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2008年5月

最終夜 10年後

12月3日()

6日ぶりの北京は相変わらず寒かった。昨日の上海では、上着を着てると暑いぐらいだったのに、朝7時の北京の気温は-5度。寒いはずだぜ…。

この旅2度目の夜行列車で上海から無事帰還した僕は、最後の思い出にと朝の北京市内を散歩することにした。

飛行機の出発時刻は午後2時。空港に向かうにはまだ早い。

朝の北京市内は人や車であふれてはいたが、それでも上海とくらべると圧倒的に少なく、非常に歩きやすかった。

空を見上げると1面の青空。到着した日のあのスモッグ+黄砂でくすんだ空とはうって変わってとても気持ちのいい青空だった。

あれから10日。本当にあっという間だった。

いきなりリキシャにボラれ、切符も買えずに、はたして無事に生きて帰れるのかとあの時は不安だったが、どうにか無事に帰国できそうだ。

しばらく歩くと母親と一緒に学校へ向かう子供たちとすれ違った。その子たちを見て、上海の物乞いの女の子をふと思い出した。これから本格的な冬になり上海も相当寒くなるだろう。あの子は無事に生き抜いていけるのだろうか…。

昨日、後輩の子がこんなことを言っていた。

「でも先輩いい時に中国来ましたよ。いまこの国はものすごい勢いで変わっていってますからね。10年後また訪れてみたら街の様子とか一変しててきっとおどろくとおもいますよ」

10年後再び訪れたとき、せめて子供たちだけでも、最低限の生活を送ることができて、みんなと一緒に学校へ通うことができるような、そんな社会になっていればいいなと心から願う。

なんだかんだで天安門広場まで歩いてきてしまった。

結局北京にいた5日間、毎日ここを訪れてしまったなあ。今じゃ駅から天安門広場までは地図を見なくてもいけるようになっちゃったもの…。

全人代が行われる議事堂の前に座って天安門広場をしばらく眺めてみた。

10日前と同じく、朝もはよから多くの人でごった返していた。

僕はこの光景が気にいっていた。ほかの東アジアの国の首都とは一味違った、この独特の雰囲気が好きだった。そして10年後も、この場所が変わらないでいてほしいと思った。

10年後もここはたくさんの観光客であふれていて、その人たちを連れた王さんが相変わらず車の場所を忘れて困っている。その横ではリキシャ野郎が懲りずに「USドル!」と叫んでいるし、外国から来た青年が財布をすられたと勘違いし涙目になっている…。

そうあってほしいと思った。

子供たちが不自由なく学校に通うことができる社会にかわってほしいと言ったり、この場所だけだけは変わらないでほしいとか、言っていることがめちゃくちゃだなあと自分でも思うが、これがこの旅で感じた正直な気持ちだ。

はたして10年後この国はどう変わっているのだろうか。

僕は広場の写真を1枚撮った。

この国の10年後に思いをはせながら…。

おしまい

朝の北京P1010500

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第9夜 中国の現実

12月2日(日)

「先輩、遅いですよ…」

電話に出た後輩は、開口一番、あきれはてた声でそう言った。

上海滞在最終日、僕はこの夏より上海に留学しているサークルの後輩のもとを訪れた。というか、色々あってすっかり忘れていたけれど、そもそも上海にやって来たのはこの後輩に会うためだったのだ。

まあ後輩が怒るのも無理はない。上海に4日も滞在していながら一度も電話をしていなかったんだもん。いやぁ実に申しわけなかった…。 

というわけで僕らは、発展著しい浦東地区の一角にあるデパートで待ち合わせることにした。

日曜ということで家族づれやカップルで店内は大変混雑しており、会えるか不安だったが、薄汚れたリュックを背負った僕の姿は店内で相当浮いていたのだろう、あっという間に後輩に発見されてしまった。3か月ぶりに再開した後輩は、非常に生き生きとしていた。日本にいる時には、大学生活に満足していないようで毎日憂鬱そうな顔をしていたのだけれど、とてもすっきりとした表情をしていた。

