お遍路さん日記 ~第一部 阿波~ 

10日目 決断

2004年3月9日

1番札所を出発してちょうど10日目。無事当初の目標を達成した僕は、夜の深夜バスで大阪へ戻ることにした。本当は徳島と高知の境目あたりまでいこうかと思ったのだが、所持金もないし列車も通ってないし、ついでに宿も取れなかったりで、潔くここらで終わることにした。

『さびしくなるなあ…』

帰ることを伝えたときの河手さんの反応。そういえば、河手さんとは1週間前からずっと一緒に歩いてきたんだよな。

河手さんの出発に合わせて朝早く宿を出たものの、帰るにはまだ早すぎるので、日和佐町から牟岐町まで一緒に行くことにした。およそ15キロの道のり。

といっても、途中にお寺や寄り道ポイントがあるわけではないので、11時頃には牟岐駅前についてしまった。

『ちょっと早いけど、昼飯にするか』

河手さんはそういって駅前のラーメン屋へと連れて行ってくれた。

『ここは私のおごりだな。最後だからお接待だ!』

河手さんは笑いながらそう言った。何から何までお世話になりっぱなしだ…。

ラーメンをすすっていると、店のおばちゃんがみかんをお接待してくれた。

『親子でおへんろ?いいなあ』

おばちゃんは僕たちを親子だと勘違いしていた。親子に見えてしまうくらい年が離れている者同士が、まるで友達のように一緒に旅を続けてしまうのだから、お遍路の旅というのは本当に面白い。

列車の時間が近づいてきた。

「いろいろありがとうございました。いい旅を続けてくださいね」

『山登りのO川もな、日常に戻ってもがんばるんだぞ!』

河手さんの目は潤んでいた。たった一週間前に偶然出会っただけなのに…。別れで泣けてしまうんだからお遍路はおそろしい。

『それじゃ、そろそろいくよ』

そういうと河手さんは一人、次の札所を目指し歩いて行った。

僕は河手さんの後姿を見つめながら決断していた。

また必ずここへ戻ってこよう。

そして、必ず四国を一周してやろう、と。

こうして、僕の1度目の四国遍路の旅は終わった。

本日の行程

日和佐→牟岐→列車で徳島→バスで大阪  合計15キロ

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9日目 失恋

2004年3月8日

早朝より22番札所平等寺を目指し歩き始める。順調にいけば、今日中に23番札所薬王寺に到着する予定。僕の今回の目標である徳島県制覇が今日なされようとしている…。

とかいっているけれど、残念ながら「山登りのO川」には、目標達成直前の感傷に浸っているヒマはなさそう。だって彼の頭の中は例の「あの子」のことでいっぱいなんだもの。

9時ちょっとすぎに22番札所に到着。「あの子」と一緒に歩けてさぞかしご機嫌かと思いきや、僕はなぜか一人で札所へやってきてしまった。

実は、昨日の宿から22番札所まで、距離は5キロほどとそう長くはないのだが、途中、ちょっとした山越えポイントがある。まあ山というほど高くもないし大したことない場所なんだけれども、こういうところにくると必ずあの人が声をかけてくる。

「おお、山登りのO川の出番だぞ!さあさあ先行って!」

でた。河手さんだよ…。

そんなわけで、僕は(たくさんの人とで宿を一緒に出発したにも関わらずなぜか)一人さびしく22番札所へきてしまったのだ。

これではいけない。

せっかく昨日の夜、「あの子」からお菓子をいただいてちょっと仲良くなれたと思ったのに。これではいかん。

思い切って「山登りのO川」は彼女に話しかけてみることにした。しかし、さすがは女の子とあまり話したことがなく、かつ無類の人見知りと来ている「山登りのO川」!話しかけたはいいものの、何を話せばいいのやらさっぱりわからない。

「きょっ、今日いい天気でよかったですね…。」

『そうですね!歩きやすくていいですよね!』

「そ、そうっすね…。」

「…。」

『…。』

「あ、あの今日はどちらまでい、いかれるんですか…」

『え?23番までですけど。』

「そ、そうっすね…。」

「…。」

『…。』

「そ、それじゃあお先に…。」

『はあ…。』

このざまである。

第一、歩くスピードなんてそんなに変わらないんだから、今日の目的地なんてみんな一緒だって…。

「そ、それじゃあお先に…。」なんて言ってしまった手前出発しないわけにもいかず、僕は河手さんと一緒に、とぼとぼと23番札所に向かって歩き始めた。最早、昨日の「あの子」と出会った時の元気はなかった。

そんなとき、苦しいことは続くものである。

22番から23番までは、国道55号線という交通量の多い道をひたすら20キロも歩き続けなくてはならない。しかもず~っと山道。特に面白いものもなく、どこまでいっても山、山、山。体力だけではなく精神的にもつらくなってくる。

途中のドライブインでお昼ごはんを食べた以外は、滅多に休憩をすることもなく、ただただ歩き続ける。こんなつらい道も「あの子」と話しながら歩けばどんなに楽しかろう…、などと妄想してみるが、相当差がついてしまったのか、何度後ろを振り向いても彼女の姿は見えなかった。

