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2009年5月

34日目  ホーボージュン

2005年3月16日

讃岐の国最初の札所は標高1,000m近い山のてっぺんにある。その名も雲辺寺。「雲の辺りの寺」とはよく言ったもので、全札所の中で最も高い場所に位置している。

それ故、前日に登山道近くの民宿に一泊し、朝早くに登山を開始する、というのが、この札所を攻略するための最も一般的な方法なのだそうだが、道後でコンビを結成して以来飛ばしに飛ばしてきた僕らは、ここでもとんでもない合宿計画を実行しようとしていた。

朝5時半、伊予三島の宿を出発した僕らは、まだ暗闇の残る街を65番札所三角寺目指して歩いていった。

直前まで全く知らなかったのだが、この札所も実は標高500mに位置しており、早朝からえっちらおっちらと坂を登って行く。

『勝手に飛ばすな。あとでバテるいうたやろ』

ついついテンションがあがり先走ってしまった僕を林が叱る。彼曰く、最初に飛ばしすぎると必ず後半ペースが狂うらしい。

朝7時。65番札所で一番に朱印を押してもらい、今日の本丸である66番札所へと向かう。

登山道入り口までおよそ13キロ。13キロも歩いたのちに1,000m近い高さまで登るというのだから、なんともバカバカしい行為である。別に時間はたっぷりあるんだから、門前に泊まって明日登ればいいのに。

5キロほど山の中の細い車道を歩くと、椿堂という小さいお寺に到着した。ここは番外二十番霊場の一つ。昨年出会った金本兄貴は番外霊場制覇を目指していたが、果たして達成できたのだろうか。そして、途中出会ったお遍路仲間たち、は無事に結願することができたのだろうか。あれから一年。もう少しで、僕も彼らに追い付くことができる。

思い出に浸っていると、前方にトンネルが姿を現した。ここを越えれば、いよいよ最後の県、讃岐の国こと香川県へと入るわけである。

愛媛でも本当にいろいろなことがあった。

鬱になり、もう歩くのが嫌になり、顔も知らない宿のおばさんに叱責され何とか自分を取り戻し、松山まで40キロを根性で歩き切り、そこで出会った若者遍路とコンビを結成し、雪にも蜃気楼にも負けず突っ走った。

徳島、高知とはまた違った苦しみ、楽しみを経験し、一回りも二回りも成長できたのではないだろうか。

トンネルの出口が近づく。

さようなら伊予の国、愛媛県…。

そして僕たちは、ついに最後の県、香川へとはいr

『おい、あの看板見ろって!徳島県って書いてあるぞ!』

「なに!!」

…。

愛媛に入る時にはじわ~っと微妙な雰囲気になっちゃったから、香川ではビシッと感動的に入ろうと思ったのにさ…。また微妙な入りになっちゃったもん…。

実は、66番札所は香川と徳島のちょうど県境にあり、その登山道は徳島県側にある。つまり徳島県を一度経由しないことには、香川県に入れないのである。

さすが、昨日まで香川に入ることを知らなかった二人。ちゃんと調べておこうよ。おかげでここでもすっかり大恥だよ。

兎にも角にも、午前中のうちに登山道入り口にたどり着いた僕たち。しかし、本日の合宿、本番はここから。

現在地からてっぺんの札所まで、距離にして3キロほど。しかし、その3キロで1,000mの高さまで登り切らなくてはならない。ちなみに、現在地の標高が300mくらいなので、頂上とは700m近い高低差がある。

700mの高低差をわずか3キロの距離で歩く。これは、相当急な坂が続くことを意味している。

『四国遍路バックパッキング』という本がある。前にもちょっと紹介した四国遍路をアウトドアの面から見た斬新な本なのだが、そこには、66番札所への登山道のことがこう書かれていた。

『あまりの急坂に涙が流れちゃう!』

僕ら二人は、この文を読んですっかりビビってしまっていた。何せこの本の著者はアウトドアの達人なのだ。その達人が泣くぐらいの急坂である。アウトドアのアの字も知らない僕らがそんな急坂を登り切れるわけがない。

そして、今日の合宿計画の本当につらいところは、「66番札所がゴールではない」ということなのだ。

どういうわけか、66番札所には宿坊がない。当然ながら民宿もない。一番近い民宿は、札所から10キロの場所にしかない。つまり、1,000m級の山を登ったのち、さらに10キロ歩こうというわけなのだ。

伊予三島から早朝500mの山に登り、その後アップダウンの激しい交通量の多い国道を13キロウォーキング!

