわからないのだが、もう、四国の3/4近くを歩いてきているわけである。

北条市の市街地に入ったあたりで雨があがり、

林もようやく通常の格好に戻り、他愛もないことを話しながら二人で歩いてく。

大学のこと、ここまでの旅のこと、いま見ているドラマのこと…。

四国遍路用語に、「同行二人」というものがある。

『お遍路さんの近くには必ず弘法大師さんがいるの。だから例え一人で旅をしていても実は違うんだよ。弘法大師さんと一緒に歩いているんだよ。そう、君は一人じゃないんだ!だから困難なことがあってもきっと乗り切れるよ☆』

と、いうわけ。

確かに、不満を言った直後に雨が降ってくるところを見ると、弘法大師さんは僕の近くにいるみたいだが、姿が見えないだけに一緒に歩いている気はちっともしない。悟っていないなあ…なんて言われるかもしれないけど、一人は一人である。

しかし、同年代の若者遍路という相方ができたいま、「同行二人」の意味もなんとなくわかる気がする。

どんなに疲れていても、歩くのが嫌でも、やはり相方がいると頑張ろうという気になる。他愛もない話をしていると、それだけで疲れが取れてくる。

例えそれが、雨が降るとロボットのような最高に怪しい格好に姿を変える男だったとしても…。

市街地を抜けると標高100mほどの小高い丘を越える。

今日の宿、『コスタブランカ』まであと少しである。

本日の行程

道後→52番→53番→北条市→宿   合計 28キロくらい

相方の姿

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28日目  松山にて

2005年3月10日

松山市内には、合計6つの札所があり、すべて歩いても15キロほど。しかも、最後の51番札所のすぐそばにはあの道後温泉があり、昔から、お遍路さんの休息スポットとして君臨しているという。

そんなわけで、僕も昔のお遍路さんたちにならって、今日は道後温泉を満喫することにした。昨日せっかくやる気を取り戻したのだから、この勢いで一気に歩いていきたい気もするけど、道後温泉を外すわけにはいかないでしょ。

46番札所門前の宿を出発し、47番札所八坂寺を通って、48番札所西林寺へと向かう。

さすが、愛媛県の県庁所在地である松山。道路も広く、交通量も多い。

46番札所~48番札所は、街中にあることもあり、こじんまりとしたお寺だった。しかし、わずか1時間ほどで3つの札所を打つことができるなんて、徳島以来じゃないだろうか。こうも簡単に打つことができると楽しくて仕方がない。しかも、今日は道後温泉も待っているのだ…。

途中のサークルKで買った朝ごはんを境内で食べ、さあ出発と立ち上がると、山門から、若いお遍路さんが入ってきた。

「あれ!?」

『ん!?おお!また会ったな!』

そのお遍路さん、どこかで見たことがあるなあ、なんて思っていたら、なんと、足摺岬に向かう途中の久百々で出会った、大学生遍路、林くんではないですか。

「えーっ、昨日どこ泊まってたよ?」

『46番札所の前にある宿。お金なくて飯抜きでさあ』

なんと昨日から同じ宿に泊まっていたらしい。しかし、お金がないから食事なしって、久百々の宿でも言ってたぞ。

何という運命の再会。

というか、本当のことを言うと、一昨日の44番札所にて僕らは一度会っていたのだ。

例の宿のおばちゃんとのやり取りのあと、境内のベンチで泣いていた僕に、声をかけてくる奴がいた。

『あれ!?君もしかしてあの時の…』

こっちが感傷に浸っている時にお節介にも声をかけてきた男、それが林くんだったのだ。

彼とは足摺岬の時点で丸一日離れていたのだが、車のお接待のおかげで、普通に歩いていてはまず起こり得ない奇跡的な再会が実現してしまったのだ。

結局、その日は、境内近くのお茶屋さんでラムネとかりん糖で再会を祝い、思い出話に花を咲かせたのち、別々の宿に泊まった。

で、昨日、僕のちょうど一時間ほど後ろを彼は歩いていたようで、今回の再会に至ったわけである。

『今日はどこまで行くつもり?』

「道後温泉泊まろうかなって思ってる」

『ほおー。実は俺も』

というわけで、再会を祝し、今日は二人で道後温泉を満喫することにした。

49番札所浄土寺、50番札所繁多寺と続けざまに打ち、本日最後の札所、道後温泉の近くにある51番札所石手寺へと向かう。

二人で歩くというのは、昨年の河手さん以来じゃないだろうか。ここまでずっと一人だったから、会話をしながら歩くというのが実に新鮮である。

高知の終わりからのあのやる気のなさ、鬱っぽさは、ここらへんも原因の一つなのかもしれない。歩くのがつらくなったとき、誰かがそばにいると頑張ろうという気持ちになってくるもの。

道後温泉の近くにあるからなのか、51番札所は観光客であふれかえってていた。

ここのお寺には、「衛門三郎伝説」ある。

昔、このあたりの豪農だった衛門三郎おじさんの家に、ある夜、大変貧しそうなお坊さんが、お金を下さいと、手にお茶碗をもってやってきた。托鉢である。しかし、傲慢で知られた衛門三郎は、お前にやる金はねえ!とどなり、彼のお茶碗を地面に叩きつけた。お茶碗は八つに割れ、坊さんは去っていった。

