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2009年1月

22日目  土砂崩れの道

2005年3月4日

「土砂崩れおきてるきに、こっちの道行きなさいよ!」

あいかわらず元気な久百々のおばちゃんにアドバイスをもらい、39番に向けて歩き始める。土砂崩れが起きている危険な道を避け、安全な道を教えてくれるとは、何ともありがたいです。

出発前、2日分の代金を支払いに行くと、おばちゃんはこう言った。

「一泊6,000円やけど、2日で1万でいいき」

なんともありがたい。2食プラスお弁当まで作っていただいた上にさらに値引きまでしてくれるなんて…。

高知県の宿は、27番手前の宿や、須崎市のひかり、そしてここと、人情味のある暖かい宿が本当に多く、とても楽しかった。そういえば、室戸岬で泊まった民宿も、夕食時に宿の若い兄ちゃんがビールおごってくれて色々と語り合ったっけ。

その高知も今日でおしまい。明日はついに伊予の国・愛媛県へと突入する。

宿を出てしばらくすると、地元の中学生が挨拶をしてくれた。

しかし、高知というのは子供たちが本当によく挨拶をしてくれて、とても気持ちがよかった。昨日も、足摺岬からの帰り道で下校途中の小学生と出会ったのだが、みんながみんな大きな声であいさつをしてくれた。

最近の若い子らは挨拶もできん…

なんてことをいう偉い学者さんや編集者さんなんかがいてるけれど、そういう人らは田舎の子供たちのことを見ているのかしら。地方には見知らぬ旅人にすすんで挨拶をしてくれる若者たちがこんなにもたくさんいるということを、わかっているのかしら。まあ別にいいんだけど。

さて、久百々のおばちゃんに教えられたとおりの道をしばらく歩いて行くと、前方に何やら工事関係の車両と黄色い看板が見えてきた。

むむ…。

これは通行止めなんじゃないかな?だって明らかに黄色い看板に『土砂崩れにより通行止め』って書いてあるぞ。

道を間違えたのかしら?

「土砂崩れおきてるきに、こっちの道行きなさいよ!」

っておばちゃんは言ったんだから、道路が土砂で埋まったこんな道のはずがない。

僕は地図を取り出し、おばちゃんが教えてくれた道を確認していった。しかし、間違ってはいない。僕はおばちゃんに言われたとおりの道を歩いてきたのだ。

「おかしいなあ」

『通行止め』と書かれた看板の前で途方に暮れる僕。

しかし、その『通行止め』と書かれた看板には秘密があったのだ。

看板をよ~く見てみると、『通行止め』と書かれた横に、小さく手書きでこう書かれていた。

『ただし 歩行者を除く』

「ん!」

まさかここを歩いて行けというのだろうか。この明らかに土砂崩れがおきていて間違いなく危険な気がするこの道を、本当に私に歩けというのですか?

もう一度地図を見返してみる。

そんなはずない。土砂崩れが起きた道を普通勧める?そんな危険な道を勧めるかい?

しかし、おばちゃんに教えてもらった道は、何度見てもここに通じていた。

そっか。ここ歩くんだ…。

そういえばおばちゃん、道を教えてくれたとき、こんなことも言ってた気がする。

「土砂崩れおきてるきに、こっちの道行きなさいよ!車とおらんき」

この言葉は要するに、

「土砂崩れが起きているから、(巻き込まれると危ないので)こっちの道をいきなさいよ!車もそんなにとおらないから」

ではなく、

「土砂崩れが起きているから(通行止めになっていて車も通らないので)、こっちの道を行きなさいよ!(人間は通交禁止じゃないし)

って意味だったんですね、おばちゃん。やっと承知いたしました、おばちゃん。車が通らないという理由で、土砂崩れに巻き込まれる危険性のあるこっちの道を勧めたんですね、おばちゃん。いやあ、日本語ってのは難しいねえ。

