台湾紀行  ~ a trip of Taiwan ~

最終夜

9月1日 (金) たぶん晴れ
 
飛行機の時間は朝の8時ごろ。6時半ごろには空港に行ってなくてはいけないため、5時前には宿を出発する。宿からバスターミナルまでけっこう歩くのだ。
 
それにしても昨日の夜はひどかった…。「奴ら」が出たのだ。寝坊しないために部屋に集まって朝までトークをしていたのだが、これでもかというくらい「奴ら」は姿をあらわした。僕は実際には「奴ら」のその黒々としたボディーを目撃してはいないが、「奴ら」はたしかに出たんだ。目撃していないというのはメガネをはずして逃げ回っていたから。Iさんからは「男なのに情けない…」なんて怒られたが、こわいものはこわいんだ。
 
出発する時、宿のおばちゃんが「再見(さようなら)」といって(多分言ったと思う)手を振った。
僕はこの「再見」という言葉が気に入った。「再び見る」 再び会うことを約束してさようならをいう、そう思うとなんか素敵に思えた。
僕は中国語の研究者でもないし、第2外国語で中国語をとったわけでもないから、この言葉の本当の成り立ちなんて知らない。だから「再見」という言葉が再び会うことを約束しているかなんてわからない。でも僕はこの自分なりの解釈を持ち続けていきたいと思う。
 
僕は旅が好きだ。理由は旅先でいろいろな人たちと出会えるから。しかし、いくらいろいろな人たちに出会ってもすぐに別れがやってくる。旅先だからしかたがないとはいえ、正直言ってかなりさびしい。
でも、この「再見」という言葉を思いうかべるとそのさびしさもなくなる気がする。「また再び会おう」そういっているようでさびしくなくなってくる。

外へ出てみると、道路には相変わらず原付があふれかえっていた。台北に着いたその日は、あふれかえる原付の群れを見て正直うんざりしていた。まあ一週間たってもうんざりすることに変わりはないわけだが、今となってはこの原付の群れも台湾らしくて良いんじゃないかなと思えた。
 
正直な話、台湾を去るのがさびしかった。行く前は「行きたくないなぁ…」なんて言っていたくせにおかしな話だ。しかし、この1週間で間違いなく台湾のことが好きになっていた。
台北で僕らと一緒に宿を探し歩いてくれたおじちゃん。タロイモを売りつけてきたおばちゃん。花蓮駅前の客引きのおやじ。攻撃的な走りを見せたバスの運転手。花蓮の宿のおばちゃん。他にも沢山の人たちから数え切れないくらい多くの親切をもらった。
昨日の晩、Hさんが「台湾をさらに好きになった」といっていたが、僕も同じように思った。彼らのおかげで台湾を本当に好きになってしまったのだ。だからこそ台湾を去るのがさびしかった。
  
でも「再見」という言葉を思い浮かべたらさびしさなんてどうでもよくなってきた。だってまたきっと会うことができるし。
 
「再見か…」

そんなことを考えながら、僕はみんなとともに、夜明け前の台北の街をゆっくりとゆっくりと歩いていった。
                   


 おわり

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第6夜

8月31日 (木) 晴れ
 
昼の列車で台北に戻るため、11時ごろに宿を出た。帰り際、宿のおばちゃんはお弁当を手配してくれた。台湾の東部地域というのは有数の米どころらしく、このお弁当はとても人気があるそうだ。
それにしてもこのおばちゃんは親切である。お弁当の手配や、昨日の豊田村に行く際のタクシーの手配などいろいろとお世話になった。振り返ってみるとこの旅で出会った台湾の人はみんな親切だった。
「台湾の人は日本人に対してたいへん良い印象を持っている」ガイドブックなんかでそう書いてあるのをみたことがあるが、見知らぬ外国人である僕たちに対して、ここまで親切に接するというのはそう簡単にできることではないんじゃないかと思う。
もし日本で困っている外国人の旅行者を見かけたら、果たして僕は親切に接してあげることができるだろうか。
 
列車の中で先ほどのお弁当を食べる。お弁当といっても、日本の弁当のようにおかずとご飯がきっちりとわけられているわけではなかった。ご飯の上に肉だとか野菜が無造作に置かれているなんとも豪快な弁当だった。僕はこの弁当がたいへんおいしく感じ残さず食べてしまったのだが、あとで聞いたところみんなは残してしまったらしい。やはり僕の味覚はどこかおかしい…。
 
