中国上陸 ~ a trip of China ~

最終夜 10年後

12月3日()

6日ぶりの北京は相変わらず寒かった。昨日の上海では、上着を着てると暑いぐらいだったのに、朝7時の北京の気温は-5度。寒いはずだぜ…。

この旅2度目の夜行列車で上海から無事帰還した僕は、最後の思い出にと朝の北京市内を散歩することにした。

飛行機の出発時刻は午後2時。空港に向かうにはまだ早い。

朝の北京市内は人や車であふれてはいたが、それでも上海とくらべると圧倒的に少なく、非常に歩きやすかった。

空を見上げると1面の青空。到着した日のあのスモッグ+黄砂でくすんだ空とはうって変わってとても気持ちのいい青空だった。

あれから10日。本当にあっという間だった。

いきなりリキシャにボラれ、切符も買えずに、はたして無事に生きて帰れるのかとあの時は不安だったが、どうにか無事に帰国できそうだ。

しばらく歩くと母親と一緒に学校へ向かう子供たちとすれ違った。その子たちを見て、上海の物乞いの女の子をふと思い出した。これから本格的な冬になり上海も相当寒くなるだろう。あの子は無事に生き抜いていけるのだろうか…。

昨日、後輩の子がこんなことを言っていた。

「でも先輩いい時に中国来ましたよ。いまこの国はものすごい勢いで変わっていってますからね。10年後また訪れてみたら街の様子とか一変しててきっとおどろくとおもいますよ」

10年後再び訪れたとき、せめて子供たちだけでも、最低限の生活を送ることができて、みんなと一緒に学校へ通うことができるような、そんな社会になっていればいいなと心から願う。

なんだかんだで天安門広場まで歩いてきてしまった。

結局北京にいた5日間、毎日ここを訪れてしまったなあ。今じゃ駅から天安門広場までは地図を見なくてもいけるようになっちゃったもの…。

全人代が行われる議事堂の前に座って天安門広場をしばらく眺めてみた。

10日前と同じく、朝もはよから多くの人でごった返していた。

僕はこの光景が気にいっていた。ほかの東アジアの国の首都とは一味違った、この独特の雰囲気が好きだった。そして10年後も、この場所が変わらないでいてほしいと思った。

10年後もここはたくさんの観光客であふれていて、その人たちを連れた王さんが相変わらず車の場所を忘れて困っている。その横ではリキシャ野郎が懲りずに「USドル!」と叫んでいるし、外国から来た青年が財布をすられたと勘違いし涙目になっている…。

そうあってほしいと思った。

子供たちが不自由なく学校に通うことができる社会にかわってほしいと言ったり、この場所だけだけは変わらないでほしいとか、言っていることがめちゃくちゃだなあと自分でも思うが、これがこの旅で感じた正直な気持ちだ。

はたして10年後この国はどう変わっているのだろうか。

僕は広場の写真を1枚撮った。

この国の10年後に思いをはせながら…。

おしまい

朝の北京P1010500

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第9夜 中国の現実

12月2日(日)

「先輩、遅いですよ…」

電話に出た後輩は、開口一番、あきれはてた声でそう言った。

上海滞在最終日、僕はこの夏より上海に留学しているサークルの後輩のもとを訪れた。というか、色々あってすっかり忘れていたけれど、そもそも上海にやって来たのはこの後輩に会うためだったのだ。

まあ後輩が怒るのも無理はない。上海に4日も滞在していながら一度も電話をしていなかったんだもん。いやぁ実に申しわけなかった…。 

というわけで僕らは、発展著しい浦東地区の一角にあるデパートで待ち合わせることにした。

日曜ということで家族づれやカップルで店内は大変混雑しており、会えるか不安だったが、薄汚れたリュックを背負った僕の姿は店内で相当浮いていたのだろう、あっという間に後輩に発見されてしまった。3か月ぶりに再開した後輩は、非常に生き生きとしていた。日本にいる時には、大学生活に満足していないようで毎日憂鬱そうな顔をしていたのだけれど、とてもすっきりとした表情をしていた。

聞けば、はじめての一人暮らしを満喫し、なにやら中国人の彼氏までできたらしい…(わかると思うけど、後輩は男じゃないよ)。楽しそうでいいなあ…。あと数カ月で就職する身としては、うらやましくてしょうがない…。

とりあえず僕らは、デパートの近くにあるスターバックスコーヒーへ向かった。道すがら、後輩は言った。

「というか、言葉もわからないのによく一人で中国きましたねぇ…。普通こわくてなかなかこれないですよ」

う~ん、悔しいけれど僕もそう思う…。中国語が話せるならいざ知らず、「你好」「謝謝!」「再見」しかわからない人間にとってはなかなか難易度の高い場所だった。後先考えず行動してしまうこの性格、ちょっと直さなくては…。

スターバックスコーヒーの店内は、先ほどのデパートや外の公園などに比べると驚くほどすいていた。

「中国ではスタバは高級なお店なんですよ。見てください。値段日本と変わらないでしょ。」後輩が教えてくれた。恥ずかしながら、静岡のローカル青年である僕は、今までの人生でスタバなどというものに入ったことがなく(というか地元にない)値段が日本と同じかどうかはわからなかったが、コーヒー一杯日本円で600円ぐらいというのは、中国では相当高い。なにせ屋台なんかで食べれば一食1元で済むという国だ。僕も、さすがに1元とはいかないけど、中国に来てからはスーパーやコンビニで一食20~30元ぐらいで済ませてきた。しかも、お弁当やカップめん、それにお菓子をたくさん買い込んんでこの値段である。それからしたら、コーヒー一杯で40元とるスタバはこの国では立派な高級店であり、人が少ないのもうなずける。

よく見ると、店内にいる人間で、僕らみたいな若い人たちは皆無。西洋人のおじちゃんおばちゃん、スーツをきたやり手の営業マン風情の男、日本のIT関連の会社の社長みたいな胡散臭そうなおやじたちばかりであった。

「ちなみに…」後輩はコーヒーをのみながら言った。

「この国ではユニクロも高級店です」

う~ん、日本では「ユニクロ着てる大学生=ダサい」みたいな構図が定説と化しているというのに。ユニクロユーザーの僕はそれをきいてちょっとうれしくなった。

そういえば、ドラえもんでこんなはなしがあったっけ。

いつもいじめられてばかりののび太が、重力の低い別の星ではめちゃくちゃ強くなっちゃって、「僕はスーパーマンになったんだ!ハハハハ!」なんて言って地球帰ってからも調子に乗っていたら、案の定ジャイアンにぶっ飛ばされた、ってはなし。

日本では貧乏学生、でも中国ではめちゃくちゃお金持ちのリッチマン。ちょっと気分いいなあ…。

さて、そんなさびしい妄想はこれくらいにして、僕は後輩から中国のいろいろな話を聞いた。

学生生活のこと、上海の街のこと、そして彼女が中国に対して疑問に思ったこと…。そのなかでも、病院での話が僕にはとても印象深かった。後輩は中国にきてすぐ、病気で病院に入院したらしいのだが、その際、日本では考えられない光景を目にしたそうだ。彼女が病院のロビーを歩いているとき、ある女性が看護婦さんに泣きながら叫んでいた。「うちの夫を見てくれ。病気で死んでしまう」女性はそう言っていたそうだ。その女性に対し、看護婦は一切無視を決め込んでいた。女性がいくら言っても、看護婦は見向きもしなかったそうだ。

「お金がない者は、病院で診てもらうこともできないんです」

後輩はそういった。しかし、普通ならば医療保険などでかなり安く見てもらえるのではないだろうか?そう疑問に思った僕に後輩は教えてくれた。

「お金のない人は保険に入ることすらできないんです」

つまり、お金のある裕福な人たちは保険に加入できるので医療費を安く抑えることができる。しかし、貧乏な人は保険に加入できないので医療費の割引を受けることができない。なんともおかしな話だが、お金持ちは医療費を安く、貧しい人は医療費が高くという、逆じゃねえか、とつっこみを入れたくなるような医療保険しか中国にはないのだそうだ。貧しい人は医療すら満足に受けることができない。これがこの国の現実だそうだ。

これで制度上は社会主義を掲げているって言うんだから笑わせてくれる。中国は経済的には急成長を遂げて先進国に近づいたのかもしれないが、発展のスピードに法律や社会保障制度がついてこれていないようだ。

そういった話題になったので、僕は地下鉄で出会った物乞いの少女のことを話した。すると、彼女も幾度か見かけたことがあるらしく、こんなことを教えてくれた。

「実はあの物乞いの人たちのバックには○ク○(ヒント:闇世界の人たち)がついているんですよ。集めたお金はほとんど彼らの懐に入ってしまって、実際に物乞いの方々がもらえるのはごくわずかなんですよ…」

それを聞いてちょっとショックだった。彼女たちのためになればと思い渡したお金は、本人の手元には入らない。僕にはこれぐらいしかできることはない、とおもってやったのに全く無意味だったんですね。

