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2008年10月

14日目 敗北

2005年2月24日

徳島の1番札所を歩きだして通算で2週間たったこの日。ついに事件は起きてしまった。

愉快なおばちゃんが経営する民宿『ドライブイン21』に荷物を預け27番札所神峰寺を目指す。

あいかわらずの足の痛み。というか悪化している気すらする。

あまり詳しく言うと気持ち悪いので簡単に説明すると、足の裏にできたマメがつぶれ皮がむけてしまっており、消毒液を使っても患部が乾燥しない。そりゃそうだ。絆創膏をあてがっているとはいえ、1日何万歩も歩いているんだから、そのたびに患部がこすれてしまうのだもの。昨晩なんかは痛みで数時間おきに目を覚ます始末…。

その痛みに耐え、400メートル級の山の上にある27番札所を目指す。

なんだ、400メートル級なら大したことないや、などと考えているそこのあなた!あまい…。実は、この山は海岸線からかなり近い所にある。昨晩泊まった民宿も海のそばにあったんだけれども、ということは、「海抜0メートルから400メートルまでを一気に登る」ということを意味するのだ。いまいち伝わりにくいかもしれないけれど、実際その場所に立つと絶望的な気持ちになる。

目の前にそびえる山の上の方にかすかにちっちゃい小屋が見える。最初、僕はミカンとかを入れておく倉庫かなんかだろうと思っていた。しかし、その日の朝の出発の時、宿のおばちゃんはミカン倉庫を指差しこう言った。

『あれが27番札所じゃき!』

僕は泣きそうだった。

『お遍路さんがんばってください』

道すがら、登校途中の小学生に励まされた。

「君らも勉強頑張りなよ!」

そう返すと、子どもたちは恥ずかしそうに笑っていた。

子供たちから元気をもらい、気合いで27番札所を打ち終え再び民宿に戻ってくると、すでに時計は午前10時をまわっていた。そして、パラパラと雨が降ってきていた。

しかし、今日の行程はここからが本番。次の28番札所までは30キロほど。ここを歩ききるつもりでいたのだ。

おばちゃんにキャラメルをお接待していただき、合羽を着こみ再び出発。雨は徐々に強さを増してきていた。

僕は前だけを見つめ、ただもくもくと歩いた。歩くことに神経を集中させないと、足の裏の痛みでおかしくなりそうだった。昨日までは、歩いている最中は足が麻痺し痛みを感じないなんて思っていたが、今日はいつまでたっても足の痛みがひかない。地図も見ず、時計も見ず、ただ前だけを見つめて歩き続けた。

どれくらい経っただろう。かなりのスピードで、そしてかなりの時間歩いたと感じていた僕の前に、お約束の遍路道案内看板が現れた。

この看板、地元の人やボランティアの方々が四国中の遍路道沿いに設置してくれている。看板には次の札所までの距離やメッセージなどが書かれており、ここまで幾度となく僕を励ましてくれたありがたい看板。しかし、今日は違った。いつもはやさしさを運んできてくれる看板さんがこの日運んできてくれたのは、予想外の地獄だった。

『28番札所まであと22キロ』

看板にはこう書かれていた。

あれほど一生懸命歩いてきたのにたったの8キロしかきてないの?

半分は来ただろうと勝手に確信していた僕は信じられなかった。時計を見ると12時半。休憩を挟まずに、2時間半もくもくと歩き続けたにもかかわらず、わずか8キロしかきていない。今までの僕からすると絶望的な遅さだった。

今思うと、この時点で僕の気持は折れてしまっていた気がする。

遍路道と並行して走る『土佐くろしお鉄道』が気になって仕方がない。

これにのれば、目的地まで30分で着く…。

そんな誘惑を振り切ろうと再び気合いを入れなおし歩きだす。列車のことを忘れようと、最後の気力を振り絞って歩き続けた。

しかし、次の瞬間、その気力はもろくも崩れ去った。

歩道前方に水たまりを見つけた僕は、避けようともせず、なぜか足を突っ込んでいた。なぜそうしようと思ったのかはわからないが、悔しいことにその水たまりは、僕の今までの人生で出会った水たまりの中で最も深いものだった。

