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2008年12月

20日目 恐怖体験

2005年3月2日

僕がいま行っている巡礼という行為は、元々は霊的な行為なわけで、いつかは本当にシャレにならないほどの恐怖体験に襲われるのかもしれない。

なんて昨日の日記で書いてしまったもんだから、本日、本当に恐ろしい体験をしてしまいました。今日はそのことについて、つつみ隠さず書きたいと思います。で、今日に限ってフォント変えます。いつもの間抜けな字じゃ一つも怖くならないし。

朝10時、チェックアウト時間ぎりぎりに、僕は中村駅前のとあるビジネスホテルを出発しました。いつもより遅い出発。というのも、明日の足摺岬アタックに備えて、今日は久百々という集落に宿を取ってあるのです。距離は20キロ弱。急ぐ必要はなかったのです。

日本最後の清流、四万十川のほとりで朝食兼昼食を済ませた僕は、観光バスも通る比較的大きな道を歩き始めました。国道321号線です。

3月に入り、お遍路の旅もシーズンを迎えたのでしょう。僕の横を通る観光バスには、白衣をまとったお遍路さんがたくさんのっていました。手を振る人、歩きの僕を見て、隣同士指をさしながら何やら話をしている人、のんきに居眠りをする人など。

居眠りとは、バス遍路は気楽でいいやねえ…、などと心の中では悪態をつきながらも、笑顔でバス遍路に手を振り返し、爽やかな若者歩き遍路を演じつつ、僕は歩いて行きました。街から山の方へと続いていく国道321号線を、僕はひたすら歩いていったのです。

1時間ほど歩くとあたりはすっかり山深くなり、所々にあった民家も、いつの間にか姿を消していました。どこを見ても木、木、木…。聞こえる音といえば、時々通る車の音と鳥のさえずりぐらい。

そんな、人気のない山奥の道を歩いて行くと、前方にトンネルが姿を現わしました。

新伊豆田トンネル  全長950m

入口の看板にはそう書いてありました。

ここまで20日間歩いてきて、僕は幾度となくトンネルを通過してきましたが、950mというのはかなり長い部類に入ります。

しかし、ここを通らない限り今日の宿にはたどり着けません。地図を見ると、このトンネルの向こう側は土佐清水市とのこと。目的地までは10キロもありません。

「おし、もう少しだな」

僕は気合いを入れなおし、トンネルに入って行きました。

といっても、そのトンネルはさほど恐れるよなものではありませんでした。交通量は少なく、できたばかりなのか電燈も明るく、歩き遍路にとっては言うことなしの快適なトンネルでした。今まで通ってきたどのトンネルと比べても、いや、これから通過するであろうトンネルを含めてもかなり良い部類に入るのではないでしょうか。

あの出来事がなければの話ですが…。

カツン… カツン… カツン…

杖の音が響く中、僕は歩き続けました。周りに民家もないかなりの山の中。車も全く通りません。

200メートルほど行った時でした。

前方に、なんていうのでしょうか、赤い警報器のようなものが見えました。トンネルで火災や事故があった時に利用するであろう、あれです。

何の変哲もない、どこにでもある警報器。僕は何事もなくその横を通過する。

そのはずでした。

や め れ ば い い の に 

その警報器には8文字の意味不明な言葉が書かれていました。いや、正確に言うと、周りの壁にまではみ出すぐらい大きな字で書かれていました。オレンジ色の電燈のせいで色はよくわからなかったのですが、とにかく大きく、そして殴り書きというか、ひどく雑な文字でした。

「な、なんだよこれ…」

いつもなら笑い飛ばしているのでしょうが、今回は違いました。その意味深な言葉を見た瞬間、僕は背筋が凍りつくのを感じました。

考えても見てください。ここは民家すらない山の中。1番近い集落でも数キロ離れているのです。こんな悪戯のために、わざわざ何キロも歩いて来る物好きがいるでしょうか。車でここまで乗りつけた誰かが書いたとも思えますが、それにしても、わざわざトンネルの中に書く必要はないのではないでしょうか。

それでは、一体誰が書いたというのでしょう。

そして、その言葉の表わす意味とは…。

何を辞めろというのだ。

遍路を?大学を?まさか人間を…。

嫌な考えばかりが浮かんできます。

「だ、だめだここにいちゃ。早く先へ行かなきゃ」

そう思うが早いか、僕は猛スピード歩き始めました。早くこの場から離れなくては…。

しかし、歩いていても嫌な考えは浮かんできます。

「やめればいいのに」

この言葉の後には「さもなければ…」という文が続くのではないだろうか。「さもなければ○○してしまうぞ…」みたいな。そういえばこんなシチュエーションどっかでみたぞ。本だったか映画だったか。

しかし、恐怖はこれだけでは終わらなかったのでした。

高速で歩く僕の前方に、何やら白い物体が落ちているのに気がつきました。

ビニール袋?