しかし、その晩より、衛門三郎の子供たち、計8人が次々と死んでしまったのだ。

こりゃえらいこっちゃと焦る衛門三郎。そんな彼に近所の人がこう言った。

「この前来た坊さん、弘法大師なんじゃね?」

あの偉大な坊さん弘法大師、その彼に無礼なことをしたから罰が当たったのだ。衛門三郎はその後、何とかして許してもらおうと、弘法大師を探しに、四国を回り始めた。しかし、何周しても会えず終い。

そこで、ためしに逆に回り始めたのだが、途中、病気で倒れてしまう。

そんな彼の前に一人の坊さんが姿を現した。彼こそ、長年探し求めていた弘法大師だった。衛門三郎は自分の非を詫び、そして亡くなった。そんな彼に、弘法大師は石を握らせた。その石には『衛門三郎再来』と書かれていたそうだ。

それからしばらくして、松山の河野家という由緒ある一族に子供が生まれた。しかし、この子供、いつまでたっても手を握ったまま開こうとしない。心配した親が近くのお寺の坊さんにお願いしたところ、しばらくしてようやく手を開いた。そこには、『衛門三郎再来』と書かれた石があった。それ以来、ここは石手寺という名になった。

と、いう伝説である。

まあ、そんな伝説も、道後温泉を前にした僕らの心には何も響かず。さっさと51番札所を後にし、魅惑の温泉街へと向かっていった。

しいて言うなら、この件を真剣に研究している人の中には、人格者である弘法大師が、お金をくれなかっただけで罰を与えるなんてありえない!なんて言う人もいるそうだけど、ここまで、不平不満を言うとすぐに雨を降らせることを知っている僕なんかには、ああ昔からそういう人だったんだなあ…、なんてちょっと納得できてしまう、といったところかしら。

温泉街に到着した僕らは、まず宿探しを始めた。しかし、さすが日本有数の温泉地、道後。一泊素泊まり3,500円なんて宿なかなか見つからない。

地図に載っている中で唯一安そうなビジネスホテルも、実際にそこへ行ってみたところ、建物すら撤去されて更地になっている始末で、運のなさに思わず二人で爆笑してしまった。