しかし、高知ってのは不思議の国だなとつくづく思う。だって、普通は土砂崩れの道なんて勧めないと思うけどなあ。

おばちゃんの言葉の真意を理解した僕は、(おばちゃんの優しさに感動したのではなく、土砂崩れの恐怖に怯えたことで)涙をめに浮かべながら、おばちゃんおススメの車の通らない(通るはずがないじゃん。だって道が土で埋まってるんだもん)道へと踏み込んでいった。

おばちゃんおススメのその道は、さんざん文句言った後に言うのもなんだけれど、思ったよりも快適な道だった。

土砂崩れが起きていたのは例の看板が立っていた入り口部分だけであって、あとは一切問題なかった。そして、ものすごく山奥を通っているのだろう、人工的な音は全く聞こえてこなかった。こう言うところを歩いていると例の恐怖体験を思い出してしまうけれど、幸いトンネルも現れず、僕は小鳥のさえずりのなか、口笛を吹きながらハイキング気分で歩いて行った。

そんな時である。

ゴーッ!という機械音が聞こえたかと思うと、僕の横を黄色っぽい車が走り抜けていった。突然のことで驚いた僕は思わず道端に倒れこんでしまった。走り去るその車の後ろには、国土○通省ってかいてあった。

えー車来ないって言ってたじゃん…。僕が歩いていたのは山側だったからいいけど、反対側だったら、30メートルくらいの崖に落ちていましたよ。ねえ、国○交通省さん。

その後、山奥になぜか一軒だけ佇む民家で飼われている野犬に襲われたり、突然現れたダンプカーをよけようとして崖に転落しかけたりしたりとなかなかのサバイバル体験をしたのち、山深い山村、三原村に到着。

この村、街中に信号が全く見当たらない不思議な村。まあ車ほとんど通らんしいいんだろうけどさ、ここで育っ子供なんか街でた時どうするんだろうね?交通ルールも何も。信号見たことないってんだからねえ。

そんな心配をしつつ、山奥の道をさらに歩くこと3時間、僕はついに高知最後の札所、39番延光寺に到着した。

室戸岬の24番札所から数えて16個目。長かったな、本当に…。

高知県を無事旅で来たことを感謝し、僕は札所をあとにした。

本日の行程

久百々→三原村→39番→宿毛市内健康ランド泊   合計30キロくらい

楽しいおばちゃんのいる宿

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21日目  悟り

2005年 3月3日

朝6時半ごろ、久百々の宿を出発し、土佐の国最大の難関、足摺岬突端の38番札所金剛福寺を目指す。距離は片道およそ22キロ。往復で44キロ。これは、僕の足を破壊した室戸岬の40キロを超え、この旅最長の歩行距離となる。

昨日言ったとおり、足摺岬へは、宿に2泊し、荷物を預け向かうのが一般的となっており、僕もそれにならおうとしているわけだけれども、荷物なしでも44キロは厳しいんじゃないかしら…。幸い足の方は、ここ数日のゆっくりペースと、例の消毒薬「イソ○ン」のおかげでほぼ治ってきてはいるけれど、また悪化しないだろうかと不安は募る。

「あんたコンパス長いき!昼前にはついてしまうわ!」

朝から元気な久百々のおばちゃんと、昨日夕食時に意気投合した、同い年の若者遍路、林くんに見送られ歩き出す。

彼は三重県出身で、現在は奈良県の大学に通っており、昨年歩き遍路をした友人に影響され歩き始めたとのこと。僕と同じく4月からは大学3年となり、彼もそろそろ就職を考え始めるころ。

同じような悩みを持っていたこともあり、話がよくあった。お互いの住所を交換したので、これから会おうと思えばいつでも会えるけれども、この旅の途中で会うことはもうないんだろうな。

前にも言ったことあるけれど、歩き遍路の旅では1日の差がものすごく大きい。1日差がついてしまうと、距離としては30~40キロは離されてしまう。歩きのみでこの差を縮めるのはまず不可能。現に、一昨日別れた奥山くんとは、およそ10キロほどしか離れていないだけなのに、今だに出会えていない。