僕の靴は水たまりに浸かったおかげでグショグショに。近くにあったバス停のベンチで靴を脱ぐと、足の裏からの出血で僕の靴下は真っ赤だった。

もう無理だわ…。

僕は決心した。最早迷いはなかった。

足を引きずりながら、僕は土佐くろしお鉄道安芸駅へと向かった。

待合室にいると、地元のおじちゃんがアイスをお接待してくれた。

『雨の中がんばるなあ!おへんろさんよ』

ハハ…。おじちゃん、僕は負けたんですよ…。

安芸駅から5つほど先の夜須駅で下車。今日はここから徒歩15分ほどの国民宿舎へ泊まることにした。

宿へ向かう途中、一人のお遍路さんを見つけた。なんと、昨晩同じ宿で今朝も僕と一緒に出発した若者遍路だった。彼は雨の中ここまで歩き続けたのだ。

彼は自分に負けずここまで来たのに、自分ときたら…。

その光景を見て、妙に悔しくなった。

僕は弱い人間だ。

本日の行程

宿→27番→宿→安芸駅~列車~安芸駅→宿 合計15キロ

山の上のちっちぇ小屋が27番札所

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13日目  不思議な出来事

2005年2月23日

足が痛い。とにかく痛い。

筋肉痛かい?

ちがう。いやそれもあるけど、原因はこいつ。マメだよマメ…。

それでも歩き出す僕。だって今日の宿も40キロ先。無謀すぎるぜ、この計画…。

室戸岬から1時間ほど歩くと、ようやく室戸市の街中へ。その街の中をしばらくさまようと25番津照寺につく。

実はこのお寺、僕の夢の中に何度かあらわれた不思議なお寺。予想外に小さかったけれど、高台にある本堂からの景色はなかなか良かった。でも、特別不思議なことはおきず。あの夢はなんだったのだろう…。

25番札所を後にし、昨日に引き続き再び国道55号線をひたすら歩く。ここまできて、歩いている最中は足の痛みが幾分和らぐことに気づいた。今考えると、あまりの痛さに足の感覚がなくなっていたんだと思う。うーん、過酷…。

26番札所金剛頂寺はちょっとした山の上にある。55号線からそれ、えっちらおっちら登っていく。足が痛くまったくスピードが出ない。『山登りのO川』の1年後の姿ですよ。なさけない。

人気がなく、凛とした雰囲気が気持ち良かった金剛頂寺を打ち終えたら、あとは宿までただ歩くのみ。

どうでもいいけど、高知県は札所の感覚広すぎだろ!

高知県内の札所の数は全部で16。

高知の東の端、徳島県との境から、西の端である愛媛県との境までの距離は400キロぐらい。

寺の数は徳島の2/3で歩行距離は倍以上ってか?

四国遍路では、四国4県それぞれにキャッチコピーのようなものがついている。ちなみに、ここ高知は『修行の道場』。前回歩いた徳島は『発心の道場』、これから行く愛媛は『菩提の道場』、そして最後の香川は『涅槃の道場』。こんな具合。

徳島で「よし、いくぞ!」と決心し、高知で修行の苦しみをうけ、愛媛で落ち着きを取り戻し、最後の香川で悟りを開く…。おおまかに言うとこんな感じなのかしら?

いやあ、さすが弘法大師のおじさん。よく出来てるじゃないですか。でもこの修行の道場、冗談抜きできつすぎでしょ。昨日と今日で80キロ歩いて、通過した札所が3か所って…。

そんなこんなで、あまりの苦行の末、僕は宿まであと4キロの地点の海岸で見事にダウンしてしまった。車やバイクに乗っていると4キロなんてあっというまでしょうけどね、歩くと1時間かかるんですよ。そう考えたら力が抜けてしまった。