このままでは、道後満喫計画が失敗に終わってしまう…。

危機的状況を察知した僕らは、ついに自力での宿探しを断念し『旅館案内所』と書かれた建物の中に入っていった。

案内所のおばちゃんはとても親切で、すぐにある旅館に連絡を取ってくれた。

『若いのにお遍路するなんてえらいねえ』

おばちゃんはそういって、僕らを、一泊素泊まり5,000円の旅館に案内してくれた。

宿を決めた僕らは、アーケードで腹ごしらえをしたのち、松山の街に繰り出した。

しかし、田舎の貧乏な大学生二人がこんな観光地に来るとろくなことはない。もうテンションがあがりっぱなしなのだ。

アーケードの食堂では、この時とばかりにランチサービスのご飯食べ放題を時間ぎりぎりまで粘り続け、しかも最後はおかずなし、白飯のみで食べ続ける始末。

松山城では、てっぺんまでのリフトで大はしゃぎ。てっぺんに着いたらついたで、売店のアイスばかりに夢中で天守閣をスルー。

街中を歩けば、街ゆくカップルを羨ましそうに眺め、どうして大して格好よくもないあの男に彼女がいて、僕らにいないのかを熱く議論。

しかし、同年代の奴とはしゃぐというのは実に楽しかった。

散々バカなことをやって、お目当ての道後温泉につかった頃には、あたりは真っ暗になっていた。

宿への帰り道、案内所の前を通ると、先ほどのおばちゃんがいたので、しばらく雑談することに。

おばちゃんには僕らよりちょっと年上の息子さんがいるそうだ。

『新聞社にいるんやけど、今度松山で巨人戦があってねえ。久しぶりに戻ってくるんよ』

おばちゃんはうれしそうにそう話してくれた。

本日の行程

46番~51番→松山、道後を満喫    合計15キロくらい

道後温泉

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27日目 復活の気配

2005年3月9日

朝7時。寒空の中、僕は宿を45番札所岩屋寺目指して出発した。

市街地を抜けると、道路はじわじわと高度を上げていく。45番札所は、市街地からおよそ10キロほど離れた山奥に位置している。

30分ほど歩き、トンネルを抜け、しばらく下ると、こじんまりとした集落に出た。

ここからさらに2キロほど、起伏の激しい道路が続く。

ハァ… ハァ…

つらい。とにかくつらい。

僕の横をバスが通り過ぎた。こんな山奥なのに路線バスが通じているらしい。

あれに乗りさえすれば…

「なまけもの」が姿を現す。

でも、今日は駄目だ。絶対に歩ききると決めたんだから。

5キロほど歩いたところで、車道とは別れ、山道に入っていく。

朝の山道というのは本当に清々しい。

目の前に「八丁坂」なるものが姿を現した。150mくらいの標高差を一気に登る難所だということ。地図で確認すると、八丁坂を回避できる道もあるようだ。

楽な方を行きたい…

油断しているとすぐに「なまけもの」が姿を現す。

しかし、今日は駄目だ。

僕は気合いを入れて、八丁坂を登り始めた。

難所を越えれば、あとは札所まで下り道。杖を頼りに、岩屋寺までの下り坂を猛スピードで駆け下りていった。

岩屋寺での参拝を済ませ、歩いてきた道を戻る。

前にも書いたとおり、岩屋寺は山奥に位置しており、次の札所へ行くためには、再び久万高原町の街中まで戻る必要があるのだ。

足摺岬の時にも思ったのだが、いま来た同じ道を再び引き返すという行為は、実は思いのほか厳しい。何せ一度通っている道なので、特に目新しい発見もなく、えらく退屈なのだ。

岩屋寺の門前には、観光バスやタクシーがとまっていた。

乗りたいな…

三度現れた「なまけもの」を何とか黙らせ、いま来た道を歩き始める。

時計を見ると、時刻は10時をまわったところだった。

僕は今日、次の札所のある松山市まで歩くつもりでいた。ここ岩屋寺からは30キロの道のり。しかも、途中には三坂峠という難所が待ち構えている。

事前に調べてところ、午後1時までに久万高原町の市街地まで戻ることができれば、夕方までには松山入りできるそうだ。

なかなか困難な行程。

しかし、やらなくてはいけない。

昨日、宿に着いてから、僕は今までの旅への姿勢を反省し、今後は一切、交通機関を使用せず、とにかく歩き続けることを決心した。今までの甘えた考えを改めようと思った。そのため、松山までの40キロを一気に歩く苦しい予定を設定したのだ。

松山までの40キロを歩き切ることができれば、甘えた考えを払拭でき、今後も歩き続けることができるだろう。

しかし、もし歩けなかったら、途中でまたバスなどに乗ってしまったら、それは自分に負けたということであり、旅を打ち切らざるを得ないだろう。

僕はそう考えていた。

だからこそ、今日は歩き切らなくてはならないのだ…。

岩屋寺から7キロほど来たところで、僕は道に迷ってしまった。

普通に今朝来た道を戻ればよかったのに、途中発見した

「46番札所近道→」

という看板に吸い寄せられられるように歩いて行ったところ、山の中に入り込んでしまった。

同じ道を戻るという苦行に嫌気がさし、誘惑に負けてしまった結果がこれだ。

本当にお遍路の旅というのはよくできている。

散々迷った挙句、どうにか久万高原町の街中に出られたのは、あと10分ほどで午後1時になるという時だった。松山に着けるかどうか、本当にギリギリのところだ。

三坂峠までの道は、延々と緩やかな上り坂が続く厳しい道だった。八丁坂のように、一気に登る急坂も確かにきついが、僕にとっては、じわじわと緩やかな上り坂が延々続くほうが苦しかった。

ハァ…ハァ…

休憩も取らずにただただ、前だけを見つめ歩いて行く。

ここで負けるわけにはいかない。

昨日のあの宿のおばさんが(偶然とはいえ)せっかく気付かせてくれたのに、こんなところで自分に負けるわけにはいかないのだ…。

午後3時前、ついに僕は標高700mの三坂峠にたどり着いた。

眼下には松山の街並みが広がっていた。

「おしっ…もうひと踏ん張りだ…」

自分に言い聞かせるようにつぶやき、眼下に広がる松山市目指して、勢いよく下っていった。

30キロ以上起伏の激しい道を歩いてきた後に、この700mの高さから一気に下るのというのはなかなかに堪える。しだいに膝が震えだす。でもあと少しなんだ。

そして、午後4時半少し前。ついに今日の目的地、松山市の端に位置する46番札所浄瑠璃寺に到着した。

ベンチに腰掛け、一息ついた時のこの清々しい気分、そして達成感。

実に久しぶりだった。

忘れかけていたものを、ようやく思い出すことができた気がした。

本日の行程

久万高原→45番→久万高原→三坂峠→46番→門前の宿泊  合計40キロ

三坂峠より

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26日目 泣く

2005年3月8日

お昼ちょっとすぎ、大洲から列車に乗った僕は内子の駅で下車した。

一昨日の宇和島についで、2度目。どこもけがしていないというのに、ただ「しんどいから」、「気分がのらんから」という理由で交通機関を使ったのは。

朝7時過ぎに宇和町の宿を出発したものの、全くと言っていいほど気分が乗らない。しかも、この日の行程は交通量の多い国道56号線をひたすら歩くというもの。1時間たっても、2時間たっても、なかなかペースは上がらず、ダラダラと歩いて行く。

それでも、どうにか歩き続け、11時過ぎには大洲の街に入る。

しかし、それが限界だった。大洲の駅を発見した僕は、躊躇せずに切符を買い、さっさと列車に乗り込んだ。最早、宇和島の時に感じた後ろめたさすら感じていなかった。

「しんどいから乗る」

最早、うつ病なんかではない。完全に甘え切った、「怠け者遍路」になり下がっていた。しかし、この時の僕は自分が「怠け者遍路」になり下がったことにすら気付かず、鼻歌など歌いながら、のんきに列車の旅を楽しんでいた。