台北に戻ってからは、市内でお土産を買いあさった。お土産物屋さんで店員がひくくらい買った人がいたけれど名前は伏せておく。
途中、喫茶店でマンゴーのカキ氷みたいなのを食べた。暑かったこともありこれは本当においしかった。数日前に痛い目にあったタロイモとは段違いのうまさだった。
 
本屋さんにも行ってみた。ここでは日本の漫画が中国語に翻訳され売られていた。Aさん、Yさん、Aくんの3人はかなり漫画に詳しいらしく楽しそうにしていたが、僕はといえば知っているのは『課長 島耕作』などというおっさんが読むものぐらい。年の差を痛感し切なかった。
楽しそうな若手三人を残し、おっさんは一人で旅行ガイドを見に行った。以前、北海道を旅したときに出会った台湾人に『るるぶ』の台湾版を見せてもらったことがあり、興味があったのだ。
実際にみてみると、たしかに棚には所狭しと日本関連のガイドブックがおかれていたが、そのほとんどが日本で売られているものを中国語に直したものばかりだった。『るるぶ』やら『まっぷる』やらそんなのばかり。台湾の出版社が独自に出しているガイドブックはあまりなくちょっと残念だった。そんななか、我がふるさとの町が紹介されているのを見つけ、ちょっと感動した。でもあの街で外国人なんか見たことないぞ…。
 
CDショップにも行ったが、ここは面白かった。とにかく日本と比べてかなり安いのだ。アルバムがだいたい1500円くらいで、日本でなら2万くらいはするDVD-BOXなんかも6000円ほどで売っていた。
ここでは『白色巨塔』のサントラを買った。『白色巨塔』とは、現在台湾全土でヒットしているドラマらしいが、おそらく日本の『白い巨塔』のパクリだと思う。だって主人公の男の髪型がどうみても唐沢寿明だったもん。
 この他に、台湾のヒットチャート第1位のアイドルグループっぽいやつもかってみたが、この2枚をレジに持っていったところなぜか店員が爆笑しだした。なんでかわからないけどひどいや。
 
夕食はちょっと豪勢にちゃんとした中華料理屋さんで食べた。よく考えてみれば、台湾に来てからというもの屋台やマクドばかり行っており、ちゃんとした食事をしたのはこれが初めてだった。どうせなら、もっとおいしいお店に入っておくべきだった。
しかし、いまさらそんなことをいってももう遅い。明日はもう日本に帰るのだ。

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第5夜

8月30日 (水) 晴れ
 
いろいろと思い出に残った太魯閣渓谷をあとにして、再び花蓮の街へ戻ってきた。帰りのバスは比較的若いおにいさん(といっても30歳は越えてるはず)の運転だったが、行きのおやじと同じく、彼も攻撃的な走りを僕たちに見せてくれた。頼んでもないのに。
 
二日ぶりに花蓮の街に戻ってきたが、やはり暑かった。渓谷は標高の高いところにあるためまだ涼しかったのだ。
昨日苦心の末に予約することに成功した宿に到着すると、そこにはHさんとIさんがいた。昨晩、僕らが泊まっていた宿のほうに連絡があり、急遽合流することとなったのだ。
僕は正直な話こまってしまった。僕らは昨日宿が取れた段階で各自自由行動にしようと計画していた。HさんとIさんがまさか来るとは思わなかったので混乱してしまった。
  
結果から書くと、このあと僕らは喧嘩をした。詳細は書かない。当人が良くわかっているはずだからだ。しかし、いまあらためて考えてみると、明らかに非は僕のほうにあったと思う。急遽2人が来ることになったのならば、あらためて計画を練り直すなり、僕らの事前の計画を説明するなりすべきであった。それは部長として当然すべきことであったと思う。部長失格である。楽しい旅の雰囲気を悪くしてしまい本当に申し訳なかったと思う。

宿に到着後、近くのケンタッキーで昼食をとる。台湾にいる間マクドナルドも利用したが、どちらも日本とたいして変わらなかった。値段もメニューも日本とほぼ同じ。ただ、マクドナルドのメニューに、ご飯ではさんだハンバーガーみたいなものがあったのが気になってしかたなかった。
 