その後、1,000m級の山でハイキング!

登り切ったら、宿までの10キロを再びウォーキング!

これが今日の合宿計画の全貌である。もう何がしたいのかわからない。

『よ、よおし。いくか…』

「うん…」

自分たちで立てた合宿計画に今になって気後れする二人。おそるおそる登山道へと入っていく。

「うわあ、こりゃきついぞ…」

のっけから急坂は僕たちに牙をむいた。今まで登り始めからこんなに急だったことあったかしら?もうほぼ直角じゃないか…。なんとかしがみついて登って行くけど、これがあと3キロ続くかと思うと…。

『生きてるか!』

「いかん…。先行ってくれ」

登り始めて15分ほどで僕はダウンした。というか急にお腹が痛くなってきたため、急いでビバークポイントを探す。実は緊急ビバークはこの旅三回目。あんまり詳しい描写は食事中の方もいらっしゃるかもしれないので避けるけど、どういうわけか山を登り始めると腹が痛くなるんだよなあ。

無事に危機を乗り越え再び登り始める。相方の林はだいぶ先まで行ってしまったようで姿が見えない。久しぶりの単独登山開始。

と、思いきや、ビバークポイントから5分も登ると突然視界が開け、目の前に一面のキャベツ畑が姿を現した。

『なんか北海道みたいだな』

休憩を取っていた林が僕のそばに来てつぶやいた。

キャベツ畑のバックには大きな青空が広がっていた。その風景は確かに北海道のようだった。

しかし、急坂が続くはずなのになぜにこんな気持ちのいい風景が姿を現したのかしら?

『いや、本番はここからなんだろ』

林がつぶやく。

『だってアウトドアの達人、「ホーボージュン」が泣いたんだぜ』

「ホーボージュン」とは、例の『四国遍路バックパッキング』の著者で、66番札所への道で泣きべそをかいた張本人である。

「そうだな、ここからさらに厳しい急坂が姿を現すんだな…」

そうだ、さらに険しい道が待っているに決まっている。だってここまでの登り坂、確かに急だったけれど、合計で30分も登っていない。あのアウトドアの達人「ホーボージュン」があの程度の坂道で泣きべそをかくはずがない…。

僕たちは再び気合いを入れなおし先へと進んでいった。

しかし、おかしなことに、いつまでたっても緩やかな登り車道が続くばかり。

「なかなか急な登りにならんな…」

『いや、あの曲がり角を曲がったらきっと驚くような登り坂が待っているはずさ』

「そ、そうだよな…」

しかし、曲がり角を曲がっても登り坂は姿を現してくれなかった。というか、曲がり角の先には66番札所雲辺寺の山門がたっていた。

「おい、ついちゃったな…」

『…。』

いったいアウトドアの達人「ホーボージュン」はどこで泣きべそをかいたのだろうか。なんとも釈然としない気持ちのまま、僕らは山門をくぐって境内へと入っていった。

さすがに1,000m級の山の頂上だけあって、30分もいると寒くなってきた。時刻は14時ちょっとすぎ。どんなにゆっくり歩いても、10キロ先の宿には日没までにつけそうである。