そして、22番札所を出発してから6時間。僕は徳島県最後の札所、23番薬王寺に到着した。

「よっしゃ!発心の道場、阿波の国終了や!」

途中で一緒になったおやじ遍路が叫んだ。

そっか。ようやく到着したんだな。

しかし、僕はおやじ遍路のように目標達成の満足感に浸ることができなかった。10日間の旅の疲れからだろうか。

いや、多分「あの子」と仲良くなれなかった悲しさからだろう…。

僕は薬王寺の本堂の前に座ってずっと海を眺めていた。薬王寺は山の斜面に建っているので、境内からは日和佐の海がよく見える。

『O川くん、そろそろ宿にいこうか』

河手さんが言った。

「はあ…」

『「あの子」まってるの?』

「いや、別に…」

う~ん、河手さんよ、なぜわかるのだ…。

僕はまだどこかで「あの子」のことを考えていた。

『彼女、明日の朝に帰るらしいよ』

「そうですか…。」

もう諦めろよ。旅先で出会いがあるなんか都市伝説なんだよ…。

僕は重い腰を上げて、河手さんと一緒に境内の階段をおりていった。

その時だった。

「あ!お疲れ様です!もうお参りしました?」

山門に「あの子」が立っていた。

『ああ。さっきようやくついたんだよ。君は?』

「私、途中で地元の方の車に乗せてもらっちゃって、だいぶ前に到着しちゃったんですよ」

『おお。そりゃいいなあ!あす帰るんだって?きをつけてな』

「はい!そちらこそお気をつけて」

と、これは河手さんと「あの子」の会話。

僕はというと、何もできず、二人の会話を聞きながらぼーっと立っているだけだった。最後のチャンスだというのに、僕は何も話すことができなかった。

そしてこれが、彼女を見た最後だった。

宿に着き河手さんと一緒に夕食をとる。

元気がないのがわかったのだろう、河手さんは瓶ビールを2本頼み、一緒に飲もうと誘ってくれた。

本日の行程

宿→22番→国道55号→23番→海岸沿いの国民宿舎泊 合計28キロ

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8日目 煩悩爆発

2004年3月7日

「一に焼山、二にお鶴、三に太龍、遍路泣く」という言葉があるらしい。

阿波国にあるこの三つの札所はどれも山の上にあり、参拝するためには急な山道をこえていかなければならず、到着するころにはみんな涙目!というわけなんだろう。

すでに一の焼山寺はクリアしているが、5時間を切るハイペースで登り切ったとはいえ、あれは確かにきつかった…。そして今日、二のお鶴こと二十番札所鶴林寺と、三の太龍こと二十一番札所太龍寺を攻めるのだ。

万全を期して、朝の7時前に出発。だいぶ早起きにもなれてきたぞ!といっても、毎晩9時ぐらいには寝ているので嫌でもめがさめてしまうんだけれど…。

「さあ山登りのO川!先に行ってくれ!」

はいはい、わかりましたよ河手さん…。

しかし、登ってみるとそこは整備されたハイキングコースみたいなところ。なんせ、丸太でつくられた手すりや階段まで設置されているんだもん。ただ、この階段が結構くせもの。単なる坂道なら足を引きずってでも登れるんだけれど、階段になっていると嫌でも足を上げなくてはならない。これが思いのほかつらいのです。

唯一の救いは、二十番札所までそんなに距離がないこと。民宿を出発して1時間ほどで到着してしまった。

『おいおい、お鶴よどうしたんだ?遍路を泣かせるなんじゃなかったの?えぇ!こんなん焼山寺の足元にも及ばないよ!』

「山登りのO川」はあきらかに調子に乗っていた。しかし、そんな遍路としてあるまじき態度をお大師様が見逃すわけがない。

『まさか次の龍も大したことないんじゃないの?またハイキングコースなんじゃないの?いいの?簡単に登っちゃうよ?』

大丈夫♪心配する必要はないよ!2時間後には地獄を見ているんだから…。

河手さんが到着するのを待ってから太龍寺へ出発。鶴林寺から一気にしたまでくだり、ものすごく水がきれいな那賀川を渡り、いよいよ太龍寺への登山道。両サイドには昨晩降った雪が残っていた。3月なのに、そして四国なんて雪とは縁のなさそうな場所なのに、どうして雪が降るのですか。

しかし、雪を気にする余裕はすぐになくなる。ありえないほどの急坂がいつまでも続く。

ハァ…ハァ…

息がどんどんあがる。

1時間ほどかけて急坂を登り切ると、そこに待っていたのは、丸太で作られた足を上げることを僕に強制するあの階段。

ハァ…ハァ…  もう歩けん…

思わず草むらの中に寝転ぶ。2時間前に余裕こいていた「山登りのO川」はもはやどこかへいなくなってしまっていた。

目を瞑って寝ころんでいると、自分がいかに山深いところにいるかがわかるきがする。小鳥のさえずり、水の流れる音、風で揺れる木々の音…。人の発する音は全く聞こえてこない。なんとも心地の良い世界。だんだん眠くなってk…

おっと、寝ては駄目だ!ここは雪の積もった山の中。眠りでもしたら本気で死ぬぞ。

気合いを振り絞り階段をのぼる。厳しいなあ、四国遍路ってのは…。

どれくらい歩いただろうか。遠くから「ゴ~ン」という鐘の音が聞こえてきた。僕より先に到着したお遍路さんがならしているのだろう。僕にはそれがエールのように聞こえた。よし、もう一息。