砂浜に座って夕陽を眺める。

そんな僕に、散歩中の近所のおじさんが声をかけてきた。

「室戸岬から!?そりゃごくろうなこった!」

はじめはどうでもいい世間話をしていたのだが、途中からなぜか僕の就職に関する話題に。

「仕事はな、自分が楽しめるものじゃなけりゃいけん。」

聞くところによると、おじさんは務めていた会社を辞めて、この高知の田舎で芸術家まがいのことを始めたそうだ。

「おかげで、家族や親せき、近所の人からも変人扱いじゃき」

「でも、やっぱりこの仕事が楽しいから後悔はしとらん」

おじさんはきっぱりと言い張った。

俺はこの道を進んでいく。周りになんと言われようとも…。

そう決心しているように僕には思えた。

「どうしてこの話をぼくに?」

僕はそう尋ねた。

「はて?どうしてだろう」

おじさん、なにそれ…。

「よくわからんけど、君には話してもいい気がしたき、話した。普段はお遍路さん見ても話そう思わんのになあ…。」

変なの。

でも、不思議なことに、このおじさんの話は今の僕にぴったりの話だったのだ。

4月からは大学3年になり、そろそろ進路を考える時期。悩んでいるわけではないけれど、多少の不安はある。その僕の心を見抜いたかのようなおじさんの話。

ちなみに、僕は進路に対する不安をおじさんに話してはいない。彼が勝手に話し出したのだ。だからこそ、不思議でたまらなかった。

「そいじゃ、お遍路さんがんばりんよ!」

その不思議なおじさんは、そういうと再び散歩に戻って行った。

本日の行程

室戸岬→25番→26番→田野町の海岸→5時過ぎに宿到着  合計36キロ

夢に出てきた25番札所からの景色

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不思議おじさん

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12日目  悲劇の始まり

2005年2月22日

6時半、朝やけの海を眺めながらの出発。

ついに2度目の旅が始まった。

今日の予定は室戸岬の先にある24番札所最御崎寺。ここ徳島県宍喰町からおよそ40キロ。うむ、明らかに無謀な計画だ。

1年前の旅では、『山登りのO川』なんてさんざん持て囃されたけれど、よく考えてみると、1番長く歩いた日でもせいぜい25キロ。40キロはおろか30キロすら歩いたことがなかったのだ。

しかし、僕には自信があった。絶対に40キロ歩き切れる、そんな根拠のない妙な自信がこのときの僕にはあった。

寒空のなか、僕は意気揚々と歩きだした。この妙な自信が、のちにとんでもない悲劇を引き起こすことになるとは、この時は思いもしなかった。

さて、前にも書いたように、ここ宍喰町は徳島と高知の県境。宿を出て10分も歩くと大きなトンネルが姿を現した。その名も『境目トンネル』。わかりやすすぎるぜ…。

そんな一目で県境だとわかる境目トンネルさんを抜けると、そこは、太平洋が眼前に広がる美しい漁村、高知県は甲浦町。ちょっと寄り道して街の中に入ると、何とも懐かしい感じがするいい雰囲気の街。徳島県で出会った街とは全く雰囲気の違った街だった。県境をはさんで街の様子がここまで違うとはちょっと驚きである。

街歩きを楽しんだあとは国道55号線をひたすら南下する。

途中、東洋町にて「スリーエフ」という名の見慣れないコンビニを発見し、大盛塩焼きそばを購入。道端で朝ごはん休憩をとる。そんなとき、後ろの林で何かが動いた。

「!」

よく見ると、そこには大きな猿がいた。しかも一匹ではない。「群れで」である。

「ほえー!」

田舎育ちとはいえ、さすがに猿の群れをなど見たことのなかった僕はますますテンションが上がってしまい、妙な叫び声をあげながら55号線を南下し続けた。

10時ごろ。野根という名の小さな集落を過ぎると、前方に雄大な岬の姿が現れた。室戸岬。とうとう姿を現したな。

しかし、よく見てみるとそんなに遠い気がせず、むしろあっという間についちゃいそうな感じすらする。

「おっしゃ!いくぜ!」

猿出現以降、上がりきったテンションが下がる気配のない僕。今日の敵、室戸岬の姿を発見しさらに気合いをいれだした。

しかし、この気合も、そして妙なテンションもそう長続きはしなかったんだ…。

お昼頃、佐喜浜の集落に到着した僕は愕然としていた。

前もよく見ず、一心不乱に歩いていた僕。もう室戸岬は目の前だろう!そう信じて、前を見た。しかし、室戸岬さんははるか遠く、2時間前とほぼ同じ姿でほほ笑んでいたのだ。

あ、あれ?