『よおし、いよいよ香川県上陸!』

散々ビビらされた割に大したことがなかったその反動だろうか、僕たちは妙に高いテンションで山を下っていった。

山を下りきったところで、農作業中のおばちゃんからみかんのお接待。今日はなんとも良い日だ。

本日の宿は、67番札所大興寺のすぐ隣にある。このペースなら67番札所も今日中に打ててしまいそうだ。

最後の県、香川には23の札所があるが、徳島同様、札所間の距離が短く、平均して1週間から10日ほどで88番に到着できてしまう。

あと1週間で旅も終わる…

はずなんだけど、空腹のあまり今日の夕食の話題ばかり話している2人はそんなことにも気付かず、お接待のみかんを食べながら宿目指して歩いて行くのでした。

本日の行程

伊予三島→65番→66番→香川へ→67番→宿  合計35キロくらい

ある歩き遍路の姿

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33日目  蜃気楼

2005年3月15日

お遍路の旅をはじめてからというもの、とにかく食べるようになった。夜はもともと食べる方だったのだが、それでもコンビニ弁当、カップラーメン、菓子パン、ポテトチップスのセットを連日食べるほどの元気はなかった。

夜にそれだけ食べておいて、朝ごはんまでしっかりと食べてしまうんだから困ったもんだ。素泊まり基本なので朝食を宿で取ることはそれほど多くはないのだが、昨晩泊まった西条市のビジネスホテルはなんと朝食無料、しかもパン食べ放題ということで、朝からあり得ないくらい食べた。

出発してから、林がこんなことを言いやがった。

『フロントのお姉さん、パン食べている俺ら見て引いとったで…』

フロントのお姉さんが引くくらい食べる。それが僕らの朝食スタイルだった。

さて、次なる札所、65番三角寺は、西条市から40キロ近く先にある。しかも、地図を見る限り国道11号線をひたすら歩くみたい。

国道と来て思い出すのは、室戸岬へと向かう際にひたすら歩き続けて、ついに足を破壊されたあの強敵、国道55号線。

しかし、あれからもう20日以上経過している。体力的にも、そして精神的にもたくましくなってきている僕にとっては恐れるに足らず!

そう思ってはみたものの…。やはり国道というのは厳しい。

後でしったことなのだが、この国道11号線、香川県高松市と松山市を結ぶ主要な道路。しかも、四国北部地域というのは、四国地域内有数の人口密集地帯であり、造船やら製紙関係の工場が連なる産業集積地帯でもあるらしい。

とくれば、車の往来、特にダンプやトラックなどの大型車の往来が激しいに決まっている。

さらにいうと、不思議なことにこの国道、歩道が全くと言っていいほどないのである。もう端っから車のことだけを考えた道なんです。

そりゃそうだ。松山から高松まで歩いて行こうなんて奇特なやつ、めったにいないもの。

『おい!いまダンプ俺の服に掠ったぞ!』

白線の内側1.5mの隙間を歩いていれば掠りもするさ…。ぞんな狭さだから、当然二人並んで話しながら歩くことも不可能。そんなことをしたら死にます。

ストレスはたまる一方。ただただ、無言のまま歩いて行く僕たち。

しかし、それが功を奏したのか、昼ごろになると前方に大きな煙突が見え始めた。

「あそこが伊予三島じゃんな」

本日の目的地、伊予三島市には大王製紙という大きな製紙会社があり、そこには馬鹿みたいに大きな煙突が立っている

『なんだ、案外すぐ近くやん』

そう、ちょっといけば到着しそうなくらい、煙突はすぐそばにあった。というか、すぐそばにあるように見えた。

俄然やる気の出てきた二人。しかし、それが弘法○師おじさんの罠だとは、知る由もなかった。

『おい、なかなかつかねえな…』

1時間もすると、なにかおかしいことに気付き始める。

「まあもう少しだろ。だってあんなに近くに見えるんだぜ」

『ああそうだな。おし頑張っていこうや!』

しかし、2時間3時間たっても一向に到着しない。

『なあ、俺気づいたんだけど』

「ああ?」

『さっきから大きさ変わらなくないか?あの煙突』

3時間もしてようやく気がつくのもどうかと思うけど、そうなのだ。明らかにあの煙突の大きさが3時間前と変わっていないのである。

もう10キロ以上歩いているというのに、煙突が全然近づいてこない。

「なあ、あれ蜃気楼なのかな…」

別に僕らは砂漠を歩いているわけではない。しかし、本気で蜃気楼なのではないかと考えてしまうほど、僕らは精神的にやられていた。

国道を一直線に歩くだけの単純な行程、腕を掠めるトラック、そしていつまでたっても近づいてこない煙突…。精神がおかしくなるに決まっている。

今まで、体力的にきつい道はいくつもあった。しかし、精神をやられる道といううのがこんなにつらいなんて…。

旅も終盤に近づいて体力だけは付いてきたようだから、今度は精神を破壊する作戦に変更したようですね、弘法○師のおじさんは。はいはい、あなたの作戦勝ち。もう僕らは降参ですよ…。