はじめはそう思いました。トンネルの中には、ドライバーの方が捨てたビニール袋がよく散乱しているのです。

しかし、その物体に近づくにつれて、なんとなくビニール袋ではないような気がしてきました。

布?

そう、布です。白いテーブルクロスのようなものが落ちているのです。大きさは40~50㎝くらいでしょうか。

しかし、布にしては何か違和感があります。よく見ると何やら紐でのようなものでギュッと縛られているのです。

「てるてる坊主?」

僕は直感的にそう思いました。しかし、いくらなんでも大きすぎやしないか。40~50㎝の巨大なてるてる坊主…
僕は再び寒気に襲われました。なんでてるてる坊主がトンネルにあるんだよ。おかしいじゃないか…。

しかし、あの物体を乗り越えない限り外には出られません。僕は恐怖におびえながら歩き続けました。

てるてる坊主のはずがない…。

先ほどの考えを必死で打ち消そうとするのですが、近づけば近づくほどてるてる坊主に見えてくるのです。

なぜか?

だって顔が書いてあるんです。その白い物体には…。

そして、その顔は、紐できつく縛られたことにより歪んでいたのでした。

首を思いっきり絞められて苦しんでいるてるてる坊主だったのです…。

「うわあ!!」

僕は発狂寸前でした。

「な、な、なんだよこれ…」

その瞬間、僕の脳裏に先ほどのあの言葉が浮かびました。

や め れ ば い い の に

な、なにをやめろっていうのさ。まさかやめないと、てるてる坊主のように…。

僕は限界でした。

わき目も振らずに僕は走り出しました。

や め れ ば い い の に

その言葉がいつまでも頭から離れません。

心なしか、寒気がひどくなり、肩のあたりが重く感じます。

もはや、後ろなんか振り返られません。だって明らかに後ろに何かの気配を感じる。

そして、こう言う時に限ってどうでもいいことが頭をよぎります。

あ、思いだした。さっき例の言葉を見つけたとき、このシチュエーションどこかで見たと思ったけれど、あれは『リング』だよ。たしか小説版『リング』の呪いのビデオのシーンでこんなシチュエーション見た気がする!

しかし、思いだしたはいいけど、『リング』といえば貞子である。こんな恐怖体験の真っ最中に貞子って…。自分の首を締めすぎですよ、お兄さん。

謎の言葉と首絞めてるてる坊主に追われた僕は、とにかく出口を目指し走り続けました。恐怖に押しつぶされそうになりながらも必死で走りました。

そして…

「うわあ!!」

叫び声とともに、僕は出口の光の中へと飛び込んでいきました。すると不思議なことに。あのゾクゾクとした寒気と、背後に感じた気配がスッと消えたのでした。後ろを振り向いて見ても、そこには何もいませんでした。

「かんべんしてくれよお…」

僕は、その場に座り込んだまま、しばらく立ち上がることができませんでした。

結局、あの謎の言葉と、てるてる坊主がなんだったのかはわかりませんでしたが、宿に到着後、不思議な事実が判明したのでした。

この日僕が泊まる宿は、「足摺岬へ向かうもの」と「足摺岬から戻ったもの」が出会う宿でした。

38番札所は足摺岬の突端にあります。そして、次の39番へは、この宿がある久百々の集落から道が出ています。ちなみに、久百々の集落から38番札所までは20キロほど。

つまり、38番札所に行っても、その後はどちらにしろ久百々の集落まで引き返さなくてはならず、しかも距離が長いため1日で39番まで行くのは不可能であり、それゆえ、久百々の集落の宿に連泊し、荷物を預け、38番札所を目指すのが主流になっており、そのため「足摺岬へ向かうもの」と「足摺岬から戻ったもの」が出会うわけなのです。

夕食のとき、僕はこの恐怖体験を語りました。すると、同宿のお遍路さんが不思議なことを言い出しました。ちなみに、その日泊まっていたのは僕を含めて3名。一人は連泊して本日足摺岬へ行った若者遍路。もう一人は、僕と同じく今日中村市から歩いてきたおじさんで、ちょうど僕の1時間ほど後ろを歩いていたようでした。