そして正午過ぎ、ついに21番札所太龍寺に到着。境内の凍った手荒い水でのどを潤す。水のおいしさを実感…。

しばらくたって、河手さんが二人の女性お遍路さんと共にやってきた。一人はこれが3度目の遍路というおばあちゃん。そしてもう一人は僕より少し年上と思われる若い女性だった。

『こんにちは!』

「あ、どうも…」

この時、「山登りのO川」は19歳。女性と話したこともあまりなく、まだ純粋な青年だったころ。ただ挨拶されただけで露骨に彼女を意識してしまうお年頃。

何とかして彼女と仲良くなれないだろうかと考えた「山登りのO川」は、すぐさまお土産物屋さんに直行しお饅頭を購入。彼女にお接待をして仲良くなろう!などという姑息な手段に乗り出しやがった。ちなみに、わかると思うけど、「山登りのO川」がちょこっと意識してしまったのは、おばあちゃんの方ではないのであしからず…。

そしてついに作戦決行。

「あ、もしよかったらこれ…」

『いいんですか?昨日買ったパンしかなくて、お昼ごはんどうしようかと思ってたところなんですよ!ありがとうございます!』

よし!作戦成功!

ただ、ありがとう!と言われただけで何が成功なのか、と思ってしまうけれど、彼にとっては相当うれしかったんでしょう。なんせ彼はまだ田舎からでてきたばかりの19歳の純朴なローカル青年。そんなことで喜んでしまうお年頃なんです。まさに煩悩の塊…。

彼はウキウキ気分で山を下り、3時頃には宿に到着。河手さんも、遍路3度目のおばあちゃんも、そして例の彼女も同じ宿。

なにかいいことあるかも♪彼は浮かれ気分で民宿へとはいっていったのでした。

本日の行程

民宿→20番→山道→21番→山道→山の中にある民宿   合計13キロ

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7日目 一期一会の旅

2004年3月6日

また朝から雨…。なんだ嫌がらせか?僕が四国入りしてから、毎日なんだかんだで雨が降っている気がする。そして毎日寒い!もう3月なのに日中の気温が8度とは…。

それでも、先に進まないわけにはいかないので、8時過ぎ、河手さんと一緒にのんびりと歩きだす。

今日から別の道をいく金本兄貴の姿はすでになかった。

四国には、八十八ヵ所の札所以外に『番外霊場』なるものが20か所存在する。昔は八十八ヵ所のうちの一つであったとか、弘法大師がかつて野宿した場所だとか、なかなかおもしろそうな場所が多いのだが、意地悪なことにこの番外霊場、通常の八十八ヶ所の札所を巡る巡礼路から離れた場所が多く、そう簡単にたどり着くことはできなさそう。この番外霊場二十か所もすべて徒歩で巡るとなると、通常より200キロぐらい余計に歩かなければならなくなるとか。

この無謀とも思える八十八ヵ所+番外霊場完全制覇を金本兄貴は目指しているのである。最後にもう一度兄貴に会いたかったが仕方がない。兄貴、頑張ってください。

さて、小雨の降りしきる中を一時間ほど歩き、僕らは19番札所立江寺にやってきた。

5キロほどの道のり。今日で1番札所を出発して1週間だが、初めのころは3キロほどでもヒーヒー言っていたのに、今では5キロくらいなら問題なく歩ける。

しかし、調子にのるとろくなことがないので、今日はあと10キロほどで打ち止め。というのも、次の20番札所鶴林寺、21番札所太龍寺への道のりは、12番札所焼山寺登山道と並ぶ厳しい山道という噂。ようやく筋肉痛も和らいできたところなのにここで無理はよくない。なので、今日は20番札所鶴林寺登山口近くにある民宿に1泊!という作戦なのだ。

しかし、いくら明日に備えるといっても平たんな道を10キロほどで終了というのはあっけなさすぎるので、途中、少し山道に入り、『星の岩屋』という何やらロマンティックな香りのする場所へと行ってみることにした。

途中、農作業中のおじさんにミカンをお接待していただき、河手さんと一緒に山道を登る。

「あーもうだめだ。山登りのO川!先に行ってくれ!」

山道になると河手さんは必ず言う。焼山寺以来、僕がゆっくり歩くことを許可してくれない。僕もなんか膝が痛いんだけどなあ…。

その時、上の方から声が聞こえた。

「おーい、もう少しだぞー!」

むむ?どこかで聞いたことがあるような?

声に導かれるように急坂を登る僕と河手さん。しばらくして見えてきた小さなお堂の前には一人の男性が立っていた。

「おー、やっぱりきたな!」

あー、金本兄貴!

先に行ったはずの金本兄貴がなぜここに!?