あせった僕は、すぐさま地図を広げた。

するとそこには『室戸岬まで20キロ♪』の文字。僕は目の前が真っ暗になった。ここまでかなり頑張って歩いてきた。足も相当疲れていた。徳島ではちょうど宿に着くころ、こんな感じの疲労感に襲われたんだっけ…。

しかし、驚くべきことに、土佐の国高知県さんはここからさらに20キロ以上歩くことを僕に要求してきた。

「まじかよ…」

2時間前のあの妙なテンションと気合はどこかへいってしまっていた。

お昼を境に僕のテンションはガタ落ち。それとともに歩くスピードも急激に落ちていった。『病は気から!』なんてよく親に言われたけれど、あれは本当なんですね。

しかし、歩く以外に方法はない。地図によると、休憩をとった佐喜浜の集落から15キロほどは、商店はおろか自販機すらないんですって。倒れたら本気で死んじゃうんじゃないかしら?

最後の気力を振り絞ってじわじわ歩く僕。

これは12番札所焼山寺以上につらい…。つらいよ…。

どれくらい歩いただろうか。不意に前方に『室戸の海洋深層水』とかかれた建物が姿を現した。そして、『室戸岬4キロ』の看板も。

よし、もう少しだぞ。

気合いをいれたその時だった。

足の裏に激痛が走り、僕は思わず座り込んでしまった。靴下を脱ぐと、足の裏が真っ赤になっていた。

マメである。徳島では奇跡的に1度も襲われなかったマメの恐怖に、ついにやられてしまった。

足の裏のあまりの激痛と、ここまで歩いてきた疲労から、僕はなかなか立ち上がることができなかった。

もう駄目かもしれん…。

この旅で初めてそう思った。

その時である。

『お遍路さんがんばりやー!』

僕の横を走って行った車から励ましの声が聞こえた。

それまるで、1年前徳島で出会った仲間が励ましてくれているかのような、なんともグッドタイミングな掛け声だった。

いかなきゃいかんな…。

足の痛みに耐え、僕は歩き続けた。

そして、閉門時間ぎりぎりに、ようやく24番札所最御崎寺に到着した。

安ど感からか、それとも極度の疲労からか、山門をくぐった僕は思わずその場に座り込み、しばらく立ちあがることができなかった。

本日の日程

宍喰 → 55号線をひたすら南下 → 室戸岬    合計40キロ

室戸岬ははるか遠くに

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11日目 再び

2005年2月21日

う~、さむい…。

夜の9時近く、僕は高知県との県境、宍喰町にある小さな民宿へとやってきた。

大阪からバスと列車を乗り継いで、はるばる6時間。

う~、遠い…。そして寒いよ…。

実に3か月ぶりの四国

3か月ぶり…

3かげt

あれえ?

実を言うと、さかのぼること3ヶ月ほど前、学園祭で大学中が浮かれ気分だった11月の初旬。僕は前回河手さんと感動の別れを果たした牟岐町から宍喰町まで、およそ20キロをあるいたのだ。

再び歩き出すならやはり切れのいい高知県の最初から歩きたい。そちらの方が気合が入りやすいし…。

そう考えていたならかっこいいけど、要するにただヒマだったのだ。

学祭に参加する予定もないし、学祭に一緒にいく彼女はおろか友人すらいないし。それに学s

…これ以上書くと自分がみじめになってくるからやめておくけれど、とにかく僕は牟岐から県境の町宍喰までを歩いてしまったのだ。

そして、三ヶ月後の今日。お遍路の旅を本格的に再開するためやってきた。

今回の目標はただ一つ。88番札所まで歩き切ること。

タイムリミットは3月21日。この日には大阪へ戻らなくてはならない。

ちょうど一か月で残り1,000キロ以上を歩きぬく。

どう考えても厳しい日程。しかし、僕はわくわくしていた。

これから一か月どんなことがおきるのだろう。

どんな出会いがあるのだろう。

どんな感動的な出来事が待っているのだろう。

そして88番札所に着いたとき、僕は何を思うのだろう…。

そんなことを考えていると、なかなか眠ることができなかった。

明日の朝は早いというのに…。

こうして、僕の2度目の四国遍路の旅は始まったのでした。

宍喰の朝

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