伊予三島の宿に到着した時には、僕らは今までにないほどの疲労感を感じていた。体力的にきついだけの道なら、ゴールした時に気持ちの良い達成感があるんですが、精神をやられると達成感すら感じなくなるんですね。

宿の受付に四国全図が張ってあり、それを見てちょっと驚いてしまった。

「俺ら、今日だけでここからここまで歩いたんだよな」

四国の上には兎の耳のような出っ張りが2本んでている。その耳と耳の間にある窪み。そこを今日一日で歩いてしまったのだ。

『まじか…。バカだな俺ら。』

「うん。バカだよな」

いつもは、どの程度歩いたなんて一々確認しないので気付かなかったけど、改めて見ると、本当に僕らは馬鹿げたことをしているんだなあ、と気づく。

『というか明日から香川県はいるやんか』

「!!」

コンビ結成以来、自分たちがどこを歩いているのかさえ分からないほど異常な歩行を続けていた我々。

そして今後、この異常さはさらに増していくことになる。

本日の行程

西条→伊予三島     合計35キロくらい

夕暮れの伊予三島

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32日目 雪降る難所

2005年3月14日

朝の7時。今日はちょっと早めの出発。

宿の外に出てみると、案の定、雪が舞っていた。

おかしいなあ、6時頃起きたときには降ってなかったのに。僕らが外に出たとたん降り出してきやがった。麓で雪が舞っているということは、標高700mにある札所はおそらく大雪なんだろう。

60番札所へ行く道は二つ。

一つは、台風で通行不能という噂の通常の登山道。

もう一つは、札所近くまで通っている車道。

距離的には、前者の方が4キロほど短い。しかし、雪の中の登山道を行くというのは…。

「どうしようね」

『うむ』

宿をでて左に行けば登山道。右にけば車道である。いざ決断の時…。

30分後、宿を出て右へと行く道を選択した僕らは早くも後悔していた。

いよいよ札所へ通じる車道に入ろうかというあたりで、あれほどしつこく降っていた雪がぱったり止んでしまったのだ。それだけではない。空を埋め尽くしていたどす黒い雲の隙間から、なんと青空が見え始めてきたではないか。

『なんだよ!晴れるなら登山道行けばよかったじゃん!』

僕らはとことんツキに見放されていた。通常の登山道からはすでに3キロ以上遠ざかっていたので、いまさら戻ることもできない。というか、例え戻ったとして、また雪が降り出すにきまっている。

僕らはぶつぶつ文句を言いながら、車道を登っていった。

黒瀬湖というダム湖を過ぎると、車道はいよいよ山の中に入っていった。歩いてみてわかったけれど、車道とは言っても実際にはただの林道で、林業のシーズンではないのだろう、車とすれ違うことは全くなかった。

途中、なぜだかわからないけれど料金所があり、そこのおじさんに荷物を預かってもらうことに。足摺岬へ向かう時にも思ったけれど、やはり荷物があるとないとでは歩くスピードが全然違う。特に、今回は登りということもありその効果は絶大で、すいすいと車道を上がっていく。

1時間ほど行くと、林道が終わり、通常の舗装道路にでた。どうやらこちらの道が60番札所へと行く本来の道であり、僕らの通ってきた道は、林業関係者のみの、参拝客の車は通れない道だったようだ。歩きとはいえ、林業とはなんの関係のない僕らを通してくれた上に、さらに荷物まで預かってくれた料金所のおじさんには感謝しっぱなしだ。

