« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

10日目 決断

2004年3月9日

1番札所を出発してちょうど10日目。無事当初の目標を達成した僕は、夜の深夜バスで大阪へ戻ることにした。本当は徳島と高知の境目あたりまでいこうかと思ったのだが、所持金もないし列車も通ってないし、ついでに宿も取れなかったりで、潔くここらで終わることにした。

『さびしくなるなあ…』

帰ることを伝えたときの河手さんの反応。そういえば、河手さんとは1週間前からずっと一緒に歩いてきたんだよな。

河手さんの出発に合わせて朝早く宿を出たものの、帰るにはまだ早すぎるので、日和佐町から牟岐町まで一緒に行くことにした。およそ15キロの道のり。

といっても、途中にお寺や寄り道ポイントがあるわけではないので、11時頃には牟岐駅前についてしまった。

『ちょっと早いけど、昼飯にするか』

河手さんはそういって駅前のラーメン屋へと連れて行ってくれた。

『ここは私のおごりだな。最後だからお接待だ!』

河手さんは笑いながらそう言った。何から何までお世話になりっぱなしだ…。

ラーメンをすすっていると、店のおばちゃんがみかんをお接待してくれた。

『親子でおへんろ?いいなあ』

おばちゃんは僕たちを親子だと勘違いしていた。親子に見えてしまうくらい年が離れている者同士が、まるで友達のように一緒に旅を続けてしまうのだから、お遍路の旅というのは本当に面白い。

列車の時間が近づいてきた。

「いろいろありがとうございました。いい旅を続けてくださいね」

『山登りのO川もな、日常に戻ってもがんばるんだぞ!』

河手さんの目は潤んでいた。たった一週間前に偶然出会っただけなのに…。別れで泣けてしまうんだからお遍路はおそろしい。

『それじゃ、そろそろいくよ』

そういうと河手さんは一人、次の札所を目指し歩いて行った。

僕は河手さんの後姿を見つめながら決断していた。

また必ずここへ戻ってこよう。

そして、必ず四国を一周してやろう、と。

こうして、僕の1度目の四国遍路の旅は終わった。

本日の行程

日和佐→牟岐→列車で徳島→バスで大阪  合計15キロ

| | コメント (0)

9日目 失恋

2004年3月8日

早朝より22番札所平等寺を目指し歩き始める。順調にいけば、今日中に23番札所薬王寺に到着する予定。僕の今回の目標である徳島県制覇が今日なされようとしている…。

とかいっているけれど、残念ながら「山登りのO川」には、目標達成直前の感傷に浸っているヒマはなさそう。だって彼の頭の中は例の「あの子」のことでいっぱいなんだもの。

9時ちょっとすぎに22番札所に到着。「あの子」と一緒に歩けてさぞかしご機嫌かと思いきや、僕はなぜか一人で札所へやってきてしまった。

実は、昨日の宿から22番札所まで、距離は5キロほどとそう長くはないのだが、途中、ちょっとした山越えポイントがある。まあ山というほど高くもないし大したことない場所なんだけれども、こういうところにくると必ずあの人が声をかけてくる。

「おお、山登りのO川の出番だぞ!さあさあ先行って!」

でた。河手さんだよ…。

そんなわけで、僕は(たくさんの人とで宿を一緒に出発したにも関わらずなぜか)一人さびしく22番札所へきてしまったのだ。

これではいけない。

せっかく昨日の夜、「あの子」からお菓子をいただいてちょっと仲良くなれたと思ったのに。これではいかん。

思い切って「山登りのO川」は彼女に話しかけてみることにした。しかし、さすがは女の子とあまり話したことがなく、かつ無類の人見知りと来ている「山登りのO川」!話しかけたはいいものの、何を話せばいいのやらさっぱりわからない。

「きょっ、今日いい天気でよかったですね…。」

『そうですね!歩きやすくていいですよね!』

「そ、そうっすね…。」

「…。」

『…。』

「あ、あの今日はどちらまでい、いかれるんですか…」

『え?23番までですけど。』

「そ、そうっすね…。」

「…。」

『…。』

「そ、それじゃあお先に…。」

『はあ…。』

このざまである。

第一、歩くスピードなんてそんなに変わらないんだから、今日の目的地なんてみんな一緒だって…。

「そ、それじゃあお先に…。」なんて言ってしまった手前出発しないわけにもいかず、僕は河手さんと一緒に、とぼとぼと23番札所に向かって歩き始めた。最早、昨日の「あの子」と出会った時の元気はなかった。

