ぼっちで台湾 ~ 続 台湾紀行 ~ 

最終夜

2月4日(日) はれ

午前8時半、中華航空157便は関空へ向け飛び立った。

昨晩、温泉を満喫した僕は、午後11時50分、日付の変わる少し前に台北に到着した。見事台湾1周を果たしたのだ。
いろいろと予定が狂った旅だったが最低限の目標は果たせたわけだ。

その後は宿を探すのもしんどいので、空港行きのバスが出る朝の6時まで夜の台北の街を散歩したり、マクドでラジオを聴いたりして時間をつぶした。

世界一高いビル、台北101もみた(外からだけど)。夜の中正紀念堂にもいった。真っ暗な中、あんなだだっ広い場所良く1人でいけたもんだ…。



離陸してしばらくすると、窓の向こうに雲のあいだから顔を出す大きな山が見えた。あれが玉山だ。初めて見るその姿にちょっと感動してしまった。

外を眺めながら僕はふと、海外へはしばらく行かなくてもいいかなと思った。今回の旅はかなりしんどかった。言葉が通じないということが相当ストレスになっていたのだ。



正午すぎ僕は無事に日本へ帰ってきた。外へ出ると、冷たい空気が肌を刺した。しかしそれがなぜか心地よかった。


やっぱり日本はいいなぁ


心のそこからそう感じた。


帰りは梅田までバスに乗った。こんなに安全運転で、こんなに静かなバスはえらく久しぶりなような気がした。


やっぱり日本がいいなぁ、もう海外はしばらくいいや、今度の旅は日
本国内だなぁ。


車窓を眺めながらそんなことを考えていた。


するとうしろのほうから聞きなれない言語が聞こえてきた。おそらく韓国語だ。


そうだ、今度は韓国へ行こう!


おいおい…、さっきまで、海外はしばらく行かないぜ!だとか、やっぱり日本だよね!なんていっていたのはどこのどいつだい?

あきれた…。まったく優柔不断な男だ…。




韓国ねぇ…


悪くないな…。



おわり

空港にて

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第5夜

2月3日(土) はれ

お昼ちょっと前になってようやく花蓮を出発する。本当に花蓮は面白いところだった。しかし、いくらなんでも長居しすぎだ。もう明日の朝には日本に帰らなくてはならないのだよ…。

というわけで、今日は今までの分を取り戻すべくいろいろな街を精力的にまわってみることにした。

まずは花蓮から1時間半ほど、台北と花蓮のちょうど中間あたりにある宜蘭へと向かう。特になにかあるわけではないようだけど、なんとなく気になったもんで寄ってみることに。
僕は旅に出たら、こういった渋い街へ行くことにしている。観光地では見ることのできない一般の人たちの生活を見ることができるし、いろいろ面白いものが見つかることもあるのだ。

宜蘭には午後2時ごろ到着。電車には日本のおばちゃんたちがけっこう乗っていたんだけれどもここでおりるのは僕1人。ちょっとさみしい。

駅のコインロッカーに荷物を預け、さてどこへ行こうかと地図を見てると、ほら来たよ…。タクシーの客引きだよ…。本当にどこの街にいっても彼らは現れる。
ふと思ったんだけど、台湾の人はあまりタクシーに乗らないのかしら?乗る人がいるのならばそこまで必死に客引きするする必要はないだろうし。タクシーの運転手として飯を食っていくのは台湾ではなかなか難しいことなのかもしれないな。

でも乗らない。

とりあえず駅前をぶらついてみることに。宜蘭は昔、円形の城壁に囲まれていたらしく、その名残で街を取り囲むように道路が走っている。
その道路をしばらく歩くと、さっそく路地の隅っこに怪しいものを発見。なんかお地蔵さんらしきものが祀ってある。あとになって知ったが、これは「石敢当」という魔除けのためのもので一種の民間信仰らしい。
しかし、台湾の人たちの信仰心は本当に熱いなとこの旅を通して思った。どんなに小さな街にも、中心に必ずお寺のようなものがあり、線香の煙が絶えずのぼっている。ここ宜蘭にも昭応宮というものがあり、航海の神様がまつられていた。小さい女の子がお母さんと一緒に膝をついて熱心に拝んでいたのがなにか印象的だった。

1時間ほど街をぶらついてみたが、日本統治時代の石碑や監獄の遺構など興味深いものがたくさんあり、また街の雰囲気も花蓮や台北などとはどこかちがってなかなか楽しい場所であった。あす帰るのでなければ1泊したのになぁ…。というかもっと早くこいよ…。

さて次は、昨日宿のおばちゃんに教えてもらった冷泉を目指し蘇澳へ向かう。冷泉というのは要するに温泉の冷たいやつってわけ。暖かければ温泉だが、冷たいので冷泉というそうな。炭酸でのんでみるとサイダーのよう。さらにしばらく浸かっているとポカポカと暖かくなってくるらしい。こいつは楽しみだ。

宜蘭から路線バスで1時間ほど、車内で騒ぎまくる中学生にいい加減うんざりしてきたころ、ようやく蘇澳に到着。どこの国でも中高生は元気があるのう…。
というか宜蘭のバスターミナルで「蘇澳駅」ってかかれた切符を買ったんだけど、そんなバス停ないじゃないのさ…。まだかなぁ~、なんて悠長に車窓を眺めていたら、突然蘇澳駅が姿をあらわし、しかもバスが素通りするもんだから焦ってしまった…。明らかにチケットに書かれた場所ではないところでおりちゃったんだけど、いいのかな?いいよね?
 