通常の舗装道路は、いわゆるつづら折りの道で、うねうねとしたカーブを繰り返しながらどんどん高度を上げていく。

『おぉ、すげえな…』

「…」

眼下には言葉では言い表せないくらいの絶景が広がっていた。
高度が上がるにつれ、道路の至る所に雪が積もっているのを見ることができた。やはり、昨日は山頂付近で結構な降雪があったみたい。こりゃ、登山堂行かなくて正解だったかも。

しかし、この車道に積もった雪が、後に僕らを恐怖のどん底に突き落とすことになろうとは、この時はまだ知る由もなかった。

60番札所横峰寺には、10時半ごろ無事に到着。境内は雪で真っ白だった。

『そ、それでは三百えっヘックシュンっになりましゅっ』

納経所の若いお坊さんは、花粉症なのか、くしゃみ連発で鼻も真っ赤だった。そりゃ、こんなに周りを杉の気に囲まれたところにいたらねえ。いやあ修行ってのは辛いんですねえ。

札所から少し上がったところに『星の森』という何ともロマンティックな名前の場所があり、晴れていれば、そこからは四国最高峰の石鎚山の姿が見られるということだったが、頂上付近は雲に覆われているだろうという話を聞いて断念。そのまま下山することにした。

空を見上げると、朝よりも青空が広がっており、気温も上がってきていた。

しかし、この晴天と気温の上昇、そして車道の雪がタッグを組んで、僕たちに牙をむく。

「うおっ!」

『どうした!?』

「やばいって!めちゃくちゃ滑る!」

車道に積もっていた雪、それが太陽の日差しと気温の上昇によって解けてきていた。解けかけの雪というのがこんなにも滑るものだったなんて…。

そして、先ほど述べたとおり、この道路は言葉では表せないくらいの絶景を拝めるほど高い所に位置しているのだが、道路には何とも頼りなさそうなガードレールがポツンと佇んでいるのみ。そのガードレールの先は恐ろしく高い崖…。

「落ちるって!」

そして、どういうわけか、雪に足を取られると必ずガードレールの方へと滑っていってしまう。その先はもちろん崖…。自然と飛び降り自殺である。

ああ何と怖ろしいお遍路さんの旅。

セルフ飛び降り自殺マシンの罠を振り切り、命からがら下山した頃には、もうすっかりお昼をまわってしまっていた。

危うく命を取られかけたとはいえ、順調に伊予の国最大の難所である横峰寺を打ち終えることができた僕らは、そのままの勢いで64番札所前神寺を打ち、意気揚々と、本日の宿のある西条市へと向かっていった。

天気もすっかり良くなり、田舎の雰囲気の残る遍路道を歩いているととても気持ちがよかった。

その途中、川沿いの道でジョギング中のおばさんとすれ違った。

「こんにちは」

『はい、こんにちは』

すれ違った人と挨拶をかわすいうのは、歩き遍路にとって大事なことである。

しばらくしてから、僕はふと後ろを振り返った。すると、先ほどのおばさんが、僕たちの方を向いて手を合わせていた。

こんな信仰心のかけらもない遍路に、弘法大師の姿をみたとでもいうのだろうか。

なんとも恥ずかしくなった僕は、前をゆく林を小走りで追いかけた。

本日の行程

宿→60番→64番→西条市内泊    合計30キロくらい

雪の60番札所

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31日目  弘法○師のおじさん

2005年3月13日

愛媛の人はなんて優しいのだろう。

昨日、57番札所栄福寺のおばさんと他愛もないことを話し、午後4時過ぎに58番札所仙遊寺の宿坊に到着。ここの方々が本当にいい人たちだった。

今後の予定について相談に乗ってくれた若くて楽しい尼僧さん。昔、吹田に住んでいたということでえらく話が盛り上がった食堂のおばちゃん。恒例のあさのお勤めでは、先日この寺に弟子入りしたばかりという中学生くらいの少年がお経を唱え、その後の説法で登場した住職さんは、僕が伊豆の出身だとわかると『伊豆の踊子』にえらく憧れていたという話をしてくれた。

