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2009年4月

29日目  同行二人

2005311

道後温泉から52番札所太山寺まではおよそ11キロ。朝の松山市内を林と二人で歩いて行く。

しかし、松山は本当にいいところだった。

大きな街でありながら自然も多く、どこか落ち着いた雰囲気で、そして人がとても優しかった。

愛媛は、気候が温暖で、とても穏やかな人が多いと聞いていたが、まさにその通りであった。観光案内所のおばちゃんをはじめ、というかここまで出会った愛媛の人たちはみんなやさしかった気がする。

いやあ、本当にいいところだ、伊予の国というのは…。

そんなことを思いながら、52番札所を参拝し、納経所へむかうと、林が渋い表情でこちらをみていた。

「どうしたよ?」

『納経所のおばさん、感じわりぃ…』

話を聞くと、どうやら納経所のおばさんがなかなかの曲者のようである。林は、普通の納経帳のほかに掛け軸を持っていて、そちらにも納経をお願いしたらしいのだが、どうもものすごく嫌々した感じで書かれたらしい。

ここまで、50以上の札所を通過してきたわけだが、確かにいろいろな人がいた。旅の様子を聞いてくれた人、淡々と無表情で書いていく人、団体遍路の分は後回しにして個人のものを優先的に書いてくれた人、他の札所の悪口をこっそり話してくれた人。いい人も悪い人もいろいろだった。

そして、ここの札所の人は、確かにあまり感じが良くなかった。そりゃ一日中書き続けていたら嫌にもなるだろうけどさ、こっちに当たられても困るわけですよ。

『俺あたまきちゃってさ、300円なのに一万円札出してやった』

…。

林というのはなかなかやる男である。

53番札所円明寺へ向かう途中、ぽつぽつと雨が降り始めた。むむ、もしかして納経所の悪口を言ったから、例の弘○大師おじさんが怒ってまた雨を降らせやがったか?

納経を終える頃には雨は本降りになり、久し振りの雨合羽の出番。

雨合羽着こむほどの雨なんて本当に久しぶりかも。足摺岬からの帰り道に以来だから、およそ一週間ぶり。その時は傘で対応したから、合羽を着こむのは高知三日目、あの列車に乗ってしまった日以来かも。

『さあいこうぜ』

準備万端整い、さあ出発!

と、林の方を見ると…、

「!!」

『な、なんだよ』

「お前、ものすごいな…」

そう、彼はなんとも異様な格好をしていた。文章で表わすにはなんとも難しいのだが、彼は、黄土色っぽいポンチョ(頭からすっぽりとかぶる雨具。裾が長くて頭がすっぽり隠れるフードがついたワンピースみたいな感じ)をリュックの上からかぶっているもんで、その姿は異様。後ろから見るとまるでロボットのようだ。

「それ、絶対捕まるだろ…」

それぐらい異様な格好の彼と、僕はこれから旅をしていくことになる。

北条市のはずれにあるうどん屋さんでお昼を食べた以外はほとんど休憩も取らずひたすら先を目指し歩いて行く。

左手に見える海の向こうには九州がある。四国を時計回りに歩くと必ず左側に海が見えるので、自分としてはどこを歩いているのかわからないのだが、もう、四国の3/4近くを歩いてきているわけである。

北条市の市街地に入ったあたりで雨があがり、

林もようやく通常の格好に戻り、他愛もないことを話しながら二人で歩いてく。

大学のこと、ここまでの旅のこと、いま見ているドラマのこと…。

四国遍路用語に、「同行二人」というものがある。

『お遍路さんの近くには必ず弘法大師さんがいるの。だから例え一人で旅をしていても実は違うんだよ。弘法大師さんと一緒に歩いているんだよ。そう、君は一人じゃないんだ!だから困難なことがあってもきっと乗り切れるよ☆』

と、いうわけ。

確かに、不満を言った直後に雨が降ってくるところを見ると、弘法大師さんは僕の近くにいるみたいだが、姿が見えないだけに一緒に歩いている気はちっともしない。悟っていないなあ…なんて言われるかもしれないけど、一人は一人である。