マクドを紹介したついでにコンビニのことについても触れておこうと思う。台湾で僕は3つのコンビニを発見した。
まずはおなじみセブンイレブン。これは看板も日本と同じだった。
次に「全家便利商店」という名のコンビニ。名前だけ見ると、ばあちゃんがタバコでも売ってそうな感じがするが、なんのことはない。日本でもおなじみのファミリーマートである。
そして「OKなんちゃら」(名前忘れちゃった)という名のコンビニもあったが、これはサークルKのことである。日本でもおなじみの店ばかりだ。
店内は日本と全くといっていいほど一緒だったが、唯一違うところといえば、レジで袋をくれないところ。台湾ではレジ袋は有料らしく、一言いわないともらえないようだ。これはちょっと不便だった。

昼食後、僕はどうしても行きたいところがあった。それは花蓮市から電車で2駅ほどいったところにある豊田という村。実はここ、植民地時代に日本人の移民村があったところで、今でも当時の家屋や神社の鳥居などが残っているとのこと。渓谷で植民地時代に作られた道や慰霊碑などを見て、その当時のことに大変興味を持った僕は、どうしてもそこへ行ってみたかった。しかしながら、ガイドブックにもほとんど書かれていない小さな村に乗り込むのは正直なところ不安であったため、宿のおばちゃんに相談することにした。このおばちゃん日本語がとても上手なのだ。
 
無理だろうなぁ…、そう思っておそるおそる聞いてみたところ、おばちゃんはあっけらかんとした口調で「大丈夫よ!」といった。
そして、僕が「行きます!」という返事をするかしないかのうちに、さっさとタクシーのおやじに交渉を始めた。
それだけではない。「サービスしなくっちゃねぇー」などといって別に行きたくもないお寺までコースに組み込みはじめる始末。

「いってらっしゃーい!」

なかば強引にタクシーに乗せられた僕らにおばちゃんは笑顔でそう言った。僕らはおばちゃんのペースに完全にのせられてしまったのだ。強引すぎるや…。
 
結局、タクシーのおやじは、頼んでもいないのにメインの豊田村以外に3ヶ所も寄り道をしてくれた。 まず連れてかれたお寺はいかにも中国式といった豪華な装飾の施された立派なお寺だった。装飾がなく比較的地味な日本のお寺に慣れているこっちとしては少々気が引けてしまう。

「宗教ってのはね、演出ですよ」

僕の好きな人が以前こんなことを言っていた。

「実際には目に見えない神様とかを信じさせるわけだから、ものすごい演出が必要なんですよ」

というわけだ。日本ではピンとこなかったが、この装飾を見て確かにそのとおりだと思った。でも、特に見たかったわけでもないのでトイレに立ち寄っただけでさっさと後にした。
 
次に連れて行かれたのもまたお寺。しかもここは、先ほどのお寺とは違い派手な装飾もなく、渋いお寺だった。しかしながら、お寺の中にあった案内板をみて驚いてしまった。僕の個人的なことなどで何に驚いたかはここでは触れないでおくが、とにかくびっくりしてしまった。さんざん文句を言った後になんだが、ここのお寺に連れてきてもらって本当によかった。
 
3ヶ所目はなんとも怪しいテーマパークだった。何が怪しいって、パリの凱旋門のパクリみたいなのが入り口にたっていて、その前で大して可愛くもない、どちらかといえばいまいち親しめなさそうな牛のキャラクターが愛想をふりまいているんだもん。

「写真ヲトッテアゲマスヨ!」

おやじがものすごい笑顔でそういうのでとりあえず1枚。
 
さて、散々寄り道をしてようやく豊田村に着いたわけだが、僕はこの村の素朴な雰囲気にすっかり魅了されてしまった。
村の見所といえば、植民地時代の神社跡や住居の跡くらいでそんなに多くはないのだが、この村の何ともいえない懐かしい雰囲気がとても良かった。
昭和の終わり頃の生まれで、戦前や戦後すぐの日本なんてしらないくせに「懐かしい」と感じるなんてなんともおかしな話だ。
しかし、僕のような昔を知らない人間にも「懐かしい」という感情を抱かせてしまう、そんな力がこの村にはあるようだ。なんとも不思議な感じがした。
 