「だから、お金ではなくてお菓子とかをあげた方がいいんですよ。とくに女の子には」

後輩はそう教えてくれた。全くその通りだ。いつもカバンに入っている飴のひとつでも渡してあげればよかった…。でも、こんな理不尽と思える社会でよく暴動が起きないなと僕は思った。ふつうここまでめちゃくちゃな社会なら暴動の一つや二つ起きてもおかしくないだろう。そう言うと、後輩は意外なことを言った。

「それがけっこうおこっているんですよ」

上海や北京など都市部ではそうでもないらしいが、ちょっと田舎へ行くと頻発していらしい。う~ん、日本のニュースや新聞ではきいたことないなぁ…。しかもその暴動の数は増加傾向にあるらしい。

「今後は都市部でも起きるかもしれませんよ。特に来年の夏、オリンピックが終わった後ぐらいに…」

後輩はそう話してくれた。

時計を見るともう2時近く。お昼を食べていなかった僕らは、近くにある高級中華料理店へと入った。まあ高級といっても、バ~ミヤンをちょっと高くしたぐらいの値段なんだけれど。ちなみにこのお店、東京や台北にも支店があるそうで、そちらのお値段はバ~ミヤンの数倍らしい…。

僕らが席についてしばらくすると、地元の家族連れが入ってきた。ここの子供がまたとんでもなくうるさかった。平気で店内を走り回るわ、あいてる座席に勝手に横になるわ。しまいにはよその客のテーブルの下に潜り込もうとするわ、やりたい放題である。そしてこの子の両親はというと、特に注意するでもなく、ただただおしゃべりに興じていた。

「先輩、小皇帝って知ってます?」

後輩が教えてくれた。

中国では、ご存じ「一人っ子政策」のために、たった一人のわが子をとことん甘やかせる親が激増しているらしい。その姿はまさに一家の「小さな皇帝」。その子たちがそのまま大人になるんだから、そりゃ自分勝手な人間がふえるよなぁ…。

僕は上海にいた5日間で、ここに暮らす人々のあまりの自分勝手さに辟易していた。道は絶対に譲らない、唾を道に平気で吐き捨てる、信号が赤でも横断し放題、というか車ですら赤で突っ込んでくる。しかも本来注意すべし警官までもがこういうことしてるんだからたまらない。そして、この自分勝手さこそが中国が経済発展した一番の要因なんじゃないかと勝手に思い始めていた。環境破壊しても気にしない、大気汚染や土壌汚染で死者が出ても気にしない、排気ガス出しまくっても自分は悪くないの1点張りで、自分たちが豊かになることばかりにまい進する…。この自分勝手さがいまの経済成長をうんだ1番の要因なんじゃないかと本気で思い始めていた。

そんなことを後輩に話すと、彼女は興味深いことを言った。

「でもこのままでは今後発展しないんじゃないかと思いますよ。これからは如何に相手のことを思いやれるか。その気持ちがない限り、中国の発展はこれ以上進まないんじゃないですかね」

なるほどなと思った。

さて、色々と話しているうちにあっという間に時間はすぎ、北京行きの夜行列車の発車まであと1時間となった。僕は後輩にお礼を言い、今度は日本で会うことを約束して、彼女の呼んでくれたタクシーで駅へと向かった。

上海での5日間、いいことなんてあまりなかったけれど、最後に彼女に会うことができて、そしていろいろと興味深い話を聞けて本当によかった。上海にきて初めて楽しいと思えたんじゃないかしら…。

彼女に感謝をしつつ、僕は北京行き夜行列車に乗り込んだ…。

…と、うまくいかないのが旅の面白いところ。彼女が頼んでくれたタクシーは、どういうわけか、上海南駅に僕を連れて行ってくれた。上海には、上海駅と上海南駅の2つがあり、北京行きの夜行列車は上海駅から出るのだ。

「たくっ…。最後の最後までこの街は…」

思わず苦笑いしてしまった。

予想外の延長戦。この思い通りにいかない具合が実に中国らしい気がする。

僕は上海駅へと向かう地下鉄の駅へと急いだ。

何とも言えない清々しい気持ちに包まれながら…。

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第8夜 世界最速の男

リニアの雄姿

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12月1日()

上海にはリニアモーターカーが走っているらしい。

今日は、世界最速、430キロをだすというそいつに乗ってみることにした。

昨日は、上海の昔ながらの風景に出会うことができた。ならば今日は、近代的な上海を見てやろう、こういうわけ

…だったらいいんだけれど、そこはミーハーな僕である。世界最速の乗り物があるとういうのに、乗らずに帰るわけがない。

上海のリニアモーターカーの駅は、いま上海で最もアツい浦東地区からしばらく行ったところにある。ここと空港のあいだ、30キロぐらいをわずか7分ほどで結んでいるのだ。

宿から歩いて10分ほどの南京東路駅から地下鉄で浦東地区へ向かう。

南京東路駅周辺は、いわゆる若者の街といった感じで、飲食店や服屋さんなどの入ったビルが立ち並び、ご多分にもれず、多くの人で賑わっていた。

一昨日のことである。

CDショップへ行った帰り道、僕はこの場所で、人生で初めて「ナンパ」というものをされた。ナンパ「した」のではない。ナンパ「された」のだ。

駅の前に立つ街灯の前で、地図とにらめっこしていた僕の背後から突然声が聞こえた。

「Are you Korea? 」(あなた韓国人?)

後ろを振り向くと、そこには大学生風の女性2人が立っていた。

「No. I am Japanese」(いや、日本人だし)

僕がたどたどしい英語でそう答えると、彼女たちは、僕の『地球の歩き方』覗き込んで、

「ワーオ!リーベンフォア!」(日本語だあ~)

などとはしゃぎだした。

「Let‘s drink coffee with us !」

(私たちと一緒にコーヒーでも飲みに行きましょうよ!)

思いもがけない言葉に、僕は頭が真っ白になってしまった。だって、ナンパされるのなんかはじめてなんだもん。よりによって、なんで人生初のナンパがこんな異国の地なのかなあ。

「Oh, sorry…」(ごめん無理やし)

上海2日目、ここまであまりの人の多さに若干うんざりしていた僕。しかも病み上がりときている。この子たちとお茶をするより、今はさっさとホテルのベッドで横になりたかった。

「Why?」(なんで?)

彼女たちはなおも食いついてくる。

「I´m sick ! (Hakkusyun!)

(風邪ひいてるのよ。(はっくしゅん!))

「Let‘s go to hospital! Come on! 」

(そりゃ大変!病院連れて行ってあげるから!さあ早く!)

くそっ!どこまでしつこいんだこの姉さん方は。

「No! I take medicine 

  and sleeping at hotel!

  This is good method!Good!」

(薬飲んでホテルでねてりゃ治るから!)

そういって、僕は彼女たちから離れホテルへ向かった。

いま改めて思い返すと、惜しいことしたなあと思うわけだけれども、なにせ病み上がりだったのだからしかたがない。

でも、ちょっと惜しいことしたなあ…・

ちなみに、この話を後日、後輩の子にしたところ、あっさりとこう言われた。

「よかったですね!壺売りつけられなくて!」

地下鉄をおり、リニアの駅へ入る。さすが、できたばかりということもあり実に綺麗な建物だった。

窓口で切符を買って改札をくぐる。往復で1000円以上するらしく、中国の交通機関の安さに慣れてしまった僕は切符を買う段階で断念しそうになってしまったが、気合いを入れて購入する。

改札には係りの人がいて、空港の荷物検査のようなものもあった。

ホームは駅舎の3階位の高さにあり、ここもめちゃくちゃ明るくきれいだった。ホームにいる人を見ると、ビジネスマンっぽい人にまじって家族連れやカップルの姿も見えた。空港に行くにはこのリニア以外にも格安のバスがあり、ふつうの人はそちらをとるようで、リニアは空港へ向かう手段としてより観光スポットとして見られているようだ。まあ僕自身観光できているわけなんだけれど…。

ホームの下をのぞいてみると、当たり前と言っちゃ当たり前なんだけれど、線路が見当たらなかった。さすがリニア。浮くのである。

5分ほどホームでふらふらしていると、空港からの客を詰め込んでリニアが到着した。

全部で3両編成(ぐらい)でそのうち1両がグリーン車だった。わずか7分のためにグリーンを利用する客なんているのかしらね?だれも乗らないなら勝手に忍びこんじゃおうかな…。

とおもって列車の出入口を見ていると、歴史の教科書の大正時代あたりによく載っている、料亭の玄関で「あら暗くてお靴が見えませんわ…」などといっている女将に『どうだあかるくなっただろう、ははは』なんて言いながらお札に火をつけてかざしている恰幅のいい、要するに成金おやじが若いおねえちゃんをつれて入っていったので、僕はおとなしく普通車両に…。