大洲から10分ちょっとで内子の街に着いた。内子は古い街並みの残った、愛媛県屈指の観光地。と、くれば、「怠け者遍路」が黙っているはずがない。重たい荷物を背負ったまま街の隅々まで歩きまわった。

これだけ楽々と歩けているのに「うつ病」とは笑わせてくれる。

1時間ほど観光したのち、僕は内子の街から10キロほど離れた宿に電話を入れた。時間は午後の1時過ぎ。どんなにゆっくり歩いても暗くなるまでには着ける。

たっぷり観光を楽しみ、今夜の宿も無事に確保した「怠け者遍路」は、ちんたらちんたらと歩き始めた。

このあと、弘法大師さんからきつい罰が下されることになろうとは、この時点では知る由もなかった。

内子の街を出た僕は、さっそく道に迷ってしまった。もともと方向音痴な僕だ。内子のこじんまりとした路地から急に大きな国道に出て、方向感覚を失わずに歩けという方が無理だ。

そんな迷える僕に、どこからか声が聞こえた。

「お遍路さん、迷ったかね!乗せていっちゃるわ!」

後ろを振り向くと、軽のワゴン車にのったおじいさんが窓から顔を出して笑っていた。

何という幸運!やっぱり弘法大師さんはいるんだね♪

僕は遠慮することもなく、おじいさんの車に乗り込んだ。

これが、弘法大師さんの仕組んだ罠だとも知らずに。

おじいさんの運転する車はどんどん山奥に入っていった。それに伴い、道路もどんどん狭くなってくる。

「これ、いちおう国道じゃけえ」

おじいさんが教えてくれる。車同士がぎりぎりすれ違える幅の道路を国道と呼ぶとは、さすが不思議の国、四国である。しかも、国道というだけあってダンプやトラックなど大型車まで通るんだから、怖くて仕方がない。

「ここは山奥の村だけんど、けっこう子供が多くてな。何でかわかるか?」

おじいさんはいろいろな話を僕にしてくれる。

「さあ?なんでですか」

「山奥でな、夜することないけえ、若い夫婦がこう、な!」

下ネタもキレキレである。

おじいさんとのドライブは1時間ほど続き、いつの間にか、44番札所大宝寺のある久万高原町に入っていた。本来ならば歩きで2日はかかる道のりをわずか1時間できてしまった。いやあ、今日は本当に付いているぜ。

「ありがとうございました!」

44番札所の門前まで連れてきてくれたおじいさんにお礼をいい、僕は参道を歩いて行った。

そこで、ふと大事なことに気づいた。

そういえば、僕は今日、宿を予約していたのだ。宿は内子から10キロほどの場所。44番札所からは30キロ近く戻った場所にある。車のお接待ですっかり忘れていたが、ちょうど切れ味鋭い下ネタをおじいさんが放ったあたりに宿があったのだ。

「まあ仕方ないわな、通り過ぎちゃったんだし」

僕は、特に深刻に考えることもなく、キャンセルの連絡を入れることにした。1年前、12番札所に早く着きすぎた際にも、宿坊の予約を難なくキャンセルできたし、今回も問題ないだろう。僕はそう考えて宿の番号を押した。

しかし、今回はそう上手くはいかなかった。

「え~!困ります!なんでいまさらキャンセルなんですか!」

僕がキャンセルの旨を伝えると、宿のおばさんはどなり声をあげた。予想外の反応に僕は戸惑ってしまった。

「いや…、だから車のお接待を受けて…」

「そんなこと知りません!それなら車で来るときうちに寄ってくれればいいじゃないですか!」

宿のおばさん曰く、当日の、しかもお昼過ぎに予約があった場合、キャンセルをするお客はまずいないそうだ。それ故、僕からの予約電話のあとすぐに夕食の手配(その宿は食事を近所の料理屋さんに注文するシステム)をしてしまったそうなのだ。それなのに、急にキャンセルされたら、料理が無駄になってしまうし、料理屋さんにも迷惑がかかってしまう。

「すみませんでs…」

「すみませんじゃないですよ!どうしてもっと早くいわないんですか!」

僕はとにかく謝り続けたが、おばさんの怒りは収まらない。

そればかりか、おばさんの怒りの矛先は、僕がキャンセルしたことから、僕の旅に対する姿勢のあり方へとシフトしていった。

「どうせあれなんでしょ!歩きとか言っても、車とか何度も乗っちゃって、終いにはそれに慣れちゃったんでしょ!だから今日だって宿の予約してるにもかかわらず車乗ったんでしょ!普通乗りませんよ!宿を予約していたら!」

僕はドキッとした。

「そ、そんなことないですよ…。今日は車のお接待で…」

言い返してみたものの、僕は明らかに動揺していた。

結局、宿代6,000円のうち、夕食代の2,000円を宿に送金することで許してもらうことになった。

荷物を44番札所のベンチに置き、街の中にある郵便局へ行くことにした。

郵便局に向かう間も、僕の頭の中は、先ほどのおばさんの言葉でいっぱいだった。

「どうせあれなんでしょ!歩きとか言っても、車とか何度も乗っちゃって、終いにはそれに慣れちゃったんでしょ!だから今日だって宿の予約してるにもかかわらず車乗ったんでしょ!普通乗りませんよ!宿を予約していたら!」