聞けば、はじめての一人暮らしを満喫し、なにやら中国人の彼氏までできたらしい…(わかると思うけど、後輩は男じゃないよ)。楽しそうでいいなあ…。あと数カ月で就職する身としては、うらやましくてしょうがない…。

とりあえず僕らは、デパートの近くにあるスターバックスコーヒーへ向かった。道すがら、後輩は言った。

「というか、言葉もわからないのによく一人で中国きましたねぇ…。普通こわくてなかなかこれないですよ」

う~ん、悔しいけれど僕もそう思う…。中国語が話せるならいざ知らず、「你好」「謝謝!」「再見」しかわからない人間にとってはなかなか難易度の高い場所だった。後先考えず行動してしまうこの性格、ちょっと直さなくては…。

スターバックスコーヒーの店内は、先ほどのデパートや外の公園などに比べると驚くほどすいていた。

「中国ではスタバは高級なお店なんですよ。見てください。値段日本と変わらないでしょ。」後輩が教えてくれた。恥ずかしながら、静岡のローカル青年である僕は、今までの人生でスタバなどというものに入ったことがなく(というか地元にない)値段が日本と同じかどうかはわからなかったが、コーヒー一杯日本円で600円ぐらいというのは、中国では相当高い。なにせ屋台なんかで食べれば一食1元で済むという国だ。僕も、さすがに1元とはいかないけど、中国に来てからはスーパーやコンビニで一食20~30元ぐらいで済ませてきた。しかも、お弁当やカップめん、それにお菓子をたくさん買い込んんでこの値段である。それからしたら、コーヒー一杯で40元とるスタバはこの国では立派な高級店であり、人が少ないのもうなずける。

よく見ると、店内にいる人間で、僕らみたいな若い人たちは皆無。西洋人のおじちゃんおばちゃん、スーツをきたやり手の営業マン風情の男、日本のIT関連の会社の社長みたいな胡散臭そうなおやじたちばかりであった。

「ちなみに…」後輩はコーヒーをのみながら言った。

「この国ではユニクロも高級店です」

う~ん、日本では「ユニクロ着てる大学生=ダサい」みたいな構図が定説と化しているというのに。ユニクロユーザーの僕はそれをきいてちょっとうれしくなった。

そういえば、ドラえもんでこんなはなしがあったっけ。

いつもいじめられてばかりののび太が、重力の低い別の星ではめちゃくちゃ強くなっちゃって、「僕はスーパーマンになったんだ!ハハハハ!」なんて言って地球帰ってからも調子に乗っていたら、案の定ジャイアンにぶっ飛ばされた、ってはなし。

日本では貧乏学生、でも中国ではめちゃくちゃお金持ちのリッチマン。ちょっと気分いいなあ…。

さて、そんなさびしい妄想はこれくらいにして、僕は後輩から中国のいろいろな話を聞いた。

学生生活のこと、上海の街のこと、そして彼女が中国に対して疑問に思ったこと…。そのなかでも、病院での話が僕にはとても印象深かった。後輩は中国にきてすぐ、病気で病院に入院したらしいのだが、その際、日本では考えられない光景を目にしたそうだ。彼女が病院のロビーを歩いているとき、ある女性が看護婦さんに泣きながら叫んでいた。「うちの夫を見てくれ。病気で死んでしまう」女性はそう言っていたそうだ。その女性に対し、看護婦は一切無視を決め込んでいた。女性がいくら言っても、看護婦は見向きもしなかったそうだ。

「お金がない者は、病院で診てもらうこともできないんです」

後輩はそういった。しかし、普通ならば医療保険などでかなり安く見てもらえるのではないだろうか?そう疑問に思った僕に後輩は教えてくれた。

「お金のない人は保険に入ることすらできないんです」

つまり、お金のある裕福な人たちは保険に加入できるので医療費を安く抑えることができる。しかし、貧乏な人は保険に加入できないので医療費の割引を受けることができない。なんともおかしな話だが、お金持ちは医療費を安く、貧しい人は医療費が高くという、逆じゃねえか、とつっこみを入れたくなるような医療保険しか中国にはないのだそうだ。貧しい人は医療すら満足に受けることができない。これがこの国の現実だそうだ。

これで制度上は社会主義を掲げているって言うんだから笑わせてくれる。中国は経済的には急成長を遂げて先進国に近づいたのかもしれないが、発展のスピードに法律や社会保障制度がついてこれていないようだ。

そういった話題になったので、僕は地下鉄で出会った物乞いの少女のことを話した。すると、彼女も幾度か見かけたことがあるらしく、こんなことを教えてくれた。

「実はあの物乞いの人たちのバックには○ク○(ヒント:闇世界の人たち)がついているんですよ。集めたお金はほとんど彼らの懐に入ってしまって、実際に物乞いの方々がもらえるのはごくわずかなんですよ…」

それを聞いてちょっとショックだった。彼女たちのためになればと思い渡したお金は、本人の手元には入らない。僕にはこれぐらいしかできることはない、とおもってやったのに全く無意味だったんですね。

「だから、お金ではなくてお菓子とかをあげた方がいいんですよ。とくに女の子には」

後輩はそう教えてくれた。全くその通りだ。いつもカバンに入っている飴のひとつでも渡してあげればよかった…。でも、こんな理不尽と思える社会でよく暴動が起きないなと僕は思った。ふつうここまでめちゃくちゃな社会なら暴動の一つや二つ起きてもおかしくないだろう。そう言うと、後輩は意外なことを言った。

「それがけっこうおこっているんですよ」

上海や北京など都市部ではそうでもないらしいが、ちょっと田舎へ行くと頻発していらしい。う~ん、日本のニュースや新聞ではきいたことないなぁ…。しかもその暴動の数は増加傾向にあるらしい。

「今後は都市部でも起きるかもしれませんよ。特に来年の夏、オリンピックが終わった後ぐらいに…」

後輩はそう話してくれた。

時計を見るともう2時近く。お昼を食べていなかった僕らは、近くにある高級中華料理店へと入った。まあ高級といっても、バ~ミヤンをちょっと高くしたぐらいの値段なんだけれど。ちなみにこのお店、東京や台北にも支店があるそうで、そちらのお値段はバ~ミヤンの数倍らしい…。

僕らが席についてしばらくすると、地元の家族連れが入ってきた。ここの子供がまたとんでもなくうるさかった。平気で店内を走り回るわ、あいてる座席に勝手に横になるわ。しまいにはよその客のテーブルの下に潜り込もうとするわ、やりたい放題である。そしてこの子の両親はというと、特に注意するでもなく、ただただおしゃべりに興じていた。

「先輩、小皇帝って知ってます?」

後輩が教えてくれた。

中国では、ご存じ「一人っ子政策」のために、たった一人のわが子をとことん甘やかせる親が激増しているらしい。その姿はまさに一家の「小さな皇帝」。その子たちがそのまま大人になるんだから、そりゃ自分勝手な人間がふえるよなぁ…。

僕は上海にいた5日間で、ここに暮らす人々のあまりの自分勝手さに辟易していた。道は絶対に譲らない、唾を道に平気で吐き捨てる、信号が赤でも横断し放題、というか車ですら赤で突っ込んでくる。しかも本来注意すべし警官までもがこういうことしてるんだからたまらない。そして、この自分勝手さこそが中国が経済発展した一番の要因なんじゃないかと勝手に思い始めていた。環境破壊しても気にしない、大気汚染や土壌汚染で死者が出ても気にしない、排気ガス出しまくっても自分は悪くないの1点張りで、自分たちが豊かになることばかりにまい進する…。この自分勝手さがいまの経済成長をうんだ1番の要因なんじゃないかと本気で思い始めていた。

そんなことを後輩に話すと、彼女は興味深いことを言った。

「でもこのままでは今後発展しないんじゃないかと思いますよ。これからは如何に相手のことを思いやれるか。その気持ちがない限り、中国の発展はこれ以上進まないんじゃないですかね」

なるほどなと思った。

さて、色々と話しているうちにあっという間に時間はすぎ、北京行きの夜行列車の発車まであと1時間となった。僕は後輩にお礼を言い、今度は日本で会うことを約束して、彼女の呼んでくれたタクシーで駅へと向かった。