まず若者遍路が言いました。

「例の言葉は昨日みたなあ。でもてるてる坊主はなかったぜ」

そして僕の1時間後ろを歩いていたおじさんはこういいました。

「例の言葉には気付かなかった。てるてる坊主も無かったけどなあ」

僕の前を歩いた若者遍路が目撃していないのはまだわかります。前日のことですし。しかし、僕のすぐ後ろを歩いた人があのてるてる坊主は見ていないというのは…。

僕が見たあのてるてる坊主はどこへ行ってしまったのでしょう。

そして、あの謎の言葉の意味するものとは一体なんだったんでしょうか…。

本日の行程

中村→恐怖体験→久百々   合計20キロくらい

追伸

先日、ネットで例のトンネルのことを調べてみると、昔あの峠は古戦場だったそうです。

ちなみに、Wikipediaで「心霊スポット一覧」を検索すると、例のトンネルがある峠が出てきます。やはりなにかあるんですね。

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19日目 不思議の国

2005年 3月1日

ついに3月突入。今日は昨年、1番札所を歩き始めてからちょうど1年という記念日だ。

あれから1年。早いねえ…。あの時出会ったお遍路仲間たちはみんな元気にやっているのでしょうか。

そんな1周年記念の日に、僕は100キロ先の足摺岬先端に位置する38番札所金剛福寺を目指し、歩き始めたのでした。

札所と札所の間が100キロってすごいわ…。その間札所が一つもないんだぞ。大阪からだと、兵庫県を完全に無視して岡山あたりまで行くってことだもん。

『ちょっと岡山のお寺に歩いて行ってくるわ』

こんなこと大阪で言ってみなよ。変態だと思われてしまう。

同じ県内だといまいち実感がわかないけれど、他の都道府県で例えると、いかにとんでもないことかがよくわかる。

というわけで、100キロ先の足摺岬へ向けて歩きだしたわけだが、もちろん1日で行くのは無理なので、今日はおよそ40キロ先の中村市を目指すことにした。中村市と言えば四万十川。ついに日本最後の清流とご対面だ。

結構深い山の中に位置する37番札所からひたすら国道を歩き続け、まずは太平洋に面した土佐佐賀町を目指す。

途中、コンビニでパンなどを購入し、ちいさな小川のそばに座って朝ごはん。その姿をみた近所のおじいさんがコーヒーをお接待してくれた。本当にありがたいです。

余談になるけれど、高知県には、僕が普段見慣れているコンビニがほとんどといっていいほどない。

セブンイレブンは四国には進出していないそうなので仕方ないが、ローソンやファミリーマート、サンクスなんかは徳島県内でもよく見かけた。

しかし高知県に入ってからというもの、これら大手のコンビニはパッタリと姿を消してしまい、あるのは『スリーエフ』や『ヤマザキYショップ』、『スパー』などという謎のコンビニばかり。

しかも、このご時世には珍しく24時間営業をしていない。郷に入っては郷に従えということか、地元の個人商店と同じく朝7時開店夜11時閉店(正確には個人商店よりちょっと長めの営業時間)。リアル『セブンイレブン』を僕は初めて見た。

高知県民には申し訳ないけれど、まったく不思議な場所だな、高地ってのは。そして日本は広いなあとつくづく感じてしまう。こういう場所が今の世の中にあるんだものねえ。

朝食後も、太平洋を目指してひたすら歩き続ける。周りは山に囲まれ本当に何もなく、人の姿も滅多に見えない。たまに車が通るだけ。こう言う時は何も考えずひたすら歩くに限る。

しかし、無心で歩かれると、この日記に書くネタがなくなってしまい、こっちとしては困るんだよなあ。

というわけで、また余談ですが昨日の宿のことを少し。

昨晩は37番札所岩本寺の宿坊に泊まったのだが、なんとびっくり宿泊者は僕1名のみ。元々はバスなどで来る団体遍路用に作られたのだろう、ここの宿坊はかなり広かった。そのだだっ広い宿坊に僕一人だけである。

そして、ここは山深い小さな町にひっそりと佇むお寺。もう怖いったらない。

部屋にはテレビもないので本当にシーンとしている。

そしてそして、こう言う時に限って、部屋にトイレが付いていない。薄暗い廊下を通らないとトイレにはたどり着けない。

絶対こういう時って何かでるんだよ…。小学生のころ『学校の怪談』とかでよんだもの。絶対あの廊下の角には老婆が座ってこっちを見てて、トイレの個室からは包帯巻いたおじさんが出てくるんだよ…。

できることならあまり行きたくない。

でも、こう言う時に限って頻尿なんだよなあ。

まあ結局、老婆も包帯おじさんともあわずに無事朝を迎えることができたのですが、よく考えてみると、僕がいま行っている巡礼という行為は、元々は霊的な行為なわけで、いつかは本当にシャレにならないほどの恐怖体験に襲われるのかもしれない。

さて、おばけにも遭遇せず歩き続けた僕は、午後1時をまわったころ、太平洋を一望できる広大な公園、その名も『土佐西南大規模公園』到着。

駐車場に座って休憩していると、すぐ後ろの藪のなかで何かがゴソゴソと動いた。

サル?ネコ?

