« 2009年1月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

26日目 泣く

2005年3月8日

お昼ちょっとすぎ、大洲から列車に乗った僕は内子の駅で下車した。

一昨日の宇和島についで、2度目。どこもけがしていないというのに、ただ「しんどいから」、「気分がのらんから」という理由で交通機関を使ったのは。

朝7時過ぎに宇和町の宿を出発したものの、全くと言っていいほど気分が乗らない。しかも、この日の行程は交通量の多い国道56号線をひたすら歩くというもの。1時間たっても、2時間たっても、なかなかペースは上がらず、ダラダラと歩いて行く。

それでも、どうにか歩き続け、11時過ぎには大洲の街に入る。

しかし、それが限界だった。大洲の駅を発見した僕は、躊躇せずに切符を買い、さっさと列車に乗り込んだ。最早、宇和島の時に感じた後ろめたさすら感じていなかった。

「しんどいから乗る」

最早、うつ病なんかではない。完全に甘え切った、「怠け者遍路」になり下がっていた。しかし、この時の僕は自分が「怠け者遍路」になり下がったことにすら気付かず、鼻歌など歌いながら、のんきに列車の旅を楽しんでいた。

大洲から10分ちょっとで内子の街に着いた。内子は古い街並みの残った、愛媛県屈指の観光地。と、くれば、「怠け者遍路」が黙っているはずがない。重たい荷物を背負ったまま街の隅々まで歩きまわった。

これだけ楽々と歩けているのに「うつ病」とは笑わせてくれる。

1時間ほど観光したのち、僕は内子の街から10キロほど離れた宿に電話を入れた。時間は午後の1時過ぎ。どんなにゆっくり歩いても暗くなるまでには着ける。

たっぷり観光を楽しみ、今夜の宿も無事に確保した「怠け者遍路」は、ちんたらちんたらと歩き始めた。

このあと、弘法大師さんからきつい罰が下されることになろうとは、この時点では知る由もなかった。

内子の街を出た僕は、さっそく道に迷ってしまった。もともと方向音痴な僕だ。内子のこじんまりとした路地から急に大きな国道に出て、方向感覚を失わずに歩けという方が無理だ。

そんな迷える僕に、どこからか声が聞こえた。

「お遍路さん、迷ったかね!乗せていっちゃるわ!」

後ろを振り向くと、軽のワゴン車にのったおじいさんが窓から顔を出して笑っていた。

何という幸運!やっぱり弘法大師さんはいるんだね♪

僕は遠慮することもなく、おじいさんの車に乗り込んだ。

これが、弘法大師さんの仕組んだ罠だとも知らずに。

おじいさんの運転する車はどんどん山奥に入っていった。それに伴い、道路もどんどん狭くなってくる。

「これ、いちおう国道じゃけえ」

おじいさんが教えてくれる。車同士がぎりぎりすれ違える幅の道路を国道と呼ぶとは、さすが不思議の国、四国である。しかも、国道というだけあってダンプやトラックなど大型車まで通るんだから、怖くて仕方がない。

「ここは山奥の村だけんど、けっこう子供が多くてな。何でかわかるか?」

おじいさんはいろいろな話を僕にしてくれる。

「さあ?なんでですか」

「山奥でな、夜することないけえ、若い夫婦がこう、な!」

下ネタもキレキレである。

おじいさんとのドライブは1時間ほど続き、いつの間にか、44番札所大宝寺のある久万高原町に入っていた。本来ならば歩きで2日はかかる道のりをわずか1時間できてしまった。いやあ、今日は本当に付いているぜ。

「ありがとうございました!」

44番札所の門前まで連れてきてくれたおじいさんにお礼をいい、僕は参道を歩いて行った。

そこで、ふと大事なことに気づいた。

そういえば、僕は今日、宿を予約していたのだ。宿は内子から10キロほどの場所。44番札所からは30キロ近く戻った場所にある。車のお接待ですっかり忘れていたが、ちょうど切れ味鋭い下ネタをおじいさんが放ったあたりに宿があったのだ。