車内は通路をはさんで3席ずつ座席が並んでおり、パッと見、関空へいく南海のラピード(だっけ?)やJRのはるかのような感で座り心地はなかなか良かった。

乗り込んで5分ぐらい。何言っているかわからないアナウンスが流れ終わるといよいよ出発。

さすがリニア、スルーっと静かに出発。しかし加速しだすとガタガタと揺れ始めた。

車両の前にある電光掲示板の速度表示が300キロをこえると、窓際に置いてあったペットボトルが振動に耐えきれず下に落ちてしまうくらい、それぐらい揺れた。

僕は出発から、電光掲示板の世界最速表示を撮るべくデジカメを構えていたが、とにかくぶれるったらない。出発3分ほどで世界最速に到達したが、あまりの揺れの大きさに感動するどころではなかった。ほかの客も「おいおい事故るなよ…」とでも思っているのか、一様に必死に前の座席にしがみついていた。

最高速度を出してからは20秒ほどで減速を始めるのでちょっとは落ち着きを取り戻したが、日本でなかなか実用化されないわけがなんとなくわかった気がする。この揺れで東京~大阪間を走られたらたまったもんじゃない…。

そんなこんなで、わずか7分のリニアの旅はあっという間に終わったわけだが、正直空港についてもすることがない。僕の帰る飛行機は二日後、それも北京からなんだ。

情けない話だが、僕は一旦改札を出たあと、すぐに回れ右をし再び改札をくぐり同じ車両に乗り込んだ。どうでもいいけどこのリニア、車両の入口に係りのお姉さんがいる。2分前におりた僕が戻ってきたもんでお姉さんはニヤニヤ。だって、だってしょうがないじゃん…。

帰りはある程度揺れるポイントがわかっていたので、行きよりだいぶ落ち着いて外を眺めることができた。

リニアの隣には高速道路が走っており、車も結構な速度を出しているんだろうけれど、リニアは面白いように彼らを抜いて行った。さすが世界最速。車窓の風景の流れ方が異常なほど早かった。

それから一つ気がついたことがあった。空港から上海市内までの30キロはほとんどがのどかな田園地帯で、ゆったりと川が流れ、牛なんかの姿も見ることができた。あれほど発展している上海市内から数分行くだけで田園風景が広がるのどかな風景に変わってしまうことにちょっと驚いてしまった。

上海はここ二、三十年で一気に発展してきたと聞いたことがあるが、数十年前は、あの高層ビル群のあたりもこんな景色だったのかしら。ということは、あと数年もするとこのあたりにもビルが立ち並ぶのだろうか。

あとで知ったことだけれど、いま上海では、2010年に開かれる万博へむけて街の再開発がおこなわれているらしい。どおりで僕が行った時もあちこちの道路をほじくり返していたわけだ。しかしそうなると、昨日見た昔ながらの中国の雰囲気漂うあの路地裏も、町はずれの農村も消えてしまうのだろう。北京で見た古い住宅の解体工事現場をふと思い出し、ちょっとさびしい気持ちになった。

再び南京東路へ戻り、しばらく周辺を散歩した。

早いもので、明日の夜、僕は北京へ向かう夜行列車に乗らなくてはいけない。人で溢れかえったとっても疲れる街・上海、特にいいこともなかったこの街から脱出できるかと思うと、少し気分が楽になる。それほど、この街は、田舎者の僕には厳しすぎる街だった。

そんなことを思いながら、黄浦江沿いのベンチに腰かけ、途中のマクドナルドで買ったポテトをつまみながら、川沿いに建つ高層ビルのライトアップをぼんやりと眺め続けた。

宿へ帰る途中、僕はいつも夕食を買い込んでいたファミリーマートへと立ち寄った。悔しいけれど、ここの弁当は安くてとても美味しかった。

もう上海に来ることないだろうし、弁当の買いおさめだ。

そう思うと、たいしていい思い出のなかった上海ではあるがちょっとさびしい気持ちになった。

会計のレジにて、この4日間いつも顔をあわせていたバイトっぽい女の子が、帰り際に「バイバイ!」と笑顔で言ってくれた。

4日間、毎晩弁当を買いにくる怪しい外国人、と、僕のことを覚えてくれたのだろうか。冷たい人ばかりでうんざり気味だった僕は、なんともすがすがしい気分になった。

この街にもあんな子がいるんだな。

上海最後の夜にものすごくいい気分にさせてくれたあの子に感謝しつつ、僕は宿へ戻った。

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第7夜 原風景をもとめて

11月30日()

この日、昼前にようやく目を覚ました僕は、上海の街をあちこち歩き続けることにした。

昨日の夜の出来事を受けて、僕は日本にいてはわからない『本当の上海』を見てやろうと思った。発展した街並みに感動し、雑技団に興奮する。中国の「光」の部分だけ見て帰ってしまったらこの旅に出た意味がない気がしていた。

北京で見た、巨大なオリンピック看板の真実のような、影の部分を、ここ上海でも見てやろう。そう意気込んで、僕は宿を出た。

といっても、上海の街は結構広い。とりあえず地下鉄に乗って適当な駅で降りてみることにした。

昼間の地下鉄は相変わらずこみ合っていたが、中心部の人民広場にて別路線に乗り換えると、空席も見られるようになってきた。

上海の地下鉄は、東京や大阪などと変わりないくらい綺麗で快適だった。北京の地下鉄は、駅のホームもどこか古めかしく、切符も券売機ではなく窓口で買う方式だったのに対し、上海では自動券売機も電子掲示板月で分かりやすく、自動改札も設置されていた。さすが、中国経済を引っ張る近代都市・上海。

人民広場から数駅離れた虹口蹴球場前駅で降りてみた。ここは、上海の街の北に位置している。

駅を出ると、目の前に大きな体育館のようなものがあり、中で何か行われているようだった。開いているゲートからこっそり中に入ると、そこはなんと芝生のピッチが広がっていた。てっきり大きなホールか何かだと思っていた僕は、突然現れた広大なピッチに驚いてしまった。そりゃそうだ。ゲートをくぐったら、いつの間にか埼玉スタジアムみたいなところの、しかもピッチのど真ん中についちゃったんだから。あとで調べてみたところ、ここは中国代表の試合も行われるくらい立派なスタジアムだったらしい。ピッチ上では何やら展示会のようなものが開かれていたけれど、いまいちよくわからないので退散。

スタジアムを出て周囲を歩いていると、真中に大きな池のある公園に出た。休みということもあり、園内は多くの家族連れで賑わっていた。それにしても、上海はどこに行っても人ばかりで本当に疲れる。特にイベントが行われているわけでもない公園が、なぜにここまで混んでいるのさ?

病み上がりということもあり、体力的に限界だった僕は、園内のなるべく人のこなさそうな隅っこに座って、途中買ったお弁当を食べながら思わず愚痴ってしまった。

本来、憩いの場であるはずの公園でクタクタになってしまった僕は、今度は上海の南の方へと行くことにした。

しかし、地下鉄のあまりの混みように我慢できなくなり、結局、途中の人民広場駅で下車。そういえば今日は土曜日。どおりで人が多いわけだ。

駅をでると、何本もの超高層ビルが目に入った。そのあまりの大きさに圧倒された僕は、しばらくその場に立ち尽くした。すると、僕の横を一人のサラリーマンが通り過ぎていった。彼は、携帯片手に日本語で会話していた。日本から出張で来たのだろう。そういえば、上海到着初日の地下鉄でも日本人ビジネスマンを見た気がする。

しばらく立ち並ぶ高層ビルを眺めながらその辺を歩いてみた。

街ゆく人たちはみんなおしゃれな格好をしていて、一見東京や大阪と変わらないように見えた。さすがは中国一の大都会・上海。

しかし、こんな近代的な街に、昨日の地下鉄で見た物乞いの人たちがいるとは、僕には到底考えられなかった。

しかし、人が多すぎる。どこまでいっても、そしてどこの建物に入っても人であふれていた。

人ごみに疲れてきた僕は、人民広場を離れることにした。

正直もう限界である。『本当の上海』を見てやると意気込んで街に出たものの、この人ごみにはかなわない…。

というか、どこを歩いてみても、目につくのは超高層ビルや小ぎれいなお姉さま方だけ。北京で見つけた巨大なオリンピック看板のような不自然なものも特にない。

情けないが、宿へ戻ろう。そう思い、いまきた道を引き返そうとした。

そのときである。

おしゃれな服装をした人々に交じって、薄汚れたぼろぼろの服を着たおばさんとすれ違った。しばらく見ていると、おばさんはビルとビルの間の細い路地に入っていた。

これは何かあるかもしれない…。

そう思った僕は、おばさんを追って、その細い路地へ行ってみた。

ビルとビルの間にある細い路地。

そこはまさに別世界だった。

細い道の両側には、食べ物や骨とう品を売る露店が立ち並んでおり、街中を歩いている人たちとは違った、(こういうと失礼かもしれないが)ぼろぼろの衣服をまとったおじさん、おばさん達が道端に座り込んでおしゃべりをしていた。