藪の中に頭を突っ込んで見てみると、そこには灰色をした野ウサギが。野生のウサギって初めて見た。やはり高知は不思議の国だ。

その後は中村まで歩き続ける。といっても、まだまだ20キロほどの道のり。まだ足の状態は完ぺきではなく、また無理に歩くと室戸岬の二の舞になるので、10キロちょっと歩いたのち、そばにあった小さな駅から列車に乗ることにした。

高台にある駅からは、遠く海の向こうに足摺岬が霞んでいた。

うーむ。敵はまだまだ遠い

本日の行程

37番→土佐西南公園→ちっちぇ駅→列車→中村市泊  合計30キロくらい

遠くに霞む足摺岬

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18日目 若き修行僧

2005年 2月28日

朝の7時、美しい朝日の中を出発。今日は一気に37番札所を目指す。といってもおよそ30キロほどなのでそれほどきつくはないはずだ。

宿を出るとしばらくの間緩やかな上り坂を歩く。徐々に高度があがり、眼下には朝日に照らされた須崎市が姿を現す。須崎市は海に開けたちょっと大きな街で、港には幾隻もの船が停泊していた。

その美しい景色をボケーっと眺めていたところ、ほぼ同時に出発して、僕のすぐ前を歩いていたはずの福島出身奥山くんの姿がいつのまにか見えなくなっていた。彼は本当に歩くのが早い。そして、必ずいつも一人きりで歩いていた。

お遍路さんになる理由は人さまざまであり、僕みたいに軽い気持ちで始めた人間だけではなく、何か深い理由で、そして強い決意を持って歩き始める人も多いらしい。もしかしたら彼もなにか深い理由があってお遍路の旅に出たのかもしれない。一人で黙々と歩いている彼の姿は、まるで修行僧のようだ。

僕には到底真似できないだろうな。気持ちからして違うもの。

2時間ほど歩いたところでコンビニを発見し、ちょっと遅めの朝ごはん。

徳島県内を歩いていたころは宿で食事をすることが多かったのだが、今回の旅では、主に節約目的で、夕食、朝食を抜いて素泊まりで泊まることが多くなっている。

歩き遍路が利用する宿は、宿坊、昔からお遍路さん相手に営業してきた遍路宿と呼ばれる民宿、国民宿舎、ビジネスホテルなど、比較的安いところ。お値段は、2食付きで6,500円くらいが相場なようで、いままで利用した宿も大半がそのくらいだった。しかし、お金のない学生貧乏遍路には、それでもちょっと高く感じてしまう。そしてこの寒い中野宿をする勇気もないヘタレ遍路である僕がたどりついた答えが『遍路宿の食事なし素泊まり利用』なのである。

宿にもよるけれど、食事を抜くとおよそ2,500円から3,000は安くなるのだ。食事は、街中を通過した時にコンビニやスーパーで買いこむ。こうすれば、1泊2食付きの金額で2日分の宿を確保できる。

というわけで、昨日の宿も食事なしの素泊まりで利用したのだが、実は今回は僕が自ら食事を断ったのではなく、例え食べたくても食べられなかったのだ。

宿に予約の電話を入れたところ、応対したおばちゃんは、ものすごく深刻そうな声で僕にこう言った。

『あのなあ、兄ちゃん、今日は食事用意できんけどもそれでもいいんか?』

はじめから素泊まりの予定でいた僕にとっては特に困ることでもなかったのだが、食事ができないとは、何か重大な用事でもあるのかしら?まさか葬式?そんな時に泊まってもいいのかしら…。

そんな不安を抱きながら夕方宿に到着。一般の民家を改装したようなちっちゃな民宿だった。そろりと中に入って人をよんでみると、さっき電話にでたと思われるおばちゃんがゆっくりと現れた。

『ああ、さっき電話くれたおにいちゃんやな。2階と1階どっちがいい?』

のんびりと僕を部屋に案内するおばちゃん。悔しいことに、少しも忙しそうには見えない。

「今日なにかあるんですか?」

思い切って僕は聞いてみた。

『はあ?』

「いや、電話で食事は用意できんっていってたもんで」

『ああ、今日な、息子の嫁がおらんきに、近所の仲間連れてきてうちで騒ぐんよ。じゃきん食事の用意はできんわけ。わかったか、にいちゃん』

お客さんがいるにも関わらず、友達と騒ぐから食事の準備をしないというこのマイペースぶり。昨日の『国民宿舎 土佐』さんのような綺麗でサービスの良い宿もいいけれど、今回のようなマイペースでのんびりとした宿も僕は大好きだ。

さて、コンビニで腹ごしらえをし10時過ぎに再び出発。ここから先は久しぶりの山道だ。高知に入ってからというもの、海沿いの道路をひたすら歩き続ける毎日だったので、正直言って山道が懐かしい。足の具合もかなり良くなってきており、快調に登っていく。『山登りのO川』1年ぶりの復活!