「まあ仕方ないわな、通り過ぎちゃったんだし」

僕は、特に深刻に考えることもなく、キャンセルの連絡を入れることにした。1年前、12番札所に早く着きすぎた際にも、宿坊の予約を難なくキャンセルできたし、今回も問題ないだろう。僕はそう考えて宿の番号を押した。

しかし、今回はそう上手くはいかなかった。

「え~!困ります!なんでいまさらキャンセルなんですか!」

僕がキャンセルの旨を伝えると、宿のおばさんはどなり声をあげた。予想外の反応に僕は戸惑ってしまった。

「いや…、だから車のお接待を受けて…」

「そんなこと知りません!それなら車で来るときうちに寄ってくれればいいじゃないですか!」

宿のおばさん曰く、当日の、しかもお昼過ぎに予約があった場合、キャンセルをするお客はまずいないそうだ。それ故、僕からの予約電話のあとすぐに夕食の手配(その宿は食事を近所の料理屋さんに注文するシステム)をしてしまったそうなのだ。それなのに、急にキャンセルされたら、料理が無駄になってしまうし、料理屋さんにも迷惑がかかってしまう。

「すみませんでs…」

「すみませんじゃないですよ!どうしてもっと早くいわないんですか!」

僕はとにかく謝り続けたが、おばさんの怒りは収まらない。

そればかりか、おばさんの怒りの矛先は、僕がキャンセルしたことから、僕の旅に対する姿勢のあり方へとシフトしていった。

「どうせあれなんでしょ!歩きとか言っても、車とか何度も乗っちゃって、終いにはそれに慣れちゃったんでしょ!だから今日だって宿の予約してるにもかかわらず車乗ったんでしょ!普通乗りませんよ!宿を予約していたら!」

僕はドキッとした。

「そ、そんなことないですよ…。今日は車のお接待で…」

言い返してみたものの、僕は明らかに動揺していた。

結局、宿代6,000円のうち、夕食代の2,000円を宿に送金することで許してもらうことになった。

荷物を44番札所のベンチに置き、街の中にある郵便局へ行くことにした。

郵便局に向かう間も、僕の頭の中は、先ほどのおばさんの言葉でいっぱいだった。

「どうせあれなんでしょ!歩きとか言っても、車とか何度も乗っちゃって、終いにはそれに慣れちゃったんでしょ!だから今日だって宿の予約してるにもかかわらず車乗ったんでしょ!普通乗りませんよ!宿を予約していたら!」

まさにその通りだった。

おばさんの一言は、僕の現在の状態を見事に言い当てていた。

僕はここ数日明らかに怠け切っていた。交通機関を利用することに慣れてしまっていた。列車やバスに乗ることが当たり前になっていた。

高知で足を怪我し、それが完治するまでは無理をせず交通機関を利用する。最初はそのはずだった。それが、足の怪我が治ったにもかかわらず、ちょっと気分が乗らないから、しんどいから、などと言って交通機関を使い続けた。完全に怠け切っていることに気付かず、乗り続けていた。

「気分が乗らないからリフレッシュする」

なんとか自分の行為を正当化しようとしていたけれど、結局はただ自分に負けてしまっていただけなのだ。歩き遍路失格である。

郵便局で現金書留の手続きを済ませると、僕はもう一度、先ほどの宿に電話をした。怠け切った僕に説教をしてくれたおばさんに、いまの僕の状態を見事に言い当ててくれたおばさんに、しっかりと謝りたい。そしてお礼の言葉を言いたい。そう思ったのだ。

「もしもし、すいません、先ほどの…」

「さっきのお遍路さん?」

「はい、えっとお金送らせていただきました。それからさっきのことなんですけど…」

「ああさっきのこと。こっちもいきなり怒鳴っちゃってわるかったねえ。もういいから、これからも元気に旅を続けてくださいね」

さっきとはうって変わって優しげなおばさんの声を聞いたとたん、目から大粒の涙がこぼれてきた。

「ほ、本当に申し訳ありませんでした…」

涙で前が見えなくなり、思わず、境内のベンチに座り込んでしまった。

電話を切ったあとも、涙はとめどなく溢れてきた。

どうして涙がでるのかわからないけど、いつまでたっても涙は止まってくれなかった。

僕は大宝寺のベンチに腰掛け、静かに泣き続けた。

本日の行程

宇和→大洲→列車→内子→車のお接待→44番→久万高原町泊 合計25キロ

44番札所大宝寺

P1010153

| | コメント (0)

25日目  うつな男

2005年3月7日

朝8時、41番札所龍光寺へ向け歩きだす。およそ10キロの道のり。

昨日、休暇を取って宇和島でリフレッシュできたおかげか、例の謎の倦怠感も今のところはなく、快調に歩き始めた。

思えば、この旅で初めてじゃないだろうか、フラっと訪れた街を散策するなんて、まるで観光旅行のようなことをしたのは。というか、宇和島のような大きな街に立ち寄ることさえここまでほとんどなかったもんね。徳島市や高知市のような県庁所在地も通過してきたけれど、いずれも街の中心から外れた隅っこの方をそろ~っと歩いただけ。

本屋によって漫画を買い、公園のベンチで弁当を食べながらゴロゴロし、気が向いたら商店街を散策し、その足で宇和島城に登る。まるで観光旅行じゃないですか。

おかげで、宇和島の街が大好きになってしまいましたとさ。

宇和島の街からしばらく歩くと、道路の両サイドに山が迫ったおなじみの光景が始まった。地図を見ればわかるけれど、いま僕が歩いている愛媛県南部というのはけっこう山がちな場所であり、宇和島クラスの街はほとんどない。特に、高知県との境にある愛南町なんてのは、列車も通っておらず、住んでいる方には申し訳ないが「陸の孤島」感たっぷりの場所。あとで知ったことだけれど、この地方は東京から最も時間のかかる場所の一つだそうだ。列車もない。空港も松山空港まで結構な距離がある。ならば車で、と思っても高速道路が走ってない。新幹線や道路網が整備され、空港もあちらこちらに新設され、「日本はますます狭くなる」なんて聞くけれど、そういったものとは無縁の場所だって日本にはまだまだ沢山あるのですね。

いやあ勉強になるねえ、お遍路の旅ってのは。たぶん、この旅に出てなかったら、この地方に来ること一生なかったんだろうな。

2時間ほど歩いて41番札所に到着。長い石段を登ったところにある小さなお寺。

ここまで40以上の札所を回って、札所の規模にかなりのばらつきがあることがよくわかった。旅に出る前、全国的に有名な巡礼であり、長い歴史を持っているのだから、それはそれは大きく立派なお寺ばかりなんだろう、などと僕は思っていたのだが、実際には京都や奈良のお寺にも負けない大きなお寺もあれば、どこの街にも一つはありそうなこじんまりとしたお寺もあり、ちょっと驚かされた。中には、札所に隣接する四国遍路とは一切関係のないお寺の方が大きくて、札所と間違ってお参りしそうになったこともあった。41番札所も、非常にこじんまりとした、地元に密着した感じのするちっちゃな札所だった。

次の42番札所佛木寺へは、41番札所の裏手の雑木林を抜けていく。2キロちょっとだから、30分もかからない。いやあ、久し振りだぞ、こんなに近い札所は。

次の札所まで100キロ!三日歩いてもつかねえ!とかそんなのばかりだったから、実に新鮮。

42番札所をお昼前に打ち終え、次なる43番札所明石寺まではおよそ10キロ。このペースならば、頑張れば大洲までいけるかもしれない。44番札所は、43番札所から大洲市と観光地として有名な内子町を通り、そこから山道へはいるおよそ60キロの道のり。最低2日はかかるそうだ。今日、頑張って大洲までいければ、今後の展開がだいぶ楽になる。僕は今日の目的地を大洲に定め、42番札所を出発した。

はずだったのだが、異変はすぐにやってきた。

昨日までのあの重苦しいやる気のなさに突然襲われたのだ。

まだ30分も歩いていないというのに、モチベーションが急落してしまった。

いま思うと、この時期のこの精神状態、まるで鬱病のようだった。気分の高い時と沈んでいる時との差があまりに大きかった。

まあ実際は、僕の根気のなさ、「めんどくさがり」な部分が出てきただけなんだろうけど。

出発前に読んだ、『四国遍路バックパッキング』とかいう、お遍路の旅を宗教的な部分からではなく、完全にアウトドアの面から解説した、賛否両論分かれる本の作者が言っていたんだけど、どうやら高知県と愛媛県の県境あたりで、ちょうどこの時の僕のような症状に陥るお遍路さんが少なくないらしい。

修行の道場・土佐で疲れ切ってしまったのか、それとも東京から最も時間がかかるという陸の孤島感にまいってしまったのか。

原因は定かではないが、モチベーションの下がるお遍路さんが多いのは確からしく、そしてご多分にもれず、僕もこの症状にかかってしまったのだ。

そういえば、愛媛県に入った時から明らかにおかしかったもん。

「宇和島で鯛飯くうぞ…」

『四国遍路バックパッキング』の作者はそれを目標に頑張ったらしいが、そんなもんでは僕のこの症状は改善されそうになかった。

歯長峠を越えたあたりでもうどうにも我慢できなくなり、肱川のほとりで休憩をとることにした。前の日のお宿、宇和島リージェントホテルさんが作ってくれたお弁当を食べ、しばらく横になる。ぽかぽか春の陽気で気持ちがいい。

しばらく空を眺めながら横になっていると、もう歩くのがどうでもよくなってきてしまった。

ずっとここで横になって、空を眺めていれたらどんなにいいことだろう…。

本日の行程

宇和島→41番→42番→43番→宇和パークホテル泊  合計26キロ

昔ながらのへんろ道

P1010149

| | コメント (0)

24日目  異変

2005年3月6日

それにしても昨日の宿はすごかった…。

のっけから宿の話で恐縮だけれども、書かずにはいられない。

昨日、なんとも締まりのないスタートを切ってしまったあと、気分がまったく乗らない中、僕は40番札所をなんとか打ち終え宿探しを始めた。時間もまだ3時前だし、翌日のことを考えるともう少し先まで歩いた方がいいのだろうが、正直あまりに気分が乗らないので、今日はここで打ち止め。地図を見る限り、今いる御荘の街にはビジネスホテルや民宿が結構な数あるようで、宿探しに困ることはなさそうだった。もう歩かなくていいかと思うと急に元気が出てくるあたりまったくいやらしい人間だな、と自分でも思ってしまうけれど、とにかく多少元気を取り戻した僕は、早速携帯電話を取り出し、めぼしいホテルに電話をかけ始めた。

しかし、気分が乗らない時というのは何をやってもダメなもの。案外料金が高かったり、しまいには電話がつながらなかったりと宿探しは予想外に難航した。しかし、ホテルで電話がつながらないというのもおかしな話だ。廃業しているわけでもなかろうに。仕方がないので、僕は目についたホテルに特攻することにした。さすがにフロントに行けば誰かいるだろう…。

しかし、気分が乗らない時には何をやってもダメなんだよ。街はずれのビジネスホテルに直接出向き、フロントのベルを鳴らしたり、大きな声で呼んでみたりした。それにもかかわらず、誰一人として姿を現してはくれなかった。

全滅である。あれだけホテルがありながら…。

改めて地図を見る。どうやら御荘の街で宿を逃した場合、10キロ先の内海村まで宿は一軒もないらしい。こりゃまいったな…。しかしこの寒い中野宿するよりはましである。僕は10キロ先にある「内海リゾートホテル」へ電話をかけた。

「内海リゾートホテル」に到着したのは、電話をしてから2時間後のこと。10キロの道のりを必死で歩き、なんとか到着。

しかし、まあ何度も書いちゃって申し訳ないけれど、気分が乗らない時というのは本当に何をやってもダメなんです。

なにがリゾートホテルだよ。

どっちかっていうとあれは廃墟じゃないのかい?いきなりこんなこといっちゃ内海リゾートホテルさんに失礼だけれどもさ。だって玄関の自動ドアが故障していて中途半端にあいたまま止まっちゃっているんですよ。入るときには自力でドアをスライドさせなくてはいけないのです。しかも、防犯のためなのか知らないけれど、鎖なんか巻いちゃってドア固定してるんだもの。あれで「立入禁止」の看板かかっていたらもう廃墟にしか見えないよ。外観は言うまでもなくぼろぼろだしさ。

そして内装もたまらなく恐い。電気止められているのかしら?廊下も階段も薄暗いったらない。よく朝のワイドショーなんかでやってる『北朝鮮のホテルにカメラが潜入!』みたいな企画。あれで特集されてそうだもん。それぐらい薄暗くてこわい。階段や廊下の死角から絶対何か飛び出してきそうなんです。

『その若者遍路は、35キロを1日で歩き通したという達成感に満たされて、意気揚々と階段を登って行ったのだった。

この先に、恐ろしい殺人気が潜んでいるとも知らずに…』

みたいなくだりで出てきそうだもん。江戸○乱歩先生あたりの小説にさ。

またこう言う時に限って宿泊者は僕一人で、しかもなぜか最上階の一番奥の部屋に案内してくれるんです。そんなに僕を驚かせたいんですか?ねえ、宿のお姉さん?

そうだよ、このお姉さんが『地下に大浴場ありますんで』とか言うから、恐い階段を下りて地下まで行ってみたのにさ、お湯入ってないじゃないのさ。この時ばかりは本当に焦りました。絶対これは罠だって。僕を地下に行かせ、その間に部屋や階段に仕掛けを施す…。

そんなところだったんです、昨日のお宿は。

まあ多少擁護しておくと、ご飯は宿の隣の居酒屋風の場所で豪華な海鮮料理をいただきまして、宿お姉さんも、化粧っ毛がなくて薄暗いフロントで見たときにはちょっと怖かったけれど、実は優しいいい人だったし。ただ本当に怖かったんだよ。あのトンネル並みにさ…。