「ここで昼飯にしようと思って来たんじゃけど、もしかしたら君ら来るかと思って待っとった!」

なんという偶然の再会。

四国巡礼の旅はよく『一期一会の旅』と言われる。

「1度で会った人とは二度と会うことはない。だから出会いを大切にしよう。」

実際にこの旅で歩いてみて、その意味が痛いほどわかった気がする。

徒歩の旅は、車や列車なんかと違い進む速さと距離にどうしても限界があるので、1時間先に出発した人に追い付くことは容易ではない。しかも徒歩の場合、歩こうと思えばどんな道でも進むことができるので、例え走って追いつこうとしても、同じ道を通らない限り、再び出会うのはなかなか難しいように思える。

それが、昨日まで同じ宿に泊まっていたとはいえ、再び出会えてしまうとは…。

「よし、それじゃあ俺はぼちぼち行くけえ。二人とも気をつけてな!」

そういって、金本兄貴は番外霊場を目指して歩いて行った。もうこれで、金本兄貴と会うことはないんだろうな。そう思うと寂しくもあったが、こうして偶然再会できただけでも感謝しなくては罰があたるぞ。

勢いよく歩いて行く兄貴に河手さんと手を振りながら、僕は思った。

本日の行程

18番近くの民宿→19番→星の岩屋→20番下の民宿  合計18キロ

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6日目 最後の晩餐

2004年 3月5日

四国遍路の旅の1番の醍醐味は人との出会いである。

何をいきなり。さては昨日の極寒の部屋で頭までおかしくなりやがったか…。

と、心配していただいた方には大変申し訳ないが、特に何事もなく13番札所のあの極寒の部屋での一夜を乗り切った僕は、今日の日程を終えてそんなことを思ったのだ。

朝、16番札所観音寺に向かう途中、僕は焼山寺登山前日の宿で偶然同じ部屋だったおじさんと再会した。あの『最初にして最大の難関』といわれる12番札所焼山寺への道のりを共に歩き切った、いわば『戦友』とでもいうべき(いいすぎ…)おじさんで、名前を河手さんといった。

歩き遍路の旅は基本的に一人で歩いている人がほとんどなのだが、宿が相部屋だったり、歩くペースが同じで毎日どこかで顔を見かけたりするのですぐに仲良くなれる。そればかりか、歩き遍路という困難なことを行っている者同士、『仲間意識』のようなものが生まれてくるから不思議。1週間前には全くの他人同士だったというのに。

「おお!山登りのO川くんだな!」

河手さんも僕のことを覚えてくれていたようで、顔を見るなり笑顔でそう言った。

12番札所での僕の快走ぶりが河手さんにとってはかなり衝撃的だったようで、ことあるごとに僕のことを「山登りのO川」とよんだ。まあ僕は、あの快走と引き換えに「筋肉痛」という大きな代償をおってしまって、今では平地ですら足を引きずる有様なんですけどね…。

そんな僕をみかねてか、河手さんは17番札所井戸寺の門前にある薬局で湿布を買い、「お接待だぞ!」と僕の脛に貼ってくれた。

その後、18番恩山寺までの道を河手さんと二人でひたすら歩く。およそ20キロの道のり。徳島市の街中を歩くので常に平地で歩きやすいはずなのだが、1番札所からここまで山道や田んぼのあぜ道ばかり歩いていたせいか、車と人の多さにうんざり。僕にとっては焼山寺への山道以上につらい道だった。

途中、街中から少し入ったところにあった地蔵寺というお寺で少し休憩していると、どこかで見たことのあるおじさんがこちらにやってきた。

「おお!やっときたな!まちくたびれたぞ!」

誰かと思えば、広島の金本兄貴。実は、金本兄貴も焼山寺登山前日に泊まった宿で一緒の部屋だったメンバーの一人。河手さん、金本兄貴、そして僕。焼山寺登山道を共に制覇した3人が3日ぶりに集結!異常なまでの交通量で僕たち歩き遍路を苦しめる「国道55号線」を気合いで歩き切り、閉門時間ぎりぎりに、僕たちは18番札所恩山寺にたどり着いた。

そして、その日の夜。僕たち3人は再び同じ部屋になり、夜遅くまで、お酒を飲みながら語り合った。20歳以上も年の離れた人たちと語り合うなんて、僕にとっては人生で初めてのことだった。

年齢も違う、出身地も違う、職業も歩き始めた理由もみんな違う。そんなちょっと前までは他人だった者人同士が気兼ねなく語り合うことができる。これこそ四国遍路の旅の醍醐味なんだろうと、僕は二人の話に耳をかたむけながら思った。

そろそろお開きというころ、金本兄貴が自分の住所の書かれた納札(「おさめふだ」とよむ)を僕にくれた。

「俺、明日は別による場所があるけえ、君に会うのは今日が最後じゃ」

金本兄貴は広島弁でそう言った。そういえば、出会ってから5日ほどたつけど、兄貴の広島弁聞いたのって初めてかも。僕のことを仲間だと思ってくれた気がして、そんな些細なことが妙にうれしかった。でも、せっかく仲良くなれたのに、明日にはお別れなんだな…。

本日の行程

13番→16番→17番→国道55号をひたすら歩く→18番 門前の民宿泊

合計28キロ

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5日目 凍死の危機

2004年3月4日

寒い中の出発。先週まではやたら暖かかったくせにどうして…。

ものすごくどうでもいいことですが、昨日、焼山寺に行く途中に気づかぬうちに通っていたらしい美郷村。ちょうど同じころ、その村では、女優の水野真紀(関西だと毎日放送で番組もってるから知っている人もいるかも)が婚姻届を提出していたらしい。たしか、衆議院議員の後藤田なんとかって人と結婚したんだっけ?たしかね。

ああ、本当にどうでもいいな、この話題…。さっさと出発しようっと。

昨晩お世話になった民宿を出たところで、ここの中学生になる息子さんとすれ違った。

そして、これから学校へ行くため自転車にまたがろうとしている彼に、こともあろうか、僕は「いってらっしゃい!今日もがんばってな!」と声をかけてしまったのだ。

いや、別に悪いことではないんだけれど、無類の人見知りで、自分からは絶対に挨拶をしない(できない)僕が、ほとんど面識のない彼に声をかけるなんて前代未聞のことであり、自分でもびっくりしてしまった。