そんなとき、苦しいことは続くものである。

22番から23番までは、国道55号線という交通量の多い道をひたすら20キロも歩き続けなくてはならない。しかもず~っと山道。特に面白いものもなく、どこまでいっても山、山、山。体力だけではなく精神的にもつらくなってくる。

途中のドライブインでお昼ごはんを食べた以外は、滅多に休憩をすることもなく、ただただ歩き続ける。こんなつらい道も「あの子」と話しながら歩けばどんなに楽しかろう…、などと妄想してみるが、相当差がついてしまったのか、何度後ろを振り向いても彼女の姿は見えなかった。

そして、22番札所を出発してから6時間。僕は徳島県最後の札所、23番薬王寺に到着した。

「よっしゃ!発心の道場、阿波の国終了や!」

途中で一緒になったおやじ遍路が叫んだ。

そっか。ようやく到着したんだな。

しかし、僕はおやじ遍路のように目標達成の満足感に浸ることができなかった。10日間の旅の疲れからだろうか。

いや、多分「あの子」と仲良くなれなかった悲しさからだろう…。

僕は薬王寺の本堂の前に座ってずっと海を眺めていた。薬王寺は山の斜面に建っているので、境内からは日和佐の海がよく見える。

『O川くん、そろそろ宿にいこうか』

河手さんが言った。

「はあ…」

『「あの子」まってるの?』

「いや、別に…」

う~ん、河手さんよ、なぜわかるのだ…。

僕はまだどこかで「あの子」のことを考えていた。

『彼女、明日の朝に帰るらしいよ』

「そうですか…。」

もう諦めろよ。旅先で出会いがあるなんか都市伝説なんだよ…。

僕は重い腰を上げて、河手さんと一緒に境内の階段をおりていった。

その時だった。

「あ!お疲れ様です!もうお参りしました?」

山門に「あの子」が立っていた。

『ああ。さっきようやくついたんだよ。君は?』

「私、途中で地元の方の車に乗せてもらっちゃって、だいぶ前に到着しちゃったんですよ」

『おお。そりゃいいなあ!あす帰るんだって?きをつけてな』

「はい!そちらこそお気をつけて」

と、これは河手さんと「あの子」の会話。

僕はというと、何もできず、二人の会話を聞きながらぼーっと立っているだけだった。最後のチャンスだというのに、僕は何も話すことができなかった。

そしてこれが、彼女を見た最後だった。

宿に着き河手さんと一緒に夕食をとる。

元気がないのがわかったのだろう、河手さんは瓶ビールを2本頼み、一緒に飲もうと誘ってくれた。

本日の行程

宿→22番→国道55号→23番→海岸沿いの国民宿舎泊 合計28キロ

| | コメント (0)

8日目 煩悩爆発

2004年3月7日

「一に焼山、二にお鶴、三に太龍、遍路泣く」という言葉があるらしい。

阿波国にあるこの三つの札所はどれも山の上にあり、参拝するためには急な山道をこえていかなければならず、到着するころにはみんな涙目!というわけなんだろう。

すでに一の焼山寺はクリアしているが、5時間を切るハイペースで登り切ったとはいえ、あれは確かにきつかった…。そして今日、二のお鶴こと二十番札所鶴林寺と、三の太龍こと二十一番札所太龍寺を攻めるのだ。

万全を期して、朝の7時前に出発。だいぶ早起きにもなれてきたぞ!といっても、毎晩9時ぐらいには寝ているので嫌でもめがさめてしまうんだけれど…。

「さあ山登りのO川!先に行ってくれ!」

はいはい、わかりましたよ河手さん…。

しかし、登ってみるとそこは整備されたハイキングコースみたいなところ。なんせ、丸太でつくられた手すりや階段まで設置されているんだもん。ただ、この階段が結構くせもの。単なる坂道なら足を引きずってでも登れるんだけれど、階段になっていると嫌でも足を上げなくてはならない。これが思いのほかつらいのです。