そんな中で子どもたちは、サッカーをしたり、道路に落書きをしたりと思い思いに遊んでいた。

なにか冷たいものが頭に当たった。雨かしら?そう思って上を見ると、建物と建物の間にロープを渡して、道路の真上に洗濯物を干していた。

近代的な高層ビルの広がる街中とは違い、なんとも素朴な街並み。ここだけ時が止まっているかのような錯覚を覚える不思議な路地裏。

僕はその光景に度肝を抜かれるとともに、不思議とわくわくしてきてしまった。目の前に広がるその風景は、僕が思い描いていた中国のイメージそのままだった。

ここで暮らしている人々は、たしかに街で見かける人たちとは違い着ている服もぼろぼろで、おそらく生活も豊かではないのだろう。

しかし街で見かける人たちよりも、笑顔であふれているように僕は思った。街を歩く人たちよりも楽しそうに見えた。

僕はその雰囲気にひかれ、露店で古い腕時計を買った。値段は200元。どう値切ってもこれ以上安くしてくれず、ちょと高いと思ったが購入。

後日、あまりのうれしさに上海で暮らす大学の後輩に自慢したところ、「私なら20元で買います」と一蹴されてしまったが…。

でもまあいい。

偶然足を踏み入れたあの不思議な場所で見つけたパンダの時計は、この旅で一番の宝物である。

思いもがけず、上海の「影」の部分を見ることができた僕は、そのゆったりとした雰囲気を味わいながら宿へ戻った。

原風景

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第6夜 後編 雑技団の夜に

中国といえば雑技団、雑技団といえば上海である(なんどでもいってやるぞ)

午後6時過ぎ、僕は上海雑技団の公演が行われる超高級ホテル、その名もリッツカールトン上海へとやってきた。

どうでもいいけど、このホテルの名前どこかで聞いたことあるなあと思っていたら、普通に大阪にあって、しかも一泊数万円するって言うんだから…。

僕がリッツカールトンに足を踏み入れることは、大阪にしろ上海にしろ、今後一生ないことでしょう…。

さて、雑技団である。

リッツカールトンの入口から雑技団が行われる会場までは2分もあればつくそうだが、こんな高級ホテルに入りなれていないせいか、廊下に飾られている絵とか、レストランのメニューなんかを見つつフラフラしていたところ、広いホテル内ですっかり迷ってしまい、ようやく会場にたどり着いたのは、開演まであと20分というギリギリのところだった。

あぶないあぶない…、と息を切らしつつ会場入りすると、そこは白人であふれかえっており、地元上海の人は皆無。というか、東洋人もほとんどいない。

どこか場違いな感じである。

それもそのはず。この雑技団のチケット、一番安い2階席でも100元、一階中央の一番高い席は200元もする。

平均年収が10万円にも満たないといわれる中国の人たち、その人たちにとってこのチケットはあまりに高すぎる。いくら上海人が他の中国の都市よりも豊かだといっても、みんながみんなそうとは限らない。1部の成金を除けばそう簡単に見に来ることはできないだろう。

そうなれば、客はおのずと外国人に限られてしまう。

会場にいる白人連中は、みな、200元の一番いい位置に座っていた。というか、添乗員っぽい人が横にたっているところをみると、みんなツアーできているようだ。

『地球○歩き方』に、「チケットの入手は遅くとも前日までに!」なんて書かれていたが、この光景をみて理解できた。いい席はみな、ツアーにが占領していた。

しかし、実は200元のいい席以外はガラガラだった。

僕が座ったのは、150元という中途半端な席で、位置は1階席の端のほうであったが、当日でも、というか1時間前でも十分買えたし、思った以上にいい席だった。というのもこの会場、それほど広くないので、端っこのほうに座っても、十分迫力のある演技を楽しむことができるのだ。

そして、周りに誰も座っていないため、かなりゆったりと演技を見ることができた。

前述のとおり、200元の一番いい席はツアーの白人連中でいっぱい。しかも彼ら、一人ひとりのおしりの面積が非常にでかいため、なんとも窮屈そうだった。

どうやら、上海雑技団を見に来る客のほとんどはツアーを利用するらしく、僕のように一人でふらふらと見に来る変人はまずいないらしい。

200元のいい席がほぼ満員なのに対して、150元の席は本当にガラガラだった。

上海で雑技団を見る際には、ツアーなど利用せず一人で行く!そして、中途半端な値段の券をかう!

これは鉄則である。

さて、広々とした席で大迫力の演技を堪能し、おなかいっぱいになった僕は、夜の9時、宿に戻るため地下鉄の駅へと向かった。

ん?雑技団に関することが一つも書いてないって?

そんなのはネットで「上海雑技団」とかいれればいくらでも見た人の感想でてくるから、そっちみればいいじゃない。

いいか、けっしてめんどくさいから書かないんじゃないんだぞ。

実は、このあと起きた出来事の印象があまりに強すぎて、雑技団のこと、あまり覚えていないのです…。

さて、気を取り直して、もう一度。

僕は宿へ帰るため、地下鉄の駅へ急いだ。

夜も遅いからだろうか、昼間あれだけ街にあふれかえっていた人もまばらで、地下鉄の車内もびっくりするぐらいすいており、上海にきて初めて座席に座ることができた。

以前から見たかった雑技団を堪能できたし、帰りの地下鉄もすいてるし、今日は実にいい日だなあ、と、僕は非常にいい気分で座席に座っていた。

その時である。

シャリーン シャリーン

という音がどこからともなく聞こえてきた。

どうせ物売りかなんかだろう。

1か月前、韓国へ行ったときに地下鉄の車内で傘やらCDやらを売り歩くおやじに遭遇したことがあった僕は、その類いだろうと思い、音の鳴る方を見た

しかし、傘売りのおやじも、CD売りのおばさんもいなかった。

そこには、ぼろぼろの汚らしい服をまとった土下座する女性がの姿があった。

彼女は赤ん坊を背負ったまま、手に持った缶を振りながら、ひたすら頭を下げていた。

僕ははじめ、彼女が何をしているのかさっぱりわからなかった。

すると、その女性は立ち膝のまま移動し、座っている客の前で再び土下座をし、缶を振り続けた。

シャリーン  シャリーン

車内に再び音が響いた。

缶の中にはお金が入っているようだった。

彼女は物乞いだった。

今日1日、上海の街を歩いてみて、道端に缶を置き、お金をせびるホームレスのような人は幾度となく見た。

そして、彼らのような人たちなら、韓国でも台湾でも、そして日本でも見たことがあった。

しかし、いま目の前にいる彼女のように、赤ん坊を背負い、地下鉄の車内で、客一人一人の前で土下座し、必死でお金をせびる人は今まで見たことがなかった。

彼女にお金をせびられた客は、本当に嫌そうな顔をして彼女を追っ払った。

すると彼女は、その隣の客の前で同じことを始めた。

その客に断られたらその隣の客へ。

隣へ隣へ…。

徐々に彼女は僕の方へ近づいてきた。

僕は彼女を見ることができなかった。

初めてみた物乞いの姿が怖くてたまらなかった。僕は下を向いて彼女が通り過ぎるのを待った。

すると、彼女のシャリーンという音に混じって、カタカタ、といった別の音が聞こえてきた。

今度はなんだよ…。

僕はちらっと音のする方を見た。

そこには、土下座する彼女の横で、同じように膝をついて頭を下げている、4歳くらいの小さな女の子がいた。

手には、お菓子が入っていたと思われるプラスチックのカップを持っていた。

親子なのだろう。女の子は親と思われる隣の女性を見ながら、同じように土下座していた。

i pod で音楽を聴きながら携帯をいじる若者の前で、必死で頭を下げ続ける彼女たち…。

目をそむけてはいけない…

正直こわかった。

しかし、現実から目をそむけてはいけない。

テレビや新聞では全く報道されていない中国の現実。

それをこの目に焼き付けようと思った。

僕はその親子をじっと見つめた。

客に邪険に扱われても、完璧に無視されても、彼女たちは頭を下げ続けた。

やがて、二人は僕の前へやってきた。

僕はポケットからお札をだし、彼女に渡した。

何かしてやりたいけど、今の僕にはこれしかできない。

続いて、女の子には小銭をいくらか渡した。

女の子はポカーンとしながら、大きな瞳でじっと僕の目を見つめてきた。

そしてちょっと笑ってまた隣の客の前へと移っていった

僕は泣きそうだった。

もはや、雑技団の楽しい思い出は、頭の中からすっかり消えていた。

i podで音楽を聴きながら携帯をいじる若者がいる。その目の前で、ぼろぼろの服をまとった女性が必死でお金をせびる。

中国の現実を目の当たりにした僕は、その夜、なかなか寝付くことができなかった。

女の子のあの笑顔が頭から離れなかった。

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第6夜 前編 CDショップで思ったこと

11月29日 はれ

「中国といえば雑技団 そして、雑技団といえば上海である」 (by ダイ〇モンド社)