四国遍路を歩いていると自分が変わっていくのがわかる、と聞いたことがある。ひきこもりの子とか、すっごく内気な子が四国を歩いて帰ってきたところ、別人のように明るくなっていた。

そんな話を出発前に聞いたけれど、あれは事実なのかも…。だって、「いってらっしゃい!今日もがんばってな!」なんて自分から言うなんて、一週間前には考えられないことだもの…。

寒空の中、とんでもなく恐い道をびくびくしながら一人で歩く。

なんせ、トラックがびゅんびゅん走る道路のくせに歩道がないんだもん。さっきから何度かかすってるんだよねえ…。

そして道の反対側、つまりガードレールの向こう側はかなーり高い崖になっておりまして、例え僕の方に車が突っ込んできても僕は逃げ道がないのです。これはだめだよ。絶対そのうち事故起こるよ。

そんなことを考えていると、1台の車が横にとまり、なかのおじさんが「お遍路さん、のっていかないかい?」と声をかけてくれた。

ごめんよおじさん。僕はできるところまで徒歩で頑張りたいんです。なので今回は勘弁してください。そのようなことを言うと、おじさんは笑顔で車を発進させた。

しかし、四国というのは本当に不思議だ。お接待にしてもそうだが、どうして見ず知らずの人にそんなことができるのか?まったく面識のないその辺を歩いている人にお菓子や飲み物をあげたり、自分の車に乗せて次のお寺まで乗せていってくれたり…。僕だったら絶対そんなこと出来ないよなあ。四国って本当にすごい。まだ5日目、少ししか歩いていないけれどそう感じてしまう。

さて、今日の目的地、13番札所大日寺にはお昼すぎにはついてしまった。昨日の山道のおかげで筋肉痛になってしまい、かなりゆっくり歩いてきたつもりだったんだけど。しかし、今日の宿はここの宿坊と決めているので、先に進むこともできないし…。そんな途方に暮れている僕にどこからか聞き覚えのある声が。

『あんちゃんじゃないけ!あんたはやいなあ!もうきたのけ!』

おうふ…、昨日のおやじだ。昨日風呂でちょこっと聞いた話では、彼、野宿をしながら歩いているらしい。

「昨日の夜、寒かったですけど眠れたんですか?」

そう尋ねてみると、

『眠れん!めっちゃ寒いけえ、寝てもすぐに目が覚めよる!』

そりゃそうだろうなあ。昼間でもこんなに寒いのに夜、しかも山の中っていうんだから。

『それじゃ、俺はいくけん!あんちゃん気をつけてな!』

そういっておやじは出発していった。ああ、おやじも頑張ってくださいよ。絶対に生きて旅を続けてください。おやじが出発してしばらくすると、なんと雪が降ってきた。こりゃ今日の夜は寒いぞ…。おやじ、本当に生きていてくれよ。

さあ、僕も雪の降る中いつまでもつったていたら死んでしまうそ。

とりあえず宿の人にお願いし、荷物をいったん預け、先のお寺をまわることにした。13番から17番までは街中にあり、距離も1キロちょっとずつしか離れていないのだ。

そこで、14番常楽寺、15番国分寺を打つことにするが、今日はそこでストップ。筋肉痛で足が痛いし、なにせ寒い!雪が降っては止んではの繰り返し。もう限界…。

急いで14番、15番にお参りを済ませ宿へ帰還。

あー寒い寒い。早く暖かいお部屋に通してくださいよ、おばちゃん。

しかし、宿のおばちゃんは僕を『物置き』のような場所へ連れて行き、こう言った。

『急遽団体さんが入っちゃってねえ、悪いんだけどおにいちゃん、ここでねてくれんかねえ』

はあ、別に僕はいいんですけどね、見たところ、部屋にあるストーブ、だいぶ古そうなんですが夜つけっぱなしにしたら火事になるよね?それからこの部屋、えらく寒いんですけど…。そんで毛布も見当たらないし、用意していただけるのかしら?じゃないとたぶん僕は寒さで死んでしまうよ?ねえおばちゃん?あれ、いない…。

おばちゃんは、この毛布も炬燵もない、廊下から見ると明らかに物置にしか見えない極寒の部屋に僕を押し込み去って行った。

夜9時。テレビもないしすることがないので眠ることにする。結局毛布はなく、ストーブを消すとそこは極寒の世界。果たして僕は明日の朝、無事に目を覚ますことができるのでしょうか…。