唯一の救いは、二十番札所までそんなに距離がないこと。民宿を出発して1時間ほどで到着してしまった。

『おいおい、お鶴よどうしたんだ?遍路を泣かせるなんじゃなかったの?えぇ!こんなん焼山寺の足元にも及ばないよ!』

「山登りのO川」はあきらかに調子に乗っていた。しかし、そんな遍路としてあるまじき態度をお大師様が見逃すわけがない。

『まさか次の龍も大したことないんじゃないの?またハイキングコースなんじゃないの?いいの?簡単に登っちゃうよ?』

大丈夫♪心配する必要はないよ!2時間後には地獄を見ているんだから…。

河手さんが到着するのを待ってから太龍寺へ出発。鶴林寺から一気にしたまでくだり、ものすごく水がきれいな那賀川を渡り、いよいよ太龍寺への登山道。両サイドには昨晩降った雪が残っていた。3月なのに、そして四国なんて雪とは縁のなさそうな場所なのに、どうして雪が降るのですか。

しかし、雪を気にする余裕はすぐになくなる。ありえないほどの急坂がいつまでも続く。

ハァ…ハァ…

息がどんどんあがる。

1時間ほどかけて急坂を登り切ると、そこに待っていたのは、丸太で作られた足を上げることを僕に強制するあの階段。

ハァ…ハァ…  もう歩けん…

思わず草むらの中に寝転ぶ。2時間前に余裕こいていた「山登りのO川」はもはやどこかへいなくなってしまっていた。

目を瞑って寝ころんでいると、自分がいかに山深いところにいるかがわかるきがする。小鳥のさえずり、水の流れる音、風で揺れる木々の音…。人の発する音は全く聞こえてこない。なんとも心地の良い世界。だんだん眠くなってk…

おっと、寝ては駄目だ!ここは雪の積もった山の中。眠りでもしたら本気で死ぬぞ。

気合いを振り絞り階段をのぼる。厳しいなあ、四国遍路ってのは…。

どれくらい歩いただろうか。遠くから「ゴ~ン」という鐘の音が聞こえてきた。僕より先に到着したお遍路さんがならしているのだろう。僕にはそれがエールのように聞こえた。よし、もう一息。

そして正午過ぎ、ついに21番札所太龍寺に到着。境内の凍った手荒い水でのどを潤す。水のおいしさを実感…。

しばらくたって、河手さんが二人の女性お遍路さんと共にやってきた。一人はこれが3度目の遍路というおばあちゃん。そしてもう一人は僕より少し年上と思われる若い女性だった。

『こんにちは!』

「あ、どうも…」

この時、「山登りのO川」は19歳。女性と話したこともあまりなく、まだ純粋な青年だったころ。ただ挨拶されただけで露骨に彼女を意識してしまうお年頃。

何とかして彼女と仲良くなれないだろうかと考えた「山登りのO川」は、すぐさまお土産物屋さんに直行しお饅頭を購入。彼女にお接待をして仲良くなろう!などという姑息な手段に乗り出しやがった。ちなみに、わかると思うけど、「山登りのO川」がちょこっと意識してしまったのは、おばあちゃんの方ではないのであしからず…。

そしてついに作戦決行。

「あ、もしよかったらこれ…」

『いいんですか?昨日買ったパンしかなくて、お昼ごはんどうしようかと思ってたところなんですよ!ありがとうございます!』

よし!作戦成功!