昨日の一件と言い、ここ数日、愛媛の人たちの優しさに触れまくっている。いままで通ってきた土地でもたくさんの優しさを受けてきたけれど、ここ数日は特にそんな気がする。

原因はよくわからないけれど、今思うと、旅に対して余裕が出てきたからなのかもしれない。昨年歩いた徳島は別として、高知を出発してから松山に入るまで、僕はかなり異常な状態で旅を続けてきたように思える。とにかく距離を稼ぐために脇目も振らず歩き続けた前半戦。怪我をしたことで結果的に甘えが出てしまい、やる気の全く出なかった後半戦。そして、44番札所から松山まで歩き切ったことをきっかけにして、その異常ともいえる状態から脱却し、林という相方を得たことで心に余裕が出てきた。そのおかげで、周りの人たちの優しさを素直に感じることができるようになってきたのかもしれない。

いやあ、旅の後半になって、ようやく僕も成長してきた気がするねえ。

しかし、もっと早く余裕を持てていれば、さらに有意義な旅ができたんじゃないのかい?全く、いつも気づくのが遅いんですよ、こいつはさ…。

そんな優しかった宿坊の方々ともお別れし、僕らは旅を続ける。

今日は59番札所から63番札所まで歩く予定でいた。といっても、60番札所は翌日に回し、先に61番~63番札所を打とうという変則日程。

というのも、60番札所横峰寺は標高780mに位置する難所。しかも、そこまでの登山道が昨年の台風で通行不能となっている模様。歩けないこともないらしいが、どういうわけか昨日より小雪が舞うほどの寒さが瀬戸内地方を襲っている。荒れ果てた危険な登山道を雪の舞う中歩くというのは正直危険な香りがする。と、以上が宿坊の尼僧さんや他のお遍路さんからの情報であり、これに基づき、僕らは上記のような変則日程を組んだのだった。60番札所へは通行不能とされる登山道以外に車道も通っているらしく、明日朝の天候次第で、どの道を行くか決定しよう、という見事なまでの作戦である。

午前10時過ぎに59番札所国分寺を打ってからは、61番札所までの20キロ弱を、国道196号線沿いに歩き続けていく。交通量も多く全く面白みのない道ではあるが、二人で歩いているとそんな道でも楽しくなってくるから不思議だ。

「さっき遊々○書読んでたろ?」

『久しぶりに読むとめちゃくちゃ面白いんだよなあ』

これは漫画の話し。

お昼に立ち寄った小さな喫茶店に偶々漫画が置いてあり、活字に(というか漫画に)餓えていた僕らは、食事が終わってからもしばらく読み耽ってしまった。

『明日からは、漫画の置いてある食堂を探そう!』

どうですか!この本筋とは全く関係のない決意!これが大学生遍路の現状なのです。

で、そんな不真面目な態度でいると、どこかで見ている弘法○師のおじさんが、必ず僕らに天罰をくらわすのです。わかってるんだ。今度はなんですか?また雨ですか?それとも雪ですか?

しかし、弘法○師のおじさんはやはり一枚上手だった。

しばらく歩いて行くと、前方に真っ黒の電線が姿を現した。

「なんだいあれ?」

『なんだろうねえ?』

「おい、カラスじゃねえか!?」

『!!』

近づくと、気持ちが悪くなりそうなくらい大量のカラスが、電線にとまっていた。とくれば、当然その下は奴らの糞だらけなわけで…。

「うお!キツいぞこれ!」

『よし、おれカッパ着る!』

「ま、まて!あんなロボットみたいな格好で国道歩くってか?この不審者やろう!」

『ああ!?』

喧嘩だもの。

ここまで相方林についてはいいことばかり書いてきたけれど、実は二人とも、ここまでで結構喧嘩してきているのです。やれ歩くのが早いだ、昼はうどんが喰いたかっただ。ただ、二人とも忘れるのが早く、すぐにまた馬鹿話を始めてしまうので、なんとかコンビ解消には至っていないのです。本当に毎日退屈しなくいいですよ。