まさにその通りだった。

おばさんの一言は、僕の現在の状態を見事に言い当てていた。

僕はここ数日明らかに怠け切っていた。交通機関を利用することに慣れてしまっていた。列車やバスに乗ることが当たり前になっていた。

高知で足を怪我し、それが完治するまでは無理をせず交通機関を利用する。最初はそのはずだった。それが、足の怪我が治ったにもかかわらず、ちょっと気分が乗らないから、しんどいから、などと言って交通機関を使い続けた。完全に怠け切っていることに気付かず、乗り続けていた。

「気分が乗らないからリフレッシュする」

なんとか自分の行為を正当化しようとしていたけれど、結局はただ自分に負けてしまっていただけなのだ。歩き遍路失格である。

郵便局で現金書留の手続きを済ませると、僕はもう一度、先ほどの宿に電話をした。怠け切った僕に説教をしてくれたおばさんに、いまの僕の状態を見事に言い当ててくれたおばさんに、しっかりと謝りたい。そしてお礼の言葉を言いたい。そう思ったのだ。

「もしもし、すいません、先ほどの…」

「さっきのお遍路さん?」

「はい、えっとお金送らせていただきました。それからさっきのことなんですけど…」

「ああさっきのこと。こっちもいきなり怒鳴っちゃってわるかったねえ。もういいから、これからも元気に旅を続けてくださいね」

さっきとはうって変わって優しげなおばさんの声を聞いたとたん、目から大粒の涙がこぼれてきた。

「ほ、本当に申し訳ありませんでした…」

涙で前が見えなくなり、思わず、境内のベンチに座り込んでしまった。

電話を切ったあとも、涙はとめどなく溢れてきた。

どうして涙がでるのかわからないけど、いつまでたっても涙は止まってくれなかった。

僕は大宝寺のベンチに腰掛け、静かに泣き続けた。

本日の行程

宇和→大洲→列車→内子→車のお接待→44番→久万高原町泊 合計25キロ

44番札所大宝寺

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25日目  うつな男

2005年3月7日

朝8時、41番札所龍光寺へ向け歩きだす。およそ10キロの道のり。

昨日、休暇を取って宇和島でリフレッシュできたおかげか、例の謎の倦怠感も今のところはなく、快調に歩き始めた。

思えば、この旅で初めてじゃないだろうか、フラっと訪れた街を散策するなんて、まるで観光旅行のようなことをしたのは。というか、宇和島のような大きな街に立ち寄ることさえここまでほとんどなかったもんね。徳島市や高知市のような県庁所在地も通過してきたけれど、いずれも街の中心から外れた隅っこの方をそろ~っと歩いただけ。

本屋によって漫画を買い、公園のベンチで弁当を食べながらゴロゴロし、気が向いたら商店街を散策し、その足で宇和島城に登る。まるで観光旅行じゃないですか。

おかげで、宇和島の街が大好きになってしまいましたとさ。

宇和島の街からしばらく歩くと、道路の両サイドに山が迫ったおなじみの光景が始まった。地図を見ればわかるけれど、いま僕が歩いている愛媛県南部というのはけっこう山がちな場所であり、宇和島クラスの街はほとんどない。特に、高知県との境にある愛南町なんてのは、列車も通っておらず、住んでいる方には申し訳ないが「陸の孤島」感たっぷりの場所。あとで知ったことだけれど、この地方は東京から最も時間のかかる場所の一つだそうだ。列車もない。空港も松山空港まで結構な距離がある。ならば車で、と思っても高速道路が走ってない。新幹線や道路網が整備され、空港もあちらこちらに新設され、「日本はますます狭くなる」なんて聞くけれど、そういったものとは無縁の場所だって日本にはまだまだ沢山あるのですね。

いやあ勉強になるねえ、お遍路の旅ってのは。たぶん、この旅に出てなかったら、この地方に来ること一生なかったんだろうな。

2時間ほど歩いて41番札所に到着。長い石段を登ったところにある小さなお寺。

ここまで40以上の札所を回って、札所の規模にかなりのばらつきがあることがよくわかった。旅に出る前、全国的に有名な巡礼であり、長い歴史を持っているのだから、それはそれは大きく立派なお寺ばかりなんだろう、などと僕は思っていたのだが、実際には京都や奈良のお寺にも負けない大きなお寺もあれば、どこの街にも一つはありそうなこじんまりとしたお寺もあり、ちょっと驚かされた。中には、札所に隣接する四国遍路とは一切関係のないお寺の方が大きくて、札所と間違ってお参りしそうになったこともあった。41番札所も、非常にこじんまりとした、地元に密着した感じのするちっちゃな札所だった。