というわけで、今日はうわさの雑技団を見に行くことにした。
といっても、開演は夜の7時半。
そんなわけで、それまでは上海の街を散策してみることにした。
昨日手紙を書いたりしながら、1日中ベッドの上でごろごろしていたおかげで、体調のほうはだいぶよくなってきていた。
といっても、鼻水は相変わらずなので、部屋のトイレットペーパーをこっそり拝借…。

僕の泊まっている宿は旧租界地のあたりにあるユースホステルで、ツインの部屋が1泊400元だった。本当は60元くらいのドミトリーがよかったんだけれど、あまりの体調の悪さに、早く眠りにつきたい一心で、ついつい最高級の個室を選んでしまったのだ。
ちなみに、400元というのは、上海にあるホテルの中では安いほう。台湾で泊まったような一泊2000円くらいの安宿もあるにはあるらしいが、中国人専用で外国人は泊めてもらえないとのこと。まあ中国語が話せれば泊まることもできるのだろうが、残念ながら僕の武器は、「你好」「謝謝!」「再見」 の三つ。さすがにこの三語でとめてくれるほど中国は甘くない。
そんなわけで、僕が泊まることのできるホテルは、おのずと超高級なところか、このユースホステルしかないというわけだ。

う~ん、なんとも旅しづらい…


さて、宿をでた僕は、上海でもっとも有名な観光地、外難へと向かった。といっても、宿から徒歩5分なんだけれど…。

上海は、150年くらい前に欧米や日本などに支配されていた時期があり、この外難にはそのころに建てられた西洋風の建物がのこされている。そんなわけで、この辺りの風景はまるで、ヨーロッパのようで、非常に不思議な感じがする。ちなみに、その建物群は現在内部を改造され、レストランやバーなどに姿をかえており、僕の泊まっているユースも、150年前の建物を改造して使っているそうだ。

さすがミーハーであり、かつ、ヨーロッパにあこがれている僕。西洋の街にいるような感じにさせるこのあたりの風景にテンション上がりっぱなし…。とにかく写真をとりまくった。

そして、川をはさんでこの外難地区と向かい合うのが、現在、上海でもっとも熱い地域、高層ビルが立ち並ぶ上海の象徴とも言える地域、浦東地区だ。
まあ名前だけいってもわけからないかもしれないけれど、ニュースや旅行パンフレットなんかで必ずといっていいほど写真が出るので、見たことある方も多いはず。

しかし、150年前の古きよき街並が残る外難地区と向かい合うように、最先端の、一見すると漫画に出てくる未来都市のような街並を作るとは、上海政府恐るべし。

川べりにたって、左を見ると150年前の街並、右を見るとアトムあたりが飛んでいそうな未来都市…。

「上海の街はこんなに大きくなりました!」ということをアピールしたいのかしらね?上海政府は。
でもさ、高層ビルの間にあるテレビ塔みたいなやつ?あれは作った人のセンスをうたがうなあ…。ちょっと趣味わるくないかなあ…。まあどうでもいいんだけれど。


外難地区を堪能した後は、繁華街へ行ってみた。

ところで、ここまで上海の街を歩いてみて、この街は、2日前までいた北京とはまったく違うなと感じていた。

まず、人の多さ。
上海という街は、どこにいっても人ばかり。
地下鉄の中、駅の前、そしてどの通りにも人、人、人…。
人ごみが苦手な僕にはかなり苦痛である。
北京も駅前などはかなり多くの人がいたけれど、そこまで苦痛に感じることはなかったんだけどなあ…。

そして、街にあふれる人々も北京の人たちとはどこか違っていた。
北京の人は、よくいえば素朴、まあはっきりいってファッションにしろ髪型にしろ田舎っぽい感じがした。
しかし、ここ上海の人たちは、パッと見、日本と変わりがないように思えた。みんな日本人と同じようなファッションをしていた。高そうなバッグなどをもっている女の子なんかも頻繁に見かけることができた。

そういえば以前、上海は中国の他の街とは比べ物にならないほど裕福だと聞いたことがある。

正直な話

そこまで差はないだろう…
あったとしてもそんな簡単にはわからないだろ…

その時にはそう思っていたんだけれど

なんだ、一目瞭然じゃないか…


そして人だけではなく街も北京とは大きく違っていた。
地下鉄はもはや、東京や大阪、韓国のソウルとそん色ないくらい発達していたし、北京では一軒しか発見することができなかったコンビニも、街の至る所でみかけた。きいたことがない、中国資本のコンビニと、日本でもおなじみのファミリーマートは、本当にどこに行ってもあった。
大きな本屋さんやCDショップもあり、はっきりいって、東京やソウルとかわりない『普通の大都会』という印象を僕はもった。

う~ん、やっぱり僕は北京のほうがすきだなあ…

調子が悪いってこともあるんだろうけど、なんかこの街おちつかないんだよな…


しかし、文句ばかり言っても始まらない。

僕は旅の『ノルマ』を達成するために、淮海中路沿いにあるCDショップへ入った。

以前にも言ったことがあるが、僕は外国へいったら、必ずその国でもっとも人気のあるアーティストのCDを買うことにしているのだ。

それにしても、台湾や韓国でもCDの安さに驚いたが、ここ中国でのCDの安さはとんでもなかった。台湾ではアルバムがだいたい1500円~2000円くらい。しかし、ここでは1000円以下!日本のCDはそれよりも多少高かったが、それでもずいぶん安く感じた。


しかし、ここでちょっと気になることがあった。

それは台湾人歌手の扱いである。
日本や韓国のアーティストはもちろん外国人歌手のコーナーに置かれていたのだが、台湾人歌手は『国内』という棚に置かれていた。つまり、台湾は『中国の一部』といいたいのだろう。

こんなところで、中国と台湾の複雑な関係を考えさせられるとは思いもよらなかった…。

『国内』か…

台湾と中国はだいぶちがうとおもうんだけれどなあ…。

今回、中国を旅して(といっても北京と上海しか知らないけれど)そう感じた。

接客態度、交通マナー、街行く人々の様子…

どれをとっても、台湾と中国はだいぶ違うように思えた。

とくに上海の人の無神け


と、これ以上はやめておこう…

あまり言及しすぎると、世界最大の党員数を持つ某共〇主義政党にマークされちゃうもん…。


〇国〇産党にマークされるのを恐れた僕は、いったんユースに戻り休憩することにした。

時刻は15時。雑技団開演まで時間はまだまだある。

150年前の街並み

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未来都市

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第5夜 てがみ

11月28日 はれ

みなさんお元気ですか?
僕はまだ生きておりますよ。

いま僕は上海にいます。
体調は最悪です…。
万里の長城ではしゃぎすぎた罰が当たったようでして、鼻水がとまらず、非常にだるいです…。

今日の朝、夜行列車で北京から上海へやってきんだけれども、そんなわけで、今日は観光をお休みして、1日中ホテルで休むことにしました。

しかし、ホテルにいても非常に退屈。そんなわけで、みんなにこんな手紙をかいているのです。

さてさて、北京の話は帰国後することにして、ここでは今朝のったばかりの中国の列車、そのすばらしさをみんなに語りたいと思います。

みんなは中国の鉄道にどのように乗ればいいか知っていますか?

知らない?それはよかった。

どうせ日本とかわらないんだろ、いいから北京の話きかせろよ、だって?

あまい!君たちは中国の列車をなめすぎているぞ。

中国の列車はまず、切符をかうところから、最高にめんどいのです。

自動販売機がないので窓口で買わなくてはならないんだけど、これがいつまでたっても買うことができないんのです。
というよりも窓口までたどり着けないっていうんだから、なんとも不思議。

どうせわりこみとかされたんだろだって?

う、うるさい…。

まあ窓口にたどりつけさえすれば、乗りたい列車番号と日付を書いたメモを見せればすんなりかえるんだけどね…。

よし、なんとか切符を手に入れたら、いよいよ乗り込みます。

まず、駅には発車時間の1時間前には着いておいたほうがいいのですよ。

なぜか?

なんと駅の構内に入るのに持ち物検査があるのです。
空港であるでしょ?荷物をX線に通して中をみるやつ。
あの機械が駅の入り口に置かれているわけ。
なので、発車ギリギリに行くと、ものすごい行列で間に合わないかもしれないのです。というわけで十分気をつけましょうね。

さて、無事に荷物検査を突破し駅構内に入ることに成功したなら、次は、真正面にみえる電光掲示板で自分の乗る列車の番号を探しましょう。
その番号の横っちょのほうに、待合室番号が書かれているので、チェックしたらそこへ向かいますよ。

ちなみに僕が乗るのは、北京~上海を直通で結ぶ最新列車、その軟臥(1等寝台ね)という、中国の列車の中でも最高級のものなのです。
北京~上海の所要時間は12時間。距離は、日本で言うと青森から鹿児島ぐらいあります。これで日本円で7500円なんだから、やっぱり中国の列車は安いです。

さて待合室ですが…

あら…
なんとも汚い待合室…。
しかもみんなタバコをすっているし…。
おいおい、こんなところであと1時間もまてってか。これはちょっときついなあ…

と、思ったら、ここは2等車に乗る方々の待合室。
待合室は1等と2等わかれているんですね。
間違ってしまったようなので、1等待合室へいそぎましょう。

あっ、どうせ間違えるのお前だけだろ?やっぱ静岡の人間ってとろいよなぁ、なんていっているやつがいたらぶっとばしますよお。

はい、待合室でしばらく待機。
室内にはコーヒーやお菓子を売る売店もありますので、ゆっくりと待ちましょう。

さて、発車20分ぐらい前になると、駅員さんが改札をあけてくれます。
中国の駅では待合室ごとに改札が設置してあるようで、とても便利。日本のようにわざわざ移動しなくてもいいしね。

ちなみに改札は自動改札ではありません。駅員さんが一枚一枚チェックしていくんです。
日本でも昔あったでしょう。切符の端っこに四角いあとをつけるハサミのようなもの。あれを使って切符のチェックをしてくれます。

さあいよいよホームへ!
ホームはけっこう薄暗いので注意してくださいね。
あ、写真を撮りたい方はそっとばれないようにね。
駅員さんに見つかると怒られちゃうかも…。

中国の列車はとにかくたくさんの車両を連結しているので間違わないように!車両番号は切符にかいてありますよ。
車両の入り口には乗務員さんが立っているので、切符を見せて中に入りましょう。

ちなみに、この乗務員さん、けっこうかわいい人が多いんです。
うわさでは、列車のグレードが上がるごとに、美人率(またはイケメン率)があがるらしい…。
う~ん、中国国鉄卑怯なり!
これじゃあグレードの高い列車ばかり選んで乗ってしまうではないか…。

ちなみに僕の車両のお姉さんは、僕が日本人だとわかると、決して得意ではない英語で、必死に到着時間や起床時間などを説明してくれましたよ。謝謝!

さあ、車両内に入ったら切符に書かれているベッド番号を参考に我が寝床を探しましょう。
ちなみに軟臥の場合は、1室4ベッド(二段ベッドが二つね)で、下段のほうがちょっと値段が高いそう。

さて、僕のベッドは2号室の5番だから…

おやおや、先客がいますな。
おっ、しかもカップルときていますねえ。
あ~、すでにいちゃついております。
これはいづらい…。さっさと荷物をおいて車内探検に出かけることにしましょう。

僕が乗った列車には、ひとつの車両に、4人部屋が8つ(7つだったかな?)、トイレが和式と洋式がひとつずつ、そして洗面所が一箇所ついています。

この中で注目すべきはトイレ!
なんとこのトイレ、「汲み取り式(列車のそこにタンクがついており、そこに便をためて、あとで捨てるタイプ)」ではなく、「垂れ流し式」なのです。
実際に用をたしてみますと、水洗ボタンを押すと水が流れてきました。ここまでは日本と同じですが、ここからが本番。
まず水が流れるのはいいんですが、これが便器の中に流れずどんどんたまっていきます。
おいおいこれはまずい、あふれるぞ…。
そんな不安にかられてオロオロしだすと、急にガコン!という大きな音ともに便器の底が抜けます。
当然汚物は下に落ちるわけで、それが落ちたことを確認すると、便器の底は何事も無かったかのように、元に戻ります。

みんなわかったかな?

つまり線路上に汚物を落としていくわけです。

これにはちょっとびっくり。
そんなわけで、駅停車中はトイレ使用できません。
だって大変なことになってしまうもの…。

さあ、車内探検も終わったところで部屋へ戻りますが…

あぁ、まだいちゃついてら…。

もういい。僕は寝ます。のどと鼻が痛いんだよ…。

車内においてある歯ブラシセットを手に洗面所へ。

おやおや、洗面所の横は乗務員室になっているようですよ。
先ほどのお姉さんが携帯電話をいじっていました。
お姉さん今日は徹夜かしら?

部屋に戻りいちゃつくカップルを横目に、ハイおやすみなさい。
布団も枕もふかふか、ベッドも長いので十分足が伸ばせて非常に快適…。


そしてあさです…。

到着1時間前になると、乗務員のお姉さんが起こしにきてくれます。
やはりお姉さん徹夜だったのね。お疲れ様です。

朝の6時。外はまだうすぐらく、外を見ても街明かりはほとんど見えません。
でもなんかそれがいいね。「千と千尋の神隠し」で、終盤千尋さんが
列車にのるシーンがあるでしょ?なんかあのシーンを思い浮かべてしまうのです。

そして7時、ついに上海へ到着!
徹夜あけのお姉さんに挨拶をして車外へ。
ちょっと南に下っただけあって、北京よりも多少暖かいです。

薄暗い通路をすすみ駅の外へ!
あっ、切符は回収されないので記念に持ち帰りましょう。



さあいかがでしたか?
ちょっと乗ってみたくなったでしょう?

もしなった人は今すぐ上海へ来ること!

いいですか、いますぐですよ!

いいですか…

僕を助けに来てください…

風邪でつらいし、言葉通じないし、ちょっとまいりぎみなんですよ…




まあいいや。

それではみんなお元気で。

無事生きて帰国できたらまたお会いしましょう。

再見…






と、いったような手紙を、サークルの後輩にむけて書いたんですが(風邪のため上海到着後、ホテルで1日中静養してたもんで)、彼らの元に届く頃には僕帰国しちゃっているんで、それだと最高に恥ずかしいから出すのやめましたとさ…。

列車

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第4夜 北京オリンピック

11月27日 晴れ 

朝からとんでもなくのどが痛く、そして鼻水が止まらなかった。

「よーし、今度は寝転がってみようか!」

「お!いいねぇ~そのポーズ~!もう少し上目づかいにしてみようかな^^あ、コートも脱いでね!」

万里の長城でこんなことしてりゃ、罰も当たるさ…。

そういえば、万里の長城のかえりに、王さんがこんなことを言っていたっけ。

「万里の長城の建設ではね、たくさんの犠牲者がでてるんですよね~
だから夜になるとあそこ『でる』んですよ~」

あぁ、調子が悪いのは彼らのせいね…

チェックアウト時間ギリギリに宿を出て、僕はパンダがいるという北京動物園へ向かった。

本当は、日中戦争がおきる発端となった盧溝橋事件の現場と、反日的な展示内容で有名らしい、「抗日記念館」だかを見に行こうかと思っていたのだけれど、こんなときに反日的な内容のものを見せられたら、気が滅入ってしまい、風邪が悪化しそうだし、というか万里の長城の霊だけでなく、盧溝橋の反日的な霊までついてきちゃったら困るし…。

そんなわけで、今日は一日中パンダをながめて過ごすことにした。

そして、なんといっても、今日は夕方に一大イベントがある。
初日に苦心して入手した、上海行きの列車のきっぷ。その出発日が今日なのだ。
でも体調が悪い中、寝台列車なんてのっても大丈夫かしら?
悪化しなければいいんだけど…。

北京動物園は、北京駅前から地下鉄で20分、西直門という駅で下車し、そこからしばらく歩いたところにある。

現在、北京市には地下鉄が5路線ほどあり、一律2元ととんでもなく安い。(某ガイドブック『地球○歩き方』では3元とか書いてあった。今年の夏から一律2元になったらしいですよ。ダイ○モンド社さん♪)
また、北京オリンピックにむけてさらに路線をふやそうとしているらしく、街のあらゆるところで工事が行われていた。
なんでも、北京空港と市内を結ぶ路線も出来るそうで、そうなれば、僕が初日に遭遇した数々のトラブルも回避することができるわけ。
いやぁ、便利になりそうですね!