それにしてもこの山道、かなり狭く、場所によっては人同士がすれ違えないような場所すらある。登山道の入り口にあった看板に書いてあったのだが、ここは通称『そえみみず遍路道』といい、昔は重要な幹線道路として機能していたらしく、毎日たくさんの人が、大きな荷物を背負った馬を引いて通ったそうだ。

この急で狭い山道を馬をひいてとは…。

いやあ、昔の人っていうのはすごいねえ。昔っていっても、わずか100年ほど前の話なんだからねえ。車も列車もないころの生活というのは、想像できないくらい辛いものだったんだろうな…。

『そえみみず遍路道』を抜けたら、あとは37番札所岩本寺までひたすら道路を歩く。途中のコンビニでカップラーメンを買いしばらく週刊誌などを立ち読みし情報を吸収。前回もそうだったが、お遍路の旅に出るとテレビや新聞を見る機会が極端に少なくなり、世間のから取り残されていくのを強く感じる。まあ世間から隔離され、歩くことに没頭できるのがお遍路の旅の魅力なんだろうけど。

その後も歩道のない狭い道路をびくびくしながら歩き、午後4時前に札所に到着。今日はここの宿坊に泊まる。

門をはいると、先に到着していた奥山くんがベンチに座りたこ焼きを食べていた。

聞けば、これからもう少し先まで歩くのだという。何という根性。やはり相当強い意志をもってこの旅に出たのだろう。颯爽と歩きだした奥山くんの姿は相変わらず修行僧のようで、とてもかっこよかった。やはり彼と僕とでは意志の強さがまったく違う。

もう奥山くんに追い付くことはないんだろうな。

若き修行僧の姿をみて、僕は不思議とそんなことを思ってしまった。

本日の行程

民宿→そえみみず遍路道→37番泊   合計30キロくらい

国道を行く歩き遍路(右奥が若き修行僧奥山くん)

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17日目 思い出の街

2005年 2月27日

昨晩泊まった『国民宿舎 土佐』は、今までの宿の中で最も快適なお宿だった。ここに来るまで、僕は国民宿舎に対してあまりいい思い出がなかった。

徳島の最後に泊まった国民宿舎『うみがめ荘』は、例のあの子と別れた直後ということもあり、設備のぼろさにやたらと腹が立った記憶がある。

また、数日前に泊まった国民宿舎『海風荘』も、スタッフの方々は濡れた靴を乾かしてくれたりととても親切だったのだが、やはり設備が古く、しかも連続歩行記録が途絶えた直後ということもありあまり良い思い出がなかった気がする。カップラーメンの自動販売機にお金を入れたのに商品が出てこず、涙目になってしまった、くらいしか思い出せない。

こんなわけで、僕自身、国民宿舎に対してあまり良いイメージを抱いていなかったわけだが、なんとこの『国民宿舎 土佐』さんは、その悪いイメージをすべて吹き飛ばしてくれたのだ。

まず設備が素晴らしくきれいだった。ロビーはどこかのビジネスホテルのように小ぎれいで、インターネットまで完備されていた。

スタッフの対応も気持ちがよかった。僕は当初、格安のドミトリー(相部屋)を利用しようと考えていたのだが、残念ながら満室で、仕方なくちょっとお高い一般室に泊まることにした。しかし、僕が歩き遍路だとわかると、

『歩き遍路さんだとわかっていればドミトリーのお部屋をご用意したのですが、こちらの不手際で申し訳ありません』

と言って、一般室の料金を割り引いてくれたうえに、朝食までつけてくれた。

僕が予約の電話をするのが遅くなっただけで、宿には一切の不手際はないというのにだ。

そしてなにより、景色が素晴らしかった。『国民宿舎 土佐』さんは、太平洋に突き出た横浪半島の高台に位置しており、遠くに室戸岬を望むこともできた。

(あんな遠くから歩いて(列車乗ったくせに)来たんだな)

雄大な景色を眺めながら食べる朝食は、ここまでの旅で食べたどんなものよりもおいしく感じ、ついつい長居してしまった。

というわけで、『土佐』さんを出発したのは朝8時半過ぎ。まずは、お宿の隣にある36番札所青龍寺へと向かう。ここは、現在の相撲界で最強を誇っている横綱・朝青龍が、高校時代、よく走りこみをしに来ていたことでも知られている。

と、『国民宿舎 土佐』さんや朝青龍の話をしすぎてすっかり忘れていたけれど、いつまで経っても治る気配のなかった足のうらの怪我。それがなんと、今朝起きてみると驚くほど回復していたのだ。

具体的にいうと、皮が剥けてしまい、いくら消毒してもぐじゅぐじゅのままだった足の裏がきれいに乾燥していたのだ。痛みもだいぶ引いており、さらに筋肉痛もなくなり、ほぼ通常通りに歩けるようになっていた。

いやあ、さすがは天下の消毒薬『イソジン』。カバのマークは伊達じゃないねえ。こんなことなら早く病院に行けばよかった。

足の痛みをほとんど感じることもなく、普通に歩けるというのがこんな素晴らしいことだったとは!