カラスの大群をなんとか突破する我々。

すると今度は、突風と雪の攻撃が始まる。もう3月も中旬だというのに、この寒さは以上でしょ…。

そしてこの雪、どういうわけか僕らが札所につくと止んで、歩き始めると降ってくる。まるで僕らの行動をよんでいるかのように…。

少しでも寒さを防ぐため、軍手をはめ、頭に手拭いを巻くが、全く意味をなさない。

『ああ!もう寒みーなあ!』

「も、もう少しで宿だ。いいか、死ぬなよ!」

別に北極を探検しているわけではないんですよ、この二人は。しかし、雪に慣れていない僕らは、明らかに、四国の平地で遭難しかけていた。

それでも、気合いで61番札所香園寺、62番札所宝寿寺、63番札所吉祥寺と続けざまに打つ。

宿に着くと、案の定、雪は止んでしまった。やはり誰か(というか弘法○師のおじさん)が僕らの行動を監視している…。しかし、このまま止んでいてくれれば、明日は通常の登山道を歩けるかもしれない。

明日は雪を降らせないでください。

と、弘法○師のおじさんにしっかりとお願いをし、僕らは眠りについた。

本日の日程

58番→59番→61番→62番→63番→宿   合計30キロくらい

58番札所から望む瀬戸内海

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30日目  将来のこと

2005年3月12日

昨晩の宿、『コスタブランカ』は久しぶりに大満足の宿だった。

1泊2食付きで5,000円という破格のお値段。昼間は喫茶店を営業しているようで、3時頃到着した僕らを、まずはTea Timeでおもてなし。部屋はベッドルームと和室の選択制。ソースのような香り漂う便所。大注目の夕食にはすき焼きが登場。そして、従業員のおばさま3名、まるでスナックのママのよう。

正直な話、1泊2食付きで5,000円と聞いて対して期待はしていなかったのだけれど、予想外に豪華な食事に僕らは大満足。部屋の壁が薄く、同宿のおやじ遍路の電話の声が聞こえてきたり、トイレがソース臭かったりしても、僕らには全く関係ないのです。

出発の際、スナックのママたちからお菓子のお接待をいただき、僕らの気分は最高潮!35キロ先の58番札所仙遊寺を最終目的地に定め、今治市内全5札所を完全制覇するべく、コスタブランカを出発した。

「牛乳のお接待でーす」

しばらく歩くと、道沿いにある牛乳屋のおじさんがお接待してくれた。朝から本当にありがたい。

牛乳から力をもらい、54番札所延命寺までの20キロを午前中のうちに歩き切る。実にいいペース。朝からお菓子や牛乳のお接待を受けたおかげで、僕らはのりにのっていた。

しかしながら、このお接待という風習は実に不思議だと思う。この21世紀に、この文明社会に、300年前の風習がいまだに残っているというのが不思議で仕方がない。例えば、関西地方に残る西国三十三箇所巡礼にもお接待の風習は存在していたらしいが、現在では廃れてしまい残っていないらしい。

なぜ四国では残り、西国では廃れてしまったのか?

『四国は歩きの風習が残っているけれど、西国ではそれがないから』

という説もあるらしい。たしかに、西国は近畿各地に札所が散らばっている上に、京阪神という大都市圏のおかげで、現代ではとても歩ける状況にない。歩きでの巡礼の衰退に伴いお接待の風習が廃れた、ということらしいけれど、実際にお接待を体験した側からすると、そんなややこしい問題ではない気がする。

何というか、四国の人たちのDNAにお接待が刻み込まれている、そんな気がする。だって、僕らが四国に遊びにきてお遍路さんを見つけたとしても、気軽にお接待なんかできないと思う。

『お遍路さんを見つけたらお接待をする』

そんな行動パターンが四国の人たちの中に組み込まれているのでは?