で、そんなこともあり、昨晩は怖くてなかなか寝付けず、結局今朝は10時起床というこの旅始まって以来の大寝坊。

これはまずい、今日中に25キロ先の宇和島につけないぞ。

すぐさま支度をし、宿をでる。

しかし、歩き始めてすぐに異変を感じる。

昨日、峠を越えたあたりで現れたあの「やる気のなさ」に再び襲われたのだ。

正直言って足が前に進まない。少し歩くともう嫌になり、すぐに座ってしまいたくなる。

歩くのがまったく楽しくない。本当に苦痛で仕方がない。

こんな気分は初めてだった。

どうにか1時間ほど歩いてはみたものの、この妙な倦怠感は増すばかりで、ついに目の前にあるバス停に座り込んでしまった。

ここからは、今日の目的地宇和島までのバスが出ている。

これに乗れば30分ほどで宇和島につける…。

高知県で、初めて列車に乗った時の状況によく似ていた。

しかし、あの時ほど悩むこともなく、僕はあっさりと決断を下した。

バスで宇和島までいこう。

1日休暇を取ってリフレッシュした方がいい。

室戸岬を歩いていた時の僕ならばこんなことは考えもしなかっただろう。

しかし、この時、『宇和島で歩く』などという考えは頭の片隅にもなかった。

休暇を取る

そう決断した僕は、近くのバス停から20キロ先の宇和島へ向かうバスに乗り込んだ。

『ここで無理したらまた足がおかしくなるかもしれないし、昨日35キロくらい頑張ったんだから、今日はご褒美だよ。仕方無いじゃん』

誰に咎められたわけでもないのに、宇和島につくまでの間、ずっと弁解の言葉が頭を離れなかったのは、いまになって思えば、どこか後ろめたいものを感じていたからなのだろう。

本日の行程

宿→バス停→宇和島市内散策   合計6キロ

宇和島城

P1010142

| | コメント (0)

23日目  伊予へ

2005年3月5日

「今日は晴れだけれどもしかしたら雨がふりますよお」

なんてテレビのお天気お姉さんが言うもんだから、朝7時半、急いで出発。

これから高知と愛媛の県境である松尾峠を目指す。いよいよ土佐の国ともおさらばだ。

しかし、昨日泊まったアサヒ健康ランドはなかなかすごかった。

「若いんだからいい宿ばかりとまってちゃいかんきに!」

という久百々のおばちゃんの言葉に感銘を受け、39番の門前に民宿があるにも関わらず、あえて昨日は健康ランドに泊まってみたのだ。

お値段は驚きの1300円!この旅最安値を記録。

お風呂も広く疲れをとるのには最適で、食堂のご飯もなかなかおいしく、おまけに休憩室にはたくさんの漫画があり、10日以上も漫画や本から隔離されていて相当餓えていたんだろう、ついつい遅くまで「課長 ○耕作」を読みふけってしまった。特に、株を操作して会社を乗っ取ろうとする話は非常に面白かった。ライ○ドアの社長がフジテレ○を買収しようとしている最中ということもあるんだろうけども、面白かったんだねえ。

肝心の眠る部屋の暖房が効きすぎており、なかなか寝付けなかったのにはやられたが、1,300円ということを考えれば十分すぎるお宿だった。島○作も読めたし。いままでああ言った大人向け漫画は読んだことがなかったのでなんか新鮮なんだなあ。やっぱり株を操作するとか言われt

さあさあ、島耕作の話はどうでもいいという声があちらこちらから聞こえてきそうなのでこの話は打ち切り。頭の中にいる課長を追い出して、無心で宿毛の街中を歩いて行く。

街中に入り間もなくすると、前方に巨大なクレーン車の姿が見えてきた。そしてその横には、ボロボロになって今にも崩れてしまいそうな駅舎が静かにたっていた。2日前、土佐くろしお鉄道の特急列車が、猛スピードで終着駅であるこの宿毛駅に突っ込むという大事故が発生した。奇跡的に乗客に死者はでなかったものの、事故を起こしてしまった若き運転手は列車の中に閉じ込められたまま息絶えてしまったそうだ。久百々の宿でニュース速報を見たときには、まさかこれが隣町の、しかも前日に乗車していた路線でおきた事故だとは到底信じることができず、遠い外国で起きた事故のニュースを見ているかのような、どこか他人事の気分でテレビを眺めていた。それが、こうして実際に事故現場を目の前にしてしまうと言葉が出なかった。居た堪れなくなり、駅舎に黙って手を合せ、僕は先を急いだ。

駅から北へ10分、市街地を抜けるといよいよ山道が始まった。

高知県宿毛市から愛媛県愛南町へ行くには、松尾峠という標高300メートルほどの峠を越えなくてはならない。実はこの松尾峠、以前からちょっと楽しみにしていたポイント。出発前に仕入れた情報によると、ここには江戸時代の「国境碑」が残されているらしく、実に風情満点なんだそうな。さらに、ここ宿毛から愛媛県の南部にかけての海岸線は、いわゆるリアス式海岸によって変化にとんだ非常に美しい風景が見られるという。

