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37日目 決戦前夜

2005年3月19日

午前7時、うっすらもやのかかる中、早朝の讃岐平野を眼下に眺めながら最後の難関といわれる五色台を登って行く。

お遍路用語に『遍路ころがし』というものがある。急坂をどうにか登り切り安心しきっていると、急な下り坂で膝がガクガクになり、終いには転んでしまう。そんな、お遍路さんをコロコロ転がしてしまう急な山道を通称『遍路ころがし』と呼ぶのだ。

最初にして最大の難関と謳われる12番焼山寺。焼山寺に負けるとも劣らない阿波の難所、20番鶴林寺、21番太龍寺。伊予の国最大の難所、60番横峰寺。そして、1000m級の山の頂上に位置する、66番雲辺寺。このあたりの、いわゆる難所と言われている所が、『遍路ころがし』に指定されている。

で、いま登っているこの五台山も実は遍路ころがしと呼ばれているらしい。それを聞いて相変わらずビビりの僕らは緊張してしまい、そんなわけで早朝からの登山となったわけなのだが、何のことはない、ほとんど休憩を取ることもなくすんなりと登りきってしまった。

『いやあ、俺らは確実に成長しているな』

相方林が調子に乗るのも御もっとも。明日、結願を迎える(予定)僕らにとって遍路ころがしなど恐れるに足らず!僕らは完全に調子に乗りまくっていた。

急坂を登り切ると、81番札所白峰寺までは気持ちの良い遊歩道が続いていた。

「本当に明日で結願しちゃうんだよなあ」

『なんか信じられんな。明後日からはもう歩く必要ないんだぜ』

この1ヶ月間、毎日朝から晩まで歩いてきた。一ヶ月も同じことを続けていると、生活のリズムが完全にお遍路モードになってしまい、大阪に戻ってまた怠け者生活に戻れるか不安で仕方がない。だって夜は9時に寝て、朝5時には目が覚めるんだもん。じいさんじゃねえんだから。

「そういえば、去年徳島を歩いた時、大阪戻ってからしばらくある病気に感染しちゃってさ」

『なんだよそれ?』

昨年、徳島を10日間歩いたのち大阪に戻った僕は、外を出歩く際、電柱やガードレールを凝視する謎の奇病に侵されてしまった。

というのも、以前も述べたことがあるけど、四国にはお遍路さんのための案内板がいたるところに設置されている。主に標識の側やガードレールの側面に設置されているその案内板を、僕らは、毎日毎日キョロキョロ探しながら歩いていたのだ。その癖が、現実の世界に戻ってからもしばらく抜けなかった。

前述の「夜9時就寝、朝5時起床」とあわせて、僕は「四国病」と勝手に呼んでいた。

前回、わずか10日の旅で、その後長い間「四国病」に侵されてしまったのだから、1ヶ月歩いた今回はいったいどうなってしまうのだろう…。

「あと、「突然、無性に四国を歩きたくなる病気」にも感染したな」

『それは何となくわかる気がするわ。体力的にはきついけど、こんな楽しい旅、なかなかないぜ』

全くその通り。こんな有意義な旅、そう簡単にお目にかかれるもんじゃない。

81番札所を打ち終え、82番札所根香寺へと向かう。自然豊かな五台山の遍路道を歩いていると気分がよくなり、ついつい雑談に耽ってしまう。

「さっきの札所あったじゃん、あそこって某天皇が祭られていて、しっかりお参りしないと呪われるらしいぞ。心霊スポットだと」

『マジか。というか、俺高知を歩いている時にお坊さんに除霊してもらったわ』

「!!」

林曰く、高知の海沿いでお坊さんに出会い、話しているうちに突然お坊さんがお経を唱えはじめたらしい。

四国遍路は霊的な行為だから、そういう話があってもおかしくはないけど…。そういえば、僕も高知の例のトンネルでは怖い思いをしたっけ。

明日で旅が終わることが分かってからというもの、こういった思い出話にばかり花を咲かせていた。

でも、旅に集中しないそんな不真面目な態度を取っていると、『例のおじさん』必ずどこかでその様子を窺っており、非情な仕打ちを僕らに与えるのはもはやお約束。わかってるんだ。