そんなことを思ってしまう。

と、お接待に関する考察なんて柄にもないことをしてしまったけれど、原因は相方の林にあるのだ。

彼はいま大学で歴史関係を専攻しているのだが、卒業論文のテーマをお遍路に設定しようと本気で考えているようで、現在、研究対象になりそうなことを色々と探している。そんなわけで、歩いている最中の話題も、柄にもない学術的なものになりがちなのだ。

僕自身も、専攻している法学より民俗学系に興味があることもあり、一緒になって研究対象を探していた。

さすが、日本の将来を担う大学生。歩いている最中も学術的な会話をやめようとしないもの。インテリ遍路集団とでも言っておこう。

54番札所を過ぎると、今治の市街地に入る。

さすが松山に次ぐ大都会。おいしそうなお店がいっぱい。

『なあ、カレー食べたくないか?』

「いいねえ、ぜひ食べてみたいねえ」

『だろ?こんだけ都会だったら絶対あると思うんだよ』

「コ○壱がかい?」

『ああ。探すか?』

(無言でうなずく)

哀れインテリ遍路集団。カレーのことで頭がいっぱいの彼らには『お接待に関する考察』なんかはっきり言ってどうでもいい。

煩悩遍路集団と化した二人は、コ○壱を目指し今治市街へと繰り出していった。

望みどおりカレーを満喫した僕らは、午後の1時過ぎ、55番札所南光坊に到着した。街の中心部にあるわりに広々とした印象をうけるお寺で、いつもどおりお参りを済ませ納経所へと向かう。

すると、参拝客も少なくヒマなのだろう、納経してくれたおじさんが僕らに話しかけてきた。

『君ら大学生?』

「はい、一応は」

『そうか。ところで、ホリエモンについてどう思う?』

「は?」

詳しく話を聞くと、納経所のおじさんは若い人たちに大きな期待をしているらしい。

ライブドアの社長であるホリエモンが、フジテレビ系列でるニッポン放送の株を買い占め、フジテレビに喧嘩を売った出来事(この文章は2005年当時のお話ですよ)に、おじさんはえらく感動したそうだ。

『やっぱりよ、いつまでも古い体質じゃダメなんだよ!

もっとこう、若い人たちが頑張って、古い体質をどんどん壊していかなくちゃ!兄ちゃんたちも頑張らないかんぞ!』

おじさんは僕たちに熱く語ってくれた。

4月から大学3年生、そろそろ将来のことを考えなくてはいけない僕らにとって、それはあまりにもタイムリーな言葉だった。

55番札所を後にした僕らは、お互い先ほどの言葉を思い出し、何やら考え事をしながら56番札所泰山寺へと向かった。

それがいけなかったのだろう。

先ほどのおじさんの言葉について真剣に考えるあまり、他のことに気が回らなくなっていた相方の林が、見事に納経帳を55番札所に忘れてきてしまったのだ。

『ちょっと走って取ってくるわ!』

そういってお寺を飛び出そうとする林を56番札所のおばさんが止める。

「私の車で行ってやるけえ、のって!」

おばさんの車に乗って山門を出ていく林。

すると、それからわずか数分後、今度は一台の車が入ってきた

『忘れもんや!納経帳!』

なんとびっくり、車から降りてきたのは先ほどのホリエモンおじさん。林の納経帳に気づき、わざわざ届けてくれたのだ。見事に行き違いである。

『いやあ、3年あの寺にいるけど、納経忘れていった子は君らがはじめてや!』

そうでしょうそうでしょう。命より大事な納経帳を忘れるやつなんてそうはいないでしょう。

『それじゃな兄ちゃん!頑張りや!』

おじさんは、改めて僕らにエールを送り去っていった。

行き違いになった林が戻るのを待って、56番札所を後にする。

「さっきのおじちゃん、また頑張れっていってたよ」

『期待されてるんだな、俺ら』

「うん」

『そんなこと言われてもなあ』

「将来のことねえ…」

『少しは考えるけど、いまいち現実味がないな』

「まあね」

この旅が終われば、いよいよ大学生活も後半戦に突入する。

単位のこと、卒論のこと、そして将来のことを真面目に考えなくてはならない時は刻々と近づいてきている。

この旅が終わるなんて、ここまで全く意識してこなかったけれど、もうカウントダウンは始まっているのだ。

本日の行程

宿→54番→55番→56番→57番→58番泊   合計32キロくらい

56番札所のいぬ

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