 …さて、冷泉だが、結果から書く。


なんだここは…。

正直期待はずれも甚だしい。


駅から近い「蘇澳観光冷泉」という所へいったのだが、ここがものすごい。一見するとどっかの町の町営プールのような、とても観光地とは思えない、というか明らかに観光地じゃないだろ、という怪しさ満点の施設なのだ。

その怪しさに一旦は入ることを躊躇したのだが、ここまで来ておいてそのまま帰るのも面白くないと思い受付へ。携帯電話で楽しくお話中のお姉さんをわざわざ呼び出し大人料金を手渡す。お姉さん半笑いだ。そんでもって頼みもしないのに半額にしてくれた。なぜかしら?この時は不思議に思ったのだが、この謎はすぐにとけることとなる。

中へ入るとそこはまるで廃墟のよう。人は皆無。そしてその中で申し訳なさそうに湧き出ている冷泉…。というか明らかに濁っている…。冬の学校のプールを思い浮かべていただきたい。まさにあんな感じ。

どうやらここは、台湾の人たちにとってはプールのようなものらしい。今は2月。気温は20度くらいあるとはいえ、そんな中でダウンジャケットをはおる彼らが入りに来るわけがない。
 

完全に来る季節を間違えたのだ。


ここに来て先ほどのお姉さんの行動がようやく理解できた。そりゃ半笑いもするわけだ。


「ていうかさっきさぁ~この寒い中プール入りにきた男がいるんだけどマジありえなくナイ?」


今頃彼女は電話の相手とこんなことをいっているに違いない…。


「でさぁ~可愛いそうだからまけてやったわけ!ワタシエラくナイ?」


うん君はえらいよ。えらい…。


悲しい気分になってきたけれど、せっかくだから冷泉に足をつけてみることに。うわさではしばらくするとポカポカしてくるらしい。
しかしいくらたってもポカポカなんてしてこない。5分たっても10分たっても…。というか逆に寒くなってきた気がする。


「ちょっと!さっきの男この寒い中水溜りに足つけてるんだけど!きんも~☆」


うぅ……。


これ以上お姉さんに馬鹿にされるのはいやなので裏門からこっそり脱出。


冷泉をでて再び宜蘭の街へもどる。時間はすでに午後7時。

うぅ、冷泉が憎い…。


傷ついた心を癒すため近くにある礁溪温泉を目指す。


『地球の歩き方』には静かな温泉街と書かれていたが、大型旅館が多く、また週末ということもあり人もたくさんおり非常に賑やかだった。
お金もないことなので、川の真ん中につくられた無料の公共浴場へいくことに。
中には地元のおじちゃんたちがいっぱいいたが、のんびりした感じのお風呂でゆったりとすごすことができた。そういえば、旅の初日にも温泉につかったっけ。


温泉に始まり温泉に終わる。


じいさんか、お前は…。

冷泉を満喫です!

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第4夜

2月2日(金) はれ

半年ぶりに多魯閣渓谷へ行く。うーん、半年前と同じところばかりいってしまっているな…。
 
昨晩のこと。前日に行った食堂でご飯を食べ宿へ帰ると、受付のおばちゃんに、「明日は多魯閣渓谷へいくんでしょ?」とたずねられた。

僕は正直行く気はなかった。半年前にも行ったということもあるが、せっかく台湾へ来たのに花蓮にばかり留まっていてもしかたないと思っていたのだ。しかしそんな僕におばちゃんはさらにこう言う。

「花蓮に来る人で渓谷へ行かない人なんていないよ!」

うーん、たしかにここまできてあの豪快で素晴らしい渓谷へいかないってのももったいない気がする…。いや、しかし駄目だ。せっかく台湾に再び来たのに同じところばかりいっても意味がない。明日は北上して半年前には見られなかったものを見に行くんだ。僕はそう強く決心した。
 
しかし、おばちゃんはなおも畳み掛ける。

「渓谷行かないなんてありえないよ!あそこは何度行ってもいいとこだよ!」

…。

いやしかし、三日後の朝には日本へ帰らなくてはならないわけで、そうなると明後日は台北に戻るだけ。ということは他の街を訪れるチャンスは明日、2日しかないのだ。残念ながら渓谷へ行くわけにはいかんのだよ、おばちゃん…。

でもおばちゃんはまだ何か言っている。

「これバスの時刻表だから乗り遅れないようにしなさいよ!」

そ、そんなものまで渡されたって、ぜっ、絶対にいかないぞ!いくら意志が弱くて人に流されやすい僕でも、こればかりはゆずれないのですよ…。僕はそう決心して部屋へ戻ったのだった。


それがこのざまだ…。

午前11時、僕は天祥のバス停留所に立っていた。

しかし、来てしまったことを今さらあれこれいってもしかたないのでとりあえずバス停近くの食堂でお昼ご飯。
半年前に「あぶらっこい!」「こんなの食べれない!」などとみんなに酷評されたた海老炒飯と海鮮焼きそばを食べる。うまい。

おなかがいっぱいになったところでようやく行動開始。
といっても、半年前と特に変わってないのでとりあえず渓谷の入り口まで歩いて見ることにする。

歩く、歩く…

とにかく歩く…

バスにひかれそうになろうとも…

原チャ二人乗りのカップルをみてうつになろうとも…

歩く、歩く…

ひたすら歩く…

家族づれになにか話しかけられたもんで、中国語わかんね、と返したら最高に悲しい顔をされたけど気にしない…

トラックの運転手に、よう兄ちゃん!のってけよ!、って声かけられたけど、なんか怪しかったので、俺は歩くの好きなんだぜ!、とか今考えると答えとして全く意味不明なことをいってしまったけども気にしない…

とりあえず歩く…

いや、というかもう走れ!

そうじゃないと花蓮行きのバスがなくなってしまうんだ(午後5時が最終だってさ)

そうなれば今日は渓谷で野宿だ

そういえば、歩いている最中にお尋ね者のお知らせが張ってあったじゃないか。
殺人犯って言ってたぞ。

殺人犯の潜む渓谷で一泊!

怖い…

走れ、走れ!

死にたくなかったら走るのだ!