本日の行程

神山温泉 → 怖い道 → 13番 → 14番 → 15番 → 13番宿坊泊

合計21キロ

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4日目 最初の難関

2004年3月3日

『健脚5時間、並足6時間、遅い人では8時間かかる』

『男でも8時間、女は9時間以上かかる』

そんな脅しにあいながら、早朝6時半、12番札所焼山寺への山道を登り始めた。

そう、ここは四国巡礼最初にして最大の難所、700メートル級の山を、登って下りて、登って下りて、最後にもう一回登ってようやく寺に着く。

どう考えてもおかしいだろ…。なんで旅の4日目で最難関に挑まにゃならんのさ。なあ、おかしいと思わないかい?弘○大師さんよ…。

そんなことをボヤいてもお大師様は何も言ってくれないのでおとなしく登る。

朝早いということで、とてもすがすがしく、眼下に広がる吉野川と徳島平野の風景はとてもきれいだった。

まあそんな余裕はすぐになくなり、無言で山を登り続ける。

1時間ほど登ると「長戸庵」という小さなお堂にたどり着いた。

地図を見ると、12番札所までの間には3か所、小さなお堂があり、休憩ポイントとなっているようだった。

『ここには、ちょっと前まで人が住んでいたらしいよ。』

金本兄貴が教えてくれた。ホントにこの人何でも知ってる。

『でも、女の人が怖がるからってどかされたんだって』

まあこんな人気のない山の中じゃ、男だってこわいわな…。

少しの休憩の後山登り再開。

木以外何もない道をひたすら歩いて行く。

どうでもいいけど、こんなところで熊とか猪でたらたまんないよなあ。

それぐらい、周りには何もないし、誰もいない。けっこう怖い。

ただ、このころになると大分山道にも慣れてきたのか、最初ゼエゼエ言いながら登っていた坂道がそれほどきついものでなくなってくるから不思議だ。熊にあわないために、僕は昨日の高速ばあさんとの戦いのとき並みに早足で歩いた。

そんなこんなで、2番目の休憩ポイント「柳水庵」には、スタートから2時間ちょっとで到着してしまう。聞けば、ここは12番札所への道のちょうど中間にあたるらしい。

あれ、ということはあと2時間。11時前にはついちゃうんじゃないかな…。

『男でも8時間、女は9時間以上かかるんですよお』

…。

あれぇ…。

とりあえず気を取り直して先へ進む。

余談だが、この山道沿いには様々なメッセージカードのようなものがぶらさげられている。ほとんどが、『もう少し、がんばれ!』とか『あと一息!』みたいなお遍路さんを励ますものなのだが、時々、『人生とは何か…』 『本当の自分とはなにか…』などという深いメッセージがあるからたまらない。

しまいには『キリストはあなたをみているぞ!』とか、もうお遍路さんとひとっつも関係ないやん…なんてものまででてきやがる。

そんなこんなで、キリストにツッコミをいれつつ歩いていると、最後の休憩スポット「一本杉庵」が姿を現す。

その名の通り大きな一本杉がそびえる場所なのだが、正直、今はそれに感動しているどころではない。どう考えても予定が早すぎる。

こりゃあと1時間で着くぞ…

ちなみに今日の宿は12番札所の宿坊の予定。夕方までかかることを想定して予約したのに、まさかこんな展開になろうとは…。

誰だよ、『男でも8時間、女は9時間以上かかるんですよお』なんて書いたのは…。

しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。というか、とまっていると寒い。そう、ここは700メートル級の山の中。そして今はまだ3月の始め。さあさっさと歩かないと凍死しちゃうぞ。

一本杉庵からはかなりの急坂。聞くところによると、先日この坂で転落した人がいて、骨を折る重傷だったらしい。それは怖い。

転ばぬように慎重に降りていると、後ろから声をかけてくる人がいる。

『あんちゃん、はやくあるくと危ないけえ!』

そういうと、このおじさん、僕の横を颯爽ととおり、坂を駆け下りていった。いやあなたたの方こそ…。

急坂を下り小さな集落を抜けると、いよいよ最後の山登り。しかし、この登りがきつかった…。急坂を下って膝がガクガクしているところでこの登り。今まで余裕こいてたけど、最後にこんな試練を持ってくるとは、すごいな、弘法大師のおじさんは…。

3分登って少し休憩、このペースでじわじわ登っていく。こりゃ昼前の到着は厳しいかな。そんなことを考えていると上の方から声がした。

『あんちゃん、はやいな!おれはもうだめだけん!』

さっきのおやじだ。そりゃあれだけ高速で下りたらねえ…。

その後もじわじわ、じわじわ山を登りようやく12番札所焼山寺に到着。時計を見ると11時半ちょっと前。およそ5時間ほどで着いたから僕は健脚の部類にはいるのかしら?

あまりに早く着いてしまったので、宿坊の人に事情を話す。すると、

『さっさと先にいきなさい!キャンセル料はいらんけん!』

といわれる。

ホントにいいのかなあ?自分のところの儲けが減るんだよ。

でもここは、宿坊の方の親切に甘えさせていただこう。

さっそく、麓の民宿を予約し山を下りる。きれいな川沿いの道をとぼとぼ歩き、夕方5時前に到着。

ここは神山温泉という温泉地。疲れをいやすために早速公共浴場へと向かった。

普通のお湯とは違って妙にヌルヌルする不思議なお湯につかっていると、どこからか声が聞こえた。

『あんちゃん!無事だったのけ!』

ああ、さっきのおやじだ…。それはこっちのセリフだなあ…。

本日の行程

11番 → ひたすら山道 →12番 → 神山温泉泊

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3日目 高速ばあさん

2004年3月2日

今日も朝早くから歩き始め、9時前には8番札所熊谷寺を打つことに成功する。

四国遍路用語として『打つ』という言葉がある。お寺にお参りすること、という意味なんだけれど、はて、なぜに『打つ』なのかしら?そう思っていたところ、昨晩の宿で同じ部屋だったおじさんが教えてくれた。