帰り道、タクシーはサトウキビ畑の中を走った。なんか沖縄みたいだな、その風景をみてそう思った。まあ沖縄なんて行ったことないからわからないんだけど。
 
日本へ帰る飛行機は明後日の早朝にでる。旅も残すところあと1日だ。

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第4夜

8月29日 (火) 晴れ
 
昨日決心したとおり、今日はこの渓谷で休むことにした。各自自由行動である。旅慣れていない僕たちにとって、ここ数日の日程はいささか厳しすぎたようだ。というわけで、今後の計画を見直すことにした。
 
計画では、多魯閣渓谷にもう一泊した後、明日は花蓮に戻り、そこから一気に台湾の一番下にある高雄を目指すはずであった。そして最終日に一気に台北まで戻ろうと思っていたのだ。
しかしながら、昨日の台北からの移動でへとへとになってしまった僕たちが、それ以上に長い距離を移動するというのはどう考えても無理である。
なので、明日は花蓮に戻るだけでどこにも行かず、花蓮の街を満喫しよう、ということになった。

そんなわけで、あらためて明日の宿を決めるべく電話をかけることにした。二日目とは違いここは街中ではない。歩いて探し回ることは不可能なのだ。電話するのは僕だ。正直嫌で嫌でしかたがない。だって中国語なんて話せないもん。しかし、先輩である以上しかたがない。
『地球の歩き方』のうしろのほうについている「旅の中国語会話」なるものを参考にしてしぶしぶ文章を考えた。

「我是日本人(私は日本人です)我要住一天(一泊したいです)」

カンペキである。
そして何度も発音練習をかさねる。カンペキだ。
さあいこう!

「……。」

何度かコール音が鳴った。そして…

『你好』
(なんて言ったかわかんなかったから想像でかいた。きっと違う…)

「あっ、我是日本人!我要住…」

『ハァ?』

「……。」

あれほど練習したのにさ…。あれほど頑張って文章考えたのにさ…。返ってきた言葉は『ハア?』だけですかそうですか…。本気でショックだった。このまま切ってしまおう…。
しかし、その時だった。

『あぁ、日本人の方ですか?』

突如、電話の向こうから日本語が聞こえてきた。驚きのあまり腰がぬけそうになった。

日本語の上手な宿のおばちゃんのおかげでどうにか無事に部屋もとれた。一仕事終えた達成感(通じなかったくせに)で気分が良くなった僕は、一人で渓谷の散策に出かけた。
しかし、いまあらためて思い出してみてもこの渓谷はすごかった。何がすごいの?ときかれてもうまく答えられないがとにかくすごかった。文章にできないくらいすごかったのだ。
ここはぜひ一度自分の足で行ってみてもらいたい。きっと僕と同じような思いを持つに違いない。

「文章にするとけっこうな長さになるし、面倒くさいからかかなくていいや」

いや、そんなことは思っていない…。思っていないぞ…。
 
宿のある天祥という集落から30分ほどいったところにある遊歩道をあるいてみた。
南国の植物が生い茂るジャングルのような道で、途中には小さなつり橋や滝、真っ暗で出口すらみえない洞窟もあり、探検隊になったような気分だった。
 この道は、植民地時代に旧日本軍が作った道だそうで、途中には日本人を祀る慰霊碑も残されていった。
 
話は変わるが、昨晩宿でおかしなことがあった。翌日以降の予定を話し合うためAさんとYさんの部屋にいた時だ。突然「コンコン」とドアをノックする音が聞こえた。しかし、開けてみてもそこにはだれもいなかったのだ。気のせいかしら?そう思って話を続けていたらまた「コンコン」となった。ドアを開けてもやはりそこには誰もいなかった。部屋にいる間、幾度となくノックの音が聞こえた。
そしてその音は、僕が自分の部屋に戻ってからも聞こえた。となりの部屋の音じゃないの?そう思ったが、その晩僕たちの部屋のとなりには誰もいなかったのだ…。
 「まさか、ここで亡くなった日本兵が日本人である僕らを呼びに来たんじゃ…」
慰霊碑を見てそんなことを思った。そして、その話をあとでAさんにしたら鼻でわらわれた。ひどいや。
 
遊歩道の散策のあと、渓谷の下に降りられる場所があるのを発見し、30メートル近い高さの渓谷を降り、川辺で石を投げて遊んだ。「立入禁止」の看板があったけれど降りてみたかったのだからしかたがない。
 
その後、天祥に戻りノラ犬を追いかけて遊んでいたところ、YさんとAくんが仲良く二人で歩いていた。この二人、あやしい…。

あたりも暗くなってきた午後6時ごろ、みんなでご飯を食べにでかけた。昨日と同じところだ。ここ天祥には食堂が2件ほどしかないのである。僕は昼もここで食べたので3食連続だ。
みんなはあまりおいしくないというが、僕はここの料理が好きだった。特にやたらと麺の太い焼きそばのようなものが抜群にうまかった。みんながまずいといって残した炒飯も最高にうまかった。普段、塩ラーメンや味のうすい炒飯、具はキャベツのみというお好み焼しか食べていない一人暮らしの僕からすれば、ここは天国のようだった。

食事の後、外を散歩した。渓谷の中というだけあって光はほとんどなく、10メートル先が見えないくらい真っ暗だった。そして空にはいままで見たことのないくらいたくさんの星が瞬いていた。

「こんな星空初めてみた!」

Aさんはそういってはしゃいでいた。風邪もだいぶ良くなったようで、いままで見たことのないようなはしゃぎっぷりだった。普段から物静かなYさんとAくんはここでもしずかだったが、きっと満足していたことだろう。
僕もこの星空には感動してしまった。確かに僕の実家は田舎だが、こんなにたくさんの星を見ることはできない。
ここまできて本当に良かったな、満天の星空を見上げてふとそう思った。

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第3夜

8月28日 (月) 晴れ

今日からはしばらく台北を離れ、東側にある花蓮へむかう。そこから太魯閣(タロコ)渓谷を目指すのだ。列車で3時間半、その後バスに乗り換えてさらに2時間の長旅である。列車は全席指定のため、切符は昨日の散策前に台北駅の窓口で購入した。購入する際には窓口のお姉さんに「花蓮 8:30 自強号 4票」と書いた紙を見せた。何を隠そう、花蓮に行くメンバー4名の中に中国語を話せる人間は一人もいないのだ。そんなメンバーで台湾の地方都市、さらには渓谷の中にある小さな村へ行こうというのだから、いま考えてみれば無謀な話だ。
 
僕たちが乗った列車は菖光号(読み方わからないや)といい、日本で言う急行にあたる。本当なら、特急にあたる自強号に乗りたかったのだが、その旨を書いた紙を駅のお姉さんに見せたところ、最高に悲しい顔をして首を横に振るので、残念ながら変更したのだ。それにともない、時間も8:30から9:12に変更となった。

定刻より10分近く送れて到着した列車は比較的込み合っていた。そんな中、僕は一人で自分の席を探した。この混雑のため残念ながら、一人だけ離れた席の切符しか取れなかったのだ。そうなれば、部長であり責任者である僕がその席に座るのは当然のことである。このあたりで先輩らしいところを見せておかないと後輩に示しがつかないわけです(本当は嫌だったけどじゃんけんに負けてしかたなく座ったなんて口が裂けてもいえねぇ…)。

僕の隣にはきれいなお姉さんが座っていた。こういうことがあると旅が一気に楽しくなる。でも、このお姉さんは1時間もすると降りてしまい、代わりにえらい恰幅の良いおばちゃんが乗ってきた。このおばちゃん、あまりに恰幅が良すぎるため自分の座席だけでは足りず、僕の座席を半分近く占拠してきやがる。ひどいや。

おばちゃんの圧迫攻撃に耐え続けること2時間半、いい加減限界を感じてきたころ、ようやく列車は花蓮の駅に着いた。ありがとうおばちゃん。あなたのおかげで僕の体はボロボロだよ。
 
おばちゃんの厳しい攻撃と列車の長時間乗車という試練を何とか耐え抜いた僕たちであったが、だがしかし、駅を出たところで更なる不幸に巻き込まれてしまう。客引きのおやじである。駅の改札を抜けバス停に向かっていると、一人のおやじがしきりに声をかけてきたのだ。