82番札所を打ち終えたら五台山はおしまい。いよいよ、香川県最大の街、大都会高松に潜入である。五台山の麓にあるうどん屋さんでお昼休憩したのち、高松の街中にある83番札所一宮寺に向けて歩きだした。

しかし、さすがは大都会、交通量が今までの街とは比べ物にならないくらい多く、僕らはどんどん体力を消耗していった。

というか、本来街中の道というのは、歩道もしっかり整備されていて歩きやすいはずである。なのに、どういうわけか僕らは、都会の道を歩くときほど体力を消耗していた。この旅の間中ずっとそう。田舎出身で都会に慣れていないのが最大の原因なんだろうが、とにかく、僕らは都会の道が大の苦手だった。

そんな僕らの弱点を突いてくるあたり、弘法○師のおじさんはさすがである。

『思い出話にばかり浸りやがって!そう簡単に結願させるか!』

彼は、苦しんでいる僕らを見てこう思っているに違いない。

83番札所にどうにかたどり着いた僕らであったが、次の目的地、84番札所屋島寺までは、まだ13キロもある。これはキツイ…。

とにかく今日中に84番札所を打って行けるところまで行かないと、明日の結願はなしになってしまうのだ。

「明日結願を迎える」なんて言っちゃったけれど、実は日程的にはギリギリで、もし今日84番札所を打ちそこなった場合、明日は84番から88番まで、距離にして40キロも歩かなくてはならない。しかもその間に札所が84、85、86、87と4つもあるんだからたまったもんじゃない。

「40キロ以上歩く。しかも合計で4つもの札所を打たなくてはならない」

こんな強行日程、この旅で初めて。普通なら2日かけて歩く距離を1日で行こうっていうんだから。

そのためにも、今日中に84番札所屋島寺を打って、行けるところまで進んでおきたいのだ。

とにかく先を急ぐ。しかし、大都会高松は容赦なく僕らの体力と集中力を奪っていく。こうなってくると、イライラが頂点に達し、些細なことでも頭にきてしまう。おまけにどこでどう間違ったのか、完全に道に迷ってしまった。

「ああ!もうIどこだよここ!」

『わかんねえよ!いちいち騒ぐな!』

「ああ!?」

喧嘩だもの。午前中は仲良く思い出話に浸っていたというのに。

本当に、お遍路さんの旅というのは、最後の最後まで楽をさせてはくれない。

迷いに迷った挙句、屋島に到着したのは17時過ぎ。残念ながら今日中に84番札所を打つことはできなかった。これで、明日の日程がとんでもなく厳しくなってしまった。

そればかりか、屋島というのは標高300m近い小高い山で、84番札所はその山頂にあるという事実を、到着して初めて知った。

さらに、続く85番札所もちょっとした山の上にあり、88番札所の直前には700m級の山がそびえているらしい。

「300m級の山×2、700m級の山×1、札所総数5、合計歩行距離40キロ」

最後の最後まで、壮絶な合宿計画。無謀である。

「こりゃ厳しくなったな…」

『うむ…。でも、行くしかないやろ。1度決めたんやから』

「そうだね」

最後まで突っ走る。

そう覚悟を決めたからには、この程度の合宿計画、クリアしなくてはならない。

「おし、じゃあ明日結願するんだな?」

『もちろん。明日は5時半起床、6時出発!』

「おし!じゃあ寝る!」

最後の決戦に備え、21時、僕らは寝ることにした。

『結願の瞬間、俺らどうなるんかなあ』

部屋を出る際、相方がぽつりとつぶやいた。

お遍路体験記などを読むと、どの方も、結願の瞬間には涙したらしい。中には涙でお経が読めなかったり、山門の前で泣き崩れた方もいらっしゃったりするそうだが。

「泣く…、かなあ…」

『とてもそうには思えんな…』

そりゃそうだろ。あんな無理な計画立てちゃって、着けるかどうかもわからないんだもの。泣くどころじゃねえって。まあとにかく、結果は明日わかるのだ。

結願の瞬間をあれこれ想像しながら、僕たちは眠りについた。

本日の行程

宿→81番→82番→83番→屋島   合計38キロくらい

お遍路さんを導く看板

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