「江戸時代ぐらいに四国遍路がとても流行った時があってね、その時お参りした人たちは、自分が訪れた証として、自分の名前や出身地が書かれた木の札を境内の柱とかに打ちつけたんだ。じゃけん、お参りすることを『打つ』っていうんだな。」

へ~、それは知らなんだ。だからお寺のことを『札所』っていうのね。

ちなみにこの風習はのちに消え、代わりにお遍路さんはお札を柱とかに貼るようになったらしい。理由はわかんないけど、たぶん住職がキレたんじゃないかなあ。そりゃ朝起きて境内見回したらいたるところにかまぼこの板みたいなのが打ち込まれてたらいやだもんね。まあいいんだけど。

ちなみに、このことを教えてくれたおじさん、広島から来て2ヶ月ほどかけて歩いて四国を1周する予定だそう。歴史や宗教のことに詳しく、色々なことを話してくれた。そして、僕がタオルを一枚しか持っていない貧乏学生だということを知ると、わざわざ自分の持ってきた手拭いをくれた。そしてどうでもいいけど、阪神タ○ガースの4番、金○選手に顔が似ていた。

さて、9番札所法輪寺を打ち終え、のどかな田舎道を10番札所切幡寺目指して歩く。今日はとてもよく晴れており、ぽかぽかしてとても気持ちがよかった。

そういえば今日は僕が高校を卒業してから丸1年たつ記念すべき、でもないけどとにかくそんな日。まさか1年後に四国のあぜ道をでっかいリュックしょって歩いているとはねえ…。

そんな感慨にふけりながら歩く僕の横を何者かが抜いて行った。かなり小さなおばあさんだった。白い白衣は着ているが、荷物を持っていないところを見ると地元の人かな?それにしても、このばあさんが歩くのめっちゃ速い。あっという間に差をつけられてしまう。

う~む、これは屈辱だ。

僕はかなりの早歩きでばあさんを抜き返してやった。よしこれでいい。

しかし、しばらくするとこのばあさん、再び高速で歩き出し僕を抜き返す。ばあさん相当な負けず嫌いと見える。

しかし、僕も負けず嫌い度では負けない。こちらも高速で歩いて再び抜き返す。

ふふん♪どうだばあさん。10代の若者の力をなめるなy

三たびばあさんに抜かされる。

…。

結局、このばあさんとのデットヒートを繰り返した僕は、予定よりもだいぶ早く10番札所の山門に到着。2人ともふらふら。あーなにしてんだろ、俺…。

高速ばあさんのおかげで予定が早まってしまったため、11番へ向かう途中のうどん屋さんでゆっくりとお昼休憩。不思議なことに、10番札所についてからあのばあさんはどこかへ行ってしまい、その後1度も目撃することはなかった。おばけだったのかしら?もしそうだとしたら、えらく負けず嫌いなおばけだな…。

午後は11番札所までの道のり、およそ10キロをゆっくりと歩く。

その途中、吉野川を渡るところで欄干のないなんとも奇妙な橋を見つけた。

「潜水橋といって、洪水のときでも欄干がないおかげで流されることがないんだ。」と、10番札所で合流した広島の金本兄貴が教えてくれた。

この吉野川は昔から暴れ川として有名だったそうな。

そういえば、出発前に読んだ他の人の「お遍路体験記」にもこの橋のことが載っていて、その人は、

『没しても流されない…。なんか心にじんと響いてくるではないか…』

などと素晴らしいことを書かれてらしたが、僕はいうと、

「欄干ないんじゃ車とか落ちちゃったりしないのかなあ」

「高所恐怖症だし歩くときにこわいなあ、いやだなあ」

精々このくらいのことしか思いつかない。ああ、なんと感受性のないやつ…。

本日の行程

7番宿坊→8番→9番→10番→11番門前の宿「ふじや旅館」

合計21キロ

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2日目 お姉さんのお接待

2004年3月1日

朝8時、2番札所極楽寺を出発。昨日はここの宿坊に泊まったのだ。記念すべき宿坊初体験だったが、部屋も普通の個室で、ご飯も普通、とちょっと拍子抜けしてしまったのだが…。しかしさすがは宿坊!朝はめちゃくちゃ早く5時半ごろには起こされ、朝のお勤めにしっかりと参加させられてしまった。

眠い目をこすりながら3番札所金泉寺の山門をくぐると、おや、先客がいるぞ…。

『オハヨウゴザイマス。ハヤイデスネ!』

なんだ。誰かと思ったら、昨日の宿で一緒だったアメリカ人遍路・サイモンじゃないか。彼は日本の文化、宗教に興味があり日本へ留学。そのままおとなしく大学で勉強してればいいものの、たまたま訪れた高野山に感銘を受け即ざに出家。修行もかねて四国をまわっているそうだ。