しかし、同年代の若者遍路という相方ができたいま、「同行二人」の意味もなんとなくわかる気がする。

どんなに疲れていても、歩くのが嫌でも、やはり相方がいると頑張ろうという気になる。他愛もない話をしていると、それだけで疲れが取れてくる。

例えそれが、雨が降るとロボットのような最高に怪しい格好に姿を変える男だったとしても…。

市街地を抜けると標高100mほどの小高い丘を越える。

今日の宿、『コスタブランカ』まであと少しである。

本日の行程

道後→52番→53番→北条市→宿   合計 28キロくらい

相方の姿

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28日目  松山にて

2005年3月10日

松山市内には、合計6つの札所があり、すべて歩いても15キロほど。しかも、最後の51番札所のすぐそばにはあの道後温泉があり、昔から、お遍路さんの休息スポットとして君臨しているという。

そんなわけで、僕も昔のお遍路さんたちにならって、今日は道後温泉を満喫することにした。昨日せっかくやる気を取り戻したのだから、この勢いで一気に歩いていきたい気もするけど、道後温泉を外すわけにはいかないでしょ。

46番札所門前の宿を出発し、47番札所八坂寺を通って、48番札所西林寺へと向かう。

さすが、愛媛県の県庁所在地である松山。道路も広く、交通量も多い。

46番札所~48番札所は、街中にあることもあり、こじんまりとしたお寺だった。しかし、わずか1時間ほどで3つの札所を打つことができるなんて、徳島以来じゃないだろうか。こうも簡単に打つことができると楽しくて仕方がない。しかも、今日は道後温泉も待っているのだ…。

途中のサークルKで買った朝ごはんを境内で食べ、さあ出発と立ち上がると、山門から、若いお遍路さんが入ってきた。

「あれ!?」

『ん!?おお!また会ったな!』

そのお遍路さん、どこかで見たことがあるなあ、なんて思っていたら、なんと、足摺岬に向かう途中の久百々で出会った、大学生遍路、林くんではないですか。

「えーっ、昨日どこ泊まってたよ?」

『46番札所の前にある宿。お金なくて飯抜きでさあ』

なんと昨日から同じ宿に泊まっていたらしい。しかし、お金がないから食事なしって、久百々の宿でも言ってたぞ。

何という運命の再会。

というか、本当のことを言うと、一昨日の44番札所にて僕らは一度会っていたのだ。

例の宿のおばちゃんとのやり取りのあと、境内のベンチで泣いていた僕に、声をかけてくる奴がいた。

『あれ!?君もしかしてあの時の…』

こっちが感傷に浸っている時にお節介にも声をかけてきた男、それが林くんだったのだ。

彼とは足摺岬の時点で丸一日離れていたのだが、車のお接待のおかげで、普通に歩いていてはまず起こり得ない奇跡的な再会が実現してしまったのだ。

結局、その日は、境内近くのお茶屋さんでラムネとかりん糖で再会を祝い、思い出話に花を咲かせたのち、別々の宿に泊まった。

で、昨日、僕のちょうど一時間ほど後ろを彼は歩いていたようで、今回の再会に至ったわけである。

『今日はどこまで行くつもり?』

「道後温泉泊まろうかなって思ってる」

『ほおー。実は俺も』

というわけで、再会を祝し、今日は二人で道後温泉を満喫することにした。

49番札所浄土寺、50番札所繁多寺と続けざまに打ち、本日最後の札所、道後温泉の近くにある51番札所石手寺へと向かう。

二人で歩くというのは、昨年の河手さん以来じゃないだろうか。ここまでずっと一人だったから、会話をしながら歩くというのが実に新鮮である。

高知の終わりからのあのやる気のなさ、鬱っぽさは、ここらへんも原因の一つなのかもしれない。歩くのがつらくなったとき、誰かがそばにいると頑張ろうという気持ちになってくるもの。

道後温泉の近くにあるからなのか、51番札所は観光客であふれかえってていた。

ここのお寺には、「衛門三郎伝説」ある。

昔、このあたりの豪農だった衛門三郎おじさんの家に、ある夜、大変貧しそうなお坊さんが、お金を下さいと、手にお茶碗をもってやってきた。托鉢である。しかし、傲慢で知られた衛門三郎は、お前にやる金はねえ!とどなり、彼のお茶碗を地面に叩きつけた。お茶碗は八つに割れ、坊さんは去っていった。

しかし、その晩より、衛門三郎の子供たち、計8人が次々と死んでしまったのだ。

こりゃえらいこっちゃと焦る衛門三郎。そんな彼に近所の人がこう言った。

「この前来た坊さん、弘法大師なんじゃね?」

あの偉大な坊さん弘法大師、その彼に無礼なことをしたから罰が当たったのだ。衛門三郎はその後、何とかして許してもらおうと、弘法大師を探しに、四国を回り始めた。しかし、何周しても会えず終い。