そうだよね、本当に来年ここでオリンピック行われるんだよね。

この3日間、北京市内のあちらこちらを歩いてみたけれど、いたるところで、北京オリンピック関連の看板やグッズショップを見ることが出来た。
もちろん、ここ西直門駅から北京動物園へいく道沿いにも、オリンピックを宣伝するえらく巨大な看板がそこらじゅうにたっていた。

しかし、ちょっとたてすぎじゃないかなぁ。
それぐらいあちらこちらに巨大な看板はたっていた。


さて、動物園に到着した僕は、真っ先に、パンダがいるという「熊猫館」へとむかった。
僕が最後にパンダを生で見たのは、小学校低学年のころではなかったかしら。実に、15年ぶりのパンダとのご対面である。
しかも15年前は、薄暗い室内でガラス越しに、それも立ち止まることもできず、一瞬だけチラッと見たに過ぎなかった。
しかし、ここ北京動物園は、さすがパンダの本場だけあって、屋外でも彼らと対面するが出来るらしい。
そして写真を見る限り、屋外には遊具のようなものもあり、動いている彼らの姿を見ることもできそうなのだ。

もうわくわくがとまらない。

僕は、ニコニコしながら「熊猫館」の門をくぐった。

しかし、現実というのは残酷である。
というか、これも万里の長城でふざけた罰なのかしら…。

15年ぶりの再会を楽しみにしていた僕に対し、彼らは笑いかけてくれなかった。
動いてもくれなかった。
それがちょっと寂しかった。

熊猫館のパンフレットをあとでよく読んだら、こんなことが書かれていた。

「パンダは笹の葉っぱとお昼寝が大好きなんだよ!だから朝早くに会いに行ってね!」

僕が訪れたのは、午後の1時過ぎ。

つまりそういうことである…。

15年ぶりのパンダたちとの再会は残念な結果になってしまったけれど、動物園自体はとても楽しく、僕のテンションは上がりまくり。気温2℃の寒空の中、僕は園内を駆けずり回り、動物の写真をとにかく撮りまくった。

しかし、寒空の中、1日中外を駆けずり回るというこの行動が、今後の旅に多大な影響を及ぼすことになろうとは…。
このときの僕には知るよしもなかった。

さて、子供のように純真な心で動物園を満喫した僕は、いよいよ今日のメインイベントである寝台列車に乗るため北京駅へとむかうことに…

と、その前に、トイレをかりるために、動物園近くにある日系の高級ホテルへむかうことにしよう。

北京市はまだまだ公衆トイレの数が少なく、ようやく見つけたと思っても、かなり汚く、入るのをためらってしまう、そんなところばかりなのだ。
そこで、北京滞在4日目、多少知恵がついてきた僕は、北京市内いたるところにある高級ホテルのトイレを利用させていただくことにしていた。
最初は、かなりぼろぼろの貧乏そうな格好をしているので、玄関に必ずいる警備員のお兄さんたちに訝しげな目で見られるが、ガイドブックをわざと見えるようにして「僕は日本人です!」ということをアピールするとすんなりと入ることができた。

そんなわけで、動物園近くのホテルにやってきたのだが、このあたりもあいかわらず「北京オリンピックを成功させよう!」看板が乱立している。

なんでこんなに立てるのかしらね…。

高級ホテルの立派過ぎるトイレを堪能したのち、僕はホテル内を散策することにした。多分一生泊まることはないだろうからせめて気分だけでも…。貧乏根性全開である。

するとだ。

3階の喫茶店のメニューをみながら、うわぁコーヒーだけででこんな値段するのかぁ…などと感動していると、ふと外の景色が目に入った。

立ち並ぶ、薄汚く、古めかしい民家の数々…。

そう、僕が出発前抱いていた中国らしい風景、それこそが眼下に広がっていたのだ。

おかしいぞ。

僕は北京にきて4日間ほどさまざまな場所を歩いたが古い建物は一切見ることができなかった。
第一、今日だって動物園周辺をくまなく歩いたけれどそんな建物を見ることは出来なかったし、もちろんこのホテルへやってくる最中も、そんな景色はなかったじゃないか。
あるのは近代的なビルやマンション群、そしていたるところにある巨大な「北京オリンピックを成功させよう!」看板ばかりだったのだ。

あ、もしかして…。

僕はあることに気づき、急いでホテルをでて、古い民家群が見えたあたりへと向かった。

すると先ほどの民家群の姿は案の定見当たらない。

しかしその代わりに、あるものがたっていた。

もうお分かりかもしれない。

そこには例の巨大な看板がたっていたのである。

そうだったのだ。

なぜ北京市内のあらゆる場所に、巨大な「北京オリンピックを成功させよう!」看板がたっているのかということ。そして旅の初日からずっと思っていた、なぜ古い民家が一切見当たらないのかということ。

その謎がようやくいま解けた。

あれは、薄汚い古い民家を隠し、美しい街にみせようという政府の作戦だったのだ。

オリンピックを開催するのだから、近代的な街だということをアピールしなくてはならない。
そのためには、古い民家は徹底的に排除する。

中国政府はそう考えているのだろうか。

でも、別にわざと格好つけなくてもいいと思うんだけどなぁ。
近代的な町並みよりも、昔からの伝統的な街並みのほうが趣があっていいと思うけど。

このままでは、北京が東京やソウルといったような、ただの都会になってしまいそうでちょっと怖い。

切符がかえなかったり、リキシャにぼられたりと特にいいことがあったわけではないけれど、この4日間で、僕は北京という街が結構気に入っていた。
それはやはり、どこかまだ古めかしい、歴史を感じさせる雰囲気が残っているからなのだろう。
東京やソウル、台北など東アジア諸国の首都はどこも近代化されすぎで、同じような街並みばかり。訪れてみてちょっと残念だった。
それがこの北京はどこか違っていた。
そのほかの街とは違う古めかしい雰囲気。それが僕は好きだった。

それが、このオリンピックを契機に北京も東京やソウルとかわらない、ただ近代的な街になってしまうのではないか。
そう思うとちょっと怖かった。

ただこれはあくまで旅行者という、いわば外様の人間の思うことなので、北京市民はやはり近代的な街になるのをのぞんでいるのかもしれない。

いや、でも古い民家を政府が勝手に破壊して、民衆ともめたというような話を聞いた気がするなぁ。

庶民の方々は、このオリンピックを契機にどうなることを望んでいるのだろう…。

そんなちょっとまじめなことを考えつつ、北京駅へ戻り、駅前にある「北京オリンピックグッズショップ」へ入ってみた。

先ほどまで、北京オリンピックを契機にこの街がかわってしまいそうで怖い…、なんていっていたくせに、こういうところにはちゃっかり行くんだな…。

店内には、店員のお姉さんが4人ほどおしゃべりしているだけで、お客さんは僕しかいなかった。

それもそのはず。
ここで売られているグッズ、日本と変わらないお値段なのだ。一番安いボールペンやピンバッヂですら40元(600円くらい)する。
コンビニでおなかいっぱい買っても300円くらい、安食堂なら一食100円もかからないという国だ。
一般の人が買えるはずがない。

慣れ親しんだ街は次々と姿を変え、グッズを買おうにも高くて買うことが出来ない。

来年開催されるというオリンピック。

一般の人はどのように思っているんだろう…。

やるきねぇパンダ

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看板のうらがわ

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第3夜 後編 はしゃぎすぎた男

秦の始皇帝の時代に造られたといわれる万里の長城。
実際に現在の形に整えられたのは明の時代ということだが、それでも400年はゆうに経過しているのだからすごい話だ。
さすがにすべてが残っているわけではないが、それでも北京近郊から、ウイグル自治区(中国の西の端っこの方)まで、あらゆる場所に残っているそうだ。
そしてその中でも、北京市内からもっとも近く、最も整備されているのが、今回僕たちが訪れる八達嶺長城という場所。
世界中から観光客が押し寄せる、万里の長城と言えばココ!という場所なのだ。

と、ここまではガイドの王さんの説明。
王さん、おつかれさまです。


さて、例の謎の貴金属店を脱出した我々一行は、ようやく今回のツアーのハイライトである、万里の長城へたどり着いた。

北京市内から高速道路を飛ばして1時間ほど。
あれほど建っていた近代的なビルやマンションはいっさい見えない。というか建築物はまったく見当たらない。
見えるのは、山と線路と、高速道路を斜め横断する命知らずのおやじたちだけ。

駐車場で車を降り、そこからしばらく坂をあがる。
北京市内もずいぶん寒かったが、ここはその比じゃないくらいめちゃくちゃ寒い。そして、周りに何もないもんだから、とにかく風が強かった。

「それじゃあみなさんいってらっしゃいね!わたしはここでまってるよ」

この寒さに怖れをなしたか、王さんついに職務放棄…。


そんな王さんを残し、僕たち一行は、ついに万里の長城に足を踏み入れた。


今回訪れたこの八達嶺長城は、入口を入ると、左右それぞれに登り口があり、むかって右側を『女坂』、左側を『男坂』とよぶ。

理由は簡単。右側は比較的緩やかな坂で女性でも容易に上れるため、一方、左側はかなり傾斜がきつく、男でも苦労するため、だそうだ。

そして、『男坂』も『女坂』も、頂上からの景色はたいしてかわらないそうだ。

そうなれば、一般的な、そして良識のある観光客は、当然のことながら『女坂』を上る。

そりゃそうだ。

観光に来てるのに、別に『男坂』上ったからって表彰されるわけでもないのに、わざわざ辛いほうをとる人はまずいないだろう。

わざわざ大変な『男坂』を選ぶやつなんて、アホな学生くらいしかいないんじゃないかしら?