僕はうれしさのあまり、まだ完全に治っていないことなどすっかり忘れて、高校時代の朝青龍が特訓していたという青龍寺の大階段を、とっとことっとこ駆け上っていった。

36番札所をあとにした僕は、海沿いの寂れた漁村を須崎市までのんびりと歩いていった。「寂れた」なんて、住民の皆様には失礼な言い方だが、僕にはその寂れ具合が何とも気持ちがよかった。

昨日も書いたけれど、僕は高校三年生の夏休み、受験生としてまさに勝負の季節に、『海がきこえる』という小説にハマった。

トトロを作ったスタジオ○ブリによってアニメ化されていたこともあって以前から物語の存在は知っていたのだが、たまたま予備校近くの本屋で発見し、現実逃避も兼ねて自習室で読み始めたところ見事にハマってしまったのだ。

内容は、大学合格を機に上京した一人の青年がふとしたきっかけで高校時代好きだった女の子と再会し、思い出に浸りながら東京での新生活を送っていくという、まあ受験生にとっては実にタイムリーで、なんとも甘ったるいなお話なのだが、その主人公の青年の故郷が高知だったのだ。

どうでもいいことにすぐ影響される僕は、大学に合格したらぜひ高知を旅しよう、と勉強そっちのけで旅の計画を練り妄想を膨らませていた。その妄想の旅の中の風景と、いま歩いている漁村の風景が実によく似ていた。

小さな漁港に並ぶボロボロの漁船。

昔ながらの木造の家々。

街はずれの丘の上に見える小さな小学校。

防波堤で昼寝をするネコ。

僕が思い描いていた「高知」がそこにはあった。

僕は不思議と切なく、そして懐かしい気持に浸りながら、須崎市までの20キロ余りをとぼとぼと歩いていった。

一昨日までの時間に追われたあわただしい日々が、まるでうそだったかのようなのんびりとした1日。

やっぱり旅はこうでなくては。

本日の行程

宿→36番→漁村を歩く→須崎市泊  合計30キロくらい

朝青龍が特訓した階段

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16日目 ゆとり

2005年2月26日

32番禅師峰寺のやさしいおばちゃんに助けられ、無事納経を済ますことができた翌日、僕はついに病院の御厄介になってしまった。

朝、足のあまりの痛さにしばらく立ち上がることができなかった。それでもなんとか気合いを入れて出発するも、万族に歩くことすらできなかった。足の裏は皮がむけ、真っ赤にはれていた。それに加えて、昨日の無理が祟ったのだろう、とんでもないくらいの筋肉痛に襲われてしまい、足をあげて歩くことができないのだ。こんなことは初めてだった。

それでも、足を引きづりながらなんとか歩き続け、33番雪渓寺に隣接するちょっと大きめの病院に入った。1番札所を出発して通算で16日目。まさか病院の厄介になる日がこようとは…。

平日の朝ということもあり、病院の中はおばあちゃんたちの井戸端会議場と化しており、僕は明らかに場違いだった。そして、病院の先生にこっ酷く叱られた。

『あー、こんなに酷くなるまでほっといて…』

「すみません…」

『どんくらい歩いたんじゃ?』

「4日前に徳島との県境を出っぱt…」

『はあ?県境?無理しすぎじゃけん、あほやなあ…』

「すみません…」

『ああもう、とりあえず消毒薬ぬって薬も出しとくから、もう無理してあるいたらいけんよ!』

とうわけで、僕は両足の裏を消毒後、包帯をまかれ、ありがたいお叱りの言葉と消毒薬を頂いたのち病院を出発した。どうでもいけど、もらった消毒薬、『イソジン』書かれているけど、うがい薬と間違っているわけではないよね?

33番札所から34番札所種間寺へ向かう間、僕はこれからの旅について決まりをたてようと考えていた。

一つ目、『1日30キロ以上は歩かない』。

やはり40キロは無理である。少なくとも、この足の裏が治るまでは歩行距離を抑えることにした

二つ目、『しばらくの間は交通機関を併用する』。

88番まですべて歩き切るという目標は途絶えてしまったが、ここで旅を終わらせてしまってはすべてが中途半端である。この足が治るまでは、無理をせずに交通機関を使いながら旅を続けようと思った。