上海での5日間、いいことなんてあまりなかったけれど、最後に彼女に会うことができて、そしていろいろと興味深い話を聞けて本当によかった。上海にきて初めて楽しいと思えたんじゃないかしら…。

彼女に感謝をしつつ、僕は北京行き夜行列車に乗り込んだ…。

…と、うまくいかないのが旅の面白いところ。彼女が頼んでくれたタクシーは、どういうわけか、上海南駅に僕を連れて行ってくれた。上海には、上海駅と上海南駅の2つがあり、北京行きの夜行列車は上海駅から出るのだ。

「たくっ…。最後の最後までこの街は…」

思わず苦笑いしてしまった。

予想外の延長戦。この思い通りにいかない具合が実に中国らしい気がする。

僕は上海駅へと向かう地下鉄の駅へと急いだ。

何とも言えない清々しい気持ちに包まれながら…。

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第8夜 世界最速の男

リニアの雄姿

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12月1日()

上海にはリニアモーターカーが走っているらしい。

今日は、世界最速、430キロをだすというそいつに乗ってみることにした。

昨日は、上海の昔ながらの風景に出会うことができた。ならば今日は、近代的な上海を見てやろう、こういうわけ

…だったらいいんだけれど、そこはミーハーな僕である。世界最速の乗り物があるとういうのに、乗らずに帰るわけがない。

上海のリニアモーターカーの駅は、いま上海で最もアツい浦東地区からしばらく行ったところにある。ここと空港のあいだ、30キロぐらいをわずか7分ほどで結んでいるのだ。

宿から歩いて10分ほどの南京東路駅から地下鉄で浦東地区へ向かう。

南京東路駅周辺は、いわゆる若者の街といった感じで、飲食店や服屋さんなどの入ったビルが立ち並び、ご多分にもれず、多くの人で賑わっていた。

一昨日のことである。

CDショップへ行った帰り道、僕はこの場所で、人生で初めて「ナンパ」というものをされた。ナンパ「した」のではない。ナンパ「された」のだ。

駅の前に立つ街灯の前で、地図とにらめっこしていた僕の背後から突然声が聞こえた。

「Are you Korea? 」(あなた韓国人?)

後ろを振り向くと、そこには大学生風の女性2人が立っていた。

「No. I am Japanese」(いや、日本人だし)

僕がたどたどしい英語でそう答えると、彼女たちは、僕の『地球の歩き方』覗き込んで、

「ワーオ!リーベンフォア!」(日本語だあ~)

などとはしゃぎだした。

「Let‘s drink coffee with us !」

(私たちと一緒にコーヒーでも飲みに行きましょうよ!)

思いもがけない言葉に、僕は頭が真っ白になってしまった。だって、ナンパされるのなんかはじめてなんだもん。よりによって、なんで人生初のナンパがこんな異国の地なのかなあ。

「Oh, sorry…」(ごめん無理やし)

上海2日目、ここまであまりの人の多さに若干うんざりしていた僕。しかも病み上がりときている。この子たちとお茶をするより、今はさっさとホテルのベッドで横になりたかった。

「Why?」(なんで?)

彼女たちはなおも食いついてくる。

「I´m sick ! (Hakkusyun!)

(風邪ひいてるのよ。(はっくしゅん!))

「Let‘s go to hospital! Come on! 」

(そりゃ大変!病院連れて行ってあげるから!さあ早く!)

くそっ!どこまでしつこいんだこの姉さん方は。

「No! I take medicine 

  and sleeping at hotel!

  This is good method!Good!」

(薬飲んでホテルでねてりゃ治るから!)