次の42番札所佛木寺へは、41番札所の裏手の雑木林を抜けていく。2キロちょっとだから、30分もかからない。いやあ、久し振りだぞ、こんなに近い札所は。

次の札所まで100キロ!三日歩いてもつかねえ!とかそんなのばかりだったから、実に新鮮。

42番札所をお昼前に打ち終え、次なる43番札所明石寺まではおよそ10キロ。このペースならば、頑張れば大洲までいけるかもしれない。44番札所は、43番札所から大洲市と観光地として有名な内子町を通り、そこから山道へはいるおよそ60キロの道のり。最低2日はかかるそうだ。今日、頑張って大洲までいければ、今後の展開がだいぶ楽になる。僕は今日の目的地を大洲に定め、42番札所を出発した。

はずだったのだが、異変はすぐにやってきた。

昨日までのあの重苦しいやる気のなさに突然襲われたのだ。

まだ30分も歩いていないというのに、モチベーションが急落してしまった。

いま思うと、この時期のこの精神状態、まるで鬱病のようだった。気分の高い時と沈んでいる時との差があまりに大きかった。

まあ実際は、僕の根気のなさ、「めんどくさがり」な部分が出てきただけなんだろうけど。

出発前に読んだ、『四国遍路バックパッキング』とかいう、お遍路の旅を宗教的な部分からではなく、完全にアウトドアの面から解説した、賛否両論分かれる本の作者が言っていたんだけど、どうやら高知県と愛媛県の県境あたりで、ちょうどこの時の僕のような症状に陥るお遍路さんが少なくないらしい。

修行の道場・土佐で疲れ切ってしまったのか、それとも東京から最も時間がかかるという陸の孤島感にまいってしまったのか。

原因は定かではないが、モチベーションの下がるお遍路さんが多いのは確からしく、そしてご多分にもれず、僕もこの症状にかかってしまったのだ。

そういえば、愛媛県に入った時から明らかにおかしかったもん。

「宇和島で鯛飯くうぞ…」

『四国遍路バックパッキング』の作者はそれを目標に頑張ったらしいが、そんなもんでは僕のこの症状は改善されそうになかった。

歯長峠を越えたあたりでもうどうにも我慢できなくなり、肱川のほとりで休憩をとることにした。前の日のお宿、宇和島リージェントホテルさんが作ってくれたお弁当を食べ、しばらく横になる。ぽかぽか春の陽気で気持ちがいい。

しばらく空を眺めながら横になっていると、もう歩くのがどうでもよくなってきてしまった。

ずっとここで横になって、空を眺めていれたらどんなにいいことだろう…。

本日の行程

宇和島→41番→42番→43番→宇和パークホテル泊  合計26キロ

昔ながらのへんろ道

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24日目  異変

2005年3月6日

それにしても昨日の宿はすごかった…。

のっけから宿の話で恐縮だけれども、書かずにはいられない。

昨日、なんとも締まりのないスタートを切ってしまったあと、気分がまったく乗らない中、僕は40番札所をなんとか打ち終え宿探しを始めた。時間もまだ3時前だし、翌日のことを考えるともう少し先まで歩いた方がいいのだろうが、正直あまりに気分が乗らないので、今日はここで打ち止め。地図を見る限り、今いる御荘の街にはビジネスホテルや民宿が結構な数あるようで、宿探しに困ることはなさそうだった。もう歩かなくていいかと思うと急に元気が出てくるあたりまったくいやらしい人間だな、と自分でも思ってしまうけれど、とにかく多少元気を取り戻した僕は、早速携帯電話を取り出し、めぼしいホテルに電話をかけ始めた。

しかし、気分が乗らない時というのは何をやってもダメなもの。案外料金が高かったり、しまいには電話がつながらなかったりと宿探しは予想外に難航した。しかし、ホテルで電話がつながらないというのもおかしな話だ。廃業しているわけでもなかろうに。仕方がないので、僕は目についたホテルに特攻することにした。さすがにフロントに行けば誰かいるだろう…。

しかし、気分が乗らない時には何をやってもダメなんだよ。街はずれのビジネスホテルに直接出向き、フロントのベルを鳴らしたり、大きな声で呼んでみたりした。それにもかかわらず、誰一人として姿を現してはくれなかった。

全滅である。あれだけホテルがありながら…。

改めて地図を見る。どうやら御荘の街で宿を逃した場合、10キロ先の内海村まで宿は一軒もないらしい。こりゃまいったな…。しかしこの寒い中野宿するよりはましである。僕は10キロ先にある「内海リゾートホテル」へ電話をかけた。

「内海リゾートホテル」に到着したのは、電話をしてから2時間後のこと。10キロの道のりを必死で歩き、なんとか到着。

しかし、まあ何度も書いちゃって申し訳ないけれど、気分が乗らない時というのは本当に何をやってもダメなんです。

なにがリゾートホテルだよ。

どっちかっていうとあれは廃墟じゃないのかい?いきなりこんなこといっちゃ内海リゾートホテルさんに失礼だけれどもさ。だって玄関の自動ドアが故障していて中途半端にあいたまま止まっちゃっているんですよ。入るときには自力でドアをスライドさせなくてはいけないのです。しかも、防犯のためなのか知らないけれど、鎖なんか巻いちゃってドア固定してるんだもの。あれで「立入禁止」の看板かかっていたらもう廃墟にしか見えないよ。外観は言うまでもなくぼろぼろだしさ。