高度を上げるにつれて次々と現れる絶景…

そして目の前に現れる古い国境碑…

江戸時代より数多くの旅人が通った松尾峠を越え、いよいよ伊予の国へ…

なんていう涙を流さずにはいられない感動の瞬間が待っているらしい。

う~んこれは楽しみ。実に旅らしくていいじゃないか。徳島から高知へ向かう際の境目トンネルっていうのも県境らしくてよかったけれど、昔から多くの旅人が通った峠道なんてのも風情があってまたよいじゃないか。

市街地から30分ほど緩やかな坂道を歩くと、いよいよ本格的な登りが始まる。

    

    『ここから山道 ちょっと先のお堂で休みなさい

                       村人より』

なんてかわいらしい看板があり気分をさらに盛り上げてくれる。

村人の忠告通り、山道はなかなかきつく幾度となく座り込みながらじわじわ登っていく。宿毛の市街地が遠ざかっていく。ついに修行の道場、土佐の国・高知県ともお別れだ。

長かったよなあ土佐の国は…。そしていろいろなことがあったよなあ…。足がえらいことになって病院の世話にもなったし、列車やタクシーのお世話にもなっちゃったし。まさに修行の道場の名にふさわしい厳しさだったなあ…。

でもいいところだったな、土佐の国は…。人がみんなやさしかったもん。子どもから大人まで、みんな気持よく挨拶してくれったっけ。27番札所へのみちの途中では「おはようございます!頑張ってください!」なんて声掛けてくれた子供もいたよなあ。昨日なんか宿毛の高校生にまで頑張ってなんて言われちゃったし。

いいところだったよなあ、土佐の国は…。

土佐の国との別れに一抹の寂しさを感じつつ、じわじわと峠を登っていく。

すると、木々の向こうに真っ青な海と幾つもの島々が姿を現した。

噂どおりの絶景に思わず息をのむ。

頂上は近い。

なおもじわじわと登って行く。そして前方に小さなお堂が姿を現した。

さあいよいよ頂上!

感動する準備はできている。さあでてこい国境碑!

…しかし、現実とは非情なもの。

あれだけ号泣する準備はできていたのに。

なんというかすごく地味なんだもん。

『従是右伊豫國宇和島藩支配地』

って書かれた碑も見つけた。すごいとも思った。

しかし、いかんせんわかりづらい…。

僕はてっきり、かなり大きめの碑が道の両端に立ち、その間をぬけて伊予の国へとはいるもんだと思っていた。

「こんにちは!伊予の国!」(泣きながら叫ぶ)

…っていう準備もしていたんだけど、実際には叫ぶ機会なし。

碑は木々の間に申し訳なさそうに立っていて、最初なんて気付かずに通り過ぎようとしちゃったもん。どこからが伊予の国かなんてわからないのです。

「よおしっ、ここから伊予の国なんだな…。それじゃあいくぞ!」

とか気合い入れながらジャンプして入るのを想像していたんだけれど、実際は、

「あれ?ついたかい?境界線は?国境碑は?ああ、あれ国境?もしかして僕、もう伊予の国入っちゃったかい?」

だもん。じわ~っと伊予の国に入っちゃいましたとさ。

なんとも締まりのないスタート…。室戸岬を目指して気合入りっぱなしで入国した土佐の国とは大違い…。

そのせいか、山を降りてもいまいち気分が乗らない。40番札所観自在寺を目指し歩くものの、なんというか歩くのが苦痛で仕方がない。途中、すれ違った野球少年に挨拶を無視されたことで、僕の気持はさらに急降下。

明日から、大丈夫だろうか…。

本日の行程

健康ランド→松尾峠→40番→内海の宿    合計30キロくらい

ここより伊予の国

P1010138_2

| | コメント (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年4月 »