そこで、ためしに逆に回り始めたのだが、途中、病気で倒れてしまう。

そんな彼の前に一人の坊さんが姿を現した。彼こそ、長年探し求めていた弘法大師だった。衛門三郎は自分の非を詫び、そして亡くなった。そんな彼に、弘法大師は石を握らせた。その石には『衛門三郎再来』と書かれていたそうだ。

それからしばらくして、松山の河野家という由緒ある一族に子供が生まれた。しかし、この子供、いつまでたっても手を握ったまま開こうとしない。心配した親が近くのお寺の坊さんにお願いしたところ、しばらくしてようやく手を開いた。そこには、『衛門三郎再来』と書かれた石があった。それ以来、ここは石手寺という名になった。

と、いう伝説である。

まあ、そんな伝説も、道後温泉を前にした僕らの心には何も響かず。さっさと51番札所を後にし、魅惑の温泉街へと向かっていった。

しいて言うなら、この件を真剣に研究している人の中には、人格者である弘法大師が、お金をくれなかっただけで罰を与えるなんてありえない!なんて言う人もいるそうだけど、ここまで、不平不満を言うとすぐに雨を降らせることを知っている僕なんかには、ああ昔からそういう人だったんだなあ…、なんてちょっと納得できてしまう、といったところかしら。

温泉街に到着した僕らは、まず宿探しを始めた。しかし、さすが日本有数の温泉地、道後。一泊素泊まり3,500円なんて宿なかなか見つからない。

地図に載っている中で唯一安そうなビジネスホテルも、実際にそこへ行ってみたところ、建物すら撤去されて更地になっている始末で、運のなさに思わず二人で爆笑してしまった。

このままでは、道後満喫計画が失敗に終わってしまう…。

危機的状況を察知した僕らは、ついに自力での宿探しを断念し『旅館案内所』と書かれた建物の中に入っていった。

案内所のおばちゃんはとても親切で、すぐにある旅館に連絡を取ってくれた。

『若いのにお遍路するなんてえらいねえ』

おばちゃんはそういって、僕らを、一泊素泊まり5,000円の旅館に案内してくれた。

宿を決めた僕らは、アーケードで腹ごしらえをしたのち、松山の街に繰り出した。

しかし、田舎の貧乏な大学生二人がこんな観光地に来るとろくなことはない。もうテンションがあがりっぱなしなのだ。

アーケードの食堂では、この時とばかりにランチサービスのご飯食べ放題を時間ぎりぎりまで粘り続け、しかも最後はおかずなし、白飯のみで食べ続ける始末。

松山城では、てっぺんまでのリフトで大はしゃぎ。てっぺんに着いたらついたで、売店のアイスばかりに夢中で天守閣をスルー。

街中を歩けば、街ゆくカップルを羨ましそうに眺め、どうして大して格好よくもないあの男に彼女がいて、僕らにいないのかを熱く議論。

しかし、同年代の奴とはしゃぐというのは実に楽しかった。

散々バカなことをやって、お目当ての道後温泉につかった頃には、あたりは真っ暗になっていた。

宿への帰り道、案内所の前を通ると、先ほどのおばちゃんがいたので、しばらく雑談することに。

おばちゃんには僕らよりちょっと年上の息子さんがいるそうだ。

『新聞社にいるんやけど、今度松山で巨人戦があってねえ。久しぶりに戻ってくるんよ』

おばちゃんはうれしそうにそう話してくれた。

本日の行程

46番~51番→松山、道後を満喫    合計15キロくらい

道後温泉

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27日目 復活の気配

2005年3月9日

朝7時。寒空の中、僕は宿を45番札所岩屋寺目指して出発した。

市街地を抜けると、道路はじわじわと高度を上げていく。45番札所は、市街地からおよそ10キロほど離れた山奥に位置している。

30分ほど歩き、トンネルを抜け、しばらく下ると、こじんまりとした集落に出た。

ここからさらに2キロほど、起伏の激しい道路が続く。

ハァ… ハァ…

つらい。とにかくつらい。

僕の横をバスが通り過ぎた。こんな山奥なのに路線バスが通じているらしい。

あれに乗りさえすれば…

「なまけもの」が姿を現す。

でも、今日は駄目だ。絶対に歩ききると決めたんだから。

5キロほど歩いたところで、車道とは別れ、山道に入っていく。

朝の山道というのは本当に清々しい。

目の前に「八丁坂」なるものが姿を現した。150mくらいの標高差を一気に登る難所だということ。地図で確認すると、八丁坂を回避できる道もあるようだ。

楽な方を行きたい…

油断しているとすぐに「なまけもの」が姿を現す。

しかし、今日は駄目だ。

僕は気合いを入れて、八丁坂を登り始めた。

難所を越えれば、あとは札所まで下り道。杖を頼りに、岩屋寺までの下り坂を猛スピードで駆け下りていった。

岩屋寺での参拝を済ませ、歩いてきた道を戻る。

前にも書いたとおり、岩屋寺は山奥に位置しており、次の札所へ行くためには、再び久万高原町の街中まで戻る必要があるのだ。

足摺岬の時にも思ったのだが、いま来た同じ道を再び引き返すという行為は、実は思いのほか厳しい。何せ一度通っている道なので、特に目新しい発見もなく、えらく退屈なのだ。

岩屋寺の門前には、観光バスやタクシーがとまっていた。

乗りたいな…

三度現れた「なまけもの」を何とか黙らせ、いま来た道を歩き始める。

時計を見ると、時刻は10時をまわったところだった。

僕は今日、次の札所のある松山市まで歩くつもりでいた。ここ岩屋寺からは30キロの道のり。しかも、途中には三坂峠という難所が待ち構えている。

事前に調べてところ、午後1時までに久万高原町の市街地まで戻ることができれば、夕方までには松山入りできるそうだ。

なかなか困難な行程。

しかし、やらなくてはいけない。

昨日、宿に着いてから、僕は今までの旅への姿勢を反省し、今後は一切、交通機関を使用せず、とにかく歩き続けることを決心した。今までの甘えた考えを改めようと思った。そのため、松山までの40キロを一気に歩く苦しい予定を設定したのだ。

松山までの40キロを歩き切ることができれば、甘えた考えを払拭でき、今後も歩き続けることができるだろう。

しかし、もし歩けなかったら、途中でまたバスなどに乗ってしまったら、それは自分に負けたということであり、旅を打ち切らざるを得ないだろう。

僕はそう考えていた。

だからこそ、今日は歩き切らなくてはならないのだ…。

岩屋寺から7キロほど来たところで、僕は道に迷ってしまった。

普通に今朝来た道を戻ればよかったのに、途中発見した

「46番札所近道→」

という看板に吸い寄せられられるように歩いて行ったところ、山の中に入り込んでしまった。

同じ道を戻るという苦行に嫌気がさし、誘惑に負けてしまった結果がこれだ。

本当にお遍路の旅というのはよくできている。

散々迷った挙句、どうにか久万高原町の街中に出られたのは、あと10分ほどで午後1時になるという時だった。松山に着けるかどうか、本当にギリギリのところだ。

三坂峠までの道は、延々と緩やかな上り坂が続く厳しい道だった。八丁坂のように、一気に登る急坂も確かにきついが、僕にとっては、じわじわと緩やかな上り坂が延々続くほうが苦しかった。

ハァ…ハァ…

休憩も取らずにただただ、前だけを見つめ歩いて行く。

ここで負けるわけにはいかない。

昨日のあの宿のおばさんが(偶然とはいえ)せっかく気付かせてくれたのに、こんなところで自分に負けるわけにはいかないのだ…。

午後3時前、ついに僕は標高700mの三坂峠にたどり着いた。

眼下には松山の街並みが広がっていた。

「おしっ…もうひと踏ん張りだ…」

自分に言い聞かせるようにつぶやき、眼下に広がる松山市目指して、勢いよく下っていった。

30キロ以上起伏の激しい道を歩いてきた後に、この700mの高さから一気に下るのというのはなかなかに堪える。しだいに膝が震えだす。でもあと少しなんだ。

そして、午後4時半少し前。ついに今日の目的地、松山市の端に位置する46番札所浄瑠璃寺に到着した。

ベンチに腰掛け、一息ついた時のこの清々しい気分、そして達成感。

実に久しぶりだった。

忘れかけていたものを、ようやく思い出すことができた気がした。

本日の行程

久万高原→45番→久万高原→三坂峠→46番→門前の宿泊  合計40キロ

三坂峠より

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