そして内装もたまらなく恐い。電気止められているのかしら?廊下も階段も薄暗いったらない。よく朝のワイドショーなんかでやってる『北朝鮮のホテルにカメラが潜入!』みたいな企画。あれで特集されてそうだもん。それぐらい薄暗くてこわい。階段や廊下の死角から絶対何か飛び出してきそうなんです。

『その若者遍路は、35キロを1日で歩き通したという達成感に満たされて、意気揚々と階段を登って行ったのだった。

この先に、恐ろしい殺人気が潜んでいるとも知らずに…』

みたいなくだりで出てきそうだもん。江戸○乱歩先生あたりの小説にさ。

またこう言う時に限って宿泊者は僕一人で、しかもなぜか最上階の一番奥の部屋に案内してくれるんです。そんなに僕を驚かせたいんですか?ねえ、宿のお姉さん?

そうだよ、このお姉さんが『地下に大浴場ありますんで』とか言うから、恐い階段を下りて地下まで行ってみたのにさ、お湯入ってないじゃないのさ。この時ばかりは本当に焦りました。絶対これは罠だって。僕を地下に行かせ、その間に部屋や階段に仕掛けを施す…。

そんなところだったんです、昨日のお宿は。

まあ多少擁護しておくと、ご飯は宿の隣の居酒屋風の場所で豪華な海鮮料理をいただきまして、宿お姉さんも、化粧っ毛がなくて薄暗いフロントで見たときにはちょっと怖かったけれど、実は優しいいい人だったし。ただ本当に怖かったんだよ。あのトンネル並みにさ…。

で、そんなこともあり、昨晩は怖くてなかなか寝付けず、結局今朝は10時起床というこの旅始まって以来の大寝坊。

これはまずい、今日中に25キロ先の宇和島につけないぞ。

すぐさま支度をし、宿をでる。

しかし、歩き始めてすぐに異変を感じる。

昨日、峠を越えたあたりで現れたあの「やる気のなさ」に再び襲われたのだ。

正直言って足が前に進まない。少し歩くともう嫌になり、すぐに座ってしまいたくなる。

歩くのがまったく楽しくない。本当に苦痛で仕方がない。

こんな気分は初めてだった。

どうにか1時間ほど歩いてはみたものの、この妙な倦怠感は増すばかりで、ついに目の前にあるバス停に座り込んでしまった。

ここからは、今日の目的地宇和島までのバスが出ている。

これに乗れば30分ほどで宇和島につける…。

高知県で、初めて列車に乗った時の状況によく似ていた。

しかし、あの時ほど悩むこともなく、僕はあっさりと決断を下した。

バスで宇和島までいこう。

1日休暇を取ってリフレッシュした方がいい。

室戸岬を歩いていた時の僕ならばこんなことは考えもしなかっただろう。

しかし、この時、『宇和島で歩く』などという考えは頭の片隅にもなかった。

休暇を取る

そう決断した僕は、近くのバス停から20キロ先の宇和島へ向かうバスに乗り込んだ。

『ここで無理したらまた足がおかしくなるかもしれないし、昨日35キロくらい頑張ったんだから、今日はご褒美だよ。仕方無いじゃん』

誰に咎められたわけでもないのに、宇和島につくまでの間、ずっと弁解の言葉が頭を離れなかったのは、いまになって思えば、どこか後ろめたいものを感じていたからなのだろう。

本日の行程

宿→バス停→宇和島市内散策   合計6キロ

宇和島城

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23日目  伊予へ

2005年3月5日

「今日は晴れだけれどもしかしたら雨がふりますよお」

なんてテレビのお天気お姉さんが言うもんだから、朝7時半、急いで出発。

これから高知と愛媛の県境である松尾峠を目指す。いよいよ土佐の国ともおさらばだ。

しかし、昨日泊まったアサヒ健康ランドはなかなかすごかった。

「若いんだからいい宿ばかりとまってちゃいかんきに!」

という久百々のおばちゃんの言葉に感銘を受け、39番の門前に民宿があるにも関わらず、あえて昨日は健康ランドに泊まってみたのだ。

お値段は驚きの1300円!この旅最安値を記録。

お風呂も広く疲れをとるのには最適で、食堂のご飯もなかなかおいしく、おまけに休憩室にはたくさんの漫画があり、10日以上も漫画や本から隔離されていて相当餓えていたんだろう、ついつい遅くまで「課長 ○耕作」を読みふけってしまった。特に、株を操作して会社を乗っ取ろうとする話は非常に面白かった。ライ○ドアの社長がフジテレ○を買収しようとしている最中ということもあるんだろうけども、面白かったんだねえ。

肝心の眠る部屋の暖房が効きすぎており、なかなか寝付けなかったのにはやられたが、1,300円ということを考えれば十分すぎるお宿だった。島○作も読めたし。いままでああ言った大人向け漫画は読んだことがなかったのでなんか新鮮なんだなあ。やっぱり株を操作するとか言われt