ただ、ありがとう!と言われただけで何が成功なのか、と思ってしまうけれど、彼にとっては相当うれしかったんでしょう。なんせ彼はまだ田舎からでてきたばかりの19歳の純朴なローカル青年。そんなことで喜んでしまうお年頃なんです。まさに煩悩の塊…。

彼はウキウキ気分で山を下り、3時頃には宿に到着。河手さんも、遍路3度目のおばあちゃんも、そして例の彼女も同じ宿。

なにかいいことあるかも♪彼は浮かれ気分で民宿へとはいっていったのでした。

本日の行程

民宿→20番→山道→21番→山道→山の中にある民宿   合計13キロ

| | コメント (0)

7日目 一期一会の旅

2004年3月6日

また朝から雨…。なんだ嫌がらせか?僕が四国入りしてから、毎日なんだかんだで雨が降っている気がする。そして毎日寒い!もう3月なのに日中の気温が8度とは…。

それでも、先に進まないわけにはいかないので、8時過ぎ、河手さんと一緒にのんびりと歩きだす。

今日から別の道をいく金本兄貴の姿はすでになかった。

四国には、八十八ヵ所の札所以外に『番外霊場』なるものが20か所存在する。昔は八十八ヵ所のうちの一つであったとか、弘法大師がかつて野宿した場所だとか、なかなかおもしろそうな場所が多いのだが、意地悪なことにこの番外霊場、通常の八十八ヶ所の札所を巡る巡礼路から離れた場所が多く、そう簡単にたどり着くことはできなさそう。この番外霊場二十か所もすべて徒歩で巡るとなると、通常より200キロぐらい余計に歩かなければならなくなるとか。

この無謀とも思える八十八ヵ所+番外霊場完全制覇を金本兄貴は目指しているのである。最後にもう一度兄貴に会いたかったが仕方がない。兄貴、頑張ってください。

さて、小雨の降りしきる中を一時間ほど歩き、僕らは19番札所立江寺にやってきた。

5キロほどの道のり。今日で1番札所を出発して1週間だが、初めのころは3キロほどでもヒーヒー言っていたのに、今では5キロくらいなら問題なく歩ける。

しかし、調子にのるとろくなことがないので、今日はあと10キロほどで打ち止め。というのも、次の20番札所鶴林寺、21番札所太龍寺への道のりは、12番札所焼山寺登山道と並ぶ厳しい山道という噂。ようやく筋肉痛も和らいできたところなのにここで無理はよくない。なので、今日は20番札所鶴林寺登山口近くにある民宿に1泊!という作戦なのだ。

しかし、いくら明日に備えるといっても平たんな道を10キロほどで終了というのはあっけなさすぎるので、途中、少し山道に入り、『星の岩屋』という何やらロマンティックな香りのする場所へと行ってみることにした。

途中、農作業中のおじさんにミカンをお接待していただき、河手さんと一緒に山道を登る。

「あーもうだめだ。山登りのO川!先に行ってくれ!」

山道になると河手さんは必ず言う。焼山寺以来、僕がゆっくり歩くことを許可してくれない。僕もなんか膝が痛いんだけどなあ…。

その時、上の方から声が聞こえた。

「おーい、もう少しだぞー!」

むむ?どこかで聞いたことがあるような?

声に導かれるように急坂を登る僕と河手さん。しばらくして見えてきた小さなお堂の前には一人の男性が立っていた。

「おー、やっぱりきたな!」

あー、金本兄貴!

先に行ったはずの金本兄貴がなぜここに!?

「ここで昼飯にしようと思って来たんじゃけど、もしかしたら君ら来るかと思って待っとった!」

なんという偶然の再会。

四国巡礼の旅はよく『一期一会の旅』と言われる。

「1度で会った人とは二度と会うことはない。だから出会いを大切にしよう。」

実際にこの旅で歩いてみて、その意味が痛いほどわかった気がする。

徒歩の旅は、車や列車なんかと違い進む速さと距離にどうしても限界があるので、1時間先に出発した人に追い付くことは容易ではない。しかも徒歩の場合、歩こうと思えばどんな道でも進むことができるので、例え走って追いつこうとしても、同じ道を通らない限り、再び出会うのはなかなか難しいように思える。

それが、昨日まで同じ宿に泊まっていたとはいえ、再び出会えてしまうとは…。

「よし、それじゃあ俺はぼちぼち行くけえ。二人とも気をつけてな!」

そういって、金本兄貴は番外霊場を目指して歩いて行った。もうこれで、金本兄貴と会うことはないんだろうな。そう思うと寂しくもあったが、こうして偶然再会できただけでも感謝しなくては罰があたるぞ。