林くんとはまだまだいろいろと話をしたかったけれどねえ。

久百々の宿から1時間ほど歩くと、一般道から大岐という海岸に下る。ここからは砂浜沿いを歩くらしい。早朝の誰もいない海岸を一人で歩く。それはまるで、『砂の器』のワンシーンのよう。空は今にも雨が降り出しそうな曇り空。まさに旅という感じ…

に、傍からみたら見えるんでしょうけれどね、実際歩いているこっちにしたらそれどころではないのです。

砂浜というのがここまで歩きづらいところだとは思いもしなかった。足が砂に沈むこと沈むこと…。まるで足腰を鍛えるために、靴に鉛でもつけているかのような気分。僕は別に足腰鍛えたくはないんだけどなあ。

砂浜を乗り越えると、今度は一般道へ戻るため、苔むした岩場をひたすら登る。

なんだ、また一般道へ戻るんだったら、わざわざ海岸おりなくてもよかtt

なんて文句を言うと、どこかで見ているお大師さんがさらなる苦行を与えてくることを僕はここまでの旅で分かっているので絶対に言わない。

その後は、一般道をひたすら南下。窪津という小さな漁村で魚市場をのぞき見した以外は、特に見るべきものもなく、ただひたすら南下。

しかし、荷物がないというのがここまで楽なものだとは思わなかった。例の海岸は除くけれど、一般道ではあまりの身の軽さにかつてないほどのスピードで歩くことができた。徳島の10番札所手前で会った高速ばあさんとの死闘を思い出す。しかし今日はそれ以上の速さで歩き続けた。今まで8キロ前後の荷物を背負ってよく歩けていたな…。

高速で、そして休憩を1度もとらずに歩き続けてしまったおかげで、10時半には足摺岬に到着してしまう。22キロを4時間。時速5キロ超!

このペースでいったら、今日中に39番までいけちゃうんじゃね?あはあはあは

なんて調子に乗るもんだから、お参りの最中についに雨が降り出してしまった。恐るべし、お大師様…。

とりあえず傘を購入するため、急いで門前の土産物やへ向かった。その時、門の手前で若い茶髪の兄ちゃん二人とすれ違った。白装束を着ているところを見ると、一応遍路なんだろうけれど、こちらが挨拶をしても返してくれなかった

お遍路(というか歩き遍路だけ?)の間では、札所なり遍路道なり、すれ違ったら挨拶をするのが当然のこととなっていた。仲間意識というものもあるけれど、たとえ遍路でなくても挨拶は基本である。

傘を買い土産物屋から出てくると、先ほどの茶髪やろうが、バカ騒ぎをしながら車に乗って出発するところであった。

昨日、三重出身の林くんと話した時にこんなことを聞いた。

「京都とか奈良の仏教系の大学は、四国遍路を行うと単位もらえるらしいで。しかも歩きでも車でも関係ないらしい。うらやましいのお~」

大学には行くけれど授業にはさっぱり出席していなかった僕たちには何ともうらやましい話なのだが、先ほどの挨拶無視茶髪やろうも、単位目当てで札所を回っている大学生なのかもしれない。まあ決めつけはよくないけどさ。

しかし、単位目当てで札所まわっていいことなんかあるのかしら。僕だって、趣味の一環で信仰心もなくふらっと歩き出したわけだから偉そうなことは言えないけれど、実際に歩いてみて、ただ札所を回るだけでは幸徳もなにもないような気がしてきた。

実際に札所間の道を歩いてみて、多くの人や自然と触れ合ってこそ、幸徳はうまれるんじゃないかなあ…。なんて柄にもなく偉そうなことを述べてしまいましたとさ。

というか、どんな方法、どんな動機でも遍路には違いないんだから、比べちゃいけないんだろうけどね、本当は。あーまだまだ悟ってないんだなあ、もう半分歩いてきているというのに。

本日の行程

久百々→38番→久百々泊  合計44キロくらい

大岐海岸より足摺岬を望む

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