というわけで、良識のあるご夫婦は右の『女坂』へ。

そして残された僕たち学生3人は、左側の『男坂』へ特攻していった…。



そして登り始めてから5分。

当然のように僕たちは後悔していた。


とにかく坂がありえないくらい急だった。

案内板などには「傾斜45度」なんて書いてあったけど、あれはうそに違いない。だってかぎりなく直角に近いもの。
「坂を上る」というよりかは、「壁をよじ登る」、といったほうが
表現としては的確なんじゃないかしら…。
それほど急であり得ない坂だった。


そして、さまざまな障害が、僕たちの行く手を阻んだ…。

上を見るとつらくなるからと、下を見て黙々と上っていると、どこからか聞こえる妙な日本語。

「日本人!日本人!北京ノ地図安イヨ!」

こんな山奥で北京の地図が必要なわけないだろ…。

なんとか振り切り、さらに上を目指すが、またもどこからか声がする。

「兄チャン!毛沢東!毛沢東!」

『毛沢東語録』なんていらないし…。

「マイフレンド!写真撮ッテヤル!ミンナ撮ッテルゾ!」

いや、あなたとは初対面だし…。
しかもみんな撮ってるというわりには飾ってある写真に写ってるの、みんなあなたじゃない…。

いやぁ、なんて商魂たくましい人たちなんだろう。
というか、この人たち入場料どうしてるんだろうね?
まさか毎日、城壁をこえて侵入しているのかな?

北方民族の侵入は防げても、彼らの侵入は防げないのですね、万里の長城さんは…。



急坂にも負けず、そして商魂たくましいみなさんの甘い誘惑にも負けず上り続けること20分、僕たちはついに頂上まで上り詰めた。

見渡す限り山、山、山…。

大陸らしいその雄大な景色をみていると、なんだかとてもすがすがしい気分になってきた。

当然だが、万里の長城は、僕たちが上りつめたところからもさらに遠くへと続いていた。
でも、これが6千キロも離れたウイグル自治区のあたりまで続いていたなんて、とてもじゃないけど想像できなかった。

「マイフレンド!コレニ名前書クネ!」

ったく…。人が感傷に浸っているときに…。
どうせそれに名前書くと、「到達証明書ネ!200元ネ!」とか言うんだろ?
だますならもう少しうまくやるんだな、にいちゃん。


頂上からの景色を堪能した僕たち三人。
妙な達成感からかこのあたりから、微妙にテンションがおかしくなっていった…。

僕もそうだが、彼ら二人も相当な人みしりと見えて、僕たちは朝からほとんど話さなかったのだが、ここでは明らかに違った。

「この坂のところに直立するとスキーのジャンプみたいに見えるぞ!」

「まて!そのかっこういいぞ!動くなよ写真撮るから!」

「もうちょっと下むいてみようかな…」

「バカ野郎!動くなっていったろ!」

僕たちは全力だった。全力で、くだらない写真を撮りまくった。

そしてその横を西洋人たちがニヤニヤしながら通り過ぎて行った。

「よーし、今度は寝転がってみようか!」

「先生、こ、こうですか…」

「お!いいねぇ~そのポーズ~!もう少し上目づかいにしてみようかな^^あ、コートも脱いでね!」

きょう日、エロカメラマンだってそんなこといわねぇって…。


氷点下の気温の中、僕たちは明らかにはしゃぎすぎだった。

そして次の日…

僕は見事に風邪をひいた…。

万里の長城

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第3夜 中編 万里の長城マダ~

僕らをのせた車は、月曜の渋滞にも負けず、北京市内をひた走り、9時前に天安門広場の前に止まった。
ここへ来る前に、もう一か所ホテルに立ち寄り、参加メンバーは5人に増えた。
名古屋に住む大学4年生の二人組、まもなく旦那さんが定年をむかえるというご夫婦、それから僕だ。

「あっまだ発車しないでください!わたし降りてないよ!」

そうそう、ちょっと頼りない王さんを忘れてた…。
それから運転手さんを加えた合計7人だ


さて天安門広場である。
というか、ここに来るのが中国へ来てからの日課になりつつあるなぁ。3日つづけてくるやついないって…。

しかし、やはり日本語で説明してくれるガイドさんがいるといろいろと新しい発見があって、これはこれでなかなか楽しい。
それに何といっても、写真をとってもらえるのがうれしい。

僕は国内にしろ海外にしろ、基本、旅にはひとりで出かけていたので、自分の写真というのが極端に少なかった。
とくに、初期のころ、たとえば四国遍路や稚内~大阪鈍行列車の旅などでは、写真を150枚ほど撮ったとしても、自分がうつっているのは2~3枚ほどというひどいありさま…。
友達や後輩に見せると、「風景ばかりでひとっつもおもしろくない」といわれる始末…。

これではいけない。

そこで、それ以降の旅では、『ある方法』を編み出し極力自分の写真をたくさん取るように心掛けたのだ。

ただ残念ながら、この秘策は教えることができない…。
みんながみんなこの方法をやりだしたら、観光地はえらいことになっちゃうもの。

ヒントは…

タイマー   レンタサイクルのサドル   ガードレール

である。


天安門広場を満喫した後は、いよいよ紫禁城の中へ。

明の時代、つまり今から600年ほど前の建物がそのまま残っているそうで、もちろん世界遺産に登録されている。

そしてこの紫禁城、とてつもなく広く、そしてどの建物もでかい。

さらに驚くべきことに、このとんでもなく広いところに住めるのは、なんと皇帝ただ一人だけだったて言うんだから、6畳のちっちゃいアパートに住んでいる僕には想像もできない…。

というかこんな広いところに一人しかいなかったら夜こわいじゃんね。皇帝じゃなくてよかった。

そして、ここで最後に暮らした人物こそ、清朝最後の皇帝であり、満州国初代執政をつとめた、あの愛新覚羅溥儀である。

彼の即位式が行われた場所(太和殿という)は現在工事中で残念ながら見学することはできなかったが、彼の使用したベッドやらイス、ハンコなどは、隣接する宝物館で見ることができた。

『ラストエンペラー』という映画をご存じだろうか?
あの映画のロケは、この紫禁城を3週間ほど貸し切って行ったそう(いやぁ、またスケールの大きい話ですこと)。
というわけで、『ラストエンペラー』を見たことのある方にとっては、この紫禁城、ものすごく楽しめるはず。

ちなみに僕は、映画の存在こそ知っていたもの実際には見たことがなく、この紫禁城も、ただ大きな建物やだだっ広い庭なんかに感動するという、相変わらずのミーハーっぷりを発揮してしまったわけですが、帰国後、なんとなくいった某レンタルビデオ屋さん(つたやだけど)で発見し見てみることに。
するとなかなかすばらしい映画でして…。
根が単純な僕は、見終わったあと、すっかり溥儀という人物にはまってしまい、行ったばかりにもかかわらず、また紫禁城を訪れたくなってしまいましたとさ。

というわけで、紫禁城へ行こうと思っている方は、まず出発前に、日本で『ラストエンペラー』を見ることをおすすめします。


さてさて、『ラストエンペラー』の宣伝も終わったところで、いよいよ万里の長城へ!

と、その前にお昼ごはんをとるとのこと。そういえば、このツアーお昼ごはん付だったっけ。
というわけで、紫禁城をでて北京市民に大人気(王さんいわく)のレストランへ向かう我々一同。

「あれまたちがう車だ…。ほんものどこぉ…」

王さん、いい加減自分たちの車おぼえてくれ…。


紫禁城の裏門から車で20分ほど行ったところにあるレストラン(名前わすれた)は、さすが北京市民に大人気ということで、店内は結構混み合っていた。

味のほうは…

う~ん、おいしいものはおいしかったけど、いまいち口に合わないものもちらほら。
お粥や肉まんのようなもの、シュウマイらしきものはとてもおいしかったんだけれど、チンゲン菜炒めのようなものや、なんだかよくわからない黄色の寒天みたいなもの(トウモロコシのような味がする)はいまいち。
そしてデザートには、なぜかスイカがでてきた。
日本で「中国の生ものは危ない!」とかいう報道を見ているだけあって、これには誰も手をつけようとしない。

「スイカきらい?おいしいのに(´・ω・`)…」

王さんちょっと残念そう。
ふと思ったけど、中国の野菜とかが、日本やほかの国々で警戒されていること、中国の一般市民の人らは知っているのかしら?
もしかしたら報道規制がかかっていてしらないのかしら?


さて、お腹もいっぱいになったことだし、いよいよ万里の長城へ!


かと思ったら、今度は怪しい貴金属店へと我々を連れていく王さん。

「こんどはここで買い物してくださいね!」

そう言い残し姿をくらます彼女。
するとかわりに、いかにも貴金属店のオーナーといった感じのおやじが姿をあらわす。

「ハイ!これ30万ネ!送料込みヨ!アハハ」

買わねえって…

しかし、悔しいけど彼の日本語うまいな…


20分ほどして彼の説明ようやく終了。

「またほしくなったら私まで電話してネ!アハハハ」

だからいらねえって…


さあ、次こそ、ようやく万里の長城だぞ!

すると、姿をくらましていた王さんがどこからともなくあらわれ、

「はいはい、みなさん!次は一階でお茶のショッピングですよ~!」

えっ?

紫禁城のなか

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