「日本人デスカ?タロコイク?」

うるさい、と。

「タロコイクデショ?イッショニイキマショウ!」

なぜおっさんといかなきゃいかんのだ…。
こういう時は無視するに限る。おやじのいうことには一切耳を傾けず切符売り場へと向かう。

しかし、いざ売り場に着いてみると、どのバスに乗れば良いのかわからず困ってしまった。するとだ。一度はどこかへ行ったはずのおやじがどこからか現れ、しきりに「コレダ、コレダ」と指をさしてくる。このおやじ、悪い人ではないようだ。おやじが指差すものを購入したところ、その切符にはしっかりと「花蓮~天祥(渓谷の中の村の名前)」と書かれていたので一安心。ありがとうおやじ。でも、こっちは慣れない旅で疲れていて話し相手になってあげられないんだ、ごめんよ。そんなことを思いながら後ろを振り返ると、すでにおやじの姿はそこにはなかった。というか、向こうのほうで別の観光客につきまとい、写真まで撮ってあげていた。おやじノリノリである。
 
バスは1時半発ということなので。それまで待機。するとさっきのおやじが最高に悲しい顔でこっちへやってきてこういった。

「ワタシノ日本語ソンナニヘタデスカ…?」

何があったのかはしらないけど、元気出してくれよ…。
 
おやじの今後を心配しつつバスにのる。しかし、このバスの運転手もひどかった。まず、発車後しばらく荷物倉庫の扉を開けっぴろげたまま走りやがった。

「先輩!にっ荷物入れるところのドア、開きっぱなしですよ!」

最初に異変に気づいたAくんの顔は真っ青だった。
 
次に渓谷沿いの道にはいってからなのだが、ここの道がとにかく狭かった。普通ならば一方通行にしなくてはいけないレベルである。それにも関わらずこの運転手、速度を緩めずに攻撃的な走りを僕らにみせつけてくる。一歩間違えれば30メートルはあろうかという渓谷に落ちるというのにだ。

「ドウダ日本ノ青年タチ!俺ノ走リイケテルダロ!」

彼はそんな風に思ってるのかもしれないけど、こっちとしては、

「あなたの走りに興味はないですしっかり走れこのやろう」

という話である。始めはのんきに音楽を聴いていた僕もさすがに耐えられなくなり、後半は前の座席に必死につかまり、そして落ちないことを祈った。
 
恰幅の良いおばちゃん、客引きおやじ、攻撃的なバスの運転手、彼らのおかげで、天祥につく頃には全員がへとへとだった。それに加え、Aさんは風邪をひいてしまった。明日はこの渓谷でゆっくり休もう、そう決心した。
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第2夜

8月27日 (日) 午後から雨 一時は土砂降り
 
朝から宿探し。本当ならば、昨日の宿に連泊する予定だったわけだが、如何せんあそこはひどすぎた…。設備がぼろぼろで汚く、トイレやシャワー室は異臭を放っていた。しかし、それ以上に厳しかったのはベッドである。まず長さが足りない。僕が横になると明らかにベッドの長さが足りずはみ出してしまう。

「はみ出すなら一晩中足を曲げていればいいじゃない」

このベッドは僕にいうわけだ。

次、二段ベッドの二段目に柵が無かった。二段ベッドの高さは大体160cmくらい。普通ならば落ちないように二段目に柵が設けられているはずである。しかし、彼にはそれがなかった。

「柵が無ければ壁のほうにでも寄って寝なさいよ」

こんな無茶なことをいってくるベッドにはもう寝てやらない。
 
以前台北に来たことのあるHさんの情報をもとに台北市内をさまようものの宿はなかなか見つからない。気温は32℃。暑いなんてもんじゃない。まさか初日からこんなピンチに陥ることになるとは…。
最終的にこの日の宿は、Hさんが話しかけた地元のオヤジに紹介してもらい無事決定した。しかしながら、見ず知らずの土地でその辺のオヤジに声をかけ宿を見つけてしまうというのだから、彼女は本当に頼りになる。彼女がオヤジと交渉している間、野良猫の写真ばかり撮っていた部長とは大違いだ。
 
午後は自由行動ということで、台湾の総統府や裁判所などといった政府の機関を見てまわった。これはAさんの希望。実に勉強熱心である。途中、蒋介石を祭った中正紀年堂で雨宿り。ここの喫茶店のお茶が実にまずかった。「泡立った烏龍茶」というものを初めて見た。もう二度と飲まないと心に誓う。
 
夜、台北駅から地下鉄みたいなものにのって15分くらい行ったところにある士林夜市へ行った。日本でも有名な観光地というだけあって、人の多いこと多いこと…。Hさん、Iさん、Aさんという都会育ちのお姉さん方はそんな人ごみをものともせずに満喫していたが、YさんやAくん、そして僕という田舎者3名にとってこの人ごみは地獄だった。
 