そんなこんなで、命からがら渓谷を脱出した僕。夕食はいつものマクドナルドで王建民セットを頼む。
帰り際、レジのバイト青年が「バイバイ!」といってきた。台湾でもバイバイって言うんだね。とうかあれは英語かな?日本語かな?まあどっちでもいいんだけど、なんかうれしかった。

ホテルまでの帰り道、アミ族のショーでもみにいこうかしらと海沿いの道を歩いていると、どこからか聞こえてくる、カキーン!という音。

むむっ、もしやこれは…

音に誘われ歩いていくと、予想通り!バッティングセンターがあるではないですか。
さすが野球大国の一つ台湾。というかバッティングセンターって日本以外にもあったんだ。

中には地元のヤンキーがたくさん。
むむむ、怖い。しかし世界一の野球大国、日本からやってきた人間がこんなところで負けてはけない。日本の実力を見せ付けてやるんだ!

日本代表(自称)の彼は勇んで中へと入っていったのでした。



はいはい、返り討ちにあいまいしたよ~っと。

パワーが違いすぎるんだもん…。

雄大な渓谷

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第3夜

2月1日(木) くもりで風強すぎ

 今日は自転車で花蓮周辺を散策することにした。ちなみに自転車は宿のおばちゃんが貸してくれた。レンタサイクル屋さんで借りようと思っていただけに非常に助かる。
 
 しかしこの自転車、如何せん小さすぎた。街中で同じタイプの自転車をけっこう見かけたが、のっているのは明らかに小学生ぐらいのちびっこ…。身長185cmの人間がのっていいもんじゃないだろ。
 
ちょっと寝坊したので10時半ごろ出発。おばちゃんに、

「右側通行だから気をつけなさいよ!」

といわれたが、走り出してみるとたしかに恐かった。それに加えて街中は路上駐車だらけ。おまけに車の陰などからバンバン人や原付バイクが出てくるもんだから、一瞬も気が抜けない。気を抜いたら間違いなく死ぬ…。
 
 15分ほど死の恐怖と戦った末、なんとか街中を抜けて広い道に出ることができた。ここからは「多魯閣渓谷」の看板の出ている方へ向かう。
 
 昨日たまたまガイドブックを見ていたら、「清水断崖」なるものを発見した。これは、2000メートルの山がわずか4キロほどで海に落ちているという、ようするにとんでもなくすごい崖というわけ。ガイドブックにのっていた写真がなかなか豪快なのでぜひ見てみたくなったのだ。
 清水断崖までは35キロくらいあるのでさすがにいけないが、おそらくその手前からでも十分その景色を堪能できると思われる。
10キロほど手前、おそらく多魯閣渓谷との分岐点のあたりまでいけばみえるんじゃないだろうか。花蓮市内から分岐点まではおよそ20キロほど。まあ3時間も走ればつくだろ!そんな適当な考えで僕は、自転車を走らせた。

 20キロというのはあくまで直線距離であり、実際には40キロ近くあることなど知らずに…。

 花蓮の市街地を抜けたあたりの全家便利商店で水を購入。ファミリーマートのことだ。台湾はコンビニがいたるところにあるのでけっこう助かる。日本以上じゃないだろうか。
 
 さらに自転車をこぎ続けると、かなり広く、そしてどこまでも一直線に伸びる道路に出た。標識には「9」と書かれていたから、日本でいう国道9号線みたいなものなんだろう。その9号線をとにかくこぎ続ける。とにかく、とにかく…。
 
そしてこぎ始めてから2時間…

 さすがにちょっと疲れてきたので、道路沿いの公園で休憩。一応地図をみるがどこにいるのかさっぱりわからない。
 そりゃそうだ。この地図、「台湾東部地域地図」と書かれてあるだけあって縮尺が大きすぎる。つまり「大阪府全図」とかそんな感じの地図なのだ。「大阪府全図」や「近畿地方の地図」なんかに公園やコンビニがのっているはずがない。

まあ2時間も走ったんだしもう15キロぐらいはきてるでしょ!

そんな独り言をつぶやきながらあらためて漕ぎ出す。

しかし、そのすぐ後だったんだ。僕が悲劇に見舞われたのは…。

 
 5分後、前方にあらわれた標識にはこうかかれていた。


     花蓮機場 →
 

ちなみに、花蓮機場、つまり花蓮空港は地図によると花蓮市内からわずか4キロの位置に存在しているらしい。

2時間で4キロ…。


2時間もこいだんだから、多分15キロぐらいはきてるでしょ!アハハ!


わずか4キロしかきてないのに調子に乗って偉そうなことをおっしゃっていた5分前の彼をぶっとばしてやりたい…。
 
 こうなるともう自転車を漕ぐ力は残されていなかった。というかやる気がなくなってしまった。目指す分岐点まで何時間かかるかわかりゃしない。なにしろこっちは2時間で4キロしかすすまないのだ。

 このままひ引き返そう。そう思った。しかし、ここで引き返してしまうといかんせんこの旅が中途半端になってしまう。すでに日本でたてた計画は跡形もなくなっている。台湾到着後わずか3時間で嘉義を捨て、わずか二日目で多納も断念。このままでは何をしに台湾まで来たのかわからない。これではいけない。

「しょうがない、いくか…」

気は進まないがあらためて自転車を漕ぎ出す。なんかこころなしか風が強くなってきた。今日はゆっくりするはずじゃなかったのかよ…。



だらだら書いても仕方ないので、一気に時間をすすめようとおもう。


それから3時間後、僕は花蓮市内のマクドナルドにいた。引き返しやがったな…。
 
 とりあえずおなかがすいたのでビッグマックセットを頼もうとするが、レジの女の子がしきりに王建民セットを進めてくる。王建民とは、昨年の大リーグの最多勝投手になった台湾出身の投手で、地元台湾では大人気らしく、街のいたるところで彼のポスターや写真を見ることができた。そりゃヤンキースのエースだもん。あたりまえか。

 マクドナルドで多少元気を取り戻した僕は、再び自転車にまたがり花蓮市内を走り回った。

 すると商店街の一角にCDショップがあるのを発見。迷わず立ち寄る。
 僕は外国へきたらCDショップと本屋さんには必ずよることにしている。日本にいてはわからないその国の流行がわかり非常に興味深く楽しいのだ。
 そしてかならずヒットチャートトップ10の中から1、2枚買う。無駄遣いのように思われるかもしれないが、これがなかなか面白い。というよりも予想外にあたりが多くやめられないわけ。というわけで今回も謎の女性アーティストのCDを2枚購入…。果たして今回もあたりか、それとも…。
 