さあさあ、島耕作の話はどうでもいいという声があちらこちらから聞こえてきそうなのでこの話は打ち切り。頭の中にいる課長を追い出して、無心で宿毛の街中を歩いて行く。

街中に入り間もなくすると、前方に巨大なクレーン車の姿が見えてきた。そしてその横には、ボロボロになって今にも崩れてしまいそうな駅舎が静かにたっていた。2日前、土佐くろしお鉄道の特急列車が、猛スピードで終着駅であるこの宿毛駅に突っ込むという大事故が発生した。奇跡的に乗客に死者はでなかったものの、事故を起こしてしまった若き運転手は列車の中に閉じ込められたまま息絶えてしまったそうだ。久百々の宿でニュース速報を見たときには、まさかこれが隣町の、しかも前日に乗車していた路線でおきた事故だとは到底信じることができず、遠い外国で起きた事故のニュースを見ているかのような、どこか他人事の気分でテレビを眺めていた。それが、こうして実際に事故現場を目の前にしてしまうと言葉が出なかった。居た堪れなくなり、駅舎に黙って手を合せ、僕は先を急いだ。

駅から北へ10分、市街地を抜けるといよいよ山道が始まった。

高知県宿毛市から愛媛県愛南町へ行くには、松尾峠という標高300メートルほどの峠を越えなくてはならない。実はこの松尾峠、以前からちょっと楽しみにしていたポイント。出発前に仕入れた情報によると、ここには江戸時代の「国境碑」が残されているらしく、実に風情満点なんだそうな。さらに、ここ宿毛から愛媛県の南部にかけての海岸線は、いわゆるリアス式海岸によって変化にとんだ非常に美しい風景が見られるという。

高度を上げるにつれて次々と現れる絶景…

そして目の前に現れる古い国境碑…

江戸時代より数多くの旅人が通った松尾峠を越え、いよいよ伊予の国へ…

なんていう涙を流さずにはいられない感動の瞬間が待っているらしい。

う~んこれは楽しみ。実に旅らしくていいじゃないか。徳島から高知へ向かう際の境目トンネルっていうのも県境らしくてよかったけれど、昔から多くの旅人が通った峠道なんてのも風情があってまたよいじゃないか。

市街地から30分ほど緩やかな坂道を歩くと、いよいよ本格的な登りが始まる。

    

    『ここから山道 ちょっと先のお堂で休みなさい

                       村人より』

なんてかわいらしい看板があり気分をさらに盛り上げてくれる。

村人の忠告通り、山道はなかなかきつく幾度となく座り込みながらじわじわ登っていく。宿毛の市街地が遠ざかっていく。ついに修行の道場、土佐の国・高知県ともお別れだ。

長かったよなあ土佐の国は…。そしていろいろなことがあったよなあ…。足がえらいことになって病院の世話にもなったし、列車やタクシーのお世話にもなっちゃったし。まさに修行の道場の名にふさわしい厳しさだったなあ…。

でもいいところだったな、土佐の国は…。人がみんなやさしかったもん。子どもから大人まで、みんな気持よく挨拶してくれったっけ。27番札所へのみちの途中では「おはようございます!頑張ってください!」なんて声掛けてくれた子供もいたよなあ。昨日なんか宿毛の高校生にまで頑張ってなんて言われちゃったし。

いいところだったよなあ、土佐の国は…。

土佐の国との別れに一抹の寂しさを感じつつ、じわじわと峠を登っていく。

すると、木々の向こうに真っ青な海と幾つもの島々が姿を現した。

噂どおりの絶景に思わず息をのむ。

頂上は近い。

なおもじわじわと登って行く。そして前方に小さなお堂が姿を現した。

さあいよいよ頂上!

感動する準備はできている。さあでてこい国境碑!

…しかし、現実とは非情なもの。

あれだけ号泣する準備はできていたのに。

なんというかすごく地味なんだもん。

『従是右伊豫國宇和島藩支配地』

って書かれた碑も見つけた。すごいとも思った。

しかし、いかんせんわかりづらい…。

僕はてっきり、かなり大きめの碑が道の両端に立ち、その間をぬけて伊予の国へとはいるもんだと思っていた。

「こんにちは!伊予の国!」(泣きながら叫ぶ)

…っていう準備もしていたんだけど、実際には叫ぶ機会なし。

碑は木々の間に申し訳なさそうに立っていて、最初なんて気付かずに通り過ぎようとしちゃったもん。どこからが伊予の国かなんてわからないのです。

「よおしっ、ここから伊予の国なんだな…。それじゃあいくぞ!」

とか気合い入れながらジャンプして入るのを想像していたんだけれど、実際は、

「あれ?ついたかい?境界線は?国境碑は?ああ、あれ国境?もしかして僕、もう伊予の国入っちゃったかい?」

だもん。じわ~っと伊予の国に入っちゃいましたとさ。

なんとも締まりのないスタート…。室戸岬を目指して気合入りっぱなしで入国した土佐の国とは大違い…。

そのせいか、山を降りてもいまいち気分が乗らない。40番札所観自在寺を目指し歩くものの、なんというか歩くのが苦痛で仕方がない。途中、すれ違った野球少年に挨拶を無視されたことで、僕の気持はさらに急降下。

明日から、大丈夫だろうか…。

本日の行程

健康ランド→松尾峠→40番→内海の宿    合計30キロくらい

ここより伊予の国

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