そういって、僕は彼女たちから離れホテルへ向かった。

いま改めて思い返すと、惜しいことしたなあと思うわけだけれども、なにせ病み上がりだったのだからしかたがない。

でも、ちょっと惜しいことしたなあ…・

ちなみに、この話を後日、後輩の子にしたところ、あっさりとこう言われた。

「よかったですね!壺売りつけられなくて!」

地下鉄をおり、リニアの駅へ入る。さすが、できたばかりということもあり実に綺麗な建物だった。

窓口で切符を買って改札をくぐる。往復で1000円以上するらしく、中国の交通機関の安さに慣れてしまった僕は切符を買う段階で断念しそうになってしまったが、気合いを入れて購入する。

改札には係りの人がいて、空港の荷物検査のようなものもあった。

ホームは駅舎の3階位の高さにあり、ここもめちゃくちゃ明るくきれいだった。ホームにいる人を見ると、ビジネスマンっぽい人にまじって家族連れやカップルの姿も見えた。空港に行くにはこのリニア以外にも格安のバスがあり、ふつうの人はそちらをとるようで、リニアは空港へ向かう手段としてより観光スポットとして見られているようだ。まあ僕自身観光できているわけなんだけれど…。

ホームの下をのぞいてみると、当たり前と言っちゃ当たり前なんだけれど、線路が見当たらなかった。さすがリニア。浮くのである。

5分ほどホームでふらふらしていると、空港からの客を詰め込んでリニアが到着した。

全部で3両編成(ぐらい)でそのうち1両がグリーン車だった。わずか7分のためにグリーンを利用する客なんているのかしらね?だれも乗らないなら勝手に忍びこんじゃおうかな…。

とおもって列車の出入口を見ていると、歴史の教科書の大正時代あたりによく載っている、料亭の玄関で「あら暗くてお靴が見えませんわ…」などといっている女将に『どうだあかるくなっただろう、ははは』なんて言いながらお札に火をつけてかざしている恰幅のいい、要するに成金おやじが若いおねえちゃんをつれて入っていったので、僕はおとなしく普通車両に…。

車内は通路をはさんで3席ずつ座席が並んでおり、パッと見、関空へいく南海のラピード(だっけ?)やJRのはるかのような感で座り心地はなかなか良かった。

乗り込んで5分ぐらい。何言っているかわからないアナウンスが流れ終わるといよいよ出発。

さすがリニア、スルーっと静かに出発。しかし加速しだすとガタガタと揺れ始めた。

車両の前にある電光掲示板の速度表示が300キロをこえると、窓際に置いてあったペットボトルが振動に耐えきれず下に落ちてしまうくらい、それぐらい揺れた。

僕は出発から、電光掲示板の世界最速表示を撮るべくデジカメを構えていたが、とにかくぶれるったらない。出発3分ほどで世界最速に到達したが、あまりの揺れの大きさに感動するどころではなかった。ほかの客も「おいおい事故るなよ…」とでも思っているのか、一様に必死に前の座席にしがみついていた。

最高速度を出してからは20秒ほどで減速を始めるのでちょっとは落ち着きを取り戻したが、日本でなかなか実用化されないわけがなんとなくわかった気がする。この揺れで東京~大阪間を走られたらたまったもんじゃない…。

そんなこんなで、わずか7分のリニアの旅はあっという間に終わったわけだが、正直空港についてもすることがない。僕の帰る飛行機は二日後、それも北京からなんだ。

情けない話だが、僕は一旦改札を出たあと、すぐに回れ右をし再び改札をくぐり同じ車両に乗り込んだ。どうでもいいけどこのリニア、車両の入口に係りのお姉さんがいる。2分前におりた僕が戻ってきたもんでお姉さんはニヤニヤ。だって、だってしょうがないじゃん…。

帰りはある程度揺れるポイントがわかっていたので、行きよりだいぶ落ち着いて外を眺めることができた。

リニアの隣には高速道路が走っており、車も結構な速度を出しているんだろうけれど、リニアは面白いように彼らを抜いて行った。さすが世界最速。車窓の風景の流れ方が異常なほど早かった。

それから一つ気がついたことがあった。空港から上海市内までの30キロはほとんどがのどかな田園地帯で、ゆったりと川が流れ、牛なんかの姿も見ることができた。あれほど発展している上海市内から数分行くだけで田園風景が広がるのどかな風景に変わってしまうことにちょっと驚いてしまった。

上海はここ二、三十年で一気に発展してきたと聞いたことがあるが、数十年前は、あの高層ビル群のあたりもこんな景色だったのかしら。ということは、あと数年もするとこのあたりにもビルが立ち並ぶのだろうか。

あとで知ったことだけれど、いま上海では、2010年に開かれる万博へむけて街の再開発がおこなわれているらしい。どおりで僕が行った時もあちこちの道路をほじくり返していたわけだ。しかしそうなると、昨日見た昔ながらの中国の雰囲気漂うあの路地裏も、町はずれの農村も消えてしまうのだろう。北京で見た古い住宅の解体工事現場をふと思い出し、ちょっとさびしい気持ちになった。

再び南京東路へ戻り、しばらく周辺を散歩した。

早いもので、明日の夜、僕は北京へ向かう夜行列車に乗らなくてはいけない。人で溢れかえったとっても疲れる街・上海、特にいいこともなかったこの街から脱出できるかと思うと、少し気分が楽になる。それほど、この街は、田舎者の僕には厳しすぎる街だった。

そんなことを思いながら、黄浦江沿いのベンチに腰かけ、途中のマクドナルドで買ったポテトをつまみながら、川沿いに建つ高層ビルのライトアップをぼんやりと眺め続けた。

宿へ帰る途中、僕はいつも夕食を買い込んでいたファミリーマートへと立ち寄った。悔しいけれど、ここの弁当は安くてとても美味しかった。

もう上海に来ることないだろうし、弁当の買いおさめだ。

そう思うと、たいしていい思い出のなかった上海ではあるがちょっとさびしい気持ちになった。

会計のレジにて、この4日間いつも顔をあわせていたバイトっぽい女の子が、帰り際に「バイバイ!」と笑顔で言ってくれた。

4日間、毎晩弁当を買いにくる怪しい外国人、と、僕のことを覚えてくれたのだろうか。冷たい人ばかりでうんざり気味だった僕は、なんともすがすがしい気分になった。

この街にもあんな子がいるんだな。

上海最後の夜にものすごくいい気分にさせてくれたあの子に感謝しつつ、僕は宿へ戻った。

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第7夜 原風景をもとめて

11月30日()

この日、昼前にようやく目を覚ました僕は、上海の街をあちこち歩き続けることにした。

昨日の夜の出来事を受けて、僕は日本にいてはわからない『本当の上海』を見てやろうと思った。発展した街並みに感動し、雑技団に興奮する。中国の「光」の部分だけ見て帰ってしまったらこの旅に出た意味がない気がしていた。

北京で見た、巨大なオリンピック看板の真実のような、影の部分を、ここ上海でも見てやろう。そう意気込んで、僕は宿を出た。

といっても、上海の街は結構広い。とりあえず地下鉄に乗って適当な駅で降りてみることにした。

昼間の地下鉄は相変わらずこみ合っていたが、中心部の人民広場にて別路線に乗り換えると、空席も見られるようになってきた。

上海の地下鉄は、東京や大阪などと変わりないくらい綺麗で快適だった。北京の地下鉄は、駅のホームもどこか古めかしく、切符も券売機ではなく窓口で買う方式だったのに対し、上海では自動券売機も電子掲示板月で分かりやすく、自動改札も設置されていた。さすが、中国経済を引っ張る近代都市・上海。

人民広場から数駅離れた虹口蹴球場前駅で降りてみた。ここは、上海の街の北に位置している。

駅を出ると、目の前に大きな体育館のようなものがあり、中で何か行われているようだった。開いているゲートからこっそり中に入ると、そこはなんと芝生のピッチが広がっていた。てっきり大きなホールか何かだと思っていた僕は、突然現れた広大なピッチに驚いてしまった。そりゃそうだ。ゲートをくぐったら、いつの間にか埼玉スタジアムみたいなところの、しかもピッチのど真ん中についちゃったんだから。あとで調べてみたところ、ここは中国代表の試合も行われるくらい立派なスタジアムだったらしい。ピッチ上では何やら展示会のようなものが開かれていたけれど、いまいちよくわからないので退散。

スタジアムを出て周囲を歩いていると、真中に大きな池のある公園に出た。休みということもあり、園内は多くの家族連れで賑わっていた。それにしても、上海はどこに行っても人ばかりで本当に疲れる。特にイベントが行われているわけでもない公園が、なぜにここまで混んでいるのさ?

病み上がりということもあり、体力的に限界だった僕は、園内のなるべく人のこなさそうな隅っこに座って、途中買ったお弁当を食べながら思わず愚痴ってしまった。

本来、憩いの場であるはずの公園でクタクタになってしまった僕は、今度は上海の南の方へと行くことにした。

しかし、地下鉄のあまりの混みように我慢できなくなり、結局、途中の人民広場駅で下車。そういえば今日は土曜日。どおりで人が多いわけだ。

駅をでると、何本もの超高層ビルが目に入った。そのあまりの大きさに圧倒された僕は、しばらくその場に立ち尽くした。すると、僕の横を一人のサラリーマンが通り過ぎていった。彼は、携帯片手に日本語で会話していた。日本から出張で来たのだろう。そういえば、上海到着初日の地下鉄でも日本人ビジネスマンを見た気がする。

しばらく立ち並ぶ高層ビルを眺めながらその辺を歩いてみた。

街ゆく人たちはみんなおしゃれな格好をしていて、一見東京や大阪と変わらないように見えた。さすがは中国一の大都会・上海。

しかし、こんな近代的な街に、昨日の地下鉄で見た物乞いの人たちがいるとは、僕には到底考えられなかった。

しかし、人が多すぎる。どこまでいっても、そしてどこの建物に入っても人であふれていた。

人ごみに疲れてきた僕は、人民広場を離れることにした。

正直もう限界である。『本当の上海』を見てやると意気込んで街に出たものの、この人ごみにはかなわない…。

というか、どこを歩いてみても、目につくのは超高層ビルや小ぎれいなお姉さま方だけ。北京で見つけた巨大なオリンピック看板のような不自然なものも特にない。

情けないが、宿へ戻ろう。そう思い、いまきた道を引き返そうとした。

そのときである。

おしゃれな服装をした人々に交じって、薄汚れたぼろぼろの服を着たおばさんとすれ違った。しばらく見ていると、おばさんはビルとビルの間の細い路地に入っていた。

これは何かあるかもしれない…。

そう思った僕は、おばさんを追って、その細い路地へ行ってみた。

ビルとビルの間にある細い路地。

そこはまさに別世界だった。

細い道の両側には、食べ物や骨とう品を売る露店が立ち並んでおり、街中を歩いている人たちとは違った、(こういうと失礼かもしれないが)ぼろぼろの衣服をまとったおじさん、おばさん達が道端に座り込んでおしゃべりをしていた。

そんな中で子どもたちは、サッカーをしたり、道路に落書きをしたりと思い思いに遊んでいた。

なにか冷たいものが頭に当たった。雨かしら?そう思って上を見ると、建物と建物の間にロープを渡して、道路の真上に洗濯物を干していた。

近代的な高層ビルの広がる街中とは違い、なんとも素朴な街並み。ここだけ時が止まっているかのような錯覚を覚える不思議な路地裏。

僕はその光景に度肝を抜かれるとともに、不思議とわくわくしてきてしまった。目の前に広がるその風景は、僕が思い描いていた中国のイメージそのままだった。

ここで暮らしている人々は、たしかに街で見かける人たちとは違い着ている服もぼろぼろで、おそらく生活も豊かではないのだろう。

しかし街で見かける人たちよりも、笑顔であふれているように僕は思った。街を歩く人たちよりも楽しそうに見えた。

僕はその雰囲気にひかれ、露店で古い腕時計を買った。値段は200元。どう値切ってもこれ以上安くしてくれず、ちょと高いと思ったが購入。

後日、あまりのうれしさに上海で暮らす大学の後輩に自慢したところ、「私なら20元で買います」と一蹴されてしまったが…。

でもまあいい。

偶然足を踏み入れたあの不思議な場所で見つけたパンダの時計は、この旅で一番の宝物である。

思いもがけず、上海の「影」の部分を見ることができた僕は、そのゆったりとした雰囲気を味わいながら宿へ戻った。

原風景

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