 その後は日が暮れるまで海沿いの道をゆっくりゆっくりと走った。
 
良い街だな。

 半年前に来た時も思ったが、今回自転車にまたがり街の隅々まで走り回ってみて、あらためてそう感じた。台北のような大都市とは違った、田舎臭い雰囲気がとても心地よかった。いまから60年以上前、ここには多数の日本人が生活していたそうだ。雰囲気が心地良いのはそのせいかもしれない。

花蓮の街

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第2夜

1月31日 (水) 晴れ 

 翌朝、僕は無事に高雄駅前に立っていた。

翌朝。

朝っていうのかなぁ…。まだ午前3時半だぞ…。

 少し時間を戻して、昨日の23時。バスの切符を買う際に僕は

「台北から高雄までどのくらいかかるんですか?」

と聞いた(もちろん英語で)。するとお姉さんは、

「う~ん、5時間から5時間半くらいかしらねぇ」

と答えた(英語よ)。
 23時20分のバスにのれば、高雄到着は朝の5時。どれだけ早くてついたとしても4時半はすぎるだろう。それなら始発電車までそんなに待たなくてもいい。そういうわけで僕は23時20分の切符を買ったのだ。そうだ確かに5時間かかるといったのだ。
 
 バスに乗り、しばらくテレビなどで遊んでいたが、前日寝ていなかったこともあり僕は比較的すぐに眠りに落ちた。
 そして次に気づいた時には周りの乗客が降りる準備を始めていた。
 おぉ、なんだもう5時か。いやぁやはり広い座席は良いよね!なんて上機嫌で時計を見たらだ…。見たら時計はまだ3時半…。
 
「う~ん、5時間から5時間半くらいかしらねぇ」

 受付のお姉さんはたしかにそういったはずだ。
お姉さん…、5時間どころか4時間しかかかってないじゃないのさ…。
 というか高速バスの場合、早く着きそうになる時は途中のサービスエリアなどで時間をつぶすのが普通である。でも、この様子だと運転手のおやじ休憩いれなかったな…。ゆっくり走ってくれて良いんだよ。こっちはそんな攻撃的な走り期待してないんだから…。

 バスを降ろされたはいいが、当然列車はないし、接続するバスも台北行きしかない。いま台北から来たのに戻るわけにもいかない。
 ちなみに、僕は今日、高雄のとなり町「塀東」(ぴんとうと読む)まで電車で行き、そこからバスで原住民の住む「多納村」へ行く予定でいた。
 さてどうしようか。駅前で途方にくれていると、タクシーの客引きのおやじたちがあらわれた。台湾、とくに地方都市にいくとわかるが、タクシーの客引きおやじの多いこと多いこと。しかし昼間はまだわかるが、なんで深夜の3時半にいるんだろ。いつ寝てるのさ。
 最初に声をかけてきたのは石田靖に似ているおやじ。なんか言ってくるけど当然中国語だからわからないので無視。しつこいので歩き出すと靖もついてくる。靖はとにかくしつこい。
 なんとか靖をまいてバスターミナルに避難すると、今度は作家の井上ひさし(ひょっこりひょうたん島の作者)が話しかけてきた。彼は少し日本語が話せた。さすがひさし先生。でも、日本語が少し話せる分、石田靖よりもしつこい。ためしに塀東までいきたいといったところ、

「塀東?NO!恒春イキマショウ」

などといいだす。恒春とは台湾最南端の町で海がきれいな台湾のリゾート地だ。しかし今は朝の4時前。さすがにそんな時間にひさし先生とリゾートへなんか行きたくない。論外である。塀東から原住民の暮らす多納村へいくから結構ですよ、そうかえすとひさしはとんでもないことを言い出した。

「多納?バスナイヨ!塀東、多納バスナイ!」

おいおい、ひさしいい加減にしろ。残念ながら『地球の歩き方』日に3本あるとかいてあるんだ。
しかし、ひさしがあまりに「ナイヨ!ナイヨ!」とうるさく言うのでだんだんと不安になってきた。そういえば出発前にネットの掲示板を見ていたら、「地球の歩き方には間違った情報も書いてあるから気をつけたほうが良い」とあった気がする。う~ん、こまったぞ。
 そこで試しに「ここから多納までいくら?」とかいて見せると、ひさしは1500元といってきた。さすがにこれは高い。「No thank you」といって立ち去ろうとすると、今度は1200元といってきた。う~ん高い。

「No thank you」

そういってたちあがると、ひさしは、

「タカクナイヨ…」

と、最高に悲しい顔をして言った。そんな顔をされてもこっちは金がないんだからしかたないじゃないのさ。ごめんよ、ひさし先生…。
 
 外にいるとタクシーのおやじがかわるがわる声をかけてくるので一先ず駅前のマクドナルドへ避難。幸運にも24時間営業だったのだ。
 とりあえずコーヒーを頼んで二階席へあがったが、そこにはホームレスっぽいおじさんたちが何人も寝ていた。なんか凄いところに来てしまったなぁ…。
その後、結構大きな荷物を抱えた高校生くらいの男女がやってきてちょっと騒がしくなった。始発電車でどこかいくのかしら?それとも僕と同じでバスが早くつきすぎたのかしら?いやでも今日って平日だけど学校は?そんなことを考えながらコーヒー1杯で粘り続けた。