三つ目、『旅を楽しむ』。

高知に入ってからというもの、僕は歩くことだけに縛られ、全くと言っていいほど旅を楽しんでいなかった。札所では少しお参りしただけですぐに出発。ただ時間に間に合うことだけを目標として時には走る。せっかく四国の美しい自然の中を歩いてきたというのに、景色を見る余裕すらなかった。旅の手段としてただ歩いているだけのはずが、いつの間にか歩くことだけを目的とした旅になってしまっていた気がする。せっかくお金を貯めて旅に出たんだから、もっとゆとりを持って楽しもうと思った。

34番札所で納経を済ませ、35番清滝寺へ向かう。

途中、仁淀川という大きな川沿いの道を歩いた。寒い中を川辺に近寄ってみたが、あまりに水が透明なので驚いてしまった。それもそのはず、この仁淀川は同じ高知県にあり、「日本最後の清流」と謳われる四万十川にも劣らない美しい川として評判らしい。春のぽかぽか陽気の中、この河原でゴロゴロして過ごしたらきもちいんだろうな。

春といえば、先ほど34番札所へ向かう際中、高知競馬場への案内板がでていたけど、あそこにはいま話題のハルウララがいるんだっけ(注:2005年のお話ですよ)。全くお遍路とは関係のない話が続くけれど、ここ高知は、僕が受験生時代に勉強もせず読みふけっていた小説『海がきこえる』の舞台でもある。昨日は時間に間に合うことだけを考え突っ走っていたので気にも留めなかったけれど、思い返してみると、小説の中にでてきた地名がいたるとこにあった。

35番札所につくと、奥山くんがちょうど出発するところだった。雨の中でも一生懸命歩く彼は、福島県出身の、僕より一つ下の若者遍路。パッと見、ピアスなんかしててヤンキーっぽく見えるけれど、話してみるとものすごくしっかりしている。

『このお寺、面白いものあるんですよ。ほら、あの仏像の下』

奥山くんに案内され、境内に立つ大きな薬師如来像の台座の下へと入ってみると、そこは漆黒の世界。いや、本当に真っ暗で前が全く見えない。いい加減目が慣れてきてもいいころなのに、本当に何も見えない。これは『戒壇めぐり』といって、暗闇の中、壁伝いに歩きながら、奥の方に鎮座していると思われる仏像に会いに行くという、まあ一種修行のようなものらしい。しかし、ほんのわずかな光すらない、本物の暗闇というのがここまで怖ろしいものとは。

35番札所を出る頃にはもう夕暮れ。土佐市の中心まででた僕は、タクシーを拾って今日の宿を目指した。正直、ちょっと後ろめたさもあったけれど、無理をして、足が壊れるまで歩くことにこだわらなくてもいいのではないかと思った。今日1日、ゆとりをもって旅をしてみたことで、『こだわり』というものが少し取れた気がする。

はたして、これが良いことか悪いことかはわからないけれど、しばらくはこの旅のスタイルでいってみようと思う。

本日の行程

宿→病院→33番→34番→35番→タクシー→宿    合計25キロくらい

清流 仁淀川

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15日目 意地

2005年2月25日

今日は何としても歩き切る。モチベーションは朝から最高潮だった。

相変わらず足の裏はひどい惨状でとんでもなく痛かったが、もう昨日のような悔しい思いはしたくない。

朝の7時過ぎに宿を出発し、9時前には28番札所大日寺に到着。10キロを2時間で歩き切る。いいペースだ。近くのコンビニで朝食をとり29番札所国分寺へ歩きだす。

今日は32番まで打つ予定でいた。32番札所から少し行くと桂浜が待っている。

昨日の宿からはやはり40キロほどあるが、今日は意地でも歩いてやる…。

田んぼの真ん中ををひたすら歩く。昨日とはうって変わって空は晴れ渡り、とても気持ちがいい。

途中、1台の車が僕を追い抜き、少し前の自動販売機の前で停まった。

『お接待じゃき!』

車から降りたおじさんは、自動販売機でコーヒーを買い、僕にくれた。

不思議だ。実に不思議だ。まったく見ず知らずの僕に、しかもわざわざ車を降りてまでしてお接待してくれるなんて。

本当に不思議だ。そして本当にありがたい。

29番札所国分寺には12時過ぎについた。順調ではあるが、時間的に少し厳しいか。四国遍路の札所は、なにか協定でも結んでいるのだろうか、どこも夕方5時には閉まってしまう。急がなければ…。

しかし、こういう時に限って、僕の方向音痴パワーが本領を発揮してしまう。注意してきたはずなのに、途中から案内看板が全く見えなくなってしまった。すかさず歩き遍路用地図を取り出すも、こういう時に限って大雑把な図解しか載ってないんだよなあ…。

とにかく、勘を頼りに彷徨い続ける。川沿いの道から田んぼのあぜ道へ。高速道路につながりそうな大きな道を命からがら横断し、山の方へ…。そういえば、この大きな道、どこかで見たことあるなと思っていたら、以前家族旅行で高知にきたときに通った道だよな。ちょっと懐かしい気分。しかし今はそんな暇ないんだよ。