しかたがないので、なるべく人の少ないところを探し突っ立っていたところ、日本語を話す怪しいおばちゃんに見つかり連れて行かれる。どうやらこのおばちゃんカキ氷屋らしい。せっかくなので適当に頼んでみると、なにやら茶色と灰色の中間といった最高に怪しいカキ氷が出てきた。おばちゃんは「タロイモ!」といっていた。タロイモといえば、確か南米の山のほうに暮らす民族が主食としていると中学の社会で習ったことがある。そんなタロイモをカキ氷にいれてしまうというのだから、このおばちゃんのアイデアはあまりに斬新すぎる。しかし、そんな斬新なアイデアに田舎者の3人がついていけるはずがない。タロイモが僕らのおなかの中に入ることはついになかった。

宿に帰りテレビを見ていると、日本の野球の試合が流れていた。チャンネルをかえると今度は日本のドラマがやっていた。そしてそれが終わると、今度は日本の映画が始まった。なんか不思議な感じがした。ここは日本ですか?そんな気さえした。

でもそんな思いは、夜の台北の街を見ていたら吹っ飛んでしまった。街は原付であふれていた。3人乗りしている人たちもいた。残念ながら、原付に3人乗りするような猛者は日本ではお目にかかれない。やっぱりここは異国の地なのだ。

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第1夜

8月26日 (土) 晴れ
 
お昼過ぎに家を出た。これから1週間、みんなとともに台湾へ旅に出る。
「行きたくないなぁ…」そんなことを考えながら駅へ向かった。僕は旅に出る前必ずこう思ってしまう。国内にせよ海外にせよ、出かける前には必ずこう思ってしまうんだ。理由は簡単。単に僕がビビリだからだ。そんなビビリな男がこの旅の責任者だというのだからまったく迷惑な話だ。
 
飛行機の出発は18時半。にもかかわらず、僕が空港に着いたのは15時半。この男とことんビビリである。17時頃になり搭乗手続きが開始。順調に荷物を預けるなか、僕だけカウンターのお姉さんに呼び止められ一人列の後に戻される。「髭剃りぐらいちゃんと預けておけよ…」順調に荷物を預け終えたみんなの視線が痛い。荷物もろくに預けられない男がこの旅の責任者だというのだからまったく迷惑な話だ。
 
離陸が30分以上遅れたため、中正国際空港につく頃には21時(台湾時間)をまわっていた。これから台北まで1時間ほどバスに揺られたわけだが、このバスのおやじ、運転が荒いったらない。頼んでも無いのに飛ばす飛ばす。そしてやたらと声がでかい。なかなかの曲者だ。
 
台北駅前でバスを降り今夜の宿へ向かう。もうすでに23時。気温は31℃。どうりで蒸し暑いはずだ。地図を見る僕に「宿はどっちですかね」と不安そうに尋ねる後輩たち。それに対し僕は「どっちだろうねぇ…」と返す。不安に駆られ、いてもたってもいられなくなった後輩たちはついに僕から地図を奪う。

「今日の宿、西のほうに行けば良いみたいですよ。先輩、西ってどっちですか?」

「西かい?どっちだろうねぇ…」

「……。」
 
地図もろくに読めないような男がこの旅の責任者だというのだからとことん迷惑な話だ。

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はじめに

2006年8月

僕はクラブの仲間たちと旅へでた。

行き先は台湾。

これはその時のメモなどを参考に、書いた文章です。

注意
プライバシーなんちゃらのため、名前はイニシャルで表示してあります。
わかる人にはわかるし、別にいいよね。

<旅の日程表>

8月26日 
夕方、関空からノースウェスト航空の台北行きにのるが、飛行機が遅れ、22時ごろ台北近郊の中正国際空港に到着。その後バスで台北市内へ行き、台北に泊まる。
              
8月27日  
終日台北市内を観光。台北に泊まる。

8月28日  
この日から各自自由行動。花蓮、太魯閣渓谷方面へ向かう。

8月29日  
この日も自由行動。

8月30日  
花蓮で合流し、花蓮市内に泊まる。

8月31日  
台北へ戻り、午後から市内を散策 。 

9月 1日  
早朝の便に乗り、お昼過ぎに関空へもどる。

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