 3時間後、なんとか粘ることに成功した僕は、5時半ちょうど、始発電車に乗るために高雄駅へ向かった。まだ外は真っ暗だった。
駅に着き、改めて確認してみると、僕の乗りたかった列車はどうやら週末限定だったらしく、結局塀東行きの列車が来るまでまだ1時間もあった。やはり、地球の歩き方についている簡単な時刻表では不十分のようだ。
 詳しい時刻表がどこで売っているのかわからないので、とりあえず駅の売店のにいちゃんに、
「時刻表有馬?」(本当は、最後の文字は口偏に馬です)と書いた紙を見せると、首をふり服務台のほうを指差した。服務台とは案内所、インフォメーションセンターのことだ。あらためてそこのおじさんに先ほどのメモを見せると、眠そうな顔をしながら時刻表を渡してきた。地球の歩き方には1冊25元とかかれていたので、お金を渡すと、「不要」といって返してきた。うーん、タダで手に入れることができたのは大きいが、ここにきて地球の歩き方の情報に間違いがでてきたぞ。
 とりあえず服務台のおじさんに「謝謝」とお礼を言い、時刻表とにらめっこしながら今日の予定をたてることにした。
 1つ目の案は、予定通り塀東へでて、そこからバスで多納へ向かいそこで一泊するというもの。しかし、ここにきて地球の歩き方の情報に間違いが出てきており、さらにタクシーの客引きおやじ、ひさしが、

「多納?バスナイヨ!塀東、多納バスナイ!」

といっていたのが妙に気になったため、なかなか踏み切れない。
 2つ目は、とりあえずこの日は高雄に宿をとり、いろいろと情報を集めて明日以降多納を目指す案。しかし、地球の歩き方をみると大体の宿は昼の12時チェックインとなっており、それまでどこかで時間をつぶさなくてはいけない。バスの中で少し寝たとはいえ、ほぼ2日間徹夜をしているだけにあまり動きたくなかった。それならば列車に乗っているほうがましなので、この案は却下。
 3つ目は、もうこの際多納も諦めて、列車に乗り続け、一気に台東を目指すというもの。たとえ多納へ行けたとしても、宿が取れるかわからない。もし取れなかった場合1日中移動し続けることを強いられる。しかし台東なら、このまま列車に乗り続ければ昼にはつける。そこで宿を見つけて、今日はゆっくりすれば良い。大きな街だし、確実にどこかに泊まれるだろう。
 
 2日間の徹夜に、言葉がわからないというストレスから早くも限界に達していた僕は言うまでもなく3の案を選んだ。とにかく横になりたかった。
ふと昨日のことが思い出された。やはり空港から台中へ行くべきだったなぁ…。最悪でも、台北から宜蘭へ行っておけばよかったなぁ…。いまさら後悔してももう仕方ないのだが、そんなことを思ってしまった。直前に変えた答えはやはり外れるものなのだ。

 6時23分、塀東行きの普快車は定刻どおり高雄駅を出発した。何両編成かは忘れてしまったが、僕の乗った車両には全部で10人ほどの乗客しかいなかった。
 そういえば、台湾で特急や急行列車以外の、いわゆる鈍行列車に乗ったのは初めてだった。ドアが壊れていてあきっぱなしだったり、車内の明かりが薄暗かったりと、設備は特急列車と比べてかなり落ちるが、特急ではすっ飛ばしてしまうような小さい駅にも停車するので、庶民の普段の生活を体験しているようで楽しかった。窓の外を見ると、ちょうど日が昇るところで朝焼けが美しかった。 
 
 7時ちょっとすぎ、列車は塀東駅に着いた。塀東の駅前はなんともいえない独特の雰囲気だった。今まで訪れた街は、台北、高雄などいわゆるその地方で一番大きな都市であり、どこか日本に似た景観だったのだが、いわゆる地方都市である塀東はなにかが違っていた。
 もしかしたら多納行きのバスがあるかもしれない、そう思ってバスターミナルを探したが、いっこうに見つからないので、大人しく台東行きの切符を買うことにした。サヨナラ多納…。
 駅前のコンビニでパンや新聞を買い込んで呂光号(呂は本当は草冠ね)に乗り込んだ。先ほどの鈍行列車と違い、こちらは異常なまでに混んでおり、そしてとてもうるさかった。まあうるさいのは1部のじいさんばあさんグループなんだが、そのグループが僕の席を囲むように座っていたもんで、台東までの2時間半が地獄のようだった。台湾人の声のでかいことでかいこと…。というかこのじいさん連中、自分の席があるにもかかわらず、はじめ僕の席に座ってやがった。こちらの必死の抗議(まあ肩たたいて切符見せただけなんだけど)により事なきを得たからいいんだけど。でもこういったじいさんばあさん連中ってのはどこの国でも似ている気がする。なんでだろ?
 連中がうるさくて眠れないので、大人しく車窓を眺めてすごすことにした。台北周辺に比べるとヤシの木がかなり多かった。僕は植物に詳しくないので、はたして本当にヤシの木かはわからないが、とりあえず南国といった感じの植物ばかりだった。そして畑がものすごく広い気ガした。農業が盛んなのかしら?NHKスペシャルとかで時々みる、東南アジアの田舎町といった感じの風景がこのあたりには広がっていた。そういえば、ここは北回帰線の南側。気候の区分としては温帯ではなく熱帯に属するのだ。車窓に広がる紺碧の美しい海をこえると、そこにはフィリピンがある。距離的には大阪よりもフィリピンのほうが近い。なんで言葉もわかんないのに僕はこんなところにいるんだろう…。

 僕の周りを完全に包囲していたじいさん連中は、約2時間思う存分喋り続け台東の手前の知本という場所で降りた。ここは有名な温泉地らしく僕も疲れを癒したいのだが、さすがに1泊8000元もする宿には泊まれないので華麗にスルー。そこから15分ほどで台東駅に到着した。

 しかし到着した早々、僕はここで新たな壁にぶち当たることとなった。
 高雄で僕は、今日は台東で宿を見つけゆっくりと過ごそうと決心した。大きな街だし、宿ぐらいたきさんあるよ!そう信じていた。
 しかし、台東駅に到着して驚いてしまった。なんと駅前に何もないのだ。確かに地球の歩き方には、「駅と市街は離れているから駅前には何もないよ」なんて書かれていたが、これはないだろうよ…。おまけに市内行きのバスも1時間に1本、次のやつまで30分以上待たなくてはならないときている。オイオイ、普通バスってのは列車の到着時刻に合わせて乗換えがスムーズにできるようなダイヤにするもんじゃないのかい?
 うーん、しかし何を言ってもしかたがない。この2日間で、日本の常識がこの国で一切通用しないことはよくわかった…。
 
 なんかもう台東もどうでもよくなってきてしまった。30分待ってもバスこないし、なんか来たのでのってみたら市内には行かないとか言われるし、タクシーの客引きは相変わらずしつこいし…。

「花蓮にいこう」

 ふとそんな考えがうかんだ。花蓮は半年前にも行ったことがある街で、台北とは違った雰囲気が僕は好きだった。そしてなにより、花蓮には日本語の話せるおばちゃんのいる宿がある。とにかくゆっくりとしたかった。

「よし、花蓮に行くぞ」

 そう思ってからは早かった。すぐさま切符を購入し、売店で弁当を買う。窓口で順番を抜かされようとも、僕の「弁当」という発音が悪くおねえさんに「ハァ?」ていわれようとも僕はくじけない。花蓮で寝るんだ!ただそれだけのために僕は必死になっていた。台東滞在時間わずか50分。短い…。

 運良く列車には先ほどのじいさん連中のようなうるさい人たちがいなかったので、弁当を食べながらゆっくりすることができた。この旅で初めてゆっくりできたんじゃないかしら。
 この弁当、正式には「便当」と書くのだが、統治時代に日本が持ち込んだ文化が台湾に残ったものらしい。発音も「ベントウ」で日本語と同じ。じゃあなんでさっきのおねえさんには通じなかったんだろう…。日本の弁当とは違い、ご飯の上におかずがドンッとのせられただけの豪快なものだが、最高にうまかった。
 台湾東部地域、特に台東から花蓮の間には戦前数多くの日本人移民村が作られたそうだ。そういわれると確かに駅名にも日本らしい名前が多かった。瑞穂、池上、豊田なんてのは明らかに日本にも存在する名前だし、冬山や崇徳なんてのもあった。崇徳なんかは天皇の名前だし、そこらへんとなにか関係があるのかもしれない。
 車窓の風景もどこか日本に似ていた。再び北回帰線を越えたこともあり、南国の風景といった感じではなく、水田が非常に多かった。そして驚くべきことにすでに苗が植えられていた。僕は一応農家の息子である。日本ではこの時期苗を植えるどころか田起しや代掻きだってまだのはず。二期作でもやっているのかな?
 
 車窓に流れるいろいろなものを眺めていろいろと考えていたおかげで花蓮までの4時間はあっとまにすぎ、14時過ぎ5ヶ月ぶりに花蓮駅前にたった。
 駅前は全く変わっておらず、相変わらず客引きおやじがうるさかった。5ヶ月前ここで「私ノ日本語ソンナニオカシイデスカ?」という名言をのこした客引きおやじは残念ながら見当たらなかった。まさかね…。
そのかわりにジャイアンみたいな奴がしつこくつきまっとってきたが、疲れがピークに達していたのと、少しはなじみのある街に来たので気ガ大きくなっていたのだろう。

「うっせーな!もう宿決まってるって言ったら?」

なんて伊豆弁で反撃。

 ジャイアンを退治したのはいいけど、いつまでたってもバスがこないので、観光案内所のおねえさんに

「I want to go to bus terminal. Which bus なんちゃら」

とかいったら、たまたまとまっていたマイクロバスみたいなのに押し込まれた。うーん通じた…。中学英語もなかなかやる…。
 
しかしながらこのバス、明らかになにか違っていた。乗客は15人ほどだったのだが、こいつら全員家族なんじゃないか?と思うくらい盛り上がっており明らかに僕はういていた。運転手のおばさんまでも走行中に後ろを向いて爆笑しだすんだからたまらない。
 そして、明らかにバス停じゃないところで停車する。予備校生風情の兄ちゃんはセブンイレブンの前でおりたし、スーツをきたおやじはクリーニング店の前でおりた。しかし、おやじを下ろしたにも関わらずバスはいっこうに発車しようとしない。おお、なんだなんだ?すると2分くらいしてさっきのおやじが袋を抱えて戻ってきた。まさか先週頼んだスーツなんかを受け取りにいったわけじゃないよね?だってこれ路線バスだもんね。まさかね…。アハハ…、もうわけわかんね…。

 それでもなんとかバスは僕の希望どおりバスターミナルへいってくれた。地球の歩き方には駅からターミナルまで20元と書かれていたのでわたすと、どうやら足りなかったらしく運転手のおばさんが指を二本立てて「2元!2元!」といってきた。するとさっきのクリーニングおやじがすかさず、

「ソウ2元!日本ダト2エンネ、2エン!ハハハ!」

などといいだす。するとバスの乗客はなぜか大爆笑。なんだこのバス…。
 
拍手と笑い声の中バスを降り、5ヶ月前にもとまった金龍大旅社へむかった。

「どうぞ、いらっしゃい!」

 フロントのおばちゃんのきれいな日本語を聞き、もの凄くホッとした。それとともにドッと疲れが出てきた僕は、部屋に案内されるとすぐにベッドに倒れこみ夕方まで眠った。足が伸ばせるのが何よりもうれしかった。

 夜の7時ごろ、お腹すいたので街へ出た。5ヶ月前とはうってかわって涼しく、周りの人はダウンジャケットなんかをきていた。
 宿の近くの小さい料理屋で排骨麺と豚なんとか飯というのを頼んだ。排骨麺というのは、豚のスペアリブ(あばら肉のこと)を油で揚げたようなものがのった麺のことで、スープの味は薄かったが、排骨と炒めたニンニクがマッチしてなかなかうまかった。もう一つのほうは、普通のご飯にたれがかかっただけの簡単なものだったのだが、これがかなりうまかった。麺が80元、ご飯が20元、合わせても400円というのだから台湾最高である。
 食後に街中を散歩した。オシャレな服屋なんかがある通りをからちょっと横道にそれると、地元の人が集う屋台小屋がありなんか不思議な感じがして面白かった。そして、もっとこの街をいろいろと知りたくなった。
 明日は移動などせず、この街でゆっくりしようと思う。

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第1夜

1月30日 (火) 晴れです
 13時25分、中華航空156便は台北へ向け定刻どおり関西国際空港を飛び立った。5ヶ月ぶり、2度目の台湾である。体調は最悪だ。前の日に飲み会があったため、帰宅は深夜1時過ぎ。ここで寝たら間違いなく飛行機乗り遅れる、と判断した僕は結局朝まで起きていたのだがそれが失敗だった…。とりあえずのどが痛い。鼻もおかしい。おまけに胃の具合も悪いときている。最悪…。
 
 離陸してからもいまいち気分が優れなかった。搭乗前に空港で食べたメガマックとか言う奴が僕のおなかから出たがっている。調子に乗って食べるんじゃなかった…。
 気分転換のつもりで外を見るが、高所恐怖症の僕には全くの逆効果。なんで窓際の席選んだんだよ…。二時間前の自分をぶっ飛ばしてやりたい。
 
 こんな散々なことばかり書いている中で申し訳ないが、この中華航空は僕が今まで利用した航空会社の中で最も良かった気がする。乗務員のお姉さんの対応も良かったし、座席にはなんとパーソナルテレビみたいなものがついていて、自分の見たい映画や音楽を自由に選ぶことができた。初めて見るこの最先端の装置に僕のテンションは上がりっぱなし。体調の悪いのをおしていじり続けた結果、結局一睡もしないうちに台湾の桃園国際空港(昨年言った時には中正国際空港と呼ばれていましたが、改名したみたいです)へ到着してしまった。最悪な出発。
 
 ここでこれからの予定を簡単に説明したいと思う。まず、空港からバスに乗り台中を目指す。普通はみんな台北に一度出るのだが今回はそんなことはしない。とくに台北に用はないので、いきなり西にある台中を目指すのだ。
 そしてその後、嘉義という街に行く。ここには日本統治時代に住民のために尽力したある警察官が祭られているそうで、ぜひとも見てみたい。
 嘉義のあとは、台南、高雄という二つの大都市を通り、高雄のベッドタウン塀東まで行く。そしてここから原住民の住む村を目指す。
 その後は、台東、花蓮、宜蘭という台湾東部を通り台北へ。最終日の早朝、空港へ戻ってきて見事台湾一週達成!というわけ。
 カンペキである。僕はあまり予定を決めずにでかけてしまう人なのだが、初めての海外一人旅なのでちょっと不安。というわけで昨晩必死に計画したのだ(宿は決めてないけど)。
 日本統治時代の遺物や原住民の生活を見学しつつ、無駄なく台湾も一周してしまう…。カンペキである。むしろ完璧すぎてこわいくらい。よし、まずは台中だ!台湾の空気を吸って体調が少し改善されてきた僕は、颯爽とバス乗り場へかけていった。

 
 …それから1時間後。

 
 台湾時間午後5時ちょうど。僕はなぜか台北駅前にたっていた。おかしい…。台中は?いやもう台中なんか知ったこっちゃない…。なぜだかわからないが台北に来てしまったんだ…。
一時間前の空港のバス乗り場。僕は悩んでいた。

「なんで台中なんかいくのさ?台湾来たらまずは台北。これ基本だろ?」

頭の中でそんな考えがうかんでしまったのだ。それはマークシート利用の試験の時の感覚と良く似ていた。「これ、1選んでるけど3じゃないよなぁ…徳川綱吉って犬は保護したけど猫はしてないはずだから1だよなぁ…いやでも猫もしてた気がするから3かも…いややっぱり1だよ!いや3かな?でも…」みたいな。まったく優柔不断な男だ。一度決めたんだから覚悟を決めて大人しく台中いけよ。
 しばらく考えた挙句、僕は結局切符売り場のお姉さんに「Taipei staition!」と告げていた。直前になって変えやがったのだ。マークシートの問題の場合、直前になって変えた答えはたいていはずれる。直前になって台北に変更したこの決断が、楽しいはずの台湾旅行を今後一転して厳しいものに変えてしまうおうとは、この時にはまだ夢にも思わなかった…。

 夕暮れ時の台北の街は5ヶ月前とは打って変わってすごしやすかった。気温は15℃。ちょうど日本の秋のような感じだった。そんななか、僕は今後の予定を考え直していた。
 ここから列車で台中を目指すこともできるが、如何せんそれはばかばかしい。それでは台北に来た意味がない。
 ここで僕は、西ではなく、東からまわって台湾を一周するという計画を考えた。今日これから列車で宜蘭まで行きそこで宿を探す。そして南から西をまわって台北戻るのだ。これしかない。僕はノートに「宜蘭 自強号 1票」と書いて窓口へ向かった。自強号とは列車の名前のことだ。


 …それから2時間後。


 台湾時間夜の7時半。僕はなぜか台北の北にある温泉につかっていた…。なにしてんだよ…。宜蘭どうしたんだよ…。
 窓口に向かう途中、僕は高雄行きの高速バスのりばをみつけてしまった。
 今から宜蘭いくとつくのは8時過ぎ。そこから宿を探すのは正直しんどい。ならば深夜バスに乗って高雄までいくのはどうだ?向こうには朝がたつくので宿を探す必要もない。そしてその後一気に原住民の村を目指せば良い。嘉義の日本統治時代のやつ?それはまた今度だ。
 そんな考えが瞬時に浮かんだのだ。また直前で変えやがった…。直前でかえるとはずれるってあれほど言ったのに…。
 バスは20分おきに出ているということなので、11時半ごろの便にのるためそれまで時間をつぶすことにした。そこでみつけたのが、台北の北にある新北投温泉なのだ。

 この温泉は、日本統治時代からある温泉で台北から40分ほどでいけるということなのでいまでも人気があるらしい。
 駅前は戦前から続く温泉場といった感じではなく、とにかく騒がしかったが、大型旅館の立ち並ぶ道を5分ほど歩くと、静かで温泉場らしい雰囲気になってきた。そんななかに公共浴場「滝の湯」はあった。「なんだ、せっかくきたのに旅館泊まらないのかよ」という話だが、お金ないんだもん。
 滝の湯は湯船も建物も戦前から変わっていないらしいけど、確かにすごかった。
 入り口をはいるとおやじが座っていてそこでお金を払う。60元くらいかしら。そこまでは日本の銭湯とかと変わらないから良い。しかしそこからがすごかった。
「男湯」とかかれた暖簾をくぐるとそこはもう湯船で、地元のおやじたちがくつろいでいた。

おかしい…。脱衣所がない…。

そう思ってふと奥のほうを見ると、いまにも壊れそうな棚が3つくらいおいてあり、おやじが1人服を脱いでいた。おぉ、ここで脱げってか…。よく考えれば、自分の荷物を監視しながら風呂につかれるわけで、非常に合理的なんだが、でもねぇ…。まあ郷に入っては郷に従えというわけでそこに服を置き湯船につかる。そこでもう一つおかしいことに気づいた。

うん、体洗うところがない…。

なんだ、湯船の中で洗えってか。でもすぐに壁に「体あらうな!」みたいなことがかいてあると思われる(中国語わからないもんで)張り紙を見つけた。つまりここは単に湯につかるだけの施設なのだ。いやぁ、初日から凄い場所に来てしまった…。しかし、戦前の公共浴場ってみんなこんなだったのかなぁ。無事に日本帰れたらおじいちゃんにきいてみよう。
 
 温泉につかっていたら、帰るおじいさんがぼくの肩をたたいて桶を渡してくれた。なんかうれしかった。 実は温泉に来る前、駅のコインロッカーの使い方がわからずあせっていたら、会社帰りのおばさんがわざわざ使い方を教えてくれた。中国語はおろか、英語すら理解しない僕にいやな顔せず、親切にに教えてくれてとてもうれしかった。台湾のこういうところが僕はたまらなく好きだ。
 
 温泉を出て髪を乾かしつつ台北へ戻る。21時。バスの時間にはまだだいぶあるため、とりあえず吉野家でご飯を食べ台湾総統府のあたりを散歩する。
 昼間見てもその大きさに圧倒されたが、ライトアップされた夜の総統府もまたすばらしかった。しばらく座って眺めていたかったんだけども、「公安」と書かれた車が明らかに僕の方を見ながら走っていったので退却。後部座席のやつ、ライフル銃持ってやがった。撃つ気だ。
 途中にあったお店でCDを1枚購入し、台北駅へ戻る。5ヶ月前に訪れた時にある台湾のアイドルグループのCDをたまたま買ったところ見事にハマってしまったわけ。そのグループのCDを買うこともこの旅の目的の一つだったのだ。
 
 コインロッカーから荷物を出し、駅のとなりにあるバスターミナルへ向かった。台湾は深夜バス大国らしく台湾各地へ向かうバスがひっきりなしに出ていた。ターミナル内にはいくつものバス会社が入っていたが、僕の乗る予定のバスの会社は1番奥にひっそりとあった。その名も「阿羅哈客運」。「アロハきゃくうん」と読むわけ。うーん、何とも怪しいネーミング…。
 カウンターのお姉さんに「高雄 1票」と書いた紙を見せると、なんか言ってきた。恐らく英語だったと思うけど、良く分からないので適当に答えて学生証を見せたら、50元ほど安くしてくれた。660元。台北~高雄は日本では大阪~静岡ぐらいの距離に相当するらしいが、これで2800円はやすい。日本なら8000円はとられるだろう。
 他のバス会社は500元くらいでさらに安かったのだが、あえて高いここを選んだのにはわけがあった。ここのバスは、他社よりも座席が広いらしいのだ。普通の深夜バスといえば、日本でもおなじみの3列シート。しかし、背の高い僕にあれは狭すぎる。一度、北海道で3列シートの深夜バスに乗り危うく死にかけた僕はそれ以来トラウマになっていた。
 しかし、阿羅哈客運のバスは2列で、しかもソファーのような椅子で非常に快適だという。確かに他の会社より100元ほど高いが、移動もでき宿代も浮くのだからかなりお徳である。
 
 バスに乗ると、噂どおり2列でソファーのような座席。そして驚くべきことにパーソナルテレビやマッサージ機能までついていた。おいおい、アロハやりすぎだろ…。
 しばらくすると添乗員らしきおばさんが乗り込んできて何か説明を始めた。当然中国語のみ。なに言ってるのかさっぱりわからん。そのうち乗客一人一人にも何か話しかけてきたが、何もわからないので適当に相槌をうっていたら、僕のところにだけコーヒーがやってきた。何があったのかしら…。
 飛行機なんかは日本語や英語でも言ってくれるけど、これは台湾の庶民がのる乗り物。当然だが外国語で言ってくれるはずがない。僕はいま外国人なんだ。そう思うと一気に不安が増してきた。帰国便が出るまであと5日ある。果たして僕は無事に帰国できるのだろうか…。
 午後11時20分。バスはゆっくりと台北駅前を出発した。

夜の総統府

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はじめに

昨年の台湾合宿ですっかり台湾に魅了されてしまった僕は、2007年1月、再び台湾へ旅に出ました。
使える言葉は你好、謝謝、再見の三つと、中学生レベルの英語のみ。事前に決めたのは航空券のみ。

「宿?そんなのむこうでなんとかなるだろ」

そんな適当なことだから、地獄を見ることになったんだ…。

これはその旅の一部始終です。

<読まれる方への注意など>

・なんか思ったよりも長編になりそうなんで頑張ってください。

・2~3日に1度ぐらいのペースでの連載ですので、おそいからって怒らないでください。

・台湾の通貨は元といいます。4をかけると日本円でいくらかがわかりますよ。

・文章の中にはなじみの薄い地名が沢山出てきます。

http://www.jalcityguide.com/world/taipei/citymap01.jpg

に台湾全図が載っているのでご覧ください。勝手にリンク張っちゃったけど大丈夫かなぁ…。

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