『日本ノ文化オモシロイネ!ハハハハ!』

しかし出家までするってあんたねえ…。まあいいけど。

そんなサイモンをおいて4番札所大日寺へとむかう。言い忘れたけど、サイモン、箸の使い方めっちゃうまい。

4番札所まではおよそ4キロほどと地図に書いてあった。しかし、いつまでたってもつく気配がない。

あれえ、おかしいな。立て看板の方へ歩いていったんだけどなあ…。

ちなみに巡礼路にはボランティアの方や地元の方々が設置してくれた案内板が設置されている。そして歩き遍路専用の詳細な地図も僕は持っている。迷うはずないんだけれど…。

1時間以上たっても、僕はまだ歩き続けていた。その頃には、手持ちの地図は完全に意味をなしていなかった。

どない無理な話なんだよ。大学のキャンパスの中でさえ迷うんだぜ。ああ四国なんか来ないで北海道でもいけばよかったわ。

初日から愚痴満載。飽きっぽい男である。

そんな愚痴っぽい男をみて、弘法大師さんは手を差し伸べてくれるのではなく、ご親切にも雨を降らせてくれた。これが四国遍路だ!どうだまいったか!とでもいいたいのかしら。

ありがとうございます。あなたのおかげで僕はずぶぬれです。

結局、2時間迷い続けた末に僕は4番札所大日寺へとたどり着いた。その山門をくぐったところで一人の女性に声をかけられた。

『お参りご苦労様です。頑張ってくださいね!』

そういうと彼女は、お菓子と飲み物の入った袋を僕にくれた。

「!?」

突然のことでどうしていいか分からず、僕は一言「あ、ありがとうございます…」とだけいってその場を離れてしまった。

これが噂のお接待か…。

出発前よんだ本に書かれていたっけ。

『四国には住民がお遍路さんにお金や食べ物などをわたすお接待という風習が現在でも生き続いているんですよ』

って。

いきなりの出来事で戸惑ってしまったものの、日常生活では味わうことのできない不思議な体験をした僕の気分は最高潮。

ふと空を見上げるとこの旅はじめての青空。まるでこの空は僕の心をあらわしていr…やめておこう。調子に乗って変なこと書くとまた弘法大師さんが雨降らすから。

お姉さんのお接待のおかげでやる気が出てきた僕は、その後5番地蔵寺、6番安楽寺と次々とクリア。結局午後は順調にすすみ、今夜の宿、7番札所十楽寺には午後4時前に到着。実質的な旅の初日を無事に乗り切ることができましたとさ。めでたしめでたし。

今日の行程

2番→3番→4番→5番→6番→7番(宿坊泊)   合計15キロくらい

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1日目 旅のはじまり

2004年2月29日

「ちょっと四国歩いてくるわ」

『あんた、死ぬ気じゃないだろうね!』

四国行きを伝えたときの親の反応である。

ちなみに、同じことを友達に言ったら、

『ははははは!ばかだ!』

と笑われた。

四国遍路の旅とは、どうや大学1年の若者が好んでいくような旅ではないらしい。

しかし来てしまったものは仕方がない。

僕は小雨の降る中、大阪からのバスを降りて徳島駅へと向かった。

ご存知の方もいるだろうが、四国遍路というのは、四国各地にある弘法大師(空海)ゆかりのお寺(札所と呼ぶ)、合計八十八か所をめぐるというなかなか壮大な巡礼の旅であり、その歴史は平安時代にまでさかのぼる(らしい)

徳島県にある1番札所霊山寺から香川県の88番札所大窪寺まで、四国をぐるっと一周する形で巡礼の道が続いており、その全長は1200キロとも1400キロとも言われている(らしいです)

旅の手段は、車や列車、はたまた観光バスまでいろいろとあるのだが、僕が選んだのは、その中でももっとも過酷と言われる『徒歩』。1400キロをトコトコとのんきに歩くのだ。

そりゃ『ばかだ!』とかいわれるよなあ。だって1400キロって大阪から東京を往復するよりも長いらしいもん。ちなみにすべて歩ききるにはおよそ50日(!)総費用は50万ほど(!!)かかるそうで…。

そんなわけで、お金も根性もない僕は、今回は10日かけて徳島県内の札所だけをめぐる予定でいた。まあそれでも180キロぐらいあるそうだから、歩き切れるかどうかわかんないけども。

徳島駅で高徳線に乗り、30分ほどいった板東駅で下車。そこから歩いて10分ほどで1番札所霊山寺についた。

どうでもいいけど、バス降りてから高徳線という列車にのるまで2時間以上まったぞ…。しかもワンマン列車って初めてでのりかたわからんかったし。おかげで、大阪を朝早くに出たにもかかわらず、1番札所についた時にはもう3時近かった。

休日ということもあり境内には白い白衣をまとったお遍路さんであふれていたが、当然若い人はみあたらず。まあしかたない。とりあえず見よう見まねで白衣、菅笠、杖などお遍路用具を買い揃え着てみる。

うむ、はずかしい。

この格好で四国一周しろってのは拷問にちかいなあ。

そんな気持ちを抱きながらも、僕はお参りを済ませ、『納経帳』に朱印をおしてもらう。これからは札所ごとで朱印をもらいながら旅を進めていくことになる。

果たして88番目の朱印を押してもらえるのはいつになるのだろう。

そんなことを考えながら、僕は山門をでて歩き始めた。こんな風にして僕の長い旅は始まったのでした。

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はじめに

2004年と2005年。

僕は巡礼の旅にでました。

大学生活で最初にして最大の旅。

これはその記録です。

注意すること

・結構な長編ですので気長におまちください。

・基本面白くないので、飽きてきても文句を言わない。

・旅の間に記した日記に加筆していく形なので基本的に愚痴が多いです。

・なので、他の方の四国遍路体験記とは違った雰囲気になりますが文句を言わない。

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