どれくらい迷っただろうか。街中に入ったところで、不意にお寺のようなものを発見した。土塀の中には大きな本堂らしき建物。周りには墓地になっており、耳を澄ますと、聞きなれた般若心経のリズムが聞こえてきた。

おお、ついに発見、30番札所善楽寺。しかし、般若心経の声のする方へ歩いていっても入口がさっぱりわからない。確かに目の前に30番札所はあるはず。なのにこの土塀が僕の行く手を阻むのです。土塀の前を右往左往する僕。時計の針は午後の3時に近づきつつあった。まずいな…。

やむを得ず、僕は強硬手段にでた。土塀のそばにあった墓地へ向かい、一つの墓石に標的を定めると、僕は助走をつけて一気に跳んだ。なんと、墓石を踏み台にして土塀を跳び越えようというのですよこの男。

幸い、元バレー部ということもあり、ジャンプ力には自信がある。

思いきり飛び越えた塀の向こうはラッキーなことに平らで、境内のはずれらしく人影もなかった。作戦成功。

しかし、こんな罰当たりな行為を、お大師様が許すはずがない。

納経所へ向かうとちょうど団体バス遍路がついたばかりらしく、長い列に並ぶことに。なんだかんだで塀をまわって入口を探しても時間的には変わらなかったんじゃなかろうか。悪いことはできないんですよ。いやあ、本当に四国遍路ってよくできているわ…。

結局、31番札所に向かい歩き出したのは3時ちょっとすぎ。31番札所竹林寺までは6キロほど。高知県の県庁所在地であり、県内最大の市、高知市。その街中を汚いリュックを背負った2メートル近い男が全力疾走していく。これ、白装束きて杖持っていなかったら、完全に警官に追われてるコンビニ強盗にしか見えないんだろうな。

街中を抜けると今度は小高い山を登る。高知市街と桂浜の間に位置する五台山だ。

さすが、中国で弘法大師さんが修行した山と同じ名前を持つだけのことはあり、なかなか厳しい。

そして、もはやお約束になりつつあるが、ここでも案内看板を見失い、いつの間にやらお花畑の真ん中に出ていた。おかしいなあ…。地図どおりにいけば、山を登り切るとすぐ31番札所の境内にでるはずなんだけど。

お花畑の近くを歩いていたおばさんに尋ねたところ、ここは五台山の観光名所の一つでもある植物園らしい。ちなみに入場料は300円とのこと。もちろん僕は払っていない。

『お遍路さんはタダなのかしらね』

おばさんは笑いながらそう言ったが、そんなわけがない。だって僕はただ山を登ってきただけで、入場門を通った記憶なんてないですもん。

とにかく、おばさんから31番札所の場所を教えてもらい、植物園の門から堂々と退場する。今日はこんなんばっか。

ようやく着いた31番札所竹林寺は、五重塔もある立派なお寺だった。時刻は4時少し前。もう少しこのお寺を満喫したかったが、時間がない。一通りお参りを済まし、急いで32番札所へ向かう。

走る走る。重いリュックを背負って全速力で。高校時代、登山部の連中がトレーニングとか言ってリュックを背負いながら運動場を走ってるのを見て心の中で馬鹿にしていたけれど、まさか2年後に自分が同じことを、しかも街中ですることになろうとは。いやあ、人生ってのは面白いねえ。

しかし、そんなことを考えながら走っていると、街中に田舎特有の5時を知らせるのんきな音楽が流れ出した。

ゆう~や~け~こ~や~け~で~ひ~が~く~れ~て~♪

僕はついに間に合わなかった。

とりあえず32番札所の近くまで行くと、道端に一人のお遍路さんが座っていた。奥山くんだ。一昨日同じ宿になり、昨日僕が列車で楽をしていた時もひたすら歩き続けていたお遍路さんとは彼のことだ。そして、彼もまた落胆していた。

「間に合わなかった?」

『うん。まさか山の上にあるとはなあ』

地図ではわからなかったけど、32番札所禅師峰寺はちょっとした丘の上に立っていた。

「どうしようか?」

『どうするよ?』

二人ともあきらめきれなかった。

『札所に電話してみるか?』

奥山くんはそう言った。

どうせだめだろう…。

そう思っていた二人だったが、事態は急展開。電話でお願いしたところ、今すぐ来てくれれば特別に納経をしてくれるとのこと。なんという幸運。

俄然やる気の出てきた僕たち二人は山道を駆け上った。

本日の行程

宿→28番→29番→30番→31番→32番→宿 合計38キロくらい

32番札所よりのぞむ夕暮れの桂浜

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