勢いよく歩いて行く兄貴に河手さんと手を振りながら、僕は思った。

本日の行程

18番近くの民宿→19番→星の岩屋→20番下の民宿  合計18キロ

| | コメント (0)

6日目 最後の晩餐

2004年 3月5日

四国遍路の旅の1番の醍醐味は人との出会いである。

何をいきなり。さては昨日の極寒の部屋で頭までおかしくなりやがったか…。

と、心配していただいた方には大変申し訳ないが、特に何事もなく13番札所のあの極寒の部屋での一夜を乗り切った僕は、今日の日程を終えてそんなことを思ったのだ。

朝、16番札所観音寺に向かう途中、僕は焼山寺登山前日の宿で偶然同じ部屋だったおじさんと再会した。あの『最初にして最大の難関』といわれる12番札所焼山寺への道のりを共に歩き切った、いわば『戦友』とでもいうべき(いいすぎ…)おじさんで、名前を河手さんといった。

歩き遍路の旅は基本的に一人で歩いている人がほとんどなのだが、宿が相部屋だったり、歩くペースが同じで毎日どこかで顔を見かけたりするのですぐに仲良くなれる。そればかりか、歩き遍路という困難なことを行っている者同士、『仲間意識』のようなものが生まれてくるから不思議。1週間前には全くの他人同士だったというのに。

「おお!山登りのO川くんだな!」

河手さんも僕のことを覚えてくれていたようで、顔を見るなり笑顔でそう言った。

12番札所での僕の快走ぶりが河手さんにとってはかなり衝撃的だったようで、ことあるごとに僕のことを「山登りのO川」とよんだ。まあ僕は、あの快走と引き換えに「筋肉痛」という大きな代償をおってしまって、今では平地ですら足を引きずる有様なんですけどね…。

そんな僕をみかねてか、河手さんは17番札所井戸寺の門前にある薬局で湿布を買い、「お接待だぞ!」と僕の脛に貼ってくれた。

その後、18番恩山寺までの道を河手さんと二人でひたすら歩く。およそ20キロの道のり。徳島市の街中を歩くので常に平地で歩きやすいはずなのだが、1番札所からここまで山道や田んぼのあぜ道ばかり歩いていたせいか、車と人の多さにうんざり。僕にとっては焼山寺への山道以上につらい道だった。

途中、街中から少し入ったところにあった地蔵寺というお寺で少し休憩していると、どこかで見たことのあるおじさんがこちらにやってきた。

「おお!やっときたな!まちくたびれたぞ!」

誰かと思えば、広島の金本兄貴。実は、金本兄貴も焼山寺登山前日に泊まった宿で一緒の部屋だったメンバーの一人。河手さん、金本兄貴、そして僕。焼山寺登山道を共に制覇した3人が3日ぶりに集結!異常なまでの交通量で僕たち歩き遍路を苦しめる「国道55号線」を気合いで歩き切り、閉門時間ぎりぎりに、僕たちは18番札所恩山寺にたどり着いた。

そして、その日の夜。僕たち3人は再び同じ部屋になり、夜遅くまで、お酒を飲みながら語り合った。20歳以上も年の離れた人たちと語り合うなんて、僕にとっては人生で初めてのことだった。

年齢も違う、出身地も違う、職業も歩き始めた理由もみんな違う。そんなちょっと前までは他人だった者人同士が気兼ねなく語り合うことができる。これこそ四国遍路の旅の醍醐味なんだろうと、僕は二人の話に耳をかたむけながら思った。

そろそろお開きというころ、金本兄貴が自分の住所の書かれた納札(「おさめふだ」とよむ)を僕にくれた。

「俺、明日は別による場所があるけえ、君に会うのは今日が最後じゃ」

金本兄貴は広島弁でそう言った。そういえば、出会ってから5日ほどたつけど、兄貴の広島弁聞いたのって初めてかも。僕のことを仲間だと思ってくれた気がして、そんな些細なことが妙にうれしかった。でも、せっかく仲良くなれたのに、明日にはお別れなんだな…。

本日の行程

13番→16番→17番→国道55号をひたすら歩く→18番 門前の民宿泊

合計